2009 年 2 月 10 日 のアーカイブ

園長先生の涙

2009 年 2 月 10 日 火曜日

 前回は、母親に反発する思春期の女の子を描いた児童文学作品の内容をご紹介しました。筆者は、この物語をもとに劇のシナリオを書いたことがあります。それがもとで、ちょっとしてできごとが起こりました。

 そのできごとが起こるまでの経緯を少しご説明します。何年か前、筆者はある国際的な教育運動に興味をもち、ファシリテーターの資格を得ようと思い立ちました。ファシリテーターという言葉を耳にされた人はおられませんか? 「講師」と解釈していただいてよいのですが、本来は「わかりやすくする人」という意味です。

 その教育運動のわが国における中心人物であり、マスターファシリテーターを務めていたのは東京の大学の先生でした(現在は、NPO法人化され、より組織化されています)。そこで、その先生が主催するワークショップに参加しました。これからご紹介する話は、そのワークショップでのできことです。ワークショップとは、特定の事柄に興味をもった人たちが、積極的に発言をしたり、行動したりしながら学びの目的を達成する、比較的少人数の集まりのことを言います。そのワークショップでも、参加者には自己表現をする機会が様々な形で与えられました。

 さて、次々に与えられるテーマを無我夢中でこなしているうちに、大詰めが近づいてきました。そして、まとめとしていくつかの班に分かれて劇を演じる課題が発表されました。テーマは例示されたものから選びます。筆者の所属する班では、「家族愛・家族の絆」をテーマに選びました。テーマが決まった瞬間、筆者にはある考えが閃きました。「そうだ、『銀の馬車』のストーリーを枕にして、劇をしたらどうか」と。

 そこで、僭越ながらシナリオを書く役を引き受け、翌日の本番に間に合わせようと一気に書き上げました。書き終えたら、夜中になっていました。なお、班のメンバーは、筆者以外は全員女性で、学校の先生、幼稚園の園長先生、ケースワーカー、主婦など、様々な地方から参加された、多様な立場の方々でした。

 そのなかに、姉妹の母親役にピッタリの雰囲気をもった女性がおられました。幼稚園の園長先生です。筆者の思惑どおり、全員一致でその人に決まりました。ケースワーカーの女性は、他が後込みしそうなおばあさん役を自ら引き受けてくださいました。無責任な父親役はというと、男性は筆者一人でしたので、自発的に(仕方なく?)引き受けました。こうして配役が決まると、全員が残された短い時間を意識し練習に没頭しました。

 ところが、思わぬ事態が生じました。母親役の女性が涙をボロボロ流し、セリフが声にならなくなったのです。心配しましたが、理由は本人が語ってくださいました。「この話の母親は、私そのものです。私には娘が二人おりますが、上の娘とはだんだん距離を感じるようになり、嫁いだ今もぎくしゃくした関係が続いています。きっと、『年上なんだからしっかりして』という思いが強すぎたんです。この物語の母親と同じです」――目頭をハンカチで拭いながら、そうおっしゃいました。

 わが子への愛情。それを伝えるのは、簡単そうで実は難しいことです。「うちの子は、わかってくれている」と思っても、常に言葉や態度で伝える必要があるのです。その努力をしているつもりの人でさえ、わが子と十分には分かり合えないもどかしさを感じることが多いものです。いったん離れた心と心をつなぎ合わせるには、時間も、互いの努力も、タイミングも必要で、実現するのは容易なことではありません。そういえば、ワークショップの運営に関わる人からも、その種の悩みをもつ人の困難さを教えられたことがあります。

 さて、本番では何もなかったかのように、全員で張り切って劇を演じました。演技者以外は、全員が観客であり、評価者です。みなさんからよい評価とアドバイスをいただいた瞬間、ホッと気が抜け、どっと疲労感が押し寄せてきたことを思い出します。

 あれから随分日がたちました。幼稚園の園長先生は、娘さんとの間に生じていた小さな亀裂を、うまく修復されたでしょうか。ワークショップで出会った人たちの、心の美しさが思い出されます。

 ワークショップでの体験は、筆者の人生におけるささやかな宝物となりました。そして、もう一つ、宝物に“おまけ”がありました。広島に帰ってから何日かたった頃、青森からリンゴの箱が届いたのです。「青森に知り合いはいないが」と、不審に思いながら差出人の名前を確認すると、何と劇で妹役を演じてくださった方から届けられたものでした。箱のなかには、「楽しかったです。ありがとう」のメッセージが添えられていました。
 

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カテゴリー: アドバイス, 子どもの発達, 子育てについて, 家庭での教育