2014年の終わりに

2014 年 12 月 29 日

 早いもので2014年が終わろうとしています。みなさんにとってどのような年だったでしょうか。筆者もこれから今年1年を振り返り、来年に向けて新たな課題や目標を定めていこうと思っています。

 さて、このブログを始めて6年余りが経過しました。すでに書いた記事の数が500回に近づいており、閲覧いただいた数も七十数万ビューに達しています。正直申し上げて、本業の合間に時間を見繕って書いていますので、忙しいときには「やめてしまおうかな」と思ったこともあります。

 お読みになったらおわかりのように、このブログは本来のブログとは違い、かなり重たいテーマを掲げており(堅苦しくてすみません)、文章も長いのが特徴です。したがって、掲載に漕ぎつけるまでに要する時間や労力もかなりの負担になっています。本業に追われているときは書かなくてもよいようなものですが、つい「週1回は更新しないと」というこだわりが頭をもたげ、多少無理をしても書き続けてきました。

 もとより大した文才もない筆者ですが、学習塾としての広報活動の一環としてよりも、知育に関わっておられるかた、なかんずく中学受験を控えておられる保護者に役立つ情報ができればという思いのほうが強く、そのことが書き続けるうえでの支えになっています。筆者自身、子どもの知育や教育、心理学、脳科学系の書物を読むことが好きですし、そうした書物を通して知り得たこと、筆者自身が体験して重要だと思ったことを、ほかの人たちにお伝えするのが好きなのだと思います。

 また、「玉井式国語的算数教室」を介して知り合った学習塾の方々や、教育関係者の方々が読んでくださっていることもブログの継続にあたって励みとなっています。前者については、玉井満代先生が全国の学習塾でこのブログのことをご紹介くださっていることが多分に影響していると思います。玉井先生にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

 さて、今回は年末のあいさつのみで記事を終えようと思っていたのですが、いつもの癖で「もうちょっと何かお伝えしたいな」という気持ちも湧いてきました。ただし、何も心積もりをしていませんでしたので、今頭に浮かんだことを書いてみようと思います。

 筆者の綴ったブログ記事で、今年1年間最も多くのかたが読んでくださったのは、「“しつけ”という言葉のもつ深い意味」というタイトルの記事です。この記事は、2009年の6月に掲載したものですが、いまだに毎日かなりの数のかたが読んでくださっています。

 「しつけ」を漢字にすると「躾」となります。この漢字は中国から伝わった漢字ではなく、日本で漢字に倣って考案された国字と呼ばれるものです。「躾」を分解すると「身」と「美」となります。「身を美しく整える」という意味に解釈できることから、「よくできた漢字だ」と言う人が多いようです。

 しかしながら、「子どもをしつける」という場合の、本来の意味に近いのは「仕付け」という言葉であると指摘されている発達心理学者がおられます。京都大学の岡本夏木先生(故人)です。

 これについては、以前書いたブログ記事でかなり詳しくお伝えしているのでそちらでご確認ください。ともあれ、ここで簡単にふれておきましょう。

 20141229aご存知のように、「仕付け」は着物の形を整えるために仮に縫い付けておくことを言います。なぜ子どもの「しつけ」の意味が、着物の「仕付け」に通じるのかと言うと、着物の完成をもって仕付け糸が外されるという点にあるのだと岡本先生は述べておられます。着物の形が整い完成すると、仕付けの糸はもうそこにあってはならないもの、不要なものになります。それは、ちょうど子どもの成長に伴って「しつけ」の必要性がなくなるのと同じことだと解釈できます。

 とかく、「しつけ」と言うと立ち居振る舞いについて、親が子どもに厳しく関わることを連想しがちです。新聞などに、幼児虐待に関する悲しい事件の記事をしばしば目にします。そして、そういうことをした親がよく「しつけをした」といった説明をしていますが、そうした親のしつけは、本来の意味から外れていると思わざるを得ません。子どもを人間としての望ましい完成形に向かわせようという意図が、全く感じられないからです。

 この「しつけ」という言葉の意味と通じる話になりますが、以前「親と子は何のために一緒に暮らしているの?」(2009年4月掲載)というタイトルの記事を書いたことがあります。

 夫婦は「一生のパートナーシップを築く」という目的のもとにつながる関係ですが、親子はそうではありません。いずれ子どもは親のもとを離れ、自立した生活を営み、そして別の家庭を築くことになります。そのことに照らすと、子育てとは、やがて子どもと別れるためにあるのですね。同じ家族でも、「夫婦」と「親子」では違うのです。

20141229b このことを書いておられたのは、大学の附属病院のカウンセラーをしておられる先生でした。そのくだりを目にしたとき、当時中学生だった息子のことを考えずにはいられませんでした。大学への進学をもって息子と一緒の生活はおそらく終わるでしょう。それまでに残された期間はわずか4~5年です。「息子が一人でちゃんと生活していけるよう、自分は自立に向けた応援をしてきただろうか」と、深く反省したものでした。

 「しつけ」も「子育て」も、結局は子どもの独り立ちのためにするものです。そういう意識を忘れないでいたいものですね。わが子の中学受験にあたっても、「しつけ」や「子育て」の観点から逸脱してしまうと、入試結果よりももっと大切なものを失ってしまいかねません。なぜわが子に中学受験をさせるのか、という原点に立ち返ったなら、結局「子どもの自立した人生」を願うからに他なりません。

 受験生活を見守るなかで、「躾」や「子育て」の原則から外れないよう、親としての平衡感覚をいかに保つかについても、ぜひ忘れないようにしていただきたいと存じます。受験生活が、子どもの成長や自立につながるよう親が配慮すれば、望み通りの受験結果が得られるのはもとより、「親子の信頼関係」も揺らぐことなくますます強化されることでしょう。

 やがてくるわが子の本当の自立の日まで、親はたくさんの苦労をしなければなりません。ですが、これ以上に苦労のしがいのある仕事はないのではないでしょうか。中学受験は子どもの自立に向けた一つの試練です。人間として一段成長したわが子にするよい機会にしていただきたいと切に願う次第です。

 では、よいお年をお迎えください。


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