2009 年 8 月 のアーカイブ

子どもとの会話を、楽しい時間にする秘訣は?

2009 年 8 月 31 日 月曜日

  いつだったか、「子どもとの会話の際、親がどんなことを言っているか」に関する調査結果を見たことがあります。たしか、「注意・叱責」「指示・命令」「尋問」が多かったと記憶しています。そのつもりではなかったのに、いざ口をついて出てくるのは注意や指示ばかり。それも忙しい生活を送る親にとってやむを得ないことかもしれませんが、子どもにしてみれば楽しいはずがありません。

「宿題、全部やったの?」
「後かたづけぐらい、きちんとやりなさい!」
「勉強部屋、大変なことになっているわよ!」
「最近、テレビ見過ぎよ!」
「ちゃんと、歯を磨いた?」
――こうした言葉は、話が展開していかないので「閉じる会話」と言われています。子どもが嫌な気持ちになるうえ、返事をしたらそれでおしまい。せっかくの親子いっしょの時間が台無しです。

「閉じる会話」に対して、「開く会話」と呼ばれているものがあります。話が発展していき、互いに楽しい時間を共有できる会話です。「あれ、今日は表情が活き活きしているね。今日、学校で何かいいことあったの?」と、わが子に話しかける。こういう調子なら、話しかけられたお子さんも素直に今日のできごとについて話してくれるでしょう。あとは自然に会話が弾んでいきます。

 閉じる会話と、開く会話。その違いは、「話し方のスタイル」もさることながら、相手への思いやりや共感の気持ちが重要な役割を果たしているように思います。親は、無意識に子どもを期待通りに動かそうとするものす。そこでつい指示や尋問の言葉が先に立ってしまうのですが、子どもの気持ちに向き合って耳を傾けることも忘れないようにしたいものです。そうした親の姿勢が子どもに伝わり、相手を大切に思い、相手の言うことに誠実に耳を傾ける姿勢を育てることになるからです。

美徳のサンドウィッチ「でも、やっぱり注意したいことがある。どうすればいいの?」という方もおありでしょう。筆者がファシリテーターの資格を取得した「ヴァーチューズ・プロジェクト」(アメリカから世界に広まった教育運動)に、「美徳のサンドイッチ」という手法があります。ここで簡単にご説明してみましょう。

 子どもに注意を与えるとき、いきなり切り出さず、まずは子どもの長所をほめるのです。それから、親として言いたいことを言う。そして、それで終わってしまわず、最後に何らかの感謝の言葉を述べて締めくくるのです。たとえば、

「学校の支度を前の晩にできるようになったね。おかあさん、感心したよ」
                            ↓
「ただ、夜遊んだあとの後かたづけができていないのが残念だね。部屋はきれいな方が気持ちよく眠れるよね」
                            ↓
「それとね、いつも弟の遊び相手をしてくれてありがとう。おかあさんが忙しいときには本当に助かるよ」

 似たような話があります。長年教育現場におられた先生の言葉ですが、次のようなものです。

 生徒に、どうしても注意しなければならないときがある。しかし、人から注意されると誰でも素直になれないものだ。したがって、注意する者は、相手を思う気持ち・相手の立場を尊重する気持ちをすべてにおいて優先すべきである。

 具体的には、サンドイッチ法というやり方を使う。これは、「ほめて、けなして、ほめる」という方法である。「ほめる」とは、生徒におもねったり、おだてたりすることではない。心からそう思っていることを話すのでないと、生徒の心には響かないものだ。

 また、「ほめて、けなす」「けなして、ほめる」も聞く方にとっては素直になりにくい」

 叱られて当然のことをしたから叱る。看過できない行為をしたからからには、厳しく罰するのは当たり前だ。それで万事納まればいいのですが、人間には感情があります。叱られた側が感情的になってしまうと、結果として親の働きかけは意味をなさなくなってしまいます。わが子が相手でも、いやわが子が相手だからこそ、子どもの気持ちを尊重し、子どもと向き合って話す必要があるのではないでしょうか。そうした親の愛情深い心遣いが、子どもの心を開き、成長を引き出すことになるのですから。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: 子育てについて, 家庭学習研究社の特徴

子どもの家庭勉強を活性化するための「おかあさん塾」を開講!

2009 年 8 月 28 日 金曜日

20090828 中学受験対策の勉強を始めたものの、いまだに子どもの取り組みがシャキッとせず、イライラし始めた親御さんはおられませんか? まだまだ中学入試に対して実感がもてないのが4年生や5年生のお子さんです。今はまだ、中学受験に対する目標意識よりも、考えて課題の突破口を見つけたり、学習課題に内在する面白さに惹かれたりすることのほうが学習の牽引力になるものです。焦らず、上手にお子さんをバックアップしてあげていただきたいと思います。

 前のコラムでお伝えしたとおり、基礎を身につけているということは、入試においては大変重要なことです。まだ入試への逼迫感のない今のうちにこそ、コツコツと基礎を固める勉強を積み上げておきたいものです。

 ただし、前述のように、先を見通し今のありかたを考えて行動することができないのが小学生です。目先の手軽な遊びや楽しみに流されてしまい、やるべきことがなかなかできないこともあるのではないかと思います。

 そんなわが子を見て、もどかしい思いをしたり、苛立ったりしておられるおとうさんおかあさんもおられることでしょう。子どもたちの家庭勉強が、4・5年生のうちにしっかりとしたなら、入試への見通しは随分明るくなってきます。それには、家庭と塾とが連携を強め、子どもたちの自律的な勉強が成り立つようバック・アップする必要があります。家庭学習研究社では、そのための方策の具体化に鋭意努めてまいります。

 そこで、試みとしてではありますが、このたび五日市校で4・5年生お子さんをおもちのおかあさんを対象に、子どもの学習意欲の増強と自立勉強の促進を目的とする「おかあさん塾」のようなものを企画しています。もうじきその内容が正式に決まりますので、その段階で再度詳しくご紹介いたします。

 なお、この催しは合計3回実施し、各回の内容は異なります。弊社会員の方でなくとも参加していただけます。実施日程等をご確認のうえ、興味をおもちになったなら是非参加してみてください。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: 中学受験, 家庭学習研究社の特徴, 家庭学習研究社の理念, 行事のお知らせ

明日から「後期講座」が開講します

2009 年 8 月 28 日 金曜日

 明日、8月29日から「後期講座」が開講します。小学6年生の子どもたちにとって、入試まで残された期間は、あと5ヶ月を切りました。

 毎年のことですが、6年生の秋を迎えてやっと目の色を変え始め、受験勉強らしい取り組みを始めるお子さんがいます。それを見て、「ああ、こういう勉強をせめてもう半年早くから始めてくれていれば・・・・・・」とため息をつく親御さんがおられますが、それでもまだ数カ月残されているのですからあきらめるには及びません。ここからすばらしい勢いで追い込みを決め、見事第一志望校合格を手にする子どもだっているのです。

 ノンビリしているように見えたり、勉強に身が入っていないように感じられたりしたお子さんが、案外基礎内容の勉強を身につけていることもあるものです。土台がある程度しっかりとしていれば、気合いが入って集中力が格段に増した今からの勉強においては、やればやっただけの成果をあげてぐんぐん伸びていっても不思議ではありません。おとうさんおかあさんにおかれては、これまでわが子のやってきたことを信じて応援してあげていただきたいと存じます。

 私たち指導担当者も全員が最後まで希望を失わず、今からできる精一杯のがんばりを発揮するよう、全力で指導にあたってまいります。よろしくお願い申し上げます。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: ごあいさつ, 中学受験

知性の座である“前頭前野”の衰退が始まっている!?

2009 年 8 月 24 日 月曜日

 ある日の朝のバス停でのことです。バスを待って立っていたおばあさんが、バスに乗り込もうとしたとき、今バス停に着いたばかりの女性が遮ってステップに立ちました。

 筆者はたまらず、その女性に向かって「先に待っていた方を入れてあげてください」と注意しました。こういう場合、無視されたり、にらみ返されたりすることが多いのですが、その日の女性はうなずいて従ってくれ、ホッとしました。

 広島市郊外とは言え、近所付き合いがまだ色濃く残っている地域のことです。町中と違い、先にバスを待って立っていた人を優先するというのが暗黙のルールです。しかしながら、最近ではこうしたルールが通用しなくなりつつあります。

 いつだったか、筆者が同じバス停でバスに乗ろうとしたとき、息せき切って駆けつけた若い男性が斜めから体を差し込み、先に入っていきました。「おい、そりゃないだろ?」と言いましたが、無視してその若者は空いている席に座りました。

 そこで、改めてその若者に「ちゃんとルールを守ろう」と言ったところ、いきなり大声で「何だ、おまえが座りたいんだろ! 座らせてやらあ!」と、わめき始めました。もはや、引き下がるわけにはいきません。なるべく小声でやりとりしながら、後部の二人がけの席が空いたとき、「あそこで話をしよう」と若者に伝えました。若者が応じたので、どうやって説得しようかと考えながら移動しました。

 しかし、そのときすでに若者は啖呵を切ったときの勢いを失っていました。隣りに座るなり、「さっきは引っ込みがつかなくて・・・・・・」と、もはや青菜に塩の状態です。実は、注意をした直後のやりとりの段階で、運転手さんには「喧嘩するなら降りろ」と言われました。筆者は「ルール無視」の若者を注意していたのですから、納まらぬ思いを禁じ得ませんでした。

 シャレオの地下街でもイヤな思いをしました。煙草を吸いながら歩く若者を見かね、「ここは禁煙ですよ」と声をかけたところ、すごいことになりました。しばらくその若者は沈黙した後、ファイティングポーズをとって、「ウォ~~!!」とうなり声をあげたのです。感情が高まると、もはや近ごろの若者は言葉を失い、獣と化してしまうのでしょうか。「腹が立つのなら、ちゃんと言葉で言いなさい」と言ってやりたかったのですが、恐怖感もあってその場をそそくさと立ち去るしかありませんでした。

 有名な脳科学者は、「近ごろは、知性の座である人間の前頭前野が退化しつつある」というようなことを述べています。歩きながらものを食べ、食べ終わると平気で容器などをあたりに捨ててしまう若者、車内で平然と化粧をする若い女性などの例を挙げながら、「人間が長い歴史を通じて発達させてきた前頭前野が、近年は衰退しつつあるのではないか」と、指摘していました。その歴史の積み重ねが、徐々に崩れつつあるとしたら、心配になってしまいます。

 これをお読みになったかたは、わが子の教育についてどう思われるでしょうか。学力さえあれば、人生を有意義に過ごせるという考えの人はおられないと思います。むしろ、「人間として健全で、社会の役に立てる人間に育ってほしい」と願っておられるのではないでしょうか。その意味において、社会のルールをしっかりとわきまえた人間に育てることは、極めて重要なことだと思います。

 子どもが思春期以前であれば、親の側にまだまだ絶対的な権威があります。その段階にこそ、ルールの大切さを教えるべきではないでしょうか。毎日の家庭生活において、気持ちよく毎日を過ごすためのルールを作り、みんなでそれを守る。子どもがルールを破ったときには、その結果を受け止めさせる。社会に通用するコモンセンスをもった人間に育てることも、学力形成面と並行して親は目配りをしておきたいものです。

 ところで、先ほどの脳科学者の話には、悲しいオチがあります。何とその学者が、勤務先の大学の女子学生にセクハラをして検挙されてしまいました。前頭前野の第一線の研究者が、自らの欲望に負けてしまったとは! 優れた脳科学者のもつ知性の座も、動物としての本能の求めには勝てなかったということなのでしょうか。

 才能溢れる人間も、社会的に許されない行為に及ぶと、それまでに築いてきた立場やステイタス、信用を一瞬にして失ってしまいます。そのことは、この学者のケース以外にもたくさんの事例をご存知のことと思います。学力形成の前に、親が大切にしている規範を子どもに伝え、まっとうに生きることのできる人間に育てておきたいものですね。
 

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: 家庭での教育

親が水を向けた受験を、子ども自身のものにする

2009 年 8 月 20 日 木曜日

 前回書きましたように、小学生の子どもは、まだ自分の将来を展望したり、人生の道筋を見通したりするような思考ができません。学者の研究によると、将来に向けての目標が受験のモチベーションを支えるのは中学生になってからのことだそうです。

 したがって、身近な先例を目の当たりにしない限り、子どもから「中学を受験したい」と言い出すことはありません。東京などのような大都市なら、中学受験は一般に浸透し、子どもにもよく知られています。「受験したい」と、子どもの側から意思表示をするケースも数多くあることでしょう。しかし、広島では中学受験はそこまでポピュラーな存在ではありません。多くの場合、中学受験は親が子どもの教育について様々な検討を重ねたうえで決めているのが実状ではないでしょうか。

 つまり、子どもにとって中学受験は、準備学習のスタート時点においては「親から水を向けられたもの」です。親に「行ってみなさい」「塾に通うんだよ」などと言われて受験勉強が始まり、子どもは自らの意志に関わらず中学受験生になっていくのです。

 ただし、始めはさほど難しくなかった勉強も、最終的には大人ですら簡単には解けないほどの高いレベルへと進んでいきます。いつまでも受け身の気持ちでいたのでは、難しい問題をやりこなすことはできませんし、厳しい入試の関門を突破することはできません。

 そこで必要になってくるのは、中学受験を子ども自身のものへと切り替えること。すなわち、子どもにとって中学受験が当面の目標になり、受験する学校があこがれの存在になるよう導いていくことが求められてきます。そうなってこそ、子どもは自己を燃焼させるがごとくがんばり、ラストスパートで一気に合格圏へと突入できるのです。

 こうした流れをつくるために、まずもって大切にすべきこと。それは、子どもに勉強の楽しさや醍醐味をたくさん味わわせることだと私たちは考えています。自分の頭で考え、自力で解き明かしたときのうれしさは格別なものです。そういう喜びを数多く経験していくことで、子どもは勉強に対する真の能動性を獲得していきます。こうした指導を徹底させながら、機を見て上手に受験への動機づけをはかっていけばよいのです。そうすれば、子どもはいつの間にか「受験したい」「○○中学へ行きたい」という意識をもち、目の色を変えて勉強に打ち込むようになっていくのです。

 前回も書きましたが、こうした子どものゆっくりとした変化を見守るのは大人にとっては辛いことです。大人は子どもの現実と、入試まで残された日数、入学試験の水準などを見比べ、「このままでは合格はおぼつかないのではないか」などと心配してしまいます。しかしながら、ここでしびれを切らし、あれこれ指図して勉強させたり、ハードな勉強へと子どもを追い込んだりしたのでは、それまでの苦労は水の泡と化してしまいます。

 子どもが主役の中学受験。子どもの主体的勉強による入試突破。そのことの重要性については、これまで何度も書きました。それを実現するには、ここが辛抱のしどころなのですが、実は子どもの成長曲線の急激な変化が事態を打開してくれます。

 小学校の高学年は、精神面の成長が最も著しい時期にあたります。なかなか幼稚な面が抜け切れないでいるように見えたお子さんも、内面では大きな変化の準備を着実に進めているのです。それが表面にはっきりと出てくるのが6年生になってから。最高学年になり、新しいクラスが編成されると、不思議なくらい子どもの表情が変わってきます。体格面でも成長著しい時期にもあたるせいか、教室内の子どもの雰囲気が受験生らしくなり、ちょっぴり大人っぽくなってくるのです。

 6年生になると、テスト問題もレベルアップしていきます。指導担当者の提供する話題も入試に関わるものが増えていきます。それに応じて、子どもたちの言うことも変わっていきます。こうした諸々の変化が、子どもの受験に臨む意識を否が応でも高めるのです。

 中学受験生としての意識の定まった、この時点がいよいよ本当の意味での受験勉強の始まりかもしれません。子どもたちは、大人に言われ、指示されて勉強するのではなく、自分の行きたい中学校へのあこがれを胸に必死になって勉強し始めます。ここからの勉強は、密度や効果の点で、それまでの数倍にあたるもので、子どもたちは学ぶほどにすばらしい勢いで力をつけていきます。

「もっと早くから必死になってくれれば」と大人は思います。しかし、子どもにしてみれば、その気になるだけの条件が必要なのです。人生経験の浅い子どもたちにとっては、成熟期が訪れるまでの少しずつの体験の積み重ねは、目に見える効果は引き出してくれないものの、大きな意味をもっています。子どもの目の色が変わる日の訪れを信じて、焦らず、辛抱強く、愛情深く応援してあげてくださいね。
 

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: 中学受験, 勉強の仕方, 家庭での教育, 家庭学習研究社の特徴