2009 年 7 月 のアーカイブ

教室の外から見る塾の風景

2009 年 7 月 13 日 月曜日

 言うまでもありませんが、学習塾の授業は夕方から夜にかけて行われます。学校が引けた後、子どもたちはいったん家に帰って支度し、それから塾にやってきます。ですから、授業開始は4時、5時というわけにはいきません。当社の場合、いずれの学年も平日は5時50分から授業を始めています。授業の終了は、4年生が7時35分、5・6年生が8時半です。

 ただし、受験への意識が高まる6年生になると、半数以上の子どもたちは授業が終わってもすぐには家に帰らず、残って勉強をするようになります。自主的に、居残りをして補習を受けているのです。大抵は、不得意教科の補強のためですが、辛そうな表情を浮かべるお子さんは皆無と言ってもよいほどです。みんなで和気藹々(あいあい)と、楽しそうに勉強をしています。

 実際のところ、補習を受けて辛いのは子どもたちではないのかもしれません。むしろ、わが子を迎えに来て、塾の建物の周りでじっと待っておられるおとうさんやおかあさんであろうと思います。指導担当者は、「やり終わったら、早く帰りなさい」と言うのですが、「もっとやりたい!」「友だちが終わるまで、他の問題をやっている」など、すぐには帰ろうとしないお子さんも少なくありません。

 秋の深まった寒い夜のこと、一人のおとうさんが教室の灯りを見上げながら静かに立っておられました。おそらく、お子さんの補習が終わるのを待っておられるのでしょう。「大変ですね。お疲れさまです」と声をおかけしたのがきっかけで、少しお話をすることになりました。

 何でも、娘さんの塾がある日には、おとうさんは仕事を終える時間を遅くし、家に帰らず直接娘さんを迎えに来ておられるとのこと。娘さんが補習を受けておられた場合、終わるのは平均して9時半くらいですから、その夜もお腹を空かせ、ふるえながら娘さんの補習が終わるのを待っておられたのです。

 軽く挨拶をしてその場を離れるとき、心から「おとうさんのご苦労が報われますように」と、お祈りしたものでした。

 筆者が見たのは、家庭学習研究社の校舎はもとより、中学受験生を預かるすべての学習塾で延々と繰り返されている日常的風景です。おびただしい数のおとうさんおかあさんが、わが子の合格を夢見て、一生懸命にサポートしておられるのですね。

 また、こんなおとうさんもおられました。娘さんが大きくなるにつれ、共通の話題が少なくなっていき、親子の距離感を感じるようになったそうです。おとうさんはそのことを憂慮し、「どうしたものか」と、密かに思案しておられました。ところが、娘さんが中学受験をめざすことになってから、その悩みが一気に解決したそうです。

 受験という目標ができたことがきっかけで、再び親子の会話が自然な形で蘇ったのです。受験が迫ってきた6年生の秋頃からは、塾を終えた娘さんを迎えに行くのがおとうさんの役割になったそうです。おそらく、そのおとうさんにとっては、帰りに車の中で娘さんと話をする時間がとても貴重なものであったろうと思います。

 このおとうさんの娘さんも、先ほどご紹介したおとうさんの娘さんも、入試では見事第一志望校に合格されました。きっと、優しいおとうさんがたは、娘さんにプレッシャーをかけるようなことは一度もされなかったことでしょう。

 わが子の入試は、親業を見直すきっかけになるという話をよく耳にします。親子共通の夢をもったことから、親もわが子に対する期待というものを問い直し、少なからぬエネルギーを使って受験のサポートをすることになります。このような体験が、親としての成長にもつながるのだと思います。 

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夏休みを子どもの成長の契機にする  ~その3~

2009 年 7 月 9 日 木曜日

 このところ、6月27日に西区民文化センターで実施した、「夏のおかあさんセミナー」の内容をご紹介しています。今回は、「夏休みならではの、親子いっしょの時間を活かす」ための三つの提案のうち、三つ目について書いてみます。

 三つ目の提案は、「夏休みを、子どもを読書の楽しい世界へいざなう契機にする」という内容です。

 小学生の子どもが、黙読によって一人で読書を楽しめるようになるのはいつ頃でしょうか。一般的には、小学校2年生の秋から3年生にかけてだと言われています。ただし、音読も含め、とにかく本を子どもが自分で読めるようになるのはいつごろかということであれば、答えは変わってきます。おそらく、1年生の夏休みの時点であれば、ほぼ全員のお子さんが読書のできる段階に入っていると言えるでしょう。絵本のような本なら、幼稚園児のころから楽しんでいるお子さんも少なくないと思います。

 では、とにかくどのお子さんも読書をしさえすれば、読書が授けてくれる恩恵に浴することができるのでしょうか。私たちがお伝えしたかったのは、そこのところの疑問を出発点とした話でした。実は、読書をしてもあまり読みの力の向上につながらないお子さんが結構いるものです。実際、筆者も「うちの子は読書が好きで、いつも本を読んでいるのに、国語の成績がよくありません」と、読書が読みの力の向上につながらないことへの相談をこれまでたくさん受けてきました。

 読書をするのに国語力がつかないのは、話の筋立てや挿し絵ばかりに気を奪われ、本当の意味での読書をしていないからだと思われます。では、本当の読書ができる子どもにする方法はあるのでしょうか。

 私たちは、「小学校の4、5年生までは、読書と並行して『読み聞かせ』をすることが大切だ」と思っています。なぜ「読み聞かせ」かというと、読み聞かせをすると、子どもが本に描かれている表現の一つひとつを大切にして読む姿勢が身につくからです。

 本は、結末を知るために読むものではありません。ストーリーをただ楽しむだけでもよいと考える人もおられるでしょうが、それではもったいないように思います。本には、途中のあらゆる場面や部分に作者の意図が仕掛けられています。それに気づいて読むか、何も考えずに字面を追っていくかによって、本から得るものは随分違ってくると思います。2009_07_09

 もう一つ。中学受験の国語の問題では、まさにこの作者の仕掛けている意図を読み解くことが求められるのです。その領域へと、自然に読みのレベルをあげていくには、本当の読書を楽しむ体験を数多くしておくことが必要でしょう。途中のちょっとした表現の面白さを楽しんだり、何気なく示された伏線に気づいたりするようになっておけば、読書の幅は広がるし、読みのレベルもずっと深まるに違いありません。

 この夏、お子さんに「読み聞かせ」をしてみませんか? 親子いっしょに読書を楽しむ経験をしてみませんか? これが、私たちの提案したかったことです。

 「読み聞かせ」は、多くの家庭で試みておられます。しかし、大抵は子どもが1~2年生のころで終わってしまうようです。もっともっと読み聞かせをしてよいのではないでしょうか。欧米では、「読み聞かせに卒業の年齢はない」と言われています。自分で読書を楽しめるようになってからも、おかあさんの読み聞かせは格別に楽しいもの。そういう体験をしながら成長していくことは、子どもの読みの能力の向上だけでなく、人間性を育てる意味においても大いに価値のあることだと思います。

 あなたもこの夏休みには、もう一度読み聞かせにチャレンジしてみませんか?

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カテゴリー: 子育てについて, 家庭での教育, 行事レポート

夏休みを子どもの成長の契機にする  ~その2~

2009 年 7 月 6 日 月曜日

 次は、「子どもに接する態度を工夫して、子どもの“考える力”を伸ばす」という、二番目の提案について書いてみます。

「考える力」というとやや語弊があるかもしれません。ここでは、「よく考えながら話す姿勢を、いかにして子どもに身につけさせるか」ということに的を絞ってお話ししました。これは、一つ目の提案と話の内容をリンクさせかったためでもあります。

 子どもの話す様子を見ていると、思いつくまま、相手構わず一方的に話していることが多いものです。これでは、複雑な事柄を思慮深く考え、理路整然とわかりやすく相手に伝える力はなかなか身につかないことでしょう。どうしたものでしょうか。

 これに対する対処方法は、おかあさんが子どもの話に耳を傾け、共感の気持ちで聴いてやるということであろうと思います。大人は、毎日忙しく働いています。一方、子どもは親の様子にお構いなく話しかけてきます。まさに、“話したいときが話すとき”といったありさまです。相手の状況に斟酌する姿勢はまだ身についていないのです。そこで、つい親は「今忙しいの!」とか、「後で」などと面倒がったり、適当にあしらってしまったりすることが多いものです。

 しかしながら、これでは子どもの知的能力は育ちません。おかあさんが子どもの話をちゃんと聴いてやらなければ、子どもは会話の際にちゃんとした聴き方ができるようになるはずがありません。人の話をちゃんと聴く姿勢をもたない子どもが、学校の授業で成果をあげることができないのは当然のことと言えるでしょう。ですから、ここも基本はおかあさんが手本を示すことに尽きるでしょう。

 おかあさんがお子さんの話したい気持ちを尊重し、ていねいに応じたならどうでしょう。子どもは当然おかあさんの言葉にも耳を傾けるようになっていきます。そして、落ち着いて相手によくわかるように話す態度も、少しずつ身につけていくのではないでしょうか。

 無論、おかあさんのように上手に滑らかに話すことはできません。しかし、「ちゃんと話したい」という気持ちは十分にもっています。おかあさんがそんな子どもの気持ちを理解し、子どもの言い間違いや言葉足らずな言い方に対して咎め立てせず、「子どもは何を自分に伝えようと思っていたのか」を汲み取って応じてやったなら、それは必ずお子さんの心に大きな作用をもたらします。

 ここで、仮に親子の会話が不十分なまま、子どもが小学生時代を終えたときのことを考えてみましょう。子どもが会話の楽しさを知らないで思春期を迎えたなら・・・・・・。親子の会話は、ついにはほとんどなくなってしまうのではないでしょうか。ただでさえ子どもの心は親から離れていく年齢です。このときになって親が話しかけてももはや後の祭り。
「何かあったの?」
「別に・・・・・・」
「どこへ行ってたの?」
「外・・・・・・」
といった具合です。こんな事態は、親として受け入れがたいことですね。

 「親が自分の話を一生懸命に聴いてくれる」「おかあさんは、自分の気持ちをよくわかってくれている」――このことは、小学生の子どもにとって例えようもないほどの喜びと安心の気持ちを生み出します。それは、親への信頼と尊敬につながるに相違ありません。また、子どもが得た安心の気持ちは、物事に興味・関心をもつ心のゆとりと無関係ではありません。このゆとりが、ものを知るということへの意欲と行動力を高めることへと発展していきます。親が、わが子との対話を大切にすることで、すばらしいプラスの連鎖が起きるのです。

 子どもが小学生のうちは、親次第でどのようにでも変わります。しかし、それも後何年も続くわけではありません。この夏休みをきっかけに、会話を中心に親子の向き合い方を見直してみてはどうでしょうか。子どもの知性開花に向けた、確かな道筋が見えてくるかもしれません。

 

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夏休みを子どもの成長の契機にする  ~その1~

2009 年 7 月 2 日 木曜日

夏のおかあさんセミナー
おかあさんセミナーの様子(編集部よりぼかしを入れさせていただきました)

 6月27日(土)、西区民文化センターで「夏のおかあさんセミナー」という行事を実施しました。本日は、そこでの内容をもとに、この夏休みの活かし方についていくつかのご提案をさせていただこうと思います。

 おかあさんセミナーは、小学校低~中学年のお子さんの母親を対象としましたが、内容は小学生をおもちの親御さんすべてに参考にしていただけるものだと思います。興味をおもちになったら、ぜひこの後も読んでみてください。

 まずは、「夏休みならではの、親子いっしょの時間を活かす」というテーマで、かなり時間をとって三つの提案をさせていただきました。

  1. 1.会話によって、子どもの“コミュニケーション能力”の発達を促す。
  2. 2.子どもに接する態度を工夫して、子どもの“考える力”を伸ばす。
  3. 3.夏休みを、子どもを読書の楽しい世界へいざなう契機にする。

 まず、「会話によって、子どもの“コミュニケーション能力”の発達を促す」について。子どもの知的能力の土台は、家庭での会話の繰り返しのなかでつくられています。“モデリング”という心理学用語がありますが、子どもは親、特におかあさんが日常使っている言葉を聞きながら、それを真似て言葉のレパートリーを増やしたり、使用方法を学んだりしています。

 そうやって身につけた言葉が、学校という公式の教育の場で使われる言葉に近ければ、また、活字による勉強に適したものであれば、子どもは違和感なく、そして支障なく学ぶことができるでしょう。第三者のいない、家庭という環境においては、ともすれば言葉の重要性が意識から薄れがちです。「早く!」「ほら、あれ!」「ご飯よ!」「えっ、まだなの?」「もうすぐ」「えーと、きのうのヤツ」などの一言でやりとりすることも少なくありません。

 しかしながら、それが子どもの言葉を貧困にしているケースが多いのです。誰が聞いてもちゃんと理解できる、理路整然とした話し方がわが子に身につくよう配慮しておられるでしょうか。家庭内のコミュニケーションにおいては、お互いの気心が知れているうえ、状況を共有しています。すべてを言わずとも、意志疎通ができてしまいます。そこで、言いたいことを順序立てて相手に伝えようとする姿勢がなかなか備わりません。

 セミナーでは、家庭での会話状況について7つのチェックポイントを掲げ、現状を振り返ってみていただきました。また、言葉の使用状況が、学力形成面においていかに大きな影響を及ぼすかかについて、実例を挙げてご説明しました。

 先ほども書きましたように、家庭内での言葉のやりとりは親密な者同士で行われます。どうしても、感情混じりの言葉になるし、気づかぬうちに省略形が多用されることになりがちです。このような言葉は、言わば「インフォーマルな言葉」です。それに対して、学校など、家族以外のたくさんの人たちとやりとりする言葉は、「フォーマルな言葉」と言ってよいでしょう。フォーマルな言葉の使用においては、暗黙の了解は通じません。また、感情が出過ぎるのも好ましくありません。相手や周囲の人にわかるよう、ていねいかつ順序よく話すことが求められます。

 テストなどでは、そこに書かれている情報だけを頼りにして書かれている内容をイメージに起こす必要があります。また、解答を書くときには、誰が読んでも納得してもらえるような書き方をしなければなりません。それは、フォーマルな言葉を身につけていてこそできることです。小学校に入学後、勉強面で成果があがらず苦しむお子さんの話を耳にしますが、このフォーマルな言葉が身についていないことも原因の一つだと言われています。

 夏休みには、お子さんが家庭で過ごす時間がたっぷりとあります。親子の会話のありかたを見つめ直す契機にしていただければ幸いです。

 なお、家庭内の言葉のやりとりにおいて、省略形が用いられること自体は、悪いことではありません。ですから、そういう言い方をすべて否定する必要はありません。フォーマルな表現との使い分けがしっかりとできるよう配慮しておられればよいのではないでしょうか。

 

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