2017 年 6 月 のアーカイブ

“忘却”は受験生の敵か

2017 年 6 月 26 日 月曜日

 今回は、“忘却”すなわち“忘れる”ということを話題に取りあげてみました。なぜこの話題を取り上げるのかについては説明無用かもしれませんね。受験生にとって、忘れるということはあってはならないことであり、日々の受験生活は忘却との闘いのようなものですから。

 せっかく苦労して覚えて手に入れた知識も、一定数はいつの間にか記憶のふるいから抜け落ちてしまいます。覚えたはずの知識が、肝心のテストのときに思い出せず、歯ぎしりのする思いをした経験はどなたにもおありでしょう。中学受験生ならなおさらで、「あー、自分の頭がもっとよかったら。もっと記憶力があったなら」と、テストの度にため息をつくお子さんは少なくありません。

 しかしながら、「忘れることは人間にとって不可欠のことである」という知見を紹介しておられる学者がおられます。お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古先生(前回のブログでも、この先生の著述をご紹介しましたね)です。先生によると、記憶と忘却は切っても切れない関係にあり、言うならば「呼吸のようなもの」なのだそうです。以下は、そのことについて述べておられる箇所の引用です。

 実際、小さいときから、忘れるのはよくないこと、困ったことだと思い込まされている。学校で勉強したことはよく覚えておけ、忘れてはいけない。覚えているかどうか確かめるために、忘れたころに試験をする。忘れて間違うと減点という罰を受けるから、いつとはなしに、忘れることをオゾマシキ厄介者のように思って大きくなる。

 忘れないで、よく覚えて記憶力のよいのは“頭がいい”とされ、逆に、忘れっぽいのは“頭が悪い”ときめつけられる。忘却は貧乏神以上におそろしい。少なくとも、成績不振のもと、悪いのは忘れる頭である、ときめつけるのである。忘却からすれば、とんだ濡れ衣である。世間は誤解をしていることに気づかない。文化が発展、学問・技術の進歩と発達の目覚ましい現代においてなお、年来の勘違いを是正するに至っていない。不思議なくらいである。

 忘却は困ったことではない。それどころか記憶と同じくらいに大切な心的活動である。両者は、対立関係にあるのではなくて、セットとして、共同の働きをしていると考えるべきである。忘却がなくては記憶はその力を発揮できない。車の両輪のようなものだ、ということもできるが、呼吸のようなものと考えた方が妥当だろう。

 空気は吸ったら出さなければ、新たな空気を吸うことはできません。「呼(はく)」と「吸(すう)」は連動してこそ成り立つ行為です。記憶と忘却の関係も同じで、体験や学習によって得た知識も記憶したらそれで終わりではなく、忘れるということがあってこそ、記憶という活動が活性化するのだそうです。この繰り返しや連動性が重要であり、段々と記憶が整理整頓され、使える有用な知識になっていくのです。ですから、忘れることは人間にとって必要なことなのですね。

 外山先生はこれに関して興味深いことを書いておられます。「呼吸」についても、「記憶と忘却」にしても、一般にその順序性が誤解されているというのです。呼吸について考えてみましょう。われわれは「まず空気を吸って、それから吐き出す」と考えがちですが、そうではなく、「まず体内のよくない空気を吐き出し、そのあと新しい空気を吸い込む」のです。「吸わなければ、吐く息もないのでは」と思う人に対して、外山先生は「残っているよくない息を全部出してしまってから、きれいな空気を吸い込む。これが深呼吸である」と述べておられます。

 記憶と忘却の関係もこれと同じで、まず忘却が先にあるのです。忘れることによって混とんとした知識を整理整頓し、スッキリした頭で次の学習活動を行うのです。様々な知識で混乱した状態で学習をしても効果は得られません。しっかりと根付いていない知識はいったん忘れてしまい、そのうえで次の学習活動へ移行すれば、記憶がより働きやすくなるのですね。その意味においては、忘れることは必要なことであり、よいことなのです。

 もう一つ記憶についての話題を。人間の忘れかたには個人差があります。テストで同じように85点を取った生徒も、間違えた個所は一人ひとり違っているのが普通です。前出の外山先生によると、このような忘却の個人差こそ、人間の個性であり、創造力のもとなのだそうです。これに関する著述の一部をご紹介してみましょう。

 知識の記憶のみによって、個性を育むことはできない。知識も記憶も、そのままでは没個性的であり、超個性的である。忘却はひとりひとり独自の忘れ方をする点で、個性的である。没個性的な知識を習得することを通じて個性が生まれるのは、つまり忘却の作用によるのである。( 中略 )

 コンピューターは記憶の巨人である。単純記憶において、コンピューターに勝る人間は存在しないと言ってよい。完全に多量の情報を記憶し、それを操作、処理する能力をもっている。完全記憶を実現しているが、個性がない。忘却ということを知らないからである。記憶だけなら人間はコンピューターに叶わないが、忘却と記憶のセットで考えれば、人間はコンピューターにできないことをなしとげる。この点からすれば、忘却は新しい役割を認められなくてならないはずである。忘却が個性化をすすめ、創造的なはたらきの基盤であるのに目を向けないのは怠慢である。

 忘却は力である。忘却力は破壊的ではなく、記憶力を支えて創造的なはたらきをもっている。

 どうでしょう。忘れることに負のイメージばかりもっていた筆者にとっては新鮮な視点をもたらしてくれる情報でした。みなさんはどう思われましたか。受験学習においても、「忘れるな!」一辺倒ではなく、「何を忘れたか」を検証し、学び直すことで、お子さんの頭脳はお子さん独自の発達を遂げ、創造的な知力の持ち主に成長していけるんですね。

 覚えることと忘れることは、どちらも同じぐらい大切なんだということを、お子さんに伝えてあげてください。

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カテゴリー: アドバイス, 学問について

“朝学”はなぜ効果が高いのか?

2017 年 6 月 19 日 月曜日

 今回は、「朝早めに起きて勉強すると効果が高い」と言われる理由を話題にとりあげてみます。「勉強の能率が上がらない」と、困っておられるかたにとって、“朝学”は現状を打開する一つの方策になるかもしれません。また、あと1カ月余りで夏休みがやってきます。夏休みからの学習時間の割り振りを考えるうえで、多少なりとも役立てていただければ幸いです。

 もっとも、朝の苦手なお子さんは少なくありません。なかには、「朝早く起きて勉強」というだけで、「うちの子には無理!」とあきらめてしまうかたもおありでしょう。 そんなかたも、とりあえず読んでみてください。睡眠と記憶の関係についての基本的なことがわかりますから、受験生活の参考になるかもしれません。

 お茶の水女子大学名誉教授で、かつて同大学の附属幼稚園の園長も務めておられた外山滋比古先生は、子どもの教育に関わる多数の著書を表しておられます。その外山先生の本のなかに、「なぜ朝はものを考えるのに適しているのか」について書かれているくだりがあります。ちょっとご紹介してみましょう。

 忘却が夜の間におこることはどうやらたしかである。忘却が頭をはたらきやすいように、きれいに整理してくれるのだとすれば、一夜明けた朝、頭がものを考えるのにもっとも適した状態になっているのはむしろ当然である。

 昔から、それに気付いていた人は少なくなかったと想像される。イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクにこういう詩がある。

 朝、かんがえ (Think in the morning)
 ひるは、はたらき (Act in the noon)
 夕がたに食し (Eat in the evening)
 
夜は眠れ (Sleep in the night)

 つまり、朝いちばんに考えよ、頭を使え、というのである。ほかの仕事は、そのあとでよい。朝はそれほど頭の活動に適しているのだという洞察である。食事をするのは夕方、つまり、仕事が終わってからでよいというところが注目される。

 同じくイギリスの小説家ウォルター・スコットも朝の信者だったようで、難しい問題があって夜遅くまで解決できないようなとき、彼はまわりのものによく言った。「明朝になれば、いい考えが浮かんでくるよ」、夜の間に、妙案、妙想が用意されることを知っていたのである。その夜に、大働きをするのが忘却であることまでは、スコットは、あるいは知らなかったかもしれない。しかし、夜より朝の方が頭がよく働き、いい考えが生まれやすいことは経験によって知っていたものと思われる。生活の知恵である。

 どうやら、朝頭を使うとよい考えが浮かぶのは、夜眠っているときに前日までに経験した事柄の多くが忘却され、頭が整理整頓されて働きやすくなっているからのようですね。

 外山先生は、朝頭を使うことの重要性を昔の人が知っていた証拠として、「朝廷」という言葉の由来を紹介しておられました。大昔、中国の役所は、朝、日が昇るのとともに開始されたという故事があります。それで「“朝”廷」と呼ばれたのだそうです(「廷」は政治を行うところ、官吏が集まる広い庭の意)。朝早くに仕事をするほうが、より能率的に迅速に行えるということを昔の人が知っていたからです。

 また、みなさんご存知の“朝飯前の仕事”という言葉は、「朝食前でもできる簡単な仕事」という意味で使われていますが、もとはそういう意味ではなかったという話も紹介されていました。朝食前に仕事をすれば、頭がすっきりと整理されているので、仕事がはかどり易くなります。本来はそういう意味だったのです。それが、「簡単にできる仕事」と誤用されるようになったのだと言います。外山先生は、「朝の仕事の能率がよいことを忘れてしまっていまのような解釈になったのである。朝の仕事の能率のよさこそむしろ注目すべきである」と述べておられます。朝する仕事は能率のよいことを昔の人はよく知っており、本来はそうした知恵が生み出した言葉だったのですね。

 ここで再び外山先生の著作の一部をご紹介しましょう。勉強がはかどる時間に着目しておられます。

 “朝考える”にしても、“朝になればいい考えが出てくる”にしても、さらに中国の朝廷にしても、朝の思考、仕事がすぐれていることに注目しているのだが、朝飯前の仕事が、朝は朝でも、食事の前というところに注目しているのがおもしろい。

 というのも、思考に適しているのは、朝だけに限らないからである。気をつけてみると、昼前にも、そして、夕方にも、仕事のはかどる、つまり、頭の状態がよい時間帯があることがわかる。ことに、夕方がいい。体から言えば、昼より疲れていてもおかしくない夕方に頭の活動がよくなる。言いかえれば、頭がよくなる。さらに、忘却作用が成果をあげているのはどうしてか。

 考えられるのは、いずれも空腹時ということである。胃の中に、食べたものが入っていて、その消化にエネルギーをとられるとき、頭の活動も低調になるのではないかと推測されるのである。

 みなさんご経験がおありかと思いますが、たっぷりと食事を摂った後は、ややこしいことを考えたり覚えたりする気になれないものです。それは、食事をした後には消化作業で内臓に負担がかかっているため、頭の働きにエネルギーを向ける余裕がないからなんですね。

 受験の際にも、「胃もたれのする食事を摂らず、多少空腹の状態で臨んだほうが頭がよく働く」と言われます。また、「厚着をしてあたたかい状態よりも、多少薄着で寒さを感じるぐらいがよい」と言われます。これは、「体が少し危険を感知するぐらいのコンディションにおいて、神経が最も研ぎ澄まされ、頭の働きが鋭敏になるからだ」ということのようです。

 早朝は、記憶が整理整頓されて働きやすい状態にあり(睡眠によって不確かな記憶が忘却されている)、体が思考に適したコンディションにあり(食べ物が消化された後で胃に負担がかかっていない)、少しひんやりとした勉強にふさわしい環境にあり(少し寒さを感じるくらいの条件で頭は一番よく働く)、まさに受験生の勉強に最適な時間帯だということがわかりましたね。

 以上のような情報をもとに、お子さんの学習に有効な時間や条件を考えてみてはいかがでしょうか。繰り返しますが、1カ月余りすると夏休みがやってきます。長い夏休み期間は、生活習慣を見直し、勉強の成果があがるルーチンを築く絶好のチャンスです。お子さんと話し合いながら、お子さんにピッタリの学習のありかたを考えてみましょう。状況が好転する可能性大です。

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カテゴリー: アドバイス, 勉強の仕方, 家庭での教育, 家庭学習研究社の特徴

夏の旅行や家族行事を「体験学習」に

2017 年 6 月 12 日 月曜日

 梅雨が明けると、いよいよ夏休みが目の前ですね。学校が休みに入る夏休みは、比較的自由な時間を作りやすくなります。そのため、「普段はなかなかできない体験をわが子にさせてやりたい」とお考えのご家庭もきっと多いことでしょう。しかし、子ども達は長い休み期間であっても、お仕事をされているお母さん・お父さんは時間を作るのが難しく、家族で何かをするとなるとそれほどチャンスがあるわけではありません。

 もし、忙しい仕事の合間をぬって家族旅行に出掛ける計画があるのなら、その家族旅行をお子さんにとっての「体験学習」の場としてみてはいかがでしょうか。もちろん、普通に旅行に行くだけでも子どもにとっては十分貴重な体験なのですが、そこにもう一工夫することで、より効果的な勉強の場を作ることができます。
 準備から道中のやり取りや後片づけまで全て親がやって、子どもはそこに乗っかるだけ・・・では、貴重な体験の機会が半減してしまいます。せっかくの機会ですから、旅行の計画の段階から子どもに任せてみてはいかがでしょう。もちろん、全て任せるのは心許ないですから、学年や発達段階に応じたサポートは必要です。
 ・行きたい場所やしたいことなど、大まかな親の希望を伝えておく
 ・予算の上限をあらかじめ伝えておく
 ・あらかじめ決めたいくつかの選択肢を示しておく
 ・これまでの旅行プランに関して説明する ・・・など
 子どもに任せればなかなか進みませんから、おそらく、「自分で決めた方が早い」と思われる方が大半だと思います。ですが、そこをグッと抑えて、今回は温かく見守ることに徹してみてください。
 お子さんが高学年であれば、事前に旅行先の地図や資料などを準備して、その土地について親子で色々調べる機会を設けるといいですね。実際に現地に到着してから、「やっぱり思っていた通りだった」とか「地図を見て予想していたのと全然違うね」などと感じることも、子どもにとっては大切な勉強です。それを踏まえて家族で感想を述べあうというのも、家族旅行の楽しみを一層膨らませてくれるでしょう。
 お子さんが低学年の場合には、子どもだけで計画を立てるのはまだ少し難しいですから、旅行の計画を立てる段階から帰宅した後の振り返りまで、できるだけ親子で一緒に考えるようにしてみてください。それによって、単に「旅行先での出来事が楽しかった」というだけでなく、計画段階から「自分も参加した」という思いが大きな自信につながります。主体的に参加した旅行の経験は、普段なかなか得ることのできない貴重な「体験学習」になるのです。

 また、家庭で過ごす時間が増える夏休みは、家族旅行のような特別な行事だけでなく、毎日の生活の中でも体験学習を取り入れやすくなります。例えば、
 ・お父さんと一緒に日曜大工で何かを作ったり修理したりする
 ・お母さんと一緒に近所のスーパーまで買い物に出かける
 ・昼食や晩ご飯の準備を親子で一緒にする
 ・庭や近くのキャンプ場でバーベキューをする
 ・家族でデパートや娯楽施設などに出かける
 ・・・など、こうした身近な場面でも、子ども自身に役割を与えたり、自分で考えて行動させたりする活動を取り入れることで、子どもは様々なスキルを身につけていきます。このような勉強は、机について鉛筆を握っているだけではできません。周囲の働き掛け方次第で、日常の中には非常に多くの体験活動があふれています。
 お子さんにとって充実した夏休みを実現できるよう、ぜひ今から計画を立ててみてくださいね。

(butsuen)

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カテゴリー: 子育てについて, 家庭での教育, 小学1~3年生向け

中学受験が子どもにもたらす価値とは!?

2017 年 6 月 5 日 月曜日

 今日は6月5日(月)です。いよいよ今日から各校舎で夏の講座の申込受付を開始します。そこで、今回は弊社の夏休み講座に参加を検討しておられる保護者に、「家庭学習研究社は、どのような考えに基づいて受験指導を行っているか」についてお伝えしようと思います。

 いきなりで恐縮ですが、おとうさんおかあさんがわが子を弊社の校舎に通わせるのは何のためでしょうか。そんな質問をすると、おそらく大半のかたが怪訝な顔をされるでしょう。弊社は中学受験塾ですから、「志望校合格」を期待されてのことに決まっています。

 ですが、私たちはそのことを十分に踏まえたうえで、おとうさんやおかあさんと共有したい「受験観」というべきものがあります。それは、中学受験を通じて子どもたちが得る収穫のうち、いちばん価値のあるものは必ずしも「志望校合格」ではないということです。私たちは、「合格」に一層の輝きを与えるものが他にあり、それを得て「合格」してこそ、受験に真の意義が生まれるのだと考えています。

 では、合格に一層の輝きを与えるものとは何でしょう。それは簡単な言葉で一つにまとめることもできますが、なるべく具体的にわかり易く保護者にお伝えしたいため、いくつかの要素に分けてこれからご説明したいと思います。

 中学受験の準備期間は平均して2年間ないし3年間です。弊社では、4年生から始めるお子さんが最も多く、その次が5年生からのお子さんです。年齢にして9歳もしくは10歳。それは、人間としての枠組みが定まっていく時期に受験生活が営まれるのだということを意味するでしょう。

 毎日の生活において、受験勉強の時間をどのように設定するか、どのような取り組みをするか。長い受験生活ですから、これらが子どもの成長に及ぼす影響は少なくありません。学習塾が連夜遅くまで教室で勉強をさせる。家では親がついて勉強をフォローしたり教えたりする。それらは合格を得ることには貢献するかも知れませんが、子どもの自律に向けた歩みにとって大きなマイナスです。

 弊社は受験までの期間を見通し、小学校中~高学年児童に無理のない範囲で「計画に基づいた学習習慣」、「自分で段取りをつけて学ぶ姿勢」が身につくよう指導しています。そのプロセスはまどろっこしいものですが、保護者の理解と協力を得て、少しずつ子どもの成長・変化を促していきます。

 こうして身につけたものの価値は、中学進学後の学びの人生ではっきりとご理解いただけることでしょう。学びに強い意欲や行動力をもった集団内で、ハイレベルな学習に取り組むとき、自己管理に基づく自律性の高い学びの姿勢を携えていることが大きくものを言うのです。

 中学受験というと、難問に数多く取り組んだり、おびただしい数や量の知識を詰め込んだりする様子を想像する人がたくさんいます。しかし、こういう勉強は子どものためにはなりません。

 単元の類似問題にたくさん取り組み、パターンを覚えて解を得られるよう訓練する方法は、テストでは有利に働きます。また、暗記で蓄えた知識が得点増強につながるという側面も否定できません。そのため、大学入試までこのような受験対策が行われています。しかしながら、本物の知性を高いレベルで発揮すべき世界においては、物量主義や暗記主義の勉強は全く威力を失ってしまいます。知的基盤が弱いからです。また、労力や時間を空費する勉強は、子どもを勉強好きにはしてくれないし、頭脳の伸びしろを摘み取ってしまいかねません。

 子どもの頭脳が柔軟なうちに、もっと豊かな伸びしろの形成に寄与する勉強を経験すべきです。学んだ知識や考えかたを理解し、それらをもとに様々な考察を経て課題の解を得る。このような学習は、子どもの知的好奇心を一層高いものにし、いつの間に知識や思考をより高いレベルに押し上げてくれます。このほうが知的基盤の強化につながりますし、合理性においても優れているのは疑いのないことです。

 このような学習で中学入試の難関校に合格すべきではないでしょうか。また、このような学習こそ将来高度な知的能力が問われる世界に参入するための、唯一無二の勉強法と言っても過言ではありません。

 勉強をするとき、「どこまでわかり、どこからがわかっていないか」が明確であるかどうかは、成果に大きく影響します。自分の状態を客観的に掌握できているからです。このような心の働きは、心理学においては“メタ認知”と呼ばれています。

 中学受験対策の勉強においても、がむしゃらに勉強するだけの受験生よりも、メタ認知的な思考のできる受験生のほうが勉強を効率的にやり遂げることができます。

 メタ認知的な思考や取り組みは、中学・高校進学後に身につけるのではなく、中学受験対策の学習を通じて身につけておきたいものです。なぜなら、人間に染みついた癖や傾向は、年齢が上がるほど修正しにくいからです。中学や高校に進むと勉強は難しくなり、学習の負担は増加します。この段階で、一から自分の勉強の取り組み方法を変えるには大変な苦労が伴います。いっぽう、中学進学までにメタ認知的な思考や取り組みができていると、成果が得やすいし、先々の余分な苦労が無用のものになります。

 中学受験の勉強は、毎日の継続的取り組みや、テストでの手応えやできばえ、成績データなどを通じて、メタ認知的な思考や取り組みを磨ける格好の場になります。受験までのプロセスを活かし、「絶えず自己の現状を見つめながら修正していく姿勢」を培えば、以後の学習活動に多大な貢献をもたらしてくれるに相違ありません。

 子どもに目標をもたせ、達成に向けて精一杯チャレンジさせる。それが成長途上の子どもにとってこれ以上ない自己鍛錬の場になります。

 しかしながら、少子化が進行し、核家族が家庭の標準形態となった今日においては、どうしても子どもの様子を見守るだけではおさまらず、親が手を貸したり口出しをしたりしがちです。たとえば、野球やサッカーのジュニアチームなどにおいても、監督やコーチに任せることができず、親が様々な形で介入するという話をよく耳にします。筆者の趣味の一つであるテニスにおいても同じで、ジュニア育成のコーチが雑誌のコラムで野球やサッカーと同様の残念な実態について書いておられました。

 背景にあるのは親だからこその愛情と期待です。しかし、それが却って子どもの成長の妨げになることもあります。中学受験においても、指導に当たる学習塾にとって保護者の理解と適切な協力は欠かせません。ご家庭と学習塾が同じ方向を向き、子どもの成長の場となる受験生活を実現する必要があります。それでこそ、子どもにとってかけがえのない成長体験になるのですから。

 保護者の方々には、弊社の方針をよくご理解いただき、「親は何をすればよいのか」「家庭の親の役割とは何か」を踏まえ、子どもたちの紆余曲折のもどかしいプロセスを忍耐強く温かく応援していただきたく存じます。そうすれば、中学受験もスポーツと同様、子どもにとって目標達成に向けた努力でかけがえのない成長体験をすることができることでしょう。わが子を優れた頭脳の持ち主にできるまたとないチャンスになるのです。

 お仕着せの勉強でもなく、時間や労力を頼みにする勉強でもなく、自分で自分の力を伸ばしていく勉強で受験に臨む。それが実現したなら、受験の結果に関わらず子どもの人生は前途洋洋です。なにしろ、状況に対してつねに主体的に関わり、自分で解決法を見出し、自らの努力で這い上がっていくすべを身につけているのですから。

 20年ほど前のことです。教育界に身を投じたイェール大学出身の優秀な若者が、とてつもない実験的な教育を実践しました。「私の学校に通ったなら、学力不振からさよならし、大学進学をめざせる優秀者に変身させてみせるよ」と、貧民層の家庭の親子に働きかけました。集まったのは、全員が黒人かヒスパニックの家庭の子どもたちでした。そして、彼はみごとに言葉通りの結果を得て見せました。八年生(中2)の全市統一学力テストにおいて、ニューヨーク市で5番目の優秀な成績をあげたのです。貧困地区の学校では前例のないほどの偉業でした。

 ところが……。その後に思いもしないどんでん返しが待っていました。9割もの生徒が一流の高校に進学し、大学にも進学したのですが、大学を無事卒業したのは僅か20%余りの生徒に過ぎませんでした。この学校を終えて高校、大学へとそれぞれの進路がばらばらになると、全員が一致団結してがんばっていたころの意気込みや意欲が次第に失われてしまったのです。いったいどういうことなのでしょうか。

 実際のところ、この青年のつくった学校での勉強は強い管理のもとで行われ、宿題をやり残すと全部提出するまでは生徒の娯楽行事にも参加が禁じられました。成功体験の喜びを味わった生徒たちはそれでもよくがんばりました。その結果、ほとんど全員が落ちこぼれることなく最後までがんばり通しました。しかしながらそのいっぽう、生徒一人ひとりにとっての「勉強とは何か」「なぜ学ぶのか」というアイデンティティのようなものが欠けたままだったのです。

 一人ひとりが自らの進路を定めて学ぶ年齢段階に至ったとき、自分で目標設定をしたり、軌道修正したり、粘り強く努力を継続したりする姿勢や能力が問われるようになります。大人に引っ張られて勉強した子どもは、学力を伸ばすことはできても、こうした状況に対応するための力が不足しているのでしょう。

 以前にもお伝えしましたが、高い目標の達成に向けた競争においては、「自制心」「粘り強さ」「計画性」「やり遂げる意志」など、負荷のかかる状態を乗り越える力がものを言います。この力を養う場こそ家庭であり、また、子ども自身の学びを尊重する教育環境であろうと思います。

 家庭学習研究社は、保護者の方々とこうした知見を共有し、高い次元の学びを自らコントロールしていける人間、そして、目標達成に向けて真摯に取り組む姿勢をもった子どもの育成に向けてがんばってまいります。ご理解ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

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カテゴリー: 中学受験, 子育てについて, 家庭での教育