言葉の温度

2009 年 9 月 24 日

 先日、米原万里さん(ロシア語同時通訳者、作家として活躍されましたが、2006年にお亡くなりになりました)の著作を読んでいたら、「言葉の温度」という記述が目に留まりました。そして、この言葉についてしばらく考えることになりました。

 みなさんは、わが子や自分の周りの近しい人たちとの会話のありかたについて、「言葉の温度」という観点から考えてみたことがありますか?

 たとえば、わが子が不機嫌になって学校から帰ってきたとします。そのときの会話を、事例として取り上げてみましょう。
「今日はどうしたの?」
と尋ねたら、いきなり子どもが怒りを押さえ切れぬ様子で、学校であったことを話し始めたとします。
「先生ったらひどいんだよ。3時間目の授業中に突然怒りだして、ボクはずっと立たされ続けたんだ!」
と、言いました。

 これに対して、あなたならどう対応されるでしょうか。
「また、なにかやったんでしょ」、「立たされるには、理由があるはずよ。よく考えてみなさい」などとやってしまうと、事態は悪化します。そんなときのおかあさんの言葉は、冷たく、刃(やいば)のようにお子さんの心にグサリと突き刺さります。

「おかあさんは、ボクを信じてくれない」、「おかあさんは、ボクが悪いと決めつけている!」など、子どもの怒りは一層大きくなり、怒りの対象が先生だけでなくおかあさんにも向けられることでしょう。

 こういうとき、大人はすぐ子どもの反省を引き出そうとします。そして説教をしたり、命令の言葉を浴びせたり・・・・・・。しかし、まだ子どもが悪いと決まったわけではありません。ですから、まずもって必要なのは、子どもの腹立ちの気持ちをしっかりと受け止めてやることです。

「そうか、立たされたんだ。辛かったろうね」、「今日は、大変だったね」などと応じると、子どもは、「おかあさんはボクの気持ちをわかってくれている」と安心し、冷静になることができるでしょう。おかあさんの返した言葉に、おかあさんのぬくもりが感じられたからではないでしょうか。そうして、「先生が隣の席の子がしたいたずらを、わが子がしたことと勘違いをしたのだ」という事実が、その後の子どもの話からわかってくるかもしれません。

言葉の温度差 このように、発信する言葉によって温度差が生じます。相手のことを慮(おもんばか)り、相手の気持ちを大事にしながら発する言葉には、その人の温かさがこもっており、それが聞く側の気持ちに響きます。たとえ親に愛情がたっぷりとあったとしても、親の発する言葉の温度が低ければ、満たされない子どもの思いをほぐしたり、元気づけたりすることはできません。

 わが子が、「勉強すべき時間になっても、なかなか机に向かわない」というシチュエーションを想定し、言葉かけの練習をしてみましょう。「いつまでテレビを見てるの!」、「はやく勉強しなさい!」、「そんなことじゃ、・・・・・・」などのような温度の低い(いや、高すぎる?)言葉から決別しませんか? そして、子どもの背中を優しく後押しするような言葉かけをするのです。試しにいくつか考えてみてください。きっとすぐに活かせるはずです。

 筆者は、子どもをもつおかあさんがたの前でお話しさせていただく機会がよくあります。そのときに心掛けていることは、「どんな賢明なおかあさんでも、わが子に対しては冷静になれないものだ。子育てに悪戦苦闘しておられるおかあさんがたに対して、敬意の気持ちを忘れないようにしよう」ということです。舌足らずでうまく言えないことがあったとしても、そういう気持ちをもっていたなら、おかあさんがたには気持ちで通じ合えると考えるからです。

 言葉の温度は、高すぎても低すぎてもいけないように思います。子どもの「ちゃんとやらなければ」という気持ちをそっと後押しする温度。そう、体温ほどの温かさのある言葉がちょうどよいのではないでしょうか。
 

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カテゴリー: 子育てについて

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