2013 年 7 月 のアーカイブ

自然体験・生活体験と文章理解力の関係

2013 年 7 月 29 日 月曜日

 小学生時代の子どもの時間は、本来はゆっくりと流れているものです。スケジュールに追われることもなく、時間のことを忘れて興味の対象に没頭する。自然とふれあい、ひたすら目の前の景色を眺め続ける。それでも飽きないのが小学生の子どもです。

 しかしながら、中学受験をする子どもたちはいささか違った様相を呈しています。テストが頻繁にあり、そのテストデータとにらめっこしながら勉強に打ち込む日々が続きます。ですから、夏休みだからといってノンビリしていられません。中学受験生は忙しいのです。

 ただし、人生経験の浅い小学生の子どもにとって、身の回りの事物にふれたり、自然を散策したりすることも重要な勉強です。実物を自分の目で見たり、触ったりした体験が豊富な子どもほど、書物に描かれている世界をイメージしやすくなりますし、教科書に書かれていることの意味をしっかりと理解できるのです。そういった点が落とし穴になり、本を読んでも空回りし、勉強しても理解が及ばない子どもが相当数いるように思います。

 活字を読むということは、活字の列から言葉の塊を抽出し、その表す意味を頭の中でイメージしていくことです。そのために欠かせないのは、活字で表現されている事物や状況をイメージするための知識です。

 無論、図鑑や事典で知識を増やすことはできますが、その前に本物、実物を知る体験がなければ、図鑑や事典は期待される役割を十分に果たすことはできません。なぜなら、写真で事物や現象を理解するには、ベースとなる本物体験による知識が不可欠だからです。ですから、受験生活が始まったからと言って、周囲の世界と隔絶した暮らしをし、ひたすら勉強に打ち込んでも十分な成果は得られません。

 こうした問題について、関連の深い著述が教育学者の本にありましたので、ご紹介してみようと思います。なお、若干文を調整させていただいています。

 

 文学作品は、読み手に体験があると豊かで鮮やかなイメージが思い描けて、それを生き生きと蘇生させることができます。しかし、体験がない人に文学作品を読ませると、読んでも、作品の言葉をきっかけに感情が高揚してくるとか、「なるほど」とわかることがあまりありません。「だいたいこういうことじゃないの」と、漠然としたイメージをつくって勝手に「読んで」しまいがちです。

 「文学作品を読むことによって、感情の世界が新たに耕されて、深く納得するとか深く共感するということが、だんだんなくなってきている」と、憂慮している中学校の国語の先生がたがおられます。

 文学などは、言葉によって人間の感情が動くということを前提としながら、新しい言葉を創造しフィードバックしていく作業なのですが、どうもそうした作業に読むほうがきちんとつきあいきれなくなっているように思います。どちらかというと、言葉によって意味の世界をていねいに耕すのではなく、感覚的に、瞬間おもしろければいいという感じの読みを楽しんでいる人が多くなっています。

 人間は、身体が反応するということがなければ、何かがわかるとか、共感するということは無理なのです。筋肉が緊張するとか、精神がちょっと高揚したとか、情動が動くというようなことがなければ、わかったことにはならないのです。( 中略 )

 知識をどのくらい覚えておくかとか、法則をどのくらい理解しておくかというレベルのもっと手前の、自分でもっと確かめたくてしようがないとか、自分で確かめて納得したい、というレベルの問題が実はあるということ、そのレベルの力がある程度育っていないと言葉の意味世界を深く感じとるということが難しいということ。こうしたことが現代の学力問題に潜んでいるということですね。

 

 どうでしょう。自ら体を動かし、未知の事柄に数多くふれたり、「知りたい」という好奇心を満足させたりする体験を豊かにもっていることは、活字の世界から新たな知識を得たり、ものごとを考える力を養ったりするうえでの前提として欠かせないことのようです。

 上記の先生は、「読書をたくさんすれば知的になるかといえば、そう単純ではなくて、本に書かれてかれている中身がリアルにヴィヴィッドにわかる、共感する、場合によっては反発するためには、それと関わるような体験をいっぱいしていて、身体に記憶させておくことが大切です」と述べておられます。

 大人と違って、子どもは人間として生きてきた年数がうんと短いものです。それだけに、個々の生活体験で培った知識の量や質には相当な個人差があります。それが文章を読んで理解する力に多大な影響を及ぼすことになるわけですが、保護者の方々にはそのことを踏まえ、お子さんの生活面への配慮もお願いしたいと思います。

 4、5年生のお子さん、それ以前の年齢のお子さんをおもちの家庭におかれては、これまでのお子さんの生活の様子を踏まえ、豊かな自然体験、生活体験、家庭での親子の会話などの点からもお子さんの成長のありかたを見直していただければ幸いです。

 まだ夏休みはたっぷりと残っています。親子一緒の探索活動などいかがでしょうか。お子さんお目が輝いたなら、それは学習活動にも必ず波及していくことでしょう。

 

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夏期講習で出会った凄い中学受験生

2013 年 7 月 22 日 月曜日

 6年部の「中学受験夏期講習」が今日(7月22日)から開講します。4・5年部の「夏期講座」も、24日から始まります。この長い夏休みを上手に活かせば、学習状況が好転し、一気に成績を伸ばすことも可能です。悔いの残らぬ夏の講座、夏休みにして欲しいものです。

 さて、夏休みの講座というと、かつて筆者が一夏だけ授業を担当した凄い受験生のことを思い出します。今回はその受験生のことを書いてみようと思います。

 当時6年生でしたが、毎回のテストの総合成績で男子のトップは必ずと言ってよいほど彼でした。それもぶっちぎりの成績で、2位の子どもが350点(400点満点)だとすると、彼は380点台といった具合で、誰も並ぶことすらできません。

 当時6年部男子会員は三百数十名ぐらいいましたから、いくら優秀な受験生でもそうそう1位を続けるのは難しいものです。また、1位と2位の点数も拮抗することが多く、毎回のぶっちぎりとなるとほとんど不可能です。

 それをやってのける彼ですから、すぐに噂の人になりました。指導する側の私たちも、「○○君凄いね!」としばしば話題にしたものです。まして他の子どもにとっては、まばゆいほどの「雲の上の人」であり、「あこがれの対象」だったようです。

 実は、彼は日曜コース(現在の土曜コース)の会員でしたから、テスト日以外は家庭勉強で受験対策をしていました。したがって、一度も会ったことはありませんでした。そんな彼が、夏の講座に参加することになりました。しかも、筆者が所属していた校舎の、担当クラスに通ってくるのです。これは大きな楽しみができました。いったい、どんな子どもなのでしょう。

 夏期講習の初日、初めて彼を見て驚きました。既に170㎝はあろうかという長身で、しかも今でいう“イケメン”なのです。小学生の子どもにそんな形容はふさわしくないと思われるでしょうが、既に彼は中学3年生ぐらいの雰囲気をたたえていました。「天は、二物も三物も与えることがあるのだな」と、感心させられたものでした。

 そんな彼の授業の様子はと言うと、これがまたケチのつけようがありません。背が高いのでいちばん後ろの席に座っていたのですが、いつだって背筋がピンと伸び、まっすぐに筆者のほうをを見ています。授業で扱う内容が退屈なとき、大概の児童は欠伸を堪えられなくなったり、落ち着かなくなったりするものですが、彼だけは申し訳ないほど真剣に授業を聞いてくれました。

 印象に残っているシーンがあります。ある説明をしているとき、「ん?」といった表情をした彼は、やおら辞書をめくり始め、ノートにメモをとったと思いきや、軽く頷くとたちまち元どおりに授業を聴き始めました。その大人びた所作に、こちらが引き込まれるほどでした。

 講座が何日か経過したある日の休憩時間のこと。彼の机の前から教室外まで、子どもの列ができていることに気づきました。不審に思って近づいてみると、子どもたちが交替で彼の座席に座っているのでした。彼の存在は、もはや周囲の子どもたちにとって「身近な神様」のようなものであり、そんな彼にあやかりたかったのでしょう。

 「凄い人」が目の前にいるのは幸運なことです。彼の一挙手一投足がよき手本となり、大変な刺激や励みをもらえるのです。まして、一度でも仲良く話を交わす機会を得た子どもは、それこそ有頂天になり、目の色を変えて勉強に励むようになりました。こうして、彼の存在は周囲の子どもたちの取り組みに多大な影響を及ぼしたのです。彼を中心に友だちの輪が広がっていったのは言うまでもありません。

 彼は単に勉強ができる「天才」ではなく、周囲のみんなに優しい気遣いを忘れない、人間的にもすばらしい存在でした。入試会場で、落ち着かない様子の友だちを心配し、ずっと付き添っていた姿を今でも思い出します。中学受験後、それぞれ進路は変わっても付き合いは絶えることがなく、成人後も連絡を取り合っていると聞いています。

 友人がすばらしければ、「少しでも近づきたい」と誰しも願うものです。でも、それだけに留まりません。「一度でいいから彼を負かしてみたい」――そんな思いに駆られ、必死になって勉強に打ち込むようになります。そうやって、彼はたくさんの受験生を引っ張ってくれたのです。ひょっとしたら、彼がいたから入試の結果を引き出せた子が少なからずいたのではないかと思います。

 それから7~8年ほど経った頃でしょうか。所用で私学を訪れたとき、ふと彼の進学先だったことを思い出しました。そこで、お会いした先生に彼の在学中の様子を尋ねてみました。すると、その先生はこんなことをおっしゃいました。

 「ああ、○○君ですね。彼のような凄い生徒はめったにいません。彼のような生徒がせめてクラスに1人ずついてくれたら、うちの学校はもっともっとよくなるんですがね」

 クラスに1人でもお手本になる生徒がいると、クラスの雰囲気がガラリと変わるのだそうです。なぜなら、自分の実力に覚えのある生徒は、自分よりもはるかに凄い生徒がいると目の色が変わります。そして、「彼のようになりたい!」「彼を負かせるだけの実力を身につけたい!」と、必死にがんばるようになるのです。それが教室に緊張感をもたらせ、集中力のみなぎる授業が実現するのです。まるで、中学受験生の頃に起こったできごとと同じです。彼は、行く先々でこうやってお手本、目標になって周囲の人間によい影響を与え続けたのですね。

 彼の進学先ですが、当然ながら最高峰のあの国立大学です。ただし、その後はどうしているかわかりません。彼のことですから、立派な人生を歩んでいることでしょう。

 毎年たくさんの受験生をお預かりする私たちですが、彼のような完成度の高い受験生はそうそういるものではありません。しかし、彼が「小学生でもあれだけのことができるのだ」という事例を示してくれたことは、後々までも指導の役に立っています。

 さて、4・5年生の夏の講座は明後日から始まります。初めて弊社の教室に通うお子さんは当然ながら、これまで通っていたお子さんも「どのクラスになるのか」「先生が誰か」と、期待や不安の入り混じる思いで初日を迎えられることでしょう。すべてのお子さんが、充実した学びの時間を実現し、講座の最終日まで元気いっぱいに頑張り通されますように!また、夏の講座でよき友、よきライバルができるといいですね。

 

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しつけの仕上げ期に必要な親の働きかけ ~その2~

2013 年 7 月 15 日 月曜日

 前回は、親から子どもへの働きかけの実態に関する国際比較調査についてご紹介したところで終わりました。そこで、今回は調査結果をまとめた資料をご紹介し、そこから読み取れることについてお伝えしてみようと思います。

グラフ

 資料の左側から見てみましょう。「口出しする」は、子どもから見て、親が自分のことについて何かと口出しをしてくるかどうかを調べたものです。グラフの数字は「そうである」と「かなりそうである」を合わせたものですが、日本の親は総じてアメリカやトルコの親と比べて口出しが少ないようです。特に父親はその傾向が顕著です。他国の父親は「口出しする」が50~60%であるのに対し、日本の父親はわずか24%あまりに過ぎず、口出しがきわめて少ないことがわかりました。

 前回も少しふれましたが、子どものことに親が関心をもち、親の気持ちや考えを子どもに伝えることは、しつけの年齢期には必要なことだと思います。子どもに反抗されたり、親子喧嘩の引き金になったりすることもあるでしょうが、そうならないように冷静に話をしながら親の思いを伝えることもしつけとして重要なことです。それを日本の親、特におとうさんは面倒に思って避けているのでしょうか。

 ただし、子どものことについての口出しは、いずれの国もおとうさんよりもおかあさんのほうが多い傾向にあるようです。日常の生活で接することの多いおかあさんが、しつけ面でも関わりが深いのはどの国も同じなのでしょう。

 つぎの「私に相談する」ですが、この項目は日本の親が突出して少ないことがわかりました。資料のデータを見てください。子どもに相談する日本のおとうさんは、3%に満たない数しかいません。おかあさんも20%未満で、8割前後もいるアメリカのおとうさんおかあさんとは比べるべくもありません。

 おそらく、「子どもに相談する」という形をとって子どもに考えさせ、子どもに「自分が決めたことだから頑張ろう!」という意欲や、「決めたことはやりきる」という実行力を引き出すのがねらいであろうと思います。このような方法は、欧米の親に顕著に見られるものなのでしょうか。同じアジアに属するトルコのおとうさんやおかあさんの数値が低いのも、それを裏づけているように思います。

 しかし、それにしても日本の親には問題がありそうです。相談するという形をとらずとも、別の形で子どもとの接触を図ったり、子どもの意志決定を引き出したりしておられるならまだしも、他の2項目の数値も合わせて想像すると、そうではないように思われてなりません。

 夏休みがまもなくやってきますが、夏休みの計画を立てるにあたっては、親から「夏休みの計画だけど、どうしたらよいと思う?」などと相談をもちかけるスタイルで子どもに考えさせるのもよいでしょう。ぜひ、おとうさんに試してみていただきたいですね。

 三つ目の「我慢を教える」ですが、アメリカとトルコの子どもの8割前後が「そうである」もしくは「かなりそうである」と答えています。しかも、父母ともほぼ同じ数値を示しています。日本はどうかというと、やはり他国よりは低い数値を示しています。ただし、おとうさんはわが子に我慢を教えるという点では、他の2項目よりは関与しておられるようです。

 以上からわかった日本の親の特徴は、わが子にあまり口出しをしない、子どもに相談をもちかけることをほとんどしない、他国の親ほど我慢を教えていないということです。「口出しする」「相談する」「我慢を教える」は、いずれも子どもの自立に向けた成長を後押しするうえで必要な関わりです。その意味において、日本の親はわが子の自立支援に努力していないということが言えそうです。前述の「若者の逸脱」と、この調査結果は無関係ではないのではないでしょうか。

 なお、「子どもに相談する」は、日本の子育て習慣になじまない方法かもしれませんが、そうであったとしてもあまりにも数値が低いように思います。父親の実権が強いトルコですら、約3割のおとうさんがこの方法を採っています。相談という形で子どもに自己決定を促すことの意義を踏まえるなら、同じアプローチのしかたでなくても、何らかの形で同種の効果を意図した方法を実行に移して欲しいものですね。

 このブログは、主として小学校の中~高学年の保護者を念頭に置いて書いています。もし、この年齢のお子さんをおもちでしたら、今回の調査結果を参考にし、もっともっとお子さんのことに関心をもち、親としての働きかけをしていただきたいですね。

 しつけの糸をはずすべき段階は、やがてどのご家庭にもやってきます。私立や国立の中学校進学をめざし、今受験勉強に取り組んでいるお子さんも、この点に関しては全く同じです。自分で学ぶ姿勢を培い、自律へ向けて成長を遂げながら志望校への進学の夢を叶えて欲しいものです。それが、とりもなおさず実り多い中学・高校生活を実現するうえでの絶対的な条件になるのですから。

 おとうさんおかあさんにおかれては、まだまだ辛抱強い見守りと関わりを余儀なくされることでしょうが、わが子を親の力や関わりでよりよい方向に変えられるのは今のうちです。ぜひがんばってください。

※資料は、中里至正・松井洋氏の著作より引用しました。

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しつけの仕上げ期に必要な親の働きかけ ~その1~

2013 年 7 月 8 日 月曜日

 前回、「ずいぶん前に書いたブログ記事で、いまだに多くのかたに読まれているものがあります」ということをお伝えし、16ほどタイトルをピックアップしてご紹介しました。

 その中の一つに、「しつけという言葉の深い意味」というのがあります。進学塾のブログの記事には似つかわしくないかもしれませんが、「中学受験生をもつ親は、しつけにおいても目配りが必要なのだから、こういう記事もよいかな」と思って載せた記憶があります。

 ところが、この記事を毎日一定数のかたがアーカイブから見つけ出して読んでおられます。内容は、「しつけの本来の意味は、着物の仕付けから来ているのではないか」というものでした。

 仕付け糸は、いよいよ着物ができあがるとはずされます。それと同じように、子どもも自律的な行動ができるようになると、しつけはその役割を終えるのです。しつけは、親が子どもを強制で動かすことではなく、親による強制の必要をなくすためのものなのですね。

 幼児期になると、子どもは自由に歩き回るようになり、言葉で自己主張をするようになります。この年齢期は好奇心に任せて動き回りますから、親から見ると危なっかしくてなりません。親がして欲しくないことばかりやりたがるものです。ですから、親は絶えずしつけの一環として「いけません」「だめよ!」を連発することになります。こういう状態から抜け出し、親の禁止の言葉が不要になるまでにはどんなステップを踏まねばならないのでしょうか。以下の文章は、この点に関する岡本先生の著述を簡略にしたものです(要約が下手な点はお許しください)。

親の「いけません!」に対して、子どもは「自分の要求を放棄して親に従う」か、「あくまでも自分の欲求を押し通す」か、二つの選択肢の狭間に立たされます。しかし、どちらを選んでも子どもの真の成長にはつながりません。

前者は「よい子だ」と周囲にほめられるかわりに、ほんとうの自分をひたすら押さえることになるでしょう。よい子の仮面は、辛い重圧となって自分を苦しめ続けます。いっぽうの後者は、我が儘を通した代償に、親からの罰が待っているかもしれません。また、我が儘を続けていると、親の愛情を失ってしまうことへの恐怖と闘わなければならなくなります。

 いずれにせよ、子どもは心の葛藤を余儀なくされます。しかし、いつまでもこうした状態に留まっていません。やがて、第三の解決法を見つけ出すようになるのです。それは、ひたすら自分の欲求を我慢するのでもなく、親に背いて自分の主張を通そうとすることでもありません。ある程度譲歩しつつも、自分の望みをあきらめないですむ方法です。

 たとえば、買って欲しい文房具があるけれども、高価なので買ってもらえません。しかし、どうしても欲しくてたまりません。そこで、「つぎの誕生日に、プレゼントとして買ってくれないかな?」と、親に交渉します。すると親が承諾してくれました。ただし、誕生日までには4カ月もあります。長い辛抱の末、とうとう手に入れることができました。こういう解決法は、自己の欲求に折り合いをつけるという意味で子どもの成長と言えるでしょう。

 このように、しつけの最中にある子どもは、自分の欲求と行動を調整する方法を少しずつ学び、やがて自律した一人前の人間に成長していきます。

 もちろん、子どもの欲求調整能力、行動調整能力の発達は、親からの意図的な働きかけ(これもしつけですが)によっても促されます。では、具体的にはどんなことが考えられるでしょうか。今回筆者がお伝えしたかったのはそのことです。

 近年、「すぐキレル」など、日本の若者が心のブレーキを失い、「荒れ」ているという指摘が様々な方面から寄せられています。そのことと、日本の親の子育てに何らかの相関関係があるのではないかという推測のもと、学者による大がかりな国際比較調査が行われたことがあります。

 このあとご紹介するのは、その調査に加わった学者の著作に掲載されていた資料の一部です。この資料は「親からの働きかけがどの程度あるか」を日本、アメリカ・トルコでの調査結果で比較したものです。具体的には、「1.親が口出しをする」「2.私に相談する」「3.親は私に我慢を教える」の三項目について、「そうである」と「かなりそうである」と答えた子どもの割合を示したものです。

 調査対象は、中学・高校生です。調査人数は、日本1406人(中706・高700)、アメリカ543人(中240・高303)、トルコ510人(中260・高250)です。また調査年は、2001年です。

 なぜ比較対照がアメリカとトルコかというと、アメリカは第二次大戦後のわが国の近代化のモデルになった国であり、トルコは近代化が進む前の日本に見られた家父長制が色濃く残っている国だからであろうと思われます。

 三つの調査項目は、子どもの自律性を引き出す子育てと深い関係があります。たとえば、子どものことに関心をもち、口出しをすることで、親は子どもにどう振る舞って欲しいかを伝えることができますね。つまり、親が望む行動の基準を伝えるわけです(強制でコントロールするという意味ではありません)。また、子どもに相談するという形で、ある事柄について自分はどうすべきかを考えさせることができます。さらには、「我慢を教える」ことで感情に走らず、自分を抑制する方法を身につけた子どもにすることができるでしょう。ですから、これらの調査で、「そうである」や「かなりそうである」という結果がもたらされれば、日本の親は子どもの自律性の獲得のために積極的に関わっているということになります。

 さて、結果はどうだったでしょう。だいぶ長くなってしまいましたので、続きは次回お伝えします。

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ブログ担当者からのメッセージ

2013 年 7 月 4 日 木曜日

 「全国でも希な、小学生だけを指導する学習塾だからこそ発信できる情報を!」と思い立ち、2008年11月に始めたこのブログですが、気がつけばアクセス数45万件を超えていました。

 会員のご家庭であるなしに関わらず、小学生をおもちのご家庭に私たちの学習塾の経験がお役に立てばという気楽な気持ちで書いていますが、まさかこんなに長く続けるとは思っていませんでした。ましてや、こんなにもたくさんの方々にお読みいただくようになるとは想像もしていませんでした。

 このブログは会員のご家庭だけではなく、いろいろな人たちが読んでくださっているようです。この場を借りて、読者の方々に厚く御礼申し上げます。

 筆者は小学4~6年生の学習指導に16~17年ほど関わっていました。現場には、「広報発信のための勉強に」と経営者に言われて立ったのですが、そういう腰掛け的な気持ちでは到底通用しないことをすぐに実感し、それこそ無我夢中で現場と広報の仕事に取り組むことになりました。現在は広報や企画の仕事に専念していますが、現場での経験は筆者にとってかけがえのないものになっています。

 現場では千数百名の受験生の学習指導をしてきたのですが、当然ながらその子どもたちの背後にはおとうさんおかあさんがいらっしゃいます。数多くの保護者会や面談を通じて、あるいはお電話でのご相談に応じているうちに、親の切なる思いが鈍感な筆者にも痛いほど伝わってきました。

 一線を退いた後、「現場にいるときほど肉体的な負担はないのだから、今までに経験したことや勉強したことを活かし、保護者の方々のために何かお役に立てるような情報発信をしてみたい」と思うようになりました。そういう経緯で始めたのがこのブログです。

 中学受験の場合、受験生はまだ幼さの残る小学生です。親の年齢も30代が中心ですから、まだ人生の折り返し点にも達しておられない若い世代です。ですから、「受験は競争である」という一面にとらわれ、子どもの将来という視点を見失った受験対策に走ってしまわれないよう、何らかの働きかけを誰かがして差し上げなければなりません(これは、創設以来弊社の経営者が言っていることです)。

 このブログから発信する情報は、長年の経験に基づいた情報、専門的見地に立った情報、受験生の“その後”を数多く見届けているからこそ発信できる情報を軸としています。中学受験が子どもの成長につながるものになるよう配慮することは、親にとっても塾にとってもいちばん大切なことですが、具体的場面においてどうすればよいのかを知っている者はそう多くありません。このブログは、そういう意味で多少なりともお役に立っていればうれしいのですが。

 さて、筆者が着目したのは、上記のような筆者の考えに沿った記事がかなり読まれていることです。会員募集に関する記事、行事をご紹介する記事、入試に関する記事、弊社の方針説明の記事なども書いていますが、子どもの知的成長という視点に立った記事が好まれていることにやがて気づきました。筆者の思いが読者の方々に届いたのでしょうか。

 今回は、書いてから随分経っているのに、いまだに毎日かなりの数の方々が読んでくださっている記事をご紹介してみたいと思います。ただし、アクセス数のランキングではありません。掲載日の古い順になっています。

1.小学生に自学自習は無理? 2009.1.23

2.9歳の壁 2009.3.6

3."しつけ”という言葉の深い意味 2009.6.11

4.睡眠時間と成績には相関関係はあるの? 2010.1.22

5.子どもを取り巻く環境の変化と子育て 2010.2.4

6.“リビング学習”は日本家庭に向いている? 2010.3.15

7.子どものほめかたには原則やコツがある~その1~ 2010.6.10

8.なぜ日本の子どもの自己評価は低いの?~その1~ 2010.6.17

9.子どもに自信を植えつける方法~その1~ 2010.6.24

10.子どもが勉強を嫌がるのはなぜ? ~その1~ 2010.8.19

11.子どもの学習意欲は何によって高まるの? ~その1~ 2010.9.6

12.勉強のできる子にするための最も基本的なこと 2010.10.18

13.あなたは子育てに向いている? ~その2~ 2011.5.9

14.子どものやる気がないのは子どものせい? 2011.6.27

15.子どものやる気を引き出すためのヒント ~その1~ 2011.7.4

16.子どもを上手に自立させるおかあさん 2011.12.12

 

 御覧の通り、進学塾らしい勇ましい内容を連想するタイトルは一つもありません。また、すぐに実行して成果があがりそうなタイトルもさほどありません。しかし、子どもを真に優秀にするために必要な要素は本来当たり前のこと、地味な積み重ねを必要とすることであろうと思います。それを多くのかたがご存知だからこそ、上記のような記事がずっと読まれ続けているのではないかと思います。それは筆者にとっては大変うれしいことであり、また筆者の意図が伝わっているような気がしてありがたく思うことです。

 とはいえ、お読みくださったかたのお役に立っているかどうかについては自信がありません。少しでもお役に立っていればと願うばかりです。なお、本来は双方向性にし、ご質問やご相談、ご要望などを受け付けるとよいのでしょうが、筆者の能力の及ばないこともあるでしょうし、本業に打ち込む時間がなくなるおそれもあります。ご了承をお願いいたします。

 引き続きこのブログは続けて参るつもりです。どうぞよろしくお願いいたします。

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