2012 年 10 月 のアーカイブ

子どもは文章をどう読んでいる?

2012 年 10 月 29 日 月曜日

 前回は、弊社の4・5年部会員家庭のおかあさんを対象とした行事についてご紹介しました。その行事に関連して、「子どもの国語力と読書の関係」について検討していたとき、ふと思ったことがあります。今回はそれについて書いてみようと思います。

 「うちの子は、本をよく読むのに国語の成績がよくありません」――こういった相談がよくあります。

 なぜ本をよく読むのに国語力につながらないのでしょうか。月当たりの読書数がかなり多い子どもですら、そういったケースがあるそうです。

 一概に理由を決めつけるわけにはいきませんが、そういうお子さんは文章をちゃんと読んでいない可能性が高いように思います。本の命と言えるものの一つが「筋立て」ですが、それが気になるお子さんの中には、情景描写や細かい人物の言葉のやりとりに目を通すのがまどろっこしくて、話の展開にばかり興味がいってしまうお子さんもいるようです。

 そういうお子さんは、読み終えるのが異常に速いのである程度わかります。挿し絵とあらすじだけに注意を向け、どんどん読み(?)進めていき、あっという間に読了です。無論、これはこれで全く意味がないわけではありません。ある意味で速読のコツを心得ているとも言えるでしょう。

 しかしながら、いざ国語のテストとなるとたちまち困ってしまいます。国語の問題は、細部の読み取りがしっかりとできているかどうかを問うものです。たとえば物語文では、登場人物の行動や仕草、表情、言葉などの描写から心のうちを読み解けるかどうかを問う問題がでてきます。筋立てばかりに傾倒した読み方をしている子どもは、それと一見無関係な記述部分は飛ばし読みをすることがよくあります。したがって、こういった丁寧な読み取りを要求する問題に出くわすと、さっぱりできないケースもあるものです。

 このように、細部まで読んで本に描かれている情報を採り入れて読書を楽しむことをしていない子どもは、国語のテストの素材文を読むときにも同じような読みかたしかできないのではないかと思います。「注意して丁寧に読めばいいんだよ」と言われても急にはできません。やっぱり同じことをしてしまうのではないでしょうか。

 ここまでお読みになって、「うちの子は、ちゃんと問題の素材文を読んでいるかしら」と心配になったおかあさんもおありかもしれませんね。子どもの読みが丁寧で正確なものかどうかは、音読をさせてみるとよくわかります。日頃からちゃんとしっかりとした読みかたをしているお子さんは、音読をしても滑らかで正確です。

 「では、すぐに音読をさせよう」と思われたでしょうか。ただし、お子さんも高学年になると、いきなり「これを音読してみなさい!」などと命令がましく言われると拒否反応を示すものです。言いかたが少しでも不自然だと、すぐに親の意図を勘ぐってしまうことでしょう。ですから、親の差し向けかたにも配慮が必要です。

 そこで、塾の先生をだしに使って試みるのもよいかもしれません。「塾の先生がね、音読をしっかりやれば読解力が増すからぜひ家庭でやらせてくださいって、言っていたよ」などと伝えてもらって構いません。何しろ、私たち自体が、お子さんにそういう働きかけをもっとすべきなのですから。

 音読の効能についてはいろいろ耳にされているかもしれません。このブログでも書いたことがあると思います。先ほど書いたのは、ちゃんと読めているかどうかをチェックするのによいということでしたが、実際お子さんが注意をしながら読んだなら自分の間違い読みに気づかないはずがありません。ましてや、脇で聞いているおかあさんには間違いなくわかります。ちゃんと間違えないように読もうとすれば、当然活字に集中しなければなりません。これを毎日15~20分もすれば集中力を伴った読みの態勢ができあがっていきます。これも大きな効果です。

 もともと人間は耳から入る情報を理解する脳内の中枢は生まれながらにもっていますが、視覚から入ってくる文字情報を意味に変換する中枢は携えていません。ですから、文字の視覚的情報を音声に変換してから理解する脳内の信号ルートを使えば、書かれている内容の理解や記憶にもよいのです。

 読書の基本も、国語の文章の読み取りの基本も音読だと心得てください。音読が上手で滑らかにすいすいと進めば、自ずと読み取り能力も増しているのは疑いありません。ただし、読むこと、声に出すことだけに集中すると、著述内容の理解に気が回らなくなるものです。その点に気をつけて、毎日少しずつの音読を励行してみるようお子さんを促してあげてください。

 音読の材料は何でも構いません。弊社のマナビーテストの素材文やテキストの素材文でもよいですし、教科書の文章でも、図書館で借りた本でも何でもよいです。読みの上達が感じられたら、大いにほめてあげてください。

 今6年生のお子さんでも、音読効果は必ず表れます。2~3ヶ月後に効果が表れれば、その分入試にも好影響があるはずです。

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カテゴリー: アドバイス, 勉強の仕方

「おかあさんの勉強会」を各校で実施します

2012 年 10 月 22 日 月曜日

 中学受験はまだ人間として未完成な小学生の受験です。中学生や高校生の受験においては、受験生である子どもが自分で受験勉強を算段して取り組むのが当たり前ですが、小学生の場合はそこまで子どもが成長していません。

 そこで、どうしても親が受験生活や受験勉強に手を差しのべる必要が出てきます。しかしながら、そのさじ加減が意外に難しいのです。子どもは何かにつけ未熟でありながら、その一方では反抗期を迎えつつあります。親が何くれとなく心配をして関わろうとするのですが、ともすれば反発を招きがちです。それでいて、子どもに全て任せると、見ていられないほどちゃらんぽらんな受験生活に陥るようなケースもあります。

 このように、中学受験は親にとって「つかず離れず」の間合いが求められる、心労の多い受験なのです。4・5年生をもつおかあさんがたは、まさにその渦中におられることでしょう。そうした点を踏まえ、中学受験生をもつおかあさんがたにお集まりいただき、「わが子の受験生活を上手にサポートする方法を考えよう」という趣旨で始めたのが、「おかあさんの勉強会」です。

 既に何度かこの催しのことを記事に書きましたが、同じ立場にある人が集まった場合、ただ一緒に説明を聞くのではなく、互いに話し合ったり、情報交換をし合ったりしたほうが、励みが得られるし楽しいものです。そこで、この催しは「ワークショップ形式」を採り入れ、おかあさんがたに話し合いの時間を提供しています。

 今年の「後期」開催分のテーマは、以下の通りです。

第1回・・・上手な叱り方・よい親子関係
第2回・・・9歳・10歳の節を乗り越える

 テーマこそ昨年とほぼ同じですが、昨年実施後に寄せられた反省点を踏まえ、半分以上の内容は変更しています。よりおかあさんがたのお知りになりたい内容に、また、実際の受験生活で役立つ内容にと改善を図ったつもりです。
 また、校舎ごとの実施日程は次の通りです。時間はいずれも14:00~15:30です。

 2012年後期「おかあさんの勉強会」日程

校舎

第1回

第2回

三篠校

1030日(火)

1114日(水)

己斐校

1030日(火)

1113日(火)

広島校

1023日(火)

1113日(火)

五日市校

1024日(水)

117日(水)

呉校

1024日(水)

1031日(水)

東広島校

1031日(水)

1114日(水)

 第1回は、上手な叱り方と親子の信頼関係をテーマに採り上げました。親子とは不思議なもので、どんなに人格的に優れたおかあさんでも、いざわが子の問題点に関わると「絶対君主的」に振る舞うと言われます。

 わが子を、別の人格をもった一人の人間として認めていたつもりが、何らかの問題点に遭遇した途端、自分の所有物であるかのように命令的になってしまうといいます。

 そういう状況に陥りがちなのは、わが子を叱らねばならないときです。どう叱れば、わが子の素直な反省を引き出せるか。そのことについてともに考えていきます。

 第2回目は、子どもの思考の発達に関するテーマを採り上げました。「9歳、10歳の節(壁)」という言葉をお聞きになったことがおありでしょうか。子どもが、できごとを表面的にしか理解できない段階から、できごとの核心を見抜ける段階へと思考のレベルアップを果たすのが、9歳10歳だと言われます。

 中学受験の国語では、人物の内面を理解する能力や、主張の根拠や意図を読み解く能力が問われます。こういう問題は、表面的な理解から本質的理解へと思考の水準がステップアップしていないと答えることができません。近年は、子どもの読書離れ、ゲームやテレビ漬けの生活などが原因で、抽象的な内容を扱った文章や、人物の心理を扱った文章などを苦手にする子どもが増えています。

 そこで、9歳、10歳がなぜ思考の節目といわれるのか、その節目を乗り越えるための条件はどんなことか、これから国語の読解力を伸ばすために親ができることは何か、などについてともに考えてみようと思っています。

 まだ、ほとんどの校舎でお申し込みが可能です。今から参加を希望されるかたは、校舎にお電話でお問い合わせください。この催しは、各校舎の指導担当者が行事を進行いたします。是非参加してみてください。
 

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カテゴリー: 子どもの発達, 子育てについて, 行事のお知らせ

できる子どもは手で考える?

2012 年 10 月 15 日 月曜日

 算数・数学を専門にしている人の書物を読んでいたら、ほんとうに算数の能力が高いのはどういう子どもかについて、「なるほど」と思う記述がありました。

 これから中学受験に向けた準備学習を始めるご家庭や、受験勉強を始めている4・5年生のご家庭の参考になるのではないかと思い、今回はそれを話題にしてみようと思います。

 中学受験を考えている小学校高学年の子ども2人に、かなり難しい算数の文章題をやらせたとしましょう。どちらも成績は優秀です。

 A君は、問題に取り組み始めてから約20分、じっと考え続け、先生が堪らずに声をかけると「わかりません」と言いました。先生が考え方について解説をすると、うなずきながらメモをとり、「なるほど」と納得したようでした。

 Bさんは、問題文の数字のところにアンダーラインを引き、しばらく問題文を読んで考えていましたが、解決の糸口が見つからないようでした。そして、「これは足し算でしょうか、それとも引き算ですか?」と尋ねてきました。そして、ヒントを与えられるとあっという間に答えにたどり着きました。

 さて、どちらが優秀なのでしょうか。この本の著者によると、2人とも問題を抱えている子どもだそうです。

 A君のほうは、ただ一生懸命に考えるだけで、答えを引き出すために何の試みもしていなかったところに問題があるようです。たとえ問題が難しかったとしても、解決の糸口を見つけ出すために、いろいろと試すことをしなければ、今以上に伸びることはできません。

 これも著者が紹介しておられたことですが、数学のできる子どもとできない子どもを、ビデオを撮って比較した実験があるそうです。すると、できる子どもの特徴は初めから手が動いているのだそうです。表にしたり、図にしてみたり、とにかく様々な試みをして突破口を見つけ出そうとするのです。

 一方、できない子どもは手が動きません。説明を受けるとうなずく。しかし、いざ別の問題に取り組ませると、また同じことの繰り返し。「ほら、このように図を描くんだったね」と教えられると、「あっ、そうでしたね」とわかってくれる。しかし、結局自ら図を描いて考える方法を身につけようとしない。

 Bさんはどうでしょうか。Bさんは、計算力に優れた子どもです。答え方の糸口さえ見つかれば、あっという間に式をつくって答えにたどり着きます。しかしながら、いちばん肝心な思考の部分が欠落しているところに大きな問題があるのだそうです。「足し算か、引き算か」を尋ねるのは、考えることをやめてしまった子ども特有の質問だというのです。

 つまり、この2人は見かけ上の成績は優秀でも、どちらもほんとうの意味で優秀とは言えず、やがて行き詰まってしまう子どもの典型的なタイプのようです。

 「図にして考えてみよう」「表にしてみよう」――これは、弊社に限らずどの学習塾でも子どもたちに教えていることであろうと思います。しかしながら、4年生や5年生で取り組む問題のレベルでは、ちょっと頭のよい子どもなら図などにしなくてもすぐに答えに到達してしまいます。そこで、「図なんか描かなくたって、ボクはできるんだから」と勘違いをしてしまう子どもがいます。

 そうした勉強のツケは、6年生の秋に入試問題に取り組み始めてから払わされることになります。入試問題では、図にして考えなくても答えにたどり着けるような問題はごく僅か。図を描いて一つ目のバリアを突破し、さらに次の段階でもう一つのバリアを突破しなければ答えられないような問題が増えてくるのです。そうなったとき、図や表にして考える癖をつけていない子どもは、壁に突き当たってしまいます。

 6年生の秋以降になると、休憩時間にも子どもたちは算数の難しそうな問題に取り組み、「ああでもない、こうでもない」と、解法の突破口を探している姿を見かけるようになります。そんなとき、「あっ、わかった!」と声をあげるのはたいがい図や表を描きながら考えていた子どもです。

 このように、課題が難しくなればなるほど、突破口を見出す能力が問われます。そのためのいちばんの武器は、手を動かしながら考えることです。いくら計算力に長けていても、立式に至らなければ答えにはたどりつけません。

 基礎を学んでいるうちにこそ、思考の道筋を自ら切り開いていく能力を磨いておきたいものです。それには、手を動かすこと。そして、図や表や絵にして突破口を見つけ出すような勉強を積み重ねておくことが必要なのですね。

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カテゴリー: アドバイス, 勉強について, 勉強の仕方

受験の追い込み期が到来しました

2012 年 10 月 9 日 火曜日

 10月の声を聞くと、空気もひんやりとしてきて、受験シーズンの到来が近いことを予感させられます。なかなかやる気が表に現れなかったお子さんも、受験への意識が足りなかったお子さんも、さすがに気持ちの引き締まった勉強をするようになってくるのが6年生の秋です。

  これから受験までは、学力の仕上がり具合をみながら、足りない部分を補強したり、苦手払拭のための最後の対策を講じたりしていくことになります。

 こうした学習に欠かせないのが模擬試験です。模擬試験で得たデータが、各教科・各単元の仕上がり状況をもっとも的確に教えてくれるからです。弊社では、6月を皮切りに6年生の仕上げ学習に指針を与えるための模擬試験を開始し、9月からは月1回のペースで12月まで合計5回実施しています。

 模擬試験はその名の通り、ほぼ本番に準ずる試験ですから精度が問われます。問題の作成は難度の高い仕事であり、専門のスタッフがかなりの日数をかけて綿密な検討を重ねながら作成しています。この模擬試験は公開制で、他塾の受験生にも参加いただいています。9月に実施した2回目の試験では、男女とも4百数十名の受験生が参加しました。

 出題範囲を明示しない実力試験(小学校課程の全範囲が出題範囲)ですから、それぞれの教科の仕上がり具合が如実に結果となってあらわれます。それだけに、試験を受けるときの子どもたちの表情も引き締まったものになります。この時期からの1日あたりの勉強は、以前の2~3日分に相当するぐらい密度の高いものになっていきます。

 入試が日に日に近づくことを実感するこれからは、親も一喜一憂の毎日を余儀なくさせられます。模擬試験の結果がよければ、親子共々元気が湧いてきます。お子さんは、「さあ、追い込みに向けてがんばるぞ!」と意気込みを増幅させ、親は、「さあ、これからだ。がんばって!」と、期待を募らせながらハッパをかけることになります。

 問題は、結果が思わしくなかったときです。ちょっとしくじった程度ならまだしも、思いもしない点数や順位をとったときには、お子さんも自分を取り戻すのに時間を要するほどのショックを受けることがあります。そんなとき、親はどう対応すべきなのでしょうか。

 筆者自身、かつて愚息を家庭学習研究社に通わせましたが、模擬試験の結果が思わしくなく、どう励ますか悩んだことがあります。詳しくは覚えていませんが、うまくフォローできなかったことだけが記憶に残っています。毎年、多くのご家庭がこれに似た体験をしておられるのではないでしょうか。

 ある年の10月末頃だったでしょうか。保護者面談をしたとき、「おたくのお子さんは、自分なりの考えをもっているタイプです。成績や勉強の内容については、もう何も言わないほうがよいと思いますよ」とおかあさんに申し上げました。息子さんは性格的に激しいものをもっていたので、親が何か言うと猛反発することが予想されたからです。

  「わかりました。もう、成績や勉強のことで息子に何か言うことはやめます。あとは健康を祈るだけです。先生、よろしくお願いします」そう言っておかあさんはお帰りになりました。

 それから数日後の授業中、筆者が子どもたちに「受験勉強のことで、親と揉め事はないか」と聞いたことから騒ぎが起こりました。「模試の成績がもとでおかあさんと大喧嘩になり、おかあさんに回し蹴りを食らった!」と、大声をあげた男の子がいました。それは、先ほどご紹介したおかあさんの息子さんでした。「えっ、あのおかあさんが回し蹴り?」美しく上品なそのおかあさんの記憶と結びつかず、しばらくは信じられませんでした。

 しかし、すぐに考えを改めました。おかあさんは、叱るのを必死で堪えておられたのです。しかし、口よりもものを言うのが目です。おかあさんのがっかりした目つきを見て、息子さんはいても立ってもいられなくなり、「どうせ文句が言いたいんだろ!」と機先を制してしまったのではないでしょうか。(あとで、それが事実であることが分かりました)

  「では、親はどうすればいいの?」と思われたでしょうか。心配無用です。それぞれの親子関係のありのままに、接すればいいのではないでしょうか。ただ、反省を促すのに感情的にならないことです。また、子どものやる気を否定するようなことを言わなければいいのです。親が心配するのは、当たり前のことなのですから。

 弊社のある校舎で、私学に通う卒業生たちを招く会がありました。そのとき、「受験生の頃、おかあさんに注意されたり叱られたりしたとき、どう思いましたか?」という質問があったのですが、先輩たちは一様に「嫌だった」と答えていました。しかしその一方で、「自分のためを思って、自分を心配して言ってくれたのだ」と受け止めており、「今では感謝している」とも述べていました。

 子ども自身が成績不振で落ち込んでいるとき、親からさらに反省を求められるのはどのお子さんだって辛いもの。そんなときはつい反発するものですが、みんなわかっているのですね。

 先ほどの回し蹴りのお子さんですが、彼も無事志望校に合格しました。様々な試練を乗り越えての中学受験。親子の衝突もありますが、それは関係が近すぎるゆえの互いの甘えもあるのかも知れません。でも心配無用。お子さんは十分わかっています。親の愛情はうっとうしくも、ありがたくもある。そうした経験を乗り越えて、さらに親子の絆は深まっていくのですね。

 入試本番まであと3ヶ月ほどになりました。子どもたちにとって、生涯最初の試練がやってきます。

 

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カテゴリー: がんばる子どもたち, アドバイス, 中学受験

今こそ、学びの奥深い世界へ

2012 年 10 月 1 日 月曜日

 昔購入して読んだ本をふと手にして読み返していると、日本人について考えさせられる記述が目に留まりました。一つの国民をはかる物差しは、人、文化、金、軍事力、商品の5つだというのです。このもの差しで日本人をはかると次のようになるそうです。

Man doesn,t speak (人はしゃべらない)
culture whispers (文化はささやいている)
money speak a little (お金はわずかながらものをいっている)
military power keep silent (軍事力は、沈黙を守るのみ)
commodities speak much (商品は、大いにしゃべりまくっている)

 これが、国際的な日本人の評価を表すものだというのですが、30年ほど前とおぼしきこの評価は、今もほとんど変わらないのではないでしょうか。

 国際舞台で、きちんと他国に対して語るべきことを語れないもどかしさが日本人にはつきまといます。素晴らしい文化をもちながら、十分にそれを諸外国に理解してもらう努力が欠けています。途上国支援がとかく金ぐらいでしかできない日本ですが、それでもそれはそれで多少は感謝されているかも知れません。軍事力は、基本的にもたない国ですからこういう評価になるでしょう。日本商品の卓越性については、この数十年間完全に国際的評価として不動のものになりつつあります。

 これを見ても、日本人がいちばん苦手をするものが浮き彫りになりますね。つい最近もそのために、とんでもない状況が発生しています。

 これから社会に旅立つ次世代には、国際的に通用する人間に是非とも成長してもらいたいものです。と言うと、「じゃ、英語がやっぱりいちばん必要な勉強だ」と思われたかたもおありかも知れません。しかしながら、英語を自在に話せることが、そのまま国際派として世界に通用する人間になることにはつながらないのが難しいところです。また、前述のような日本人の評価を覆す切り札にもなり得ません。

 英語を高いレベルで身につけ、外国生活を送った経験をもつ人の書物を読むと、英語万能論はどこからも聞こえてきません。英語は流暢でも、日本について自分について雄弁に語れる人、持論を闘わせて外国人と相対峙できる人、本当のコミュニケーション能力を備えた人でなければ相手にされないという記述をしばしば目にします。

 では、日本の子どもたちが世界に通用する人間に成長していくためには、何が必要なのでしょうか。筆者のような人間が言えることは少ないのですが、優秀な児童を多数お預かりする身としては、「真に教養のある人間に成長していくための礎を、今のうちに築いてほしい」というのが正直なところです。

 真の教養とは、学歴ではありません。受験勉強というと、とかく学歴や学校歴を獲得するための手段とみなされがちですが、小学生の子どもは基本的にまだ「ために学ぶ」という意識はありません。ですから、周囲に水を向けられて受験勉強を始めたとは言え、「受験合格のために勉強しなくては」といった意識はまだ希薄です。

 このような段階にこそ、学ぶということの楽しさや喜びをたくさん味わってほしいと思うのです。本当の学びの目的は、「今学んでいることのなかにある」と言われます。学歴を得たり、何かを手に入れたりするためではなく、目の前に存在する知の欲求を満足させるために学びはあるのです。

 こうした体験をたっぷりと積んだ子どもは、中学・高校生になってから「何のために勉強するのかわからない」「将来進むべき道がわからない」などという、低次元の悩みに陥る可能性は低いでしょう。思春期から青年前期は、「自分探しの時代」などと言われますが、本当の学びを体験している人間は、探さなくても、自分という主体の志向性を見出しています。学びを通して自分が追究していきたいものがおぼろげなりとも見えていると言います。

 子どもたちには、小学生のうちに知を追究する姿勢を養ってもらいたいと、筆者はつくづく思います。そうすることで、自分という存在がどういう人間か、何をしたい人間なのかも自ずと見えてきます。真の教養も、そうした学びから育まれるのだろうと思います。

 英語が自在に話せるのは素晴らしいことですが、その前に自分の人間づくりをしっかりとしておけば、どこでも通用する人間になることができるでしょう。そのほうが人生の充実に有効なのは間違いありません。

 いつか日本人が今の壁を乗り越え、国際的な評価を高めるような時代がやってくるかもしれません。そういう時代を築くのは、本当の学びの価値を見出す人間を育てる教育の力だと思います。国は、もっと教育に力を注ぐべきではないでしょうか。
 

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カテゴリー: 勉強について, 家庭学習研究社の理念