前回は、わが国の初等教育における国語の授業時数が減少傾向にあることをお伝えしました。では、欧米の初等教育における国語の授業時間の占める割合はどうなのでしょう。
確かな資料は手元にないものの、ある書物に、欧米の先進国のほとんどは国語の授業時間が全体の45%以上を占めていると書かれていました。たとえば、フランスでは約50%になっています。このことは、欧米の初等教育が国語中心に行われていることを示すでしょう。なかには、6割に達する国もあります。また、フランスでは、他の教科の授業も国語中心に行われているそうで、これらを含めたら、国語の学習の占める割合は全体の75パーセントにのぼるという学者もいるほどです。
そういえば、芸術の国としてつとに有名なフランスでは、意外なことに小学校の音楽の授業がないという話を聞いたことがあります。「子どもには、まずもって母国語教育を!」それが国の見解として徹底しているのでしょうか。そう考えていると、ある本のことが頭に浮かんできました。ドーデの名作「最後の授業」です。この本のストーリーを、覚えておられるでしょうか。ドイツ軍の占領下におかれる運命となった、フランスの小さな村を舞台とする物語です。フランス語で行う最後の授業になったその日、村中の人々が学校に集まり、先生の授業を聴くシーンが印象に残っています。戦争で領土を失っても、母国語だけは敵国に取られるものではない。母国語という、国と民族の精神に関わる財産だけは受け継がなければならない。ドーデの作品に、フランス人としての強い誇りと意志を感じ、感銘を受けたことを記憶しています。
これは、いつか読んだ本に書いてあった話です。公的な使命を受けて、家族ぐるみで日本にやってきたイギリス人が、途中で職を辞してイギリスに帰ったそうです。その理由が、「わが子の英語が心配になったから」というので驚きました。しかし、後になって「わが子に正しいブリティッシュ・イングリッシュを身につけさせることは、イギリス人の父親にとって、自分の仕事以上に重要なプライドに関わる問題なのだろう」と考え、妙に感心し納得した次第です。
国語力が人間の人生に影響を及ぼす可能性が高いとすれば、子どもをもつ親が「国はもっと国語教育に力を入れるべきだ」と考えるのは当然のことでしょう。ところが、わが国では国語の時間が減らされています。近年は、子どもの学ぶ意欲・関心を引き出すための新しい試みとして「総合的な学習」の時間が設けられ、国語の時間数増加はますます実現困難になっています。国語は小学校で最も重要視すべき教科なのに、現在の学校教育の下では時間を増やせる可能性はありません。
外国の例でもおわかりいただけると思いますが、小学校教育の基本は「言葉の教育」にあります。この言葉の教育を学校任せにせず、おかあさんが積極的に関わっていく。それ以外に問題解決の方法はありません。
そもそも、わが子が生まれて以来、休むことなく言葉の教育をして来られたのはおかあさんです。言葉というものの存在すら知らない嬰児(みどりご)の頃から、今日に至るまでわが子に一体どれだけの声かけをなさったでしょう。わが子の成長とともに言葉の先生としての役割が質的に変わり、「話し言葉」と「書き言葉」の両方から応援していくのだと思えばよいのではないでしょうか。
子どもと毎日接し、子どもと時間を共有できる立場にあるおかあさんは、自分の時間、自分の世界をもつようになるまでの子どもにとって、生活の場で生きた手本を示してくれる掛け替えのない先生です。これは、共働きをされているご家庭でも同じです。わが子のためにたくさん時間がとれなくても、一緒にいられる時間を大切にし、子どもの話し相手になってくれるおかあさんは、他の誰も取って代わることのできない存在です。おかあさんが話してくれ、おかあさんが聞いてくれる毎日の繰り返しの中でこそ、子どもの知性の芽は豊かに育ってくるのです。
繰り返します。「おかあさんが、躾と言葉のすばらしい先生である」――これが、学力豊かな子ども、人生を創造的に生きる人間を育てる基本です。それを実践しておられるご家庭の子育てに失敗はありません。
子どもも人間ですから、大人の思うように反応してくれないこともあるでしょう。そんなときにも、子どもの心理状態や性格、体調までも配慮しながら辛抱強く相手のできるのは、おかあさんだけです。
生活の全てを親に頼り、親なしでは生きられない。それでいて、既に「自分」という意識をもち、自分の言い分を聞いて欲しいと一生懸命になる。それが小学校低~中学年の子どもです。この時期こそおかあさんは、わが子に対して持てるエネルギーを全力で注ぎ込むべきではないでしょうか。



