2011 年 8 月 のアーカイブ

勉強の必要性を、親はわが子にどう語る?

2011 年 8 月 29 日 月曜日

 以前、「なぜ勉強をしなければならないのか」について、どう子どもに納得させるかをテーマにこのブログの原稿を書いたことがあります。

 「友だちは毎日楽しそうに遊んでいるのに、自分だけなぜ毎日勉強をしなければならないのか」と、受験生活に得心がいかないまま勉強を続けていくのは、子どもにとっても辛いことです。筆者自身、これまで何度もこの種の悩みを抱えた子どもに接してきました。そこで、親としてどういう納得のさせかたがあるだろうかということを考え、記事にしてみたのですが、「これだ!」と思うような方法が見つかるまでには至りませんでした。

 ところが、その回の記事を読んでくださったかたが意外にもたくさんいらっしゃいました。そこで何とか、この話題をもう一度採り上げてみたいと思っていたところ、おとうさんおかあさんに向けたよいアドバイスが書かれている本を見つけました。そこで、該当する部分をちょっと紹介してみようと思います。著者は日本有数の私立一貫校の元校長先生です(ずいぶん前にお亡くなりになりました)。

 子どもにとって、「なぜ勉強しなければならないのか?」という疑問は、「なぜ人間は働かねばならないのか?」「なぜ人間は生きているのか?」といった、人間存在の根本の問題と同じくらい重要な問題です。

 大学を出てサラリーマン生活を始めたとして、定年まで三十数年。その間に大人たちは「おれは何のために働いているのか?」という疑問に何度もとりつかれるはずです。そういう疑問を感じて悩むとき、肝心の仕事が留守になったり、はかどらなかったりした経験は誰だってもっているでしょう。自分が働かねばならない理由、自分自身の存在理由に疑問がわけば、どんな人間だって仕事の能率は落ちます。子どもにとっても、それは同じことです。

 「どうして毎日毎日、勉強しろ!勉強しろ!って言われるんだろう?」

 そんな疑問が生じれば、勉強に対する姿勢にも真剣みが欠け、成績が落ちるのは当然です。この「なぜ勉強しなければいけないのか?」を、親が自信をもって子どもに納得させることができるかどうかに、学業の成否がかかっているといってもオーバーではありません。

 子どもにとって、この問題は「生か死か?」に匹敵するほどの大きな問題です。しかし、大人にとって余りにも勉強するのは当たり前のことです。それこそ「空気を吸わねば死んでしまうのと同じこと」くらいにしか思っておりません。

 だから、誰も明確に答えられはしません。しかし、子どもに対してごまかしの返事ですむ問題ではないのです。子どもを納得させようとするなら、まず親が納得することです。自分がぼんやり、曖昧にしか考えていないのに、子どもを説得できるわけがありません。

 私自身の考えは後で述べます。しかし、その前に親としての考えをはっきりしていただきたいのです。自分で得た結論を、自信をもって子どもに説明する義務があることを知ってもらいたいのです。子どもたちが充実した勉強を続け、希望の学校に入り、納得のいく人生を送ることを望むならば、「なぜ勉強しなければならないのか?」を、子どもより先に親が考えてほしいのです。

 どうでしょう。「結局、答えが書かれていないではないか」と思われたかも知れません。この先生のお考えは、次回紹介させていただきます。その前に、この先生が述べておられるように、「なぜ子どもにとって勉強は必要なのか」に対する答えを、まずは親として考えることが重要だと思います。

 この先生は、「あまり現実に即した答えはふさわしくない」と述べておられます。「たとえば、有名大学に入り、一流企業に就職し・・・・・・」といったような答えです。「人生が何たるかをおぼろげながらも理解し始めた大人には有効かも知れないが、まだまだ人生や社会に対し、純粋な気持ちで相対している子どもには説得力に欠ける」というのです。「それに、親が心の底からそう信じていると思えば、子どもにとってはいささか悲しいことでしょう」とも述べておられました。

 この言葉をもって、一応の答えが見えてくるのではないでしょうか。親として、わが子に期待する人生の歩みについて熱く語ればよいのだと思います。

 次回は、この先生の用意しておられる答えをご紹介してみます。でも、きっとおとうさんおかあさんが用意された答えが、いちばんお子さんを納得されられるものになるような気がします。

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カテゴリー: アドバイス, 子育てについて, 家庭での教育, 家庭学習研究社の特徴

夏休みで子どもが嫌がることは?

2011 年 8 月 22 日 月曜日

 長い夏休みですが、気がつけばあと残りが少しになりましたね。毎日のように子どもが家にいると、おかあさんがたは何かと大変ですから、夏休みの終了を待ちわびているかたも少なくないかも知れませんね。

 ところで、毎年子どもたちが楽しみにしている夏休みですが、夏休みならではの嫌なものもあるもあるようです。さて、それは何でしょうか。おとうさんおかあさんの子ども時代を思い出してみてください。いつの時代も同じであろうと思います。

 以下にご紹介するのは、「夏休みで嫌な思い出があるものは?」というテーマで実施されたアンケートの結果です。アンケートを実施したのは美容・衛生関連の会社で、調査対象は20代の男性と女性です(男性258名、女性522名)。

夏休みの嫌な思い出ランキング

 男性女性ともに、ほぼ同じような結果が出ています。「夏休みは好きだけれど、あれだけはイヤだ」というものは、誰しも同じなんですね。筆者の子ども時代を振り返ってみましたが、ランクされたもののすべてが嫌でした。自由研究では、まぐれで県の科学賞(正式名は覚えていません)をもらったことがありますが、嫌々やったことだけははっきりと覚えています。

 第1位の「読書感想文」は、何をどう書いたらよいのかわからないため、大多数の子どもに嫌われるようです。読書は好きな子どもでも、感想文は嫌がるものです。小学生の年齢では、まだ構想立てて文章を書くことができません。ただでさえ書くのが負担なのに、あらすじだけではいけない、独りよがりの感想を書いたのではダメと、制約がいろいろありますから、感想文を書くことがいちばん敬遠されるのは頷けることです。「よいことを書かなければいけない」という気持ちにどうしてもとらわれてしまいますから、よけいに嫌になるものです。

 絵日記は毎日継続して書くことが求められます。ですから、ズボラな男の子が苦手なのもわかりますね。夏休みの終了間際にまとめて片づける男の子が多いのではないでしょうか。これでは絵日記の課題の意味の大半が失われてしまうのですが、どうしてもそうなってしまうのが男の子というものです。自由研究は、女の子のほうに嫌がられる傾向が強いのも頷けます。理科という教科自体が、女の子にはあまり好かれない傾向がありますから。

 工作は、「何をつくるか」を決めるまでが大変です。男子女子に関わらず、大概の子は親のアドバイスや助力でかろうじて提出しているようです。
 作文も嫌がられていますが、こちらのほうは読書感想文よりは負担感が少ないようですね。自分の体験したことや興味のある話題について書けるからでしょうか。

 夏休み終了のカウントダウンが始まると、多くの家庭は親が振り回されることになります。提出すべきものがいろいろあるというのに、その半分もやり終えていない子どもがたくさんいます。業を煮やした親がやむなく手伝うのは、おとうさんおかあさんの子ども時代も同じだったのではないでしょうか。

 さて、お子さんの夏休みの宿題のはかどり具合はどうでしょうか。大人には、もう子ども時代のような夏休みはありません。子どもたちが満喫する長い夏休みはうらやましい限りですが、しかし、子どもにしてみれば溜まった宿題のことを思うと、夏休みの残りは結構気が重いもの。残りがあと1日、2日に迫らないうちに提出の見通しを立てるよう、上手に励ましてあげてください。

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カテゴリー: アドバイス, 勉強について

伸びる子の“聴きかた”“話しかた”のちょっとした違い

2011 年 8 月 15 日 月曜日

 あるとき、かつて担当していた同じクラス(男子)の子どものなかから、日本最難関とされる国立大学に4~5名が進学したということを知りました。

 その昔、弊社の校舎が三篠校一校のときには、それ以上の結果が当たりまえのようにありました。しかし、校舎が分散して6校舎の体制になってからは、さすがにこういうことは少なくなりました。

 さて、筆者は最難関大学に進学した子どもたちの中学受験生時代を思い出していて、あることに気づきました。今回は、そのことについて書いてみようと思います。

 「あること」とは、「彼らの授業を受ける姿勢」のことです。彼らの授業のときの様子が特徴的で、そのためかよく覚えていました。
 ただし、特別に変わったことではありません。たとえば、どの子も授業を聴くときの姿勢がとてもよかったということです。ここでいう「よい姿勢」とは、「背筋が伸びている」ということと、「先生の説明にしっかりと耳を傾けている」ということです。どの子も背筋がピンと張っており、常に説明をしているときの先生のほうを注視していました。なにしろ、名前を聞いてすぐに彼らの授業中の姿を思い出したほどですから、授業を聴くその姿がよほどよかったのです。

 勉強のできる子が、みなこうとは限りません。そこそこできる子のなかには、授業をあまり聴かない子や、脇見をしたり、他の子に授業中に話しかけたりする子もいます。

 もう一つ、彼らには共通の特徴がありました。話しかたが理路整然としており、発表などをさせると、筋道立ったわかりやすい説明ができていました。決して饒舌なわけではありません。ゆっくり考えながら話す子もいました。また、「わかる人はいるかな?」などと振っても、我先に手を挙げるようなことはありませんでした。したがって、「うっかり」ということがなかったということも、共通点としてあげられるでしょう。

 たまたまかもしれませんが、これらのことが全員に共通していました。ここでお伝えしたかったのは、「彼らが小学生の頃からとびきり優秀だった」ということではありません。そうではなく、聴く姿勢や話しかたがきちんとしていたということに着目してほしかったのです。このことは、わが子の将来の飛躍を期待しておられるおとうさんやおかあさんにとって、子育てのよいヒントになるのではないでしょうか。

 成績について言うなら、彼らはいずれも成績はよいほうではあったけれども、飛び抜けてよいよと言うほどでもなかったように記憶しています。ただし、全員が第一志望校に合格しました。その理由も、聴く姿勢、話しかたと無関係ではないように思います。

 聴くことと話すことは、学業における基本中の基本です。この二つがしっかりとしていてこそ、読むこと書くことの力も備わってきます。聴く力と話す力はどこで備わるのでしょうか。それは家庭です。学校は集団指導のなかでそれをしてはくれますが、一人ひとりに細かいフォローなど期待できません。塾も同じです。家庭での毎日の会話生活の積み重ねこそ、子どもの聴く力や話す力を育むのです。

 ある学者の書物に、「話を聞くとき、相手の目を見て聞けば、大切なことを聞き漏らさなくなる」ということが書いてありました。スッと背筋を伸ばし、筆者のほうをしっかり向いて、説明を小さく頷きながら聴いている彼らの姿を思い出します。

 おそらく、彼らの聴きかた話しかたは、家庭で築かれたのだと思います。4年生や5年生のお子さん、あるいはそれより下のお子さんのご家庭では、まだまだ十分にお子さんの聴く力・話す力を鍛え直すことが可能です。食事や団欒の時間には、互いの目を見て、しっかりとしたコミュニケーションをはかっていただきたいと思います。

 小学生の子ども、特に男の子の話しぶりは、端で聞いていてももどかしいことが多く、親ですらイライラしてしまうものです。しかしながら、それを辛抱強く聞いてやり、理路整然とした話しかたの手本を示してやることこそ、子どもの成長にとって必要なことです。

 子どもが人の話を聞かないのは、親が子どもの話に耳を傾けてやらないからだとも言われています。誠に子育てとは辛抱のいるものです。しかし、その辛抱あってこそ、子どもは先々のすばらしい成長に向けた備えをすることができるのだと思います。是非がんばっていただきたいと思います。

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カテゴリー: アドバイス, 子どもの発達, 子どもの自立, 子育てについて

家族と会話や食事をすることの意味

2011 年 8 月 8 日 月曜日

 ここ何年か、ミラーニューロンという神経細胞のことがよく話題にされています。「えっ、そういうわけの分からないものには興味がない」と言われるかたもおられると思います。しかし、このミラーニューロンは子どもの健全な成長に関わる重要な働きをしているということが知られつつあります。そこで、今回はちょっとどんなものかについてお伝えしてみたいと思います。

 よく「子どもは真似をして育つ」と言われます。真似の対象は、何といっても家族、それも親です。わが子のしゃべりかたや仕草にふれ、「誰かに似ているな」と思ったら、自分に似ていたことに気づかれたおとうさんやおかあさんはおられませんか? おそらく、どなたにもそういう経験がおありではないかと思います。

 家族揃っての食事の時間は、とても重要なものです。親子いっしょに食事をすることで、子どもは上手な話しかたのコツや、新しい語彙を親から仕入れることができますし、食事のときに必要なマナーの基本を学ぶこともできます。早食いや大食いは健康によくないと言われますが、ゆっくり噛んで食べる習慣も親から学ぶことができます。

 蛇足ですが、よく噛むことは脳の活性化につながるのだそうです。よく噛めば脳の運動野や前頭連合野を活性化させ、学習意欲を刺激すると言われています。食事のときにはゆっくりとしっかり噛む癖をつけさせてあげてください。

 以上のように、家庭での食事の時間を通じて身につけることがらは、子どもの健全な発達や人間としての印象を決定する重要なもので、親子一緒に暮らしている間に親から子どもに是非とも授けてやるべきことです。

 さて、冒頭のミラーニューロンの話題に入りましょう。ミラーニューロンは、子どもの真似と深く関わっています。目の前にいる親の食事の様子を子どもが観察するとき、子どもの脳にあるミラーニューロンと呼ばれる神経細胞が活発に反応します。

 このミラーニューロンというのは、自分が何かをするときにも、他者が何かをしているのを見ているときにも活動する脳内の神経細胞です。ちょうど鏡に映し出されたかのように、自分がそれをしていないにも関わらず、目の前の人間がしている様子に反応し活性化することから、この神経細胞はミラーニューロンと名づけられました。

 この神経細胞の性質について近年研究が進められ、この神経細胞は人の心の状態を理解し、その場にふさわしい対応をするなど、人とのコミュニケーションに深く関わっていることが明らかにされつつあります。家族揃っての食事のときにもこのニューロンは活動し、親の食事の様式を真似て自分のものにするのに一役買っているようです。また、親がわが子の目を見て子どもの気持ちを理解しながら話してやれば、それが子どものコミュニケーションの基本的な姿勢として身についていきます。

 目の前に親がいて、親が食事をする様子を見ている間、ずっとミラーニューロンは働いていますから、毎日親子で食事をすることの大切さを思わずにはいられません。親のよい点も悪い点も、そっくり子どもは自分のものにしてしまうわけです。

 無論、ミラーニューロンは大人の脳内でも同じように働いています。ただし、成長途上にある子どもの場合、まだ人格が定まっていませんから、その働きのもつ意味が随分違っていると言えるでしょう。子どもの場合、コミュニケーションのとりかたや、人格形成に深く関わってくるのです。

 家族みんなで揃って食卓に着き、楽しい話に花を咲かせる。毎朝、毎晩は無理かもしれませんが、おとうさんにも頑張っていただき、少しでもそういう機会を子どものためにつくってやりたいものです。そのとき、お子さんのミラーニューロンは活発に反応し、おとうさんやおかあさんからたくさんのことを学ぶでしょう。また、目の前に相手をおいての会話の充実は、人の気持ちを汲み取り、人の気持ちに寄り添ったコミュニケーションのできる人間に成長するという意味においても、大変大切なものだと言えるでしょう。

 近年、子どものコミュニケーション力の低下が喧伝されていますが、家族揃っての団欒の時間が減り、子どもがゲーム三昧の生活を送ったり、家族バラバラに食事をする家庭が増えたりしていることと無関係ではないように思います。

※今回の記事は、脳科学研究者の永江誠司先生の著書を参考にして書きました。

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カテゴリー: アドバイス, 子どもの発達, 子育てについて

テストの得点や成績から何を学ぶか

2011 年 8 月 1 日 月曜日

 子どもの学力がどうであるかを知るための方法として、テスト成績のチェックは欠かせないものの一つです。しかし、ややもすると得点や順位を確かめるだけで終わってしまうことになりがちです。おたくではどうでしょうか。

 言わずもがなのことですが、テストでの得点や成績が子どもの全能力を示しているわけではありません。弊社のテストの場合、2週間に1回のペースでテストが行われます。その2週間どのように取り組んだかの結果であると受け止めていただきたいと思います。点数や成績ばかり気にすると、肝心の取り組みが疎かだからこそのテスト結果なのに、「自分は力がない」と努力を放棄することになりかねません。

 お子さんが小学校の4~5年生なら、テストの得点はむしろ参考程度に留めていただき、返された答案用紙のほうに目を向けていただくようお願いいたします。どういうことかを、これからお伝えしてみようと思います。

 返却された後の答案用紙には、子どもの取り組みのあとがはっきりと残されています。全然わからなくてお手上げだったのなら、答案用紙はほとんど白紙でしょう。しかし、そういう例は極めて希です。大半のお子さんの答案はかなり埋まっていますし、そこに書かれていることを見れば、理解の度合いや取り組みの欠点も見えてくるものです。

 時間配分に融通が利かないお子さんなら、時間が足りなくなった場合、おしまいの数問が白紙になっていることもあります。書いては消したあとのある空白も、それなりに理由を物語っています。

 何よりも多い失点の理由としては、ミスがあげられます。小学生のテストは、まさにこのミスとの闘いといってもよいかもしれません。それだけに、「ミス」とひとくくりに扱うべきではありません。ミスにはいろいろな原因があるのです。

 問題の読み違い、思い込みや勘違い、漢字の書き間違い、単純な計算ミス、解答欄の取り違えなど、ありとあらゆるミスがあります。特に男子の場合、指導を担当する先生から「うっかり大王」「ミスのデパート」の称号(ありがたくない話ですが)を獲得する子どもが毎年相当数いるものです。

 ここまで読まれたおとうさんおかあさんのなかには、「ああ、うちの子のことだ!」と嘆き混じりの苦笑いを浮かべられたかたもあるのではないかと思います。

 だいじょうぶ。今から対策を考えれば間に合います。このミスを撲滅するには、「どういうミスをしたか」を洗い出し、子ども自身に「自分はどういう間違いをする傾向があるか」を頭に置いてテストに臨むようにすることです。

 うろ覚えですが、勘違いや思い込みによるミスは、人間の優れた脳機能から生まれるものだと、脳科学者の著書に書いてあったように思います。脳はその働きを省力化するため、過去の記憶から識別や判断を素早くしようとします。その結果、記憶にしまっていた事例や事物の記憶と似たものを目にしたとき、そのいずれかと同じものと判断してしまうのです。

 ですから、思いこみなどによるミスが多いお子さんは、「自分にはそういう傾向がある」ということを肝に銘じ、気をつけてテストに臨めば、ミスは少なくなるものです。こういうお子さんは、決して頭が悪いわけではありません。むしろ、頭はよいのです。

 子どもは、よくない点数の答案用紙を見直すのを嫌がります。しかし、この答案用紙に自分の学力を伸ばしていくヒントがたくさんあるのだということを、子どもに是非気づかせてやりたいものです。「テストの答案」には、子どもの現実が浮き彫りにされています。テストの答案にこそ、子どもの取り組みの欠点が示されており、巻き返しのためのヒントが隠されているのです。

 わが子の成績状況が心配なおとうさんおかあさんへ。テストが返ってきたら、しかもそれが悪い成績だったら、そのときこそ冷静になり、一緒にミス探しや原因探しをしてみてはいかがでしょうか。おそらくは、取り組みの甘さ、ミスの多さに驚かれることになるのではないかと思います。そこで気づいたことを親子で話し合い、以後はテストが返ってきたら「何をどうしてこの結果になったのか」をお子さんに点検させるべきだと思います。

 無論、指導する先生からもそういった指導や注意は行われています。テストを返すたびに注意を与えているくらいです。しかし、いつの間にかその言葉が儀式のようになり、聞き流されてしまっているケースも多いのではないかと思います。指導する側も気をつけてまいりますので、よろしくお願いいたします。

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カテゴリー: がんばる子どもたち, アドバイス, 勉強の仕方