2009 年 8 月 のアーカイブ

子どもの逃げ口上にどう対応するか

2009 年 8 月 12 日 水曜日

 わが子が中学受験をめざすようになると、家庭内の生活サイクルは一変し、子どもの中学受験を軸に動いていくようになります。テレビはつけっぱなしにしない、家のなかをなるべく落ち着いた雰囲気にする、塾への通学の送り迎えをする、食事の時間も子どもの塾通いに合わせてシフトするなど、おかあさんがたはそれまで以上に気遣いの多い毎日を送ることになります。

 しかしながら、そうしたおかあさんの配慮をよそに、子どもはなかなか「受験するのだ」という意識を高める気配を見せず、遊び感覚で塾に行ったり、無邪気そのものの生活を続けたりしていることが多いものです。小学生までの子どもは、まだ将来について構想したり、自分の進路を展望したりすることができません。そうした理由あってのことですが、塾通いが始まって何ヶ月も経ってくると、さすがにおかあさんも苛立ちを隠せなくなってきます。

  • 勉強の時間になったのに、いつまでもテレビを見ている。
  • 決めた勉強の時間がなかなか守れない。
  • 勉強をしていたはずなのに、いつの間にか他のことに気を取られている。

子どもの逃げ口上 これらは、わが子の勉強ぶりに対する親の不満として数多く寄せられているものです。どれも根は一緒であり、子どもの勉強に対する意識がまだ定まっておらず、「決めたことは意地になってでもやろう」という姿勢が育っていないことが原因であろうと思います。

 やるべきことを、なかなかやろうとしないわが子を見て、黙っていられないのが親というものです。そこで、堪りかねて注意することになるのですが、そんなとき子どもは決まって「今やろうとしていたのに!」と反発します。子どもも、一応はやろうと思っているのです。他のことにかまけているようで、実は「そろそろやらなくては」と、心の片隅で腰を上げるタイミングを見計らっています。ですから、親に機先を制されると、決まってこのセリフが飛び出してくるわけです。

 子どもがこのような逃げ口上を口にせず、率先して勉強に打ち込むようにするにはどうしたらよいか。これは、多くの家庭のおかあさんの悩みであろうと思います。筆者がここでたちまち問題を解決できる特効薬のようなものを提示できればよいのですが、多くの家庭に共通する問題というものは、子どもの年齢と成長度から必然的に生じる問題でもあり、残念ながらそう簡単には解決できません。

 ただし、この場面での対応として気をつけたいことがあります。それは、いきなり子どもを追い込むような注意のしかたは望ましくないということです。たとえば、「いったいいつまでテレビを見ているの!」とか、「勉強の計画を立てても、ちっとも守れないのね」とか、「あなたの、そのすぐ気が散る性格、何とかならないの!」などとやってしまうと、間違いなく子どもは反発します。そうなると、とてもすぐに勉強に取りかかることなどできなくなってしまいます。
「あれ? 勉強の時間になっているみたいだよ」「そのテレビ番組、よっぽど面白いんだね」「今塾でやっている勉強、難しい単元なのかな?」――たとえば、こんなふうに話しかけると、子どもも咎め立てされたわけではありませんから、素直に勉強に取りかかれるでしょう。中学受験の勉強を始めた以上、子どもだって「がんばらなければ」と思っています。大人が感情的にならずに上手に促せば、子どもは意外なほどサッと勉強に取り組み始めるものです。

 いずれにせよ、小学生の子どもが受験生らしくなるまでには長い助走が必要です。この段階を上手に乗り越えるには、大人の辛抱強い励ましや応援が欠かせません。親にとっては気遣いの多いもどかしい毎日が続きます。しかし、ひとたび子どもの学習が軌道に乗ったなら、無理やりやらせる勉強では到底実現できない、高いレベルの到達点が視野に入ってきます。

 こうした小学生の受験であるがゆえの前提を認識し、家庭と連携しながら子どもの自立勉強の達成を願って指導する。それが家庭学習研究社という学習塾です。「受験での合格は、自立に向かう勉強を通じて得てこそ意味をもつのだ」と考えるからです。こうした観点は、学習塾だけがもっていても意味がありません。家庭で子どもと生活をともにするおとうさんやおかあさんにも同様の観点から応援いただく必要があります。つまり、子どもを取り巻く環境のすべてが子どもに働きかける。そうした流れああってこそ実現できることです。

 大人は子どもの司令塔にならず、子ども主役の受験を影でサポートする。このもどかしいプロセスから、これまですばらしい取り組みのできる優秀なお子さんが数多く育ちました。ですから、「子どもの大いなる成長を願うなら、この方法以上のものはない」と確信しています。タイトルからちょっと外れた内容になってしまいましたが、家庭学習研究社の中学受験に対する考えをご理解いただけたなら幸いです。 

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カテゴリー: 中学受験, 子育てについて, 家庭での教育, 家庭学習研究社の理念

注意の言葉を子どもにどう伝えるか

2009 年 8 月 10 日 月曜日

 幼児や小学校低~中学年の子どもは、まだ規範意識も十分には育っておらず、自己中心的な行動をとるのが普通です。そのため、親の期待とは裏腹な行動に及びがちで、そのたびに親は対応を迫られることになります。
「うるさい!  静かにしなさい!」
「こら!そんなことをしちゃダメでしょ!」
「いいかげんにしなさい!」
――こんなふうに、声を荒げたくなることも少なくありません。

 しかしながら、子どもがいけないことをするたびに叱ったりくどくど注意したりしていると、やがてそれも効果を失ってしまいます。どうしたらよいのでしょうか。

 これについてヒントになる事例をご紹介しましょう。バスのなかで、子どもがあちこち動き回ったときの親の対応について、長年学校の教育現場に立っておられた先生の著書に、子どもに対する注意のしかたの事例が紹介されていました。

子どもへの注意のしかた A
親 「しっかり棒につかまっているんだよ」
子 「どうして?」
親 「つかまっていないと、ひっくり返っちゃうかもしれないよ」
子 「どうして?」
親 「もし、バスが急に止まったりすると、前に放り出されてしまうからね」

子どもへの注意のしかた B
親 「しっかりとつかまっていなさい」
子 「どうして?」
親 「しっかりとつかまっていなさいって!」
子 「どうして?」
親 「もう大きいんでしょ!」
子 「どうして?」
親 「私の言うことが聞けないの!?」

 両者の違いについて考えてみましょう。Aでは、子どもに対して「自分の行動のどこがいけないのか、言われたとおりにしないとどうなるのかを、子どもに筋道立てて考えさせる」よう親が導いています。親がこういう対応を一貫して継続すれば、やがて子どもは思慮深く考え、望ましい行動を自分で選択していける人間に成長することができるでしょう。

 一方、Bのような親の対応は、ただ命令への服従を強要し、従わなければ厳しく叱られるということを子どもに教えるだけです。これでは子どもは親の言うことを受け入れようとは思いません。その結果、子どもにしっかりとした行動規範・価値観がなかなか根づきませんし、親に対して歪んだ反発心をもった人間になるおそれも生じます。

 あなたはAとBのうち、どちらに近いでしょうか。おそらくは、どなたも理屈ではAの方が望ましいと思っておられます。また、Aのようにふるまおうとしておられます。しかし、思い通りに行動しないわが子を目の当たりにしたとき、多くの親は専制的にふるまっている自分に気づきます。そして、そんな自分に対して苛立ったり、落ち込んだりしておられるのではないでしょうか。

 実際、筆者が街やデパート、交通機関内等で見かけるおかあさんの対応に、Bのタイプがなんと多いことか。いつだったか、「あれ買って」とせがんで座り込むわが子を、大声で叱りとばすおかあさんを見たことがあります。人の目にさらされ、恥ずかしい思いをしておられるおかあさんのお気持ちは理解できますが、「あのような対応では、いつまで経っても子どもが分別をわきまえて行動できるようになはならいだろう」と思い、気分が塞いだものでした。

 子育ては、毎日の積み重ねです。そのプロセスで数限りない親子の会話が交わされることでしょう。子どもは親とのやりとり・会話を通じてたくさんのことを学んでいきます。親は自分の感情をコントロールし、子どもの分別を引き出すような接し方を心掛けたいものですね。

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カテゴリー: 子育てについて

「音読」の効能を考える

2009 年 8 月 6 日 木曜日

 かつてわが国の教育現場では、一斉音読や群読が小学校や中学校で盛んに行われていました。「読書(音読)百遍、意自ずから通ず」という考え方が基本にあったからです。第2次大戦後、次第に音読は省みられなくなり、最近まで音読は軽視され続けてきました。ところが、最近この音読が「読みの上達」「理解」という観点から、また、脳の活性化の観点などから再び見直されつつあります。そこで、今月は「音読」にスポットを当て、その効能について考えてみたいと思います。

 心理学の世界においては、文章を読むときに声に出して読む(音読)か、目で文章を追って読む(黙読)かでどのような違いがあるかについて、長年にわたって研究が行われています。たとえば、文章の理解や記憶などの点において音読と黙読ではどちらが有利であるかなどの研究があります。

音読と黙読の効果 (田中敏,1989)
対象学年 音読>黙読 音読=黙読 音読<黙読
小2~4年 12 13
小5年以降 13

 上記の研究は読んだ内容の記憶を比較したものですが、小学校の低~中学年では、どちらかというと音読の方が有効であるという結果が出ています。もっとも、1~2年生はまだ黙読が十分にはできませんから、「まずは音読をたっぷりと経験する」ということが大切でしょう。

 読んだ内容の記憶に関しては、アメリカの大学で大がかりな研究が行われています。単語を音読して覚えるのと、黙読によって覚えるのとを比較したものですが、結果は音読の方が34パーセントも多く覚えていたそうです。

 これは、筆者が外国語の同時通訳者からメールで教えていただいた話ですが、声に出して読む学習は、外国では大変重要視されており、週あたり何時間も音読が採り入れられているそうです。その同時通訳者の方自身、「毎朝、新聞は音読します。外国の要人との話において、新聞ネタは大いに必要なものですが、音読した方が頭により多くの情報が残ります」とおっしゃっていました。

 以上から、音読は黙読よりも読んだ内容の記憶と理解に有効であると言えるでしょう。ただし、音読をするときに気をつけるべきことがあります。読むという行為だけに集中力が奪われてしまうと、内容を理解・記憶する力は相対的に下がっていきます。「声に出して読む→内容を心に留める」といった流れを大切にして音読に励みたいものです。

 大人は、文字の連なりを目で見るとほぼ同時に著述内容を理解できます。視覚でとらえた文字情報を意味に変換する機能が脳の中に宿っているからです。しかしながら、文字を習い始めたばかりの子どもは、まだ文字という記号がコミュニケーションの手段として定着しておらず、文字列を意味に変換する態勢ができあがっていません。「つ・く・え・の・う・え」というように、文字一つひとつの音を確かめ、それらをつなぎながら、自分の知っている話し言葉と照合し、少しずつ意味を理解していきます。文字のつながりがまとまった意味をもち、それは自分の使っている話し言葉のどれにあたるのかを学びながら、子どもは視覚でとらえた文字情報を意味に変換する態勢を脳内で整えていくわけです。

 こうした文字学習→読みの態勢づくりの初期段階において、「音読」は不可欠な作業です。音声言語しか知らない子どもが、文字言語を習得する過程において、音声での言葉の照合なくして文字の連なりである書き言葉を習得することはできないからです。

 さて、小学校2年生の秋から冬にかけて、音読による読みの態勢づくりが一段落してきます。活字の連なりを目で追いながら意味を理解する(黙読)ようになります。黙読が可能になると、子どもは今までにも増して本を読むようになります。そうして、いつの間にか黙読によってたくさんの知識を得たり、仮の体験を楽しんだりできるようになっていきます。

 しかしながら、黙読ができるようになっても、音読は重要な学習であることに変わりはありません。音声というバイアスがかかると、読みのスピードは鈍りますが、それを敢えてしていくことで読みの絶対的スピードや正確性が個人の能力として定着していくのです。読みが速くて正確なお子さんは、学習の効率が上がります。したがって、小学校低~中学年における音読練習は、学力を高いレベルで伸ばしていくうえで、非常に重要なものだと言えるでしょう。今のうちに音読を大いに励行していただきたいと思います。

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カテゴリー: アドバイス, 勉強の仕方, 子どもの発達, 家庭での教育

目のもつ力に改めて驚く話

2009 年 8 月 3 日 月曜日

 ある中学生の話です(随分昔読んだ本の内容を思い出してご紹介します)。その中学生は、何らかの理由で親不孝にもぐれてしまいました。

 その日は、もはや警察の厄介にならざるを得ないことをしてしまい、おかあさんが警察に出向いて説諭を受け、やっと息子さんを家に連れて帰ることができました。そのときのおかあさんの心のうちは、もうここでご説明する必要もないほどであったろうと思います。

 さて、家に帰ったおかあさんは、「座りなさい」と言って息子さんを座らせ、応接セットのテーブルごしに向き合いました。親に合わせる顔のない息子さんは、黙ってただうつむいていました。

 すると、おかあさんは「顔を上げて、おかあさんの目を見なさい」と、静かに言いました。おそるおそる顔を上げ、おかあさんのほうを見ると、目には涙があふれていました。そして、両頬を伝ってポロ歩ポロと流れ落ちてきました。その涙を見た途端、息子さんはおかあさんの嘆きや悲しみ、そして自分に向けられた愛の深さを知ったのでした。

 その息子さんは、この一件を契機に、ガラリと変わりました。そして、勉学にも励むようになり、大人になってから、ある分野において広くその名を知られるほどの人になったそうです。

 このおかあさんは、何も口に出して言ったわけではありません。愚痴をこぼすわけでもなし、非難がましいことを言うわけでもなし。息子さんが目の当たりにしたのは、おかあさんの目と涙でした。この二つに込められたものが、刃(やいば)のように息子さんの心にグサリとつつき刺さったのではないでしょうか。

「目は口ほどにものを言う」という言葉がありますが、おかあさんのそれは子どもにとってそれ以上に強い発進力をもっています。

 今度は、筆者の体験をご紹介しましょう。あるとき、6年生の授業で「おかあさんは、成績にうるさい」という話題がもちあがりました。子どもたちにとって、切実な話題らしく、そのときは収拾がつかないくらいの騒ぎになりました。そのとき、悲鳴のような声をあげて「聞いてほしい!」と訴えてくる一人の少年がいました。

「この間のテストの結果が、すごく悪かったんだけど、素直におかあさんに見せたんです。そしたら、大喧嘩になってしまったんです」
「えっ、『こんな成績じゃ受からない』などと言われて、頭にきたのかい?」
「ううん、そうじゃなくて、じっと恨みがましい目でボクをにらみつけるから、『なんだよ、言いたいことがあるんだろ。どうせ~』といった感じで文句を言ったら、取っ組み合いになったんです。そのとき、ボクはおかあさんに回し蹴りを食らいました」

 それを聞いて、筆者は絶句しました。つい二、三日前、面談でそのおかあさんと話をしたばかりだったのです。
「うちでは、勉強のことで息子に一切口出しをしておりません。先生、うちの子ががんばるよう激励とお導きをお願いします」
確か、そうおっしゃったはずでした。美しく上品な、あのおかあさんが、息子さん相手に回し蹴りとは・・・・・・。

 しかし、よく考えてみれば、おかあさんはウソを言われたわけではありません。勉強に口出しをしたり、文句を言ったりしたのではなく、ただ息子さんを見つめただけだったのです。おそらく息子さんにとって、おかあさんの目は、言葉に出されるよりも遙かに訴える力をもっていたのでしょう。

 目には、万感の思いを伝える大きな力があります。ここぞというときは、お子さんを向き合い、互いに目を見て、たった一言いえばいいのではないでしょうか。子どもが残念な行為に及んだとき、叱りとばすよりも、眼をしっかり見据えて、「今回のこと、あなたらしくないわね」の一言で、十分すぎるほどお子さんはおかあさんの気持ちを理解し、自分の努力不足を後悔するのではないでしょうか。

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カテゴリー: 子育てについて