2015 年 11 月 30 日 のアーカイブ

人生に彩りをもたらす私学教育 ~その2~

2015 年 11 月 30 日 月曜日

 今回も前回に引き続き、弊社主催のイベント(11月13日:「私学教育の真の魅力とは!」)で基調講演をしていただいた、修道中・高等学校校長の田原俊典先生のお話の内容をご紹介します。以下の記述は、田原校長が語っておられるというスタイルでまとめたものです。

 さて、次は人間の器が定まってくる思春期の子どもの教育についての重要な考えかたをご紹介します。みなさんは、“ビッグ・ロック”の話をご存知でしょうか。お手元の資料の写真のところ(このブログでは、イラストでご紹介します)をご覧ください。
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 この写真(イラスト)は何を私たちに伝えてくれるでしょうか? ちょっとわかりにくいかもしれませんね。 器のなかに、大きな岩と、砂利や砂、水を入れるとします。これらを満杯にするためには、どんな工夫が必要でしょうか?

 結論を言いますと、いちばん大きな岩を何よりも先に器に入れるということです。もしも、砂利や砂を先に入れてしまうと、下の写真(イラスト)のように、岩は器からはみ出てしまい、なかに入れることはできなくなってしまいます。
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 器に入れるものを、子どもたちが人生で学んでいくべきものにたとえるなら、大きな岩こそいちばん大切にすべきものです。この大きな岩を最初に器に入れることをしないと、子どもたちはそれを永遠に失ってしまうのです。なぜなら、さして重要でないものを自分の器に満たしてしまうと、子どもたちの人生は、つねに自分にとって一番重要なものに割く時間を得ることができなくなるからです。

 人生を有意義なものにできるかどうか。それは、まずもって大きな岩を自分の器に入れるかどうかにかかっています。私学は、宗教教育、躾、生徒指導などにおいて、“精神性”を軸に置いて指導しています。たとえば修道は、“生徒の自主性”を育てることを重要視しています。なぜなら、自主性を育てることが私たち修道の教育目標の一つである“リーダーの育成”にとって必須となるからです。

 子どもの自主性は、自然と育つものではなく、意図して働きかけてこそ育つものです。将来ひとかどの人物に成長する子どもは、早くから小さくまとまってはいません。放っておくとどうなるかわからない。そんな子どもを中1中2で厳しく鍛え、自主性の前提となる要素を築いていく。そうして6年間かけてじっくりとリーダーとしての資質を磨いていきます。このように、修道にとってのビッグ・ロックは、“自主性の涵養”と言ってもよいでしょう。

 リーダーにふさわしい自主性を身につけるまでのプロセスは多様であり、どの生徒にせよ順風満帆ではありません。そこで、先ほど申し上げたように、私学は中・高一貫という条件を活かし、6年間の成長過程を熟知した教員集団が生徒一人ひとりを静かに見守っていきます。つまり、手を差し伸べるのではなく“待つ”のです。

 とかく大人は子どもが育つのを待つことができず、手を貸してしまいます。心理学者の河合隼雄さんは、「さなぎは人が触ると死んでしまう」ことを例にあげ、「子どもの思春期に親が手をかけすぎると人としての成長を奪ってしまう」ということを著書で述べておられます。これは、子どもを立派に育てるにはどうしたらよいかを教えてくれる話ではないでしょうか。

 このように、“待つ”覚悟と勇気をもつことこそ、教育において最も大切なことです。こうした視点を私学がもち、一致団結して教育にあたっていることが、公立の学校との決定的な違いだと私は考えています。

 最後になりますが、私たちの教育現場から証明できる事実を通して、私学にわが子を託すことの価値について感じ取っていただければと思います。

 近年、「日本人には、自己肯定感が欠けている」ということがしばしば話題にされています。以下にご紹介するのは、2009年に日本青少年研究所が中高生を対象に調査した結果です。

「自分をダメな人間だと思うか」という質問に対し、YESと答えた生徒の割合

・米国 = 14.2%
・中国 = 11.1%
・日本 = 56.0%

 この結果をどう思われるでしょうか。「日本人は謙虚な民族だから」ということはあるにせよ、あまりにも低すぎる自己肯定感に驚いてしまいます。こうした自己認識は、今日のようなグローバル社会においては何かと支障をきたすのではないでしょうか。

 修道の生徒の特徴の一つに、友達の長所をリスペクトするという精神性があります。これは修道の長年の伝統と言ってよいかもしれません。生徒同士、互いに長所を認め合う。それによって、生徒の誰もが自己肯定感をもった存在に成長できる環境が保証されているのです。

 この自己肯定感があって初めて、自分で物事を判断し行動していく姿勢、すなわち自主性が備わることになります。つまり、自己肯定感を育む教育環境こそ、修道のめざす教育の実践にとって絶対条件となるものです。集団が形成されるあらゆる場面でリーダーが自然発生的に現れるという事実は、この自己肯定感を育む教育風土や伝統が連綿として受け継がれているということを物語っていると思います。

 私学には、固有の建学の精神があり、長い歴史のなかでそれぞれがめざす教育の実践を通して社会に有意な人材を送り出してきました。本日の話が、そうした私学教育のよさをいくらかでもお伝えできる場になったなら幸いです。

 本日会場にお越しいただいた保護者のみなさまも、立場は違いますが、私と同じように教育者の範疇にある大人の方々だと考えています。子どもたちの未来のために、今大人たちが何をすべきなのか、ともに考えていきましょう。最後までご清聴いただき、まことにありがとうございました。

 田原校長は、私学の校長を務められる傍ら、私学連盟の重職にも就いておられます。よって、この講演においても自校のことだけでなく、「私学教育のよさはどこにあるのか」という広い視点に立ち、私学という教育環境がどういうものか、そのよさはどこにあるのかを語っていただいたと思います。

 当日は、たくさんの保護者に参加いただきました。また、修道の田原校長には、この催しのために忙しいなか時間を割いていただきました。心より感謝申し上げます。

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