2009 年 4 月 のアーカイブ

親と子は何のために一緒に暮らしているの?

2009 年 4 月 16 日 木曜日

 子育てとはままならぬものです。「何で言うことを聞いてくれないのか」と、癇癪を爆発させたくなることが、どなたも日に一度や二度はあるのではないでしょうか。小学生のうちは、まだ子どもに常識や行動規範、責任感なども十分には根づいておらず、「せめてこれぐらいは」と思うことさえ、ちゃんとできないことも少なくありません。そればかりか、無自覚・無頓着を絵に描いたような行動をとって親を嘆かせることさえあります。子育てとは、まさに我慢と辛抱の連続体のようなものです。

 まして、中学受験生の家庭となると、日常の見守りや世話だけでも大変なのに、そこへ「受験」という目標からくるストレスが加わります。「これでは到底合格はおぼつかない」と、途方に暮れる親御さんがおられても不思議ではありません。

 子育ての理想と現実のギャップに直面し、親としての仕事を辛いものに感じている親御さんはおられませんか? 慶應大学医学部講師(慶應病院小児科外来医長兼務)の渡辺久子先生の著書に、次のような記述がありました。子育てに対する親の心構えとして、参考になるのではないかと思います。

(前の部分を省略)親と子がともに生活する日々は限られているのです。親子はもともと別れるために一緒に生活しているのです。そこが夫婦と違うところです。

 親子が共に生活を楽しむことができるのは、わずか10年くらいでしょう。このこともはっきり認識しておくと良いのではないでしょうか。

 親子は長くて短い関係なのです。そう思えば、子どもとの一日一日の出会いが貴重なかけがえのないものに思われてくるのではないでしょうか。

 そして何よりも子どもの心と身体の発達成長の営みは、大自然の大きな原理にそって繰り広げられるのです。親はわが子をこういうふうに育てたいと思っても、神さまのように思い通りにすることはできません。親はわが子への愛情からいろいろやってやりたい気持ちにあふれているでしょうが、実際にできることはその子の成長を邪魔しないこと、そして可能な限り成長を守り支えてあげることでしょう。

 この記述を目にしたとき、筆者は真っ先に自分のことを思い起こしました。当時、愚息は中学生でしたから、「後何年一緒に生活できるのだろう」と、身の引き締まる思いをしたものです。また、「子どもの成長を邪魔しない」という言葉も、心にグサリときました。何かと口を出し、指図をしがちな自分にとって、まさに耳の痛い指摘でした。

 以来、親子間で小さなもめ事があっても、親の側は癇癪を爆発させないようになりました。それに比例して、子どもも変わったように思います。今春愚息は高校3年生。「あと1年足らずで、離ればなれになるのか」と思うと、残された日々の大切さが身にしみて感じられます。

 このブログをお読みいただいている方の多くは、小学生のおかあさんであろうと思います。「言わずもがな」のことですが、お子さんと過ごす毎日はすべてがかけがえのないものです。反抗にあって途方に暮れるもよし、がんばるわが子に微笑むもよし。そうしたやりとりのすべては、子育ての記録として脳裏に刻まれていくことでしょう。悔いの残らぬよう、子育てを丸ごと楽しんでくださいね。

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カテゴリー: 子育てについて

第一子、第二子それぞれの明暗

2009 年 4 月 13 日 月曜日

 あるとき、通学生のおかあさんから思わぬことを言われ、長子のよいところと、気になるところについて考えさせられることになりました。

 「先生、上の子はもうすぐ中学受験なんですが、とうとうがんばりきれないままに終わりそうです。何をやるにもシャキシャキしないというか、集中力に欠けるというか、やっている割に成果が出てきません。下の子は3年生ですが、こちらは何でも自分でさっさとやれる子で、全然手がかかりません。それに成績もずっといいんです。やっぱり、ほったらかしにしたからよかったんでしょうか」

 それを聞いて、「下のお子さんは、ほったらかしにされたんじゃなくて、二番目のお子さんということで親子の間合いがちょうどよくなったんじゃありませんか」とお答えしたことを覚えています。

 実際、その通りではないでしょうか。一人目の子どもは、親も勝手が分からず、たくさんの育児書を買い込んだり、人からアドバイスを得たりして研究し、必死に子どもを育てるものです。それが功を奏する例は少なくありません。落ち着きがあって、何にでもまじめに取り組み、おおらかで人当たりがよく、優等生・・・・・・こうした特徴は長子ならではのものです。

 ただし、今回ご紹介した例のように、今ひとつ覇気がなく、やることに主体性や情熱が感じられないお子さんも少なくありません。このような性格は学業においても弱点になり、足を引っ張りがちです。これは、おそらく親が手をかけすぎたのが逆効果を生み出したのでしょう。自分でものごとを判断したり、自分で最後までやり遂げたりする経験をもっとさせるべきだったのです。

 このことは、おかあさん方も十分に承知しておられることと思います。しかし、現実の子育て場面では、やはりわが子はかわいいですから、どうしてもあれこれ手を差しのべたり、指図してしまったりになりがちです。

 しかし、「かわいい子には旅をさせよ」という言葉もあります。かわいいからこそ親は子どもから一歩離れて見守る必要もあります。失敗を乗り越え、自分で這い上がる経験をしてこそ、子どもは自分に自信をもてるようになります。この自信が行動力や問題突破力につながるのは言うまでもありません。

 ところで、長子の育児で疲れた結果でしょうか。上の子が学力優秀で、入試でもこれ以上ないほどの結果を得たのに、下の子は何をしてもいい加減で自制心が足りず、学力がサッパリ伸びないということもよくある事例です。これなど、先ほどの例とは逆に、親はもっと手をかけてやるべきだったのだと思います。

 また、優等生の姉をもつ男の子の場合、自分に自信がなく、勉強にも勢いがないために学業で低迷するケースがままみられます。優秀なお姉さんを基準にされると、弟さんはかわいそうなものです。ただでさえ男の子は精神面の発達が女の子よりも遅いのですから、やることなすことが親には不十分に見えるものです。そうして、親から不満を言われたり、叱られたりした弟さんは、すっかり自信や覇気を失ってしまいます。

 自分の子育てがよかったのかどうかがわかるまでにはずいぶん時間がかかります。それだけに、「このままでいいのか」と不安になるものです。上記の事例が少しでも参考になれば幸いです。

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カテゴリー: アドバイス, 子育てについて, 家庭での教育

「授業」に託す私たちの思いとは

2009 年 4 月 10 日 金曜日

 「学習意欲」について研究している大学の先生の書物に、ちょっと考えさせられることが書いてありました。ご紹介してみましょう。

 その先生の研究室に所属する学生(大学院生)の多くは、中学受験の経験者でした。あるとき、「中学受験の勉強の思い出は?」と先生が彼らに尋ねたところ、概ね「暗記に明け暮れた」「一生懸命に何かを詰め込んでいった」というようなことを述べたそうです。ただし、もはやぼんやりとした記憶しか残っておらず、「おぼろな残像として残っている」といった程度のことだったのかもしれません。

 しかしながら、筆者はいささかショックと違和感を禁じ得ませんでした。小学生時代に「暗記学習」に明け暮れた学生が、「学習意欲」の研究をしているという皮肉に、笑えないものを感じたからです。また、彼らの中学受験の思い出は、とかく喧伝される中学受験のネガティブな側面そのものです。そういう経験をした学生が、果たして立派な研究者になれるのだろうかという疑問が湧いてきます。

 もしも、受験をめざした学習がその人間に手応えを与えてくれたり、喜びを感じさせてくれたりしたのなら、全く違った思い出が残っているはずです。彼らにとって、中学受験生活は進学のための「必要悪」でしかなかったのかと思うと、残念至極な思いに駆られてしまいます。

当社の経営者は、かつて次のようなことをしきりに述べていました。

 勉強で得た知識自体は、時間の経過ともに風化し記憶から消し去られる。しかし、私たちがどういう学力観に立ち、どういう授業をしたかは、子どもたちの心にいつまでも残る。もし、私たちが授業で勉強というものの面白さや奥深さに気づかせるような働きかけをしたなら、子どもは学んだ内容の細かなことは忘れても、私たちの授業を通じて培った『学力観』は脳の奥深くに残されるだろう。そして、この学力観が以後の学問への取り組みを決定づけることになるのだ。また、学問への造詣は、このような考えに立った授業を通じてこそ育つのではないか。

 これは、非常に大切なことを示唆している言葉だと思います。受験する子どもは、「合格」をめざして学ぶのは当然ですが、指導にあたる者や親は「どういう勉強を経て合格に到達すべきか」という視点を常にもち、勉強の軸がぶれないよう配慮する必要があります。受験への助走路は2~3年ですが、その期間の勉強の取り組みは後々までも影響してきます。

 たとえば、先ほどの学生たちが「中学受験の勉強は楽しかった」「勉強を好きになったのは、中学受験の勉強のおかげだ」などという印象をもっていたならどうでしょう。このほうが、研究者として大成する期待がもてるように思います。これをお読みになった方は、どう思われるでしょうか。

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カテゴリー: 中学受験, 家庭学習研究社の理念

“易しい”テキストが私たちの“優しさ”?

2009 年 4 月 8 日 水曜日

 家庭学習研究社のテキストにどんなイメージをおもちでしょうか。「広島の中学入試傾向に合わせてつくられている」「家庭学習研究社の会員だけが使っている」「基礎内容を中心に編集されていて、易しい問題が多い」などが、保護者などからよく受ける指摘です。

 なかには、「薄っぺらで簡単な問題ばかり」「あんなテキストでは受からない」など、手厳しい言い方をされる向きもあるようです。しかし、概ね前述の指摘は的を射ていると言って差し支えありません。

 「テキストをできるだけ易しくしたい」という方針は、1967年の創設以来変わることのない当社の信念です。なぜ「易しく」したいかというと、人間として完成途上にある小学生の受験は、できるだけ負担が少ないほうがよいと考えるからです。

 中学校課程の学習は、小学校課程の内容を土台にして成り立ちます。高校課程の学習は、中学校課程の内容を土台にして成り立ちます。ですから、その時期と年齢にふさわしい勉強をしていけば、やがては高い次元の学問にも対応できる学力は備わります。無理をさせる必要はないのです。

 また、難しすぎるテキスト、量的に多すぎるテキストだと、それをやりこなせる子どもの数は限られてしまいます。やりこなせない子どもは、おびただしい時間を勉強に割かねばならなくなります。その結果、生活面と成長に歪みが生じるおそれが出てきます。また、やっても理解できない、やり遂げられない受験勉強は、子どもの自信を奪ってしまうのではないでしょうか。

 ただし、広島の子どもたちの主要なターゲット校の入試が、難問中心であったなら、私たちの考えは説得力を失ってしまいます。入試問題が難しければ、それなりの対策をしなければなりません。幸いなことに、広島の国・私立中学校のほとんどは、基礎内容からの出題を中心とした入試を実施しています。ですから、上述のような方針に基づくテキストの学習で、十分に合格ができるのです。

 さらにつけ加えておきたいことがあります。勉強というものは、自分で計画を立て、自分で勉強の割り振りをし、自分でスケジュールを調整し、自分で取り組んでこそ、学んだことは血となり肉となるものです。そういう勉強を小学生に体験させておくことは、将来の伸びしろを育てることになります。何よりも自立した勉強を通じて、自分自身への信頼の気持ち(自己有能感)をもった人間を育てます。それが重要なことだと私たちは思うのです。

 中学校へ進学してからの勉強は、基本的には子どもが自分でやり遂げていかなければなりません。その段階になって問われるのは、自分で勉強を管理し、自分で勉強をしていく姿勢です。易しいテキストの学習を通じて、自分で勉強をやりこなす力を培っておけば、それが大きな武器になるのです。

 語ればまだまだ易しいテキストの効能はありますが、大まかには以上のようなことが言えるでしょう。子どもたちにとって重要なのは、人にどれだけ差をつけて受かるかではなく、無理せずに受かる学力をつけながら、先々の学習の発展に必要な構えを築いておくことです。

 市販のテキストには、残念ながらこうした私たちの望みを叶えてくれるものがありません。ですから、小さな学習塾ではありますが、人的にも経費的にもかなりの投資をして、納得のいくテキストを自ら制作しているのです。できるだけ易しい内容の学習で、合格にきっちり漕ぎつけられるテキストを編む。それはさじ加減が難しく、相当な蓄積ノウハウの求められる仕事です。しかし、それをめざすことによって私たちの学習塾の文化が形成されていくのです。

“易しい”テキストを真に使いこなし、確固たる学習方法や学習姿勢を身につけてほしい。おこがましいかもしれませんが、そのような願いに基づいて指導することが、前途ある子どもたちをお預かりする学習塾に求められる“優しさ”なのだと思っています。

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カテゴリー: 中学受験, 家庭学習研究社の特徴, 家庭学習研究社の理念

おかあさんの“ハツラツ子”育て講座 まもなく開講!

2009 年 4 月 7 日 火曜日

 3月3日の記事でご紹介しましたが、この4月13日(月)より、中国新聞情報文化センタークレドビル教室で、小学生のお子さんをおもちのおかあさんを対象とした講座を開講いたします。現在、かなりの数のおかあさん方にお申し込みいただいている模様です。直前まで受けつけますので、興味をおもちでしたらぜひお越しください。

 筆者は、20数年にわたり家庭学習研究社の広報業務に携わってきましたが、同時に、国語の学習指導担当者として学習指導の現場にも立ってきました。その仕事を通じて、たくさんのことを学びましたが、とりわけ心に強く刻みつけられたのが、「わが子に対する親の期待と愛情が、いかに大きいか」ということです。

 子どもたちと話していると、家庭での様子がいろいろわかります。面談をしたり、勉強のアドバイスをしたりする度に、たくさんのことを子どもたちから学びました。親御さんの愛情深く適切なサポートに感心したことも少なくありません。それらのなかには、「機会があったら、他のご家庭にも参考にしていただこう」と思うような話も多々あります。また、保護者面談や学習相談という形で、たくさんのおとうさんやおかあさんとお話ししましたが、そうした経験を通じて得たノウハウや知見を、これから中学受験に臨むご家庭にお伝えできればと考えております。

 中学受験の主人公は、人間として完成途上の小学生です。まだ、先を読んで行動したり、現状を冷静に振り返ったりすることができず、自分だけの力でしっかりとした勉強はできないことが多いものです。それだけに、周囲の大人の配慮やサポートは欠かせません。わけても、おかあさんはお子さんと接する時間が多く、ご苦労も多いものです。

 この講座を通じて、子育ての最中にあるおかあさん方に確かな指針をご提供できればと思っております。人間が集まる場所では、元気ややる気がもらえるものです。楽しい集まりにすることで、そうした面においてもお役に立てばうれしく思います。 

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カテゴリー: 行事のお知らせ