2011 年 12 月 のアーカイブ

受験は子どもの成長につながってこそ ~2011年の終わりに~

2011 年 12 月 29 日 木曜日

 もうすぐ2011年が終了します。今年もたくさんの方々がこのブログをお読みくださいました。ほんとうにありがとうございました。
 本ブログは、家庭学習研究社の理念をできるだけわかりやすくお伝えする場を設けようと、また家庭学習研究社がどんな学習塾かを地域の保護者の方々にお伝えしようという意図で始めたものです。しかしながら、弊社の会員保護者の方々のみならず、様々な地域から多数のアクセスをいただくようになり、それに応じてブログの方向に変化が生じてきました。
 と言いますのも、アクセス件数の多い記事が「子どもをよくする子育てとはどういうものか」に関するものだったからです。そこで、知らず知らずのうちに子育てに関する記事が増えるようになりました。
 進学塾のブログですから、もっと自社の宣伝に力を入れたり、入試の合格力について勇ましい内容の記事を書いたりした方がよいのかも知れません。
 しかしながら、そういう記事は書いていて決して面白いものではありません。書き手としてワクワク感がないうえ、「誇大な宣伝と受け止められるかも知れない」と思うと、書くことに後ろめたさが伴います。また、話題が決まり切ったものになりがちです。「この記事が子育ての最中にある方々のお役に立つも知れない」と思えてこそ、書いていて元気が出てくるものです。そういう手応えというか喜びのようなものがないブログでは、続けていこうという気持ちも湧いてきません。
 考えてみれば、このブログが今のようになったのは、当然の成り行きなのかもしれません。弊社の指導理念の根幹をなすのは、「子どもの望ましい成長に資する学習指導を実践する」ということだからです。合格しさえすれば、子どもの人生が保証されるわけではありません。合格しさえすれば、中学進学後の学力向上が確約されるわけでもありません。
 合格することを全てに最優先すると、どうしても犠牲にすべきものが出てきます。その犠牲になったものがとても重要なものである可能性が高いのです。弊社は、何十年も前からそのことに気づき、合格最優先の学習指導ではなく、子どもの将来を見通した学習指導の実践を心がけてきました。
 たとえば、親も学習塾も合格一辺倒に染まってしまうと、受験の結果に関わらず、子どもの心に親や大人に対する反感や疑念を残してしまうおそれがあります。親を尊敬しない子どもにしたのでは、子どもを育てた意味がありません。親子の信頼関係を築くことは、思春期前の子育てでいちばん大切なことです。それを、受験が台無しにしてしまっては元も子もありません。
 また、中学受験の準備にあたる小学校の中~高学年は、「個の確立期」とも言える人間形成上の重要な時期です。そんな大切な時期にあるのですから、大人は自立した一人の人間に成長していけるような受験生活のありかたを考えてやる義務があります。毎日の生活習慣から受験勉強まで、すべてが子どもにとって自立に向けた助走としての意味をもたなければ、受験で合格できたとしても子どものためにはなりません。
 そのことは、ほとんどのおとうさんおかあさんにとって自明のことです。しかしながら、他人の子どもの受験ではなく、かわいいわが子の受験であることが、ことを難しくしてしまいます。筆者自身、愚息の受験を経験してつくづくそれを実感しました。子どもの自主性に任せよう、子どものすることを信頼しようと思っても、わが子の無自覚な勉強ぶりを目の当たりにすると、手を差しのべざるを得なくなるのが親というものです。
 本ブログの記事を書くにあたり、いつの間にか筆者は、「親として揺れ動く気持ちと闘っておられるおとうさんやおかあさんを、励ますために書くのだ」という意識をもつようになりました。「ほんとうは、こうしたほうがいいんだろうけれど・・・」と、迷っておられる保護者の方々の背中を押してあげたい。そういう思いで書くようになりました。
 間もなく2011年が終了しますが、また正月明けから定期的に記事を更新してまいりますので、引き続くよろしくお願いいたします。今年は東日本大震災をはじめ辛いことの多い年でしたが、来年は未来に向かって明るい話題の多い1年にしたいものですね。
 子育てには正月も盆もありません。1日たりとも休むことのできない仕事です。しかし、未来の担い手を育てる素晴らしい仕事です。毎日悩むことも多いものですが、わが子の成長に向けて、一つひとつのことを丁寧にクリアしていってください。来年もよろしくお願いいたします。

 

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: ごあいさつ, 家庭学習研究社の特徴

“努力”は、頭の中でどう活かされる!?

2011 年 12 月 26 日 月曜日

 何か新しい発見をしたり、今までにわからなかったことがわかったりしたとき、子どもはうれしそうな顔をし、歓喜の声をあげたりします。その光景はとてもほほえましいですね。

 もしも、こうした体験が子どもの知的な能力の向上、もしくは脳の発達に深い関わりをもっていたとしたら、さらにうれしくなってしまいます。みなさんはどうでしょうか? 今回は、そのことを話題にしてみようと思います。

 みなさんはシナプスという言葉をよく耳にされると思います。ご存知かと思いますが、シナプスとは神経細胞間にあるミクロン単位の狭い隙間のことです。ここで分泌される化学物質の量によって脳の働きが良くなったり悪くなったりします。シナプスには可塑性を備えたものがあり、脳の海馬というところで発見されていますが、記憶力の強弱と深い関係をもつと言われています。

   可塑性とは、いったん形をつくると元に戻らない性質のことをいいます。何かのきっかけによってシナプスで分泌される化学物質の量が増え、それまで十分活用されていなかったシナプス回路が活性化して情報伝達の機能が強化されたとします。すると、この状態が長期にわたって継続され、高い水準の記憶力を維持するのです。これを長期増強(LTP)といい、現在の脳科学界では、記憶や学習の基本的メカニズムであろうと認識されつつあります。

 また、長期間にわたる学習の積み重ねは、新しいシナプスの芽を育てます。これは発芽と呼ばれ、シナプス回路の情報伝達力の強化につながります。記憶が格納されている側頭葉などでみられる現象です。

 では、具体的にはどうすることが「何かのきっかけ」になり、脳の働きをよくするのでしょう。また、どのような学習がシナプスの発芽を促すのでしょうか。もしもそれがわかったなら、ぜひわが子の家庭教育に役立てたいものですよね。脳科学に詳しい先生の本に、つぎのような記述がありました。

「……刺激の伝達を速く、また、脳の働きをよくするには、『努力』という心的エネルギーが必要である。つまり、頭をよくするということは決して楽なことではなく精神的苦労をしなければならない。ところが、脳は苦労を苦労と思わないで『楽しい』という思いにこれを切り替えることができる……」

 この記述は、私たちに有用なヒントを与えてくれます。確かに勉強するのは楽なことではありません。しかし、子どもは誰でもみな勉強を嫌がるかというと、そうではありません。私たちの学習塾に通っている子どもの中にも、かなりの数のがんばりやさんがいます。

 そういう子どもの努力を引き出しているのは、「勉強しろ!」という押しつけではありません(ストレスでホルモン分泌が押さえられ、記憶を妨げる)。

 子どもががんばるにはいろいろ理由があります。その中で最も大きいのは、親が愛情深く「勉強はいかに大切なものか」を上手に理解させているからではないかと思います。子どもは、放っておいては努力しないかも知れませんが、私たち大人の関わり方次第で、苦労を自ら買って学ぶようにできるのです。先程の長期増強という脳内現象も、子ども自らの積極的努力によってこそもたらされるのは言うまでもありません。

 そこで親が心がけたいのは、子どもの努力やがんばりを常に関心をもって見届け、励ましたりほめたりしてやることです。また、ときどきは親子団欒のときを設け、楽しい話に花を咲かせるとともに、親からいろいろな面白い情報を提供してやるのもよいでしょう。

 子どもの勉強に向かう姿勢が能動的になってくると、次第に「今わかりたいのだから」というこだわりが生まれてきます。段々と粘り強く考えるようになり、「あっ、わかった!」といううれしそうな声をあげるようになります。それを耳にしたなら、大いに喜んでやりましょう。

 「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、それは子どもを追い込んで難しい勉強に追い立てることではないと思います。それよりも、まずはわが子に学ぶことの価値に気づかせることが重要ではないでしょうか。こうした体験が「やる気」の源になり、「努力」という頭に効く薬を自らつくり出します。

 大人の役割として重要なのは、勉強の中身を教えるよりも勉強の価値を教えることです。勉強を苦労と思わない子どもにするのは大変ですが、毎年数多くのご家庭が見事に実践されていることをお伝えしておきます。

 私たちは学習塾として、こうした子育ての延長線上に中学受験を位置づけ、子どもたちの学力開花を応援しています。

 

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: 勉強について, 子どもの発達, 家庭での教育

理解主導の勉強は中学進学後に生きる

2011 年 12 月 19 日 月曜日

 子どもの暗記力には、ほんとうに驚かされます。ある子どもは、社会の歴史的な事件をあげると、たちどころにそれが起こった年号を言い当てます。しかも、苦労して覚えたのではありません。学習対象をまるで写真にでも撮ったかのように、脳に刷り込んだかのように記憶しています。大人の暗記力など、到底こんな子どもの前では歯が立ちません。どうしてこうも違っているのでしょうか。

 実は小学生時代は、今例にあげた年号知識に代表されるような“意味記憶”に強い年齢期です。意味記憶とは、自分が体験したことの記憶(エピソード記憶)と異なり、単なる知識です。大人は、こうした知識を機械的に暗記するのが苦手です。ところが小学生までの子どもは、一見無味乾燥に見えるこの機械的な暗記に長けているのです。実際、この圧倒的な暗記力を駆使することで、難関中学の入試を突破している子どもも少なくありません。

 では、子どもの暗記力を軸にした中学入試対策をすれば問題ないのでしょうか。そうではありません。子どもが中学生になると、さしもの勢いを誇った暗記力も一段落し、記憶の主役は“エピソード記憶”に代わってきます。エピソード記憶とは、因果関係をもとに「なぜそうなったのか」を結論づけて頭に入れるような記憶です。

 こうした子どもの発達的変化と相まって、中学・高校では論理的思考が重要性を帯びてきます。ところが、暗記で点を稼ぐくせのついた子どもは、急にはやりかたを変えられません。行き着く先がどうなるか、もはやおわかりでしょう。

 以前、広島のある私学の社会科入試でこんな問題が出されました。「秀吉の検地・刀狩りが、社会の仕組みにどんな変化をもたらしたか、簡単に説明しなさい」――おそらくは、「社会科は暗記物」といった単純な記憶力勝負の受験生をふるい落とすための問題なのでしょう。あるいは、本当の社会科の勉強をしているかどうかを問おうとしたのかも知れません。暗記型の子どもには辛い問題です。ただひたすら知識を丸ごと覚え込んでいた子どもは、歴史の因果関係を問うこのような問題には歯が立たないことでしょう。

 私たち家庭学習研究社は、「理科や社会科は暗記物」といった片づけかたに基づく受験指導には反対しています。教科のフレームとなる重要な内容の学習は、子ども自身が「なるほど!」と、納得しながら進めていくべきだと考えるからです。そして、それを土台にして覚えるべき付帯的事項を取り込んでいくのです。たとえば、歴史の大きなうねりをしっかりと掌握した上で歴史上の出来事の一つひとつを掘り下げて学び、覚えるべき事柄を頭に刻みつけていくのです。そうすれば、先ほどのような問題にも十分に対処できるし、暗記力のよさも一層生かされるのではないでしょうか。

 家庭学習研究社が、4年部開始から2年あまりもの期間をかける「基礎力養成期」で徹底させているのは、このような考えに基づく指導です。大切な基本をしっかり身につけた子どもは、知識をバラバラでなく体系的に理解していますから、中学入試に強いのは無論のこと、中学・高校進学後も筋のいい学習を展開させていき、学力を大きく伸ばしていくことができます。

 小学生の子どもの暗記力は確かにすばらしいものです。しかし、地道に理解を積み重ねながら進めていく学習のほうが、長いスパンで見ると、結局は学力開花への遠回りのようで近道なのではないでしょうか。

 小学生の子どもには、どういう受験勉強をすべきかの判断はまだできません。大人がこの年齢期特有の暗記力を前提に、どんどん覚え込ませれば、それはそれで入試突破の一つの方法にはなるのかも知れません。しかしながら、いったん染みついた勉強法を後から変えるのは至難の業です。

 「このことを踏まえ、中学入試をめざして学ぶ子どもに最もよい勉強法を授けるのが、私たち大人の役目ではないでしょうか。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: 子どもの自立, 子育てについて, 家庭での教育, 家庭学習研究社の理念

子どもを上手に自立させるおかあさん

2011 年 12 月 12 日 月曜日

 前回は、“深い話”ということで記事を書きましたが、ほとんどが前置きになってしまい、すみませんでした。あとで、私が「深いな」と思った他の経験が頭をよぎりましたので、今回はそのことについて書いてみます。少しでもおかあさんがたの参考になれば幸いです。

 これからご紹介するのは、「いかに自立した勉強のできる子どもに育てるか」についてヒントをくださったおかあさんの話です。ひょっとしたら、だいぶ前に一度この話を書いたかも知れません。

 ある日、6年生の男の子が休憩時間に話しかけてきました。

「うちのおかあさんって、ひどいんだ。先生も知っているように、ボクは算数が苦手なんだけど、算数のテスト結果が出るたびに、おかあさんは成績をみては目くじらを立てて怒るんだ。そのくせ、ボクができなかった問題、おかあさんは何一つ解けないんだよ(この言い回しがとても面白く、今でもはっきりと覚えています)。」

 どうでしょう。この話だけでは、私が「深い」と思った理由はおわかりにならないと思います。また、もしも、この男の子が悲痛な表情を浮かべ、「何とかしてよ」と言わんばかりの表情を浮かべていたのなら問題です。しかし、この男の子はそうではありませんでした。さも愉快そうにニコニコと、輝くような笑顔を見せていたのです。

 私は、こんなすばらしい笑顔で家庭のエピソードを語ってくれるお子さんを育てられたおかあさんに対して「いい子育てをされていますね」と言ってあげたくなりました。

 彼には、どうしても行きたい私学がありました。入試では、その私学に見事受かりました。何とか苦手の算数を克服したのです。

 後日、私はこのおかあさんのことを思い出し、子どもを自立させる方法を教えていただいたような気がしました。もしもこのおかあさんが算数を得意にしていて、息子さんを叱りとばしながら問題の解き方を教えていたらたならどうだったでしょうか。彼はあのときのような輝く笑顔を浮かべていたでしょうか。

 私は以後、この話を「子どもを自立させるすばらしいおかあさんの例」としてご紹介しています。

「このおかあさんはたいしたものです。息子さんを11歳にして『親は頼りにならないものだ。自分でやるしかない』と自覚させ、自力で勉強する人間に育てておられるではありませんか!」

 こう言うと、大概どっと会場が湧きます。そして、和やかな雰囲気が会場に立ちこめてきます。この話は皮肉でも何でもありません。「算数の問題の解き方を教えてやろう」と、一生懸命なおかあさんを目の当たりにして、息子さんはそれだけで十分な思いをしたのではないでしょうか。おかあさんの期待と愛情を、息子さんは肌で感じ取っていたのです。ガミガミ叱りながら算数の問題の解き方を教えるおかあさんよりも、このおかあさんのほうが何十倍も子どもを奮起させているように思います。

 最近のおかあさんの多くは大学を出ておられます。親の学歴が高いというのは、子どもに有利だと思いがちですが、そうでないケースも少なくありません。親に教えられるたびに、「とても親のようにはできない」と子どもに思わせることになりかねません。

 「こんな問題も解けないの?」「こんなの簡単じゃない。いったい何をやっているの!」などとハッパをかけられているお子さんもいるようですが、これは励ましにはならず、子どもに苦痛を与える結果になっていることに是非気づいていただきたいと思います。

 一方、子どもが張り切って勉強に取り組むよう、上手に導いておられるおかあさんもおられます。あるとき面談をしていたら、親が家で教えているのかどうかという話題になったことがあります。するとそのおかあさんは、「私、問題を見ても全然わからないから、そう子どもにも言っているんです。『おかあさん、こんな算数の問題なんて解けない。随分難しいのをやっているのね』って言っているんですよ」
とお答えになりました。

 とても聡明そうなおかあさんでしたから、お子さんを教えることぐらい十分できたのかもしれません。しかし、そのおかあさんはわからない振りをして、お子さんに自分でやるよう励ましておられたではないかと私は思いました。効果的な高等戦術です。言うまでもありませんが、そのおかあさんの息子さんはとても優秀でした。

 親のわが子に対する言動のほとんどは愛情や期待に基づくものです。しかし、子どもがそれをどう受け止めるかが重要なことです。親が優秀であるということが、子どもにとっては負担になることもあります。おかあさんにしかできない、わが子の奮起につながるような接し方を工夫をしてみてください。きっとよい方法があるものです。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: がんばる子どもたち, アドバイス, 子育てについて, 家庭での教育

“家庭学”に通ってよかったと思うことは?

2011 年 12 月 5 日 月曜日

 今年の秋、呉校と東広島校で少し変わった趣向の行事を行いました。行事内容は、広島市内の主要な私学の先生がたと、それらの私学に通学している弊社の呉校・東広島校卒業生を招き、学校の特色や学校生活の様子を語ってもらおうというものです(東広島校では、地元の県立広島中学・高等学校の紹介行事も同じような趣向で行っています)。対象者は、4・5年部の会員児童とその保護者です。

 広島の私学の先生がたと、弊社の卒業生を一緒に招く行事は、何年か前に呉校で試みたことがあります。呉から広島の学校に通うのは、中学生にとってはかなりの負担です。中学生といえばまだ義務教育期間中ですから、親御さんが迷うのも当然かも知れません。しかしながら、通学上のハンディを克服し、すばらしい学業成績をあげている生徒さんが少なくありません。

 学校サイドは、「遠くから通ってくる生徒さんは、勉学への自覚が高く、しっかりとした取り組みをしている」ということで、この行事への参加に意義を感じてくださっているようです。また、弊社のほうは「私学の先生の話を直接聞ける機会を設けることで、私学への関心が高まるし、実際に私学に通っている生徒さんの話を直接聞けることで、遠くの私学に通うことへのメリットも感じてもらえるだろう」という思いがありました。

 招いた私学は、男子校女子校それぞれ2校ずつで、男子と女子に分けました。2校に交替でプレゼンをしてもらい、それぞれのよさとその違いを来場者には見ていただきました。

 この行事には大変よい反応をいただきました。先生がたのプレゼンも工夫されていて好評だったのですが、「どうやって生徒さんは通っているのか」「いつも朝は何時に起きているのか」「クラブ活動はどうしているのか」「1日の家での勉強時間は?」など、たくさんの質問も出ました。

 今回の記事は、この行事のことをお伝えするのが目的ではありませんので、行事内容についてはこれぐらいにしておきます。今回書こうと思ったのは、弊社の卒業生に「家庭学習研究社に通ってよかったと思うのは、どういう点でしょうか?」という質問をしたら、筆者が期待していた返事は一つもなく、しかも一様に同じようなコメントが卒業生から発せられたからです。

 外部のかたの前でこの質問をするのは、意図がやや見え透いていて嫌らしいかも知れません。会員家庭の親子の前でこの質問をしたのは、(家庭学習研究社の方針に沿って)「自立した学びができるようになっていたら、私学に入ってからも勉強で困ることはありません」というアドバイスがあるだろうと思ったからです。それを聞いた、受験生は今まで以上に自立した勉強をめざすようになるに違いないというもくろみがありました。

 ところが、期待に反して卒業生たちが答えたのは、「家庭学の出身者は、どの私学に行ってもたくさんいて、すぐに友だちになれる」「家庭学の他校の出身者も、同じ塾だったという気持ちがあって友だちになりやすい」「家庭学出身どうしで友だちができ、それから他の塾の出身者との友だち関係へと広がっていく」など、ほぼ同趣旨の内容でした。

 筆者はあてが外れて少し落胆したのですが、後日校舎の責任者をしている者から、この話について思いがけない話を聞いて納得しました。
「私も同じような思いをしていたのですが、どうやら卒業生にとって自分で勉強をするというのは余りにも当たり前のことで、空気を吸っていることと変わらないからのようです。特別なことでも何でもないから、わざわざ口にしないんですよ」

 先日、仕事でこられた新聞社のかたにこの話をしたら、「それって、深いですね」と言われました。そう言われて改めて、「方針は声高に語るうちはまだ徹底していない証拠で、語らずとも自然と浸透してこそ本物である」と気づきました。

 そもそも勉強というのは自分でするものです。余りにも当たり前のことです。しかし、小学生の受験の場合、この当たり前のことがともすれば忘れ去られがちです。自立した勉強による合格に向けて指導する私たちですら、そのことが難しいことだと頭から思い込んでいたのかもしれません。今回の小さなエピソードを通じて、生徒さんたちから、「勉強を自分でするのは、当たり前のことじゃないですか」と教えられる思いをした次第です。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: がんばる子どもたち, 中学受験, 勉強について, 子どもの自立, 私学について, 行事レポート