2008 年 12 月 のアーカイブ

ほんものの指導のプロとは ~その3~

2008 年 12 月 17 日 水曜日

 3回目になりますが、今回も大村はま先生の記述をもとに、私たちの見解を述べさせていただきます。教師は「学力をつけるプロである」という認識の重要性についての話ですが、それはそのまま学習塾で指導にあたっている私たち自身に当てはまることです。

 4月の新聞には、毎年のように、新卒の、若い教師の話として、「わたしはまだなんにもわかりませんが、子どもが大好きです。それから愛情があります。熱意があります。この気持ちで、やっていきたいと思います」というようなことばが載ります。これはこれでいいのですけれど、もう一人前の教師になったのですから、考えておいてほしいと思うことがあります。

 今話された三つは、人間が誰でももっているもので、教師特有のもの、それがあれば教師がやれる、というものではないということです。大人として子どもをかわいいと思うのは、ごく当たり前のこと。それから、どんな仕事をするにしても、熱意は必要です。ですから、愛情とか熱意とかは、ごく当たり前のこと。いい人であることも、当たり前のこと。教師という専門職の資格とは言えないことでしょう。教師は、やはり、学力をつける人、学力を養う技術をもった人です。教師はそのことを忘れないで、責任をしっかり負っていただきたいと思います。

 この記述を目にしたとき、ふとある記憶が筆者の脳裏をよぎりました。だいぶ前になりますが、学習塾の先生を始めて間もない若い女性に、「だいぶ慣れましたか」と何回か声をかけたことがありました。すると、決まって「子どもたちが、とってもかわいいです」という返事がかえってきました。筆者の期待していたのは、子どもがかわいいと思うかどうかではなく、指導の仕事・学習に関する反応でしたから、「授業は大丈夫だろうか」と心配になったものです。

 大村先生の書いておられるとおり、愛情や熱意の重要性は教育に限ったことではありません。学習指導においては、「必要条件」に過ぎないものです。やはり、指導のプロになろうと思うのなら、「学力をつける」ということに正面切って取り組まねばなりません。そういう自覚が彼女にあったのかどうか、今となってはわかりませんが、優秀なお子さんをお預かりする家庭学習研究社の指導担当者たるもの、全員が「学力をつけるプロ」をめざしていかなければならないと、改めて強く思う次第です。

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カテゴリー: 家庭学習研究社の理念, 教育者とは

ほんものの指導のプロとは ~その2~

2008 年 12 月 15 日 月曜日

 前回に引き続き、大村はま先生の文献の一部をご紹介し、私たちの考えを述べさせていただきます (若干簡略にしています)。

 「もっとよく考えなさい」「勉強しなさい」「きれいに書きなさい」などと、教師がこうなったらいいと願っていることを、「なさい」ということばをつけて子どもに言う、これは専門の教師としては、たいへん、みっともない気がします。その、「なになにしなさい」というのは、誰でも、みんな言えることばです。「なさい」「なさい」は子どもの周りに満ちています。ですから、そのことを自然にさせるように指導することを仕事にしている人、つまり教師が言うことばとしては、たいへん、らしくないと思うのです。そう安易に言わないで、子どもを自然にさせてしまう人、そういう人が教育の専門家らしい人だと思います。漢字なら漢字を一生忘れないように、一生使っていけるように身につけさせるのが、教師の仕事。子どもが忘れたということは、それほど子どもの心に深く刻むことができなかったということでしょう。忘れてはいけないことは、忘れられないようにする、たいへんなことですが、専門職の教師としての心構え・覚悟は、そこに置かなければと思います。

 私たちも、学習指導のプロの端くれとして、この指摘を真摯に受け止めなければなりません。「なさい」「なさい」は、私たち自身無意識に使いがちな言い回しですが、子どもたちは家庭を含め、何千何万回もこのことばを浴びせられています。子どもの自発的学びを支援する家庭学習研究社の指導担当者であればこそ、こうした命令のことばを使うのではなく、自然と子どもを望ましい取り組みに導いていけなければならないと、強く思います。

 大村先生のことばどおり、それはたいへんなことですが、やらされて勉強するのではなく、子どもが自発的に学ぶ態度を育成することこそ、公的立場、民間の立場に関わらず、学習指導において最も配慮し実践すべきことだと思います。それには、「どうすれば子どもに影響力のある先生になれるか」を絶えず自らに問い続けねばなりません。答えは人それぞれ違うでしょうが、この仕事をする以上、常にそのための努力をしながら指導にあたる必要があると思います。まして私たちがお預かりしているのは、高いレベルで学問を修めていく可能性の高い子どもたちです。そういう子どもたちにこそ、大人に言われて勉強するのではなく、自然に勉強に取り組む姿勢が求められているのですから。

※次回より、毎週月・水・金曜日に更新いたします。

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ほんものの指導のプロとは ~その1~

2008 年 12 月 12 日 金曜日

 大村はま先生(1906-2005)は、日本の国語教育関係者に大きな影響を与えた、素晴らしい先生です。その大村先生の著書「日本の教師に教えたいこと」には、私たちのような民間の立場で学習指導に関わる者にとっても大変参考になる記述がたくさん残されています。

 たとえば、「教師はあり合わせの力で授業をしてはいけない」ということを書かれています。おおよその内容は、次のようなものです(若干、文章を調整しています)。

 教師の仕事はこわいもので、あり合わせ、もち合わせの力でやっていても、やさしく、あたたかな気持ちで接していれば、結構、いい雰囲気をつくれるものです。子どもはもちろん、父母や同僚とも、いい関係をもっておけるものです。いい教師で過ごせるものです。そこがこわいところです。安易に流れず、なんとかすますのではなく、人を育てるほんとうの仕事を見つめ、畏(おそ)れながら力を尽くしたいと思います。端的に言えば、あり合わせの力で、授業をしないように、ということです。何事かを加えて教室に向かい、何事かを加えられて教室を出たいと思っています。教室をいきいきとさせるものは、そういうところから生まれてくると思います。

 毎年同じような内容を扱った授業をしていると、すっかり慣れてしまい、「今相対している子どもたちの学力を伸ばすのだ」という緊張感や使命感が知らず知らずのうちに希薄になるおそれがあります。たとえ、前の年と同じことを指導する場合でも、前の年に使ったノートやメモで済ませてしまうようなことは、絶対にしてはならないことです。

 入試にしても、指導する担当者にとっては毎年のことですが、これから受験に臨む子どもにとっては人生で初めての体験です。その子の人生を左右する受験ですから、一人ひとりに最善の結果がもたらされるよう常に全力を尽くして指導にあたるのが私たちの使命です。

 「私たちのほんとうの仕事を見つめ、畏れながら力を尽くす」――このような意識は、学校の先生だけでなく、学習塾で指導にあたる人間にとっても、またどのような仕事をする人間にとっても大切にすべきことだと強く感じた次第です。

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子どもの思考を活性化する授業

2008 年 12 月 11 日 木曜日

 随分以前から、「学校で授業をちゃんと聞ける子どもが減り、授業が成り立たない」などという話を耳にします。しかしながら、中学入試をめざしているお子さんは学習意欲も旺盛です。したがって、私たちの教室ではそういった心配はありません。ちょっとしたヒントを与えると、「あっ、そうか!」「わかった!」など、つぎつぎに反応してくれます。授業で扱う単元や内容が、子どもの興味を引くものであったときは大変盛り上がります。

 6年生の国語の授業でのことです。人物の行動の裏にある本当の気持ちに気づかせようと、子どもたちにつぎつぎと発問を繰り返しました。やや難しい内容でしたが、一人ひとりが食いつくような顔をして、一生懸命考えてくれました。すると、どうでしょう。授業終了のチャイムが鳴ったとき、子どもたちはいつもとは違う反応を示しました。「先生、今日の授業はあっという間に終わったね!」「休憩時間を使ってもいいから、続きをもっとやろうよ!」など、頬を紅潮させ、目を輝かせながらつぎつぎに言ってくれたのです。このときには、心底仕事冥利に尽きる思いをしたものでした。

 また、4年生の国語の授業ではこんなことがありました。扱う内容がやや難しすぎたのと、時間も少なくなったこともあって、こちらがポイントを説明しようとしたときのことです。突然、「ダメ! 言っちゃ、ダメ! 今、わかりかけているんだから!」と、ある女の子が猛烈に抗議をしてきたのです。この女の子は、どうしても自分で考えて納得したかったのでしょう。その一途な思いに圧倒され、思わず「ごめん、ごめん」と謝ったことを覚えています。4年生のときには、ごく普通の成績だったその女の子は、5年生、6年生と進むうちに成績を伸ばし、ついに第一志望校合格を果たしました。

 授業で心を集中させ、課題の核心に迫るべく思考を巡らせる。全員で同じ課題について考え、あれこれとやりとりをする。そして、他の子どもの発表にヒントを得たり、指導担当者のさりげない誘導でパッと新たな気づきを得たりする。どの教科においても、そういう授業が子どもの思考のステージを上げていくのだと思います。「これは大切だから覚えておきなさい」式の授業では、子どもに新たな気づきや感動を与えることはできません。毎回思い通りにいくわけではありませんが、私たちはこのような授業の実践を念頭に置き、日々の指導にあたっています。

 ※以上は、4年部から6年部前期の「基礎力養成期」の学習指導について述べたものです。

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週3日コースのクラス編成と授業  ~その2~

2008 年 12 月 10 日 水曜日

 各学年とも、同じ通学曜日のクラスが複数ある校舎では、年間を通じて数回程度クラス替えを行っています。クラスは、子どもたち一人ひとりの学習状況、すなわちその時点の成績を見て決定します。なお、4年部の開始時には塾での学力習得状況を示すデータがありませんので、「会員選抜試験」の成績を見てクラスを決定します。新規入会、途中入会のお子さんも、最初の配属クラスは「会員選抜試験」の成績で決定します。

 クラスを学力の状態に応じて編成したり、定期的にクラス替えを実施したりするのは、その時点におけるお子さんの学力に合わせ、授業の水準を最適化するためです。

  基礎の十分でないお子さんに、難度の高い課題を扱った授業はふさわしくありませんし、逆に、学習状況のよいお子さんに、もうわかっていることを教えたのでは授業の意味がありません。私たちは、子どもたちの今の学力を、さらにもう一段階引き上げる効果をもたらす授業こそ、最もふさわしいものだと考えています。そのために、学力の到達度を基準としたクラス編成をしているのだとご理解ください。

 また、小学生の子どもの学習状況は、短期間にめまぐるしく変わります。塾への通学と受験生活が軌道に乗ってくることで、見る見るうちに成績をあげてくるお子さんもいます。年間数回ものクラス替えを実施するのは、こうした事情もあってもことです。

 クラス替えは、子どもたちにとって大きな関心事であり、新規のクラスが掲示されるたびに、喜んだりがっかりしたりする様子を見かけます。「友だちと同じクラスでいたい」「慣れ親しんだ先生が、変わったらどうしよう」という不安もあるのでしょう。「クラス替え」を、子どもたちがよい刺激とし、発憤材料にしてがんばるようになることも、こうした制度のよいところかもしれません。

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