2009 年 12 月 のアーカイブ

早咲きの子ども、遅咲きの子ども

2009 年 12 月 10 日 木曜日

 人間の資質が花開くとき。それは一人ひとりみんな違います。そのことを親も十分にわかっているのですが、子どもがなかなか咲いてくれないと焦ってしまいます。そして、ついつい手出し口出しをしてしまいます。おたくではどうでしょうか。

 この点に関して、おとうさんおかあさんにお考えいただきたいことがあります。それは、能力開花のときがくるのを信じて、辛抱強く子どもを見守ってやることの大切さです。焦ってはいけません。わが子が親の期待に応え、おおいなる成長を遂げる日が訪れるのを信じ、愛情深く辛抱強く見守ってやろうではありませんか。

 著名な言語学者であり、幼児教育の専門家でもある外山滋比古氏の著作に次のような話がありました(紙面の都合で簡略にしています)。

 人間の場合、「早く花を咲かせたほうが有利だ」とみる人が少なくない。なるべく早く完成しつつある姿を見たほうが安心できるからであろう。しかし、小学生のうちには、まだ将来を予測するのは難しい。

 時期はまだ早春で、たいていの花は咲いていない。いち早く花を開くチューリップはいかにも優秀なように見える。親は有頂天になり、チューリップちゃんは神童のように錯覚される。そのとき、ダリアはまだ花どころの騒ぎではないけれども、もう咲いている花を見て不安になる。ダリアちゃんはノンビリしていても、親が焦る。「早く咲かなきゃダメじゃないの」と言って、せかしたりしかねない。

 放っておいても、ダリアは夏が来れば咲く。そうなっても、菊はまだ葉ばかりである。キクちゃんの周りは、これはもう花は咲かないものとあきらめてしまうかもしれない。「花が咲かないなら、堆肥にしてしまおう」という親が現れる。

 急いではいけないのである。花にはそれぞれ咲く季節があるように、人間も咲くときが違っている。厄介なのは花の季節は初めからわかっているのに、人間の開花はいつなのか、咲いてみなければわからない点である。

 それで昔の人は、“大器晩成”ということを考えた。チューリップでないからといって、絶望するのは早い。ダリアの季節になったのに咲かないといってあきらめるには及ばない。菊なら秋が来て初めて花をつける。いつかは咲くのだ。

 今の世の中は、大器晩成の考え方が薄い。教師も簡単に将来を見通したようなことを言う。
「キミのような人間が、○○になれるわけがない」
「キミの成績では○○への合格は無理だね」

 教師だけではない。親も同じような考えをもっている。うちの子どもはいつ大きな花を咲かせるかわからないのに、よその花を見て、遅れている、つまり、頭が悪い、能力がないとあきらめたり嘆いたりする。

 教育は一生に関わる。目先や、三年先、五年先のことだけを考えてはいけない。

 この話は、中学受験生の親にも参考になるでしょう。親は、子どもに対して大きな期待を寄せるものです。その期待の大きさゆえ、わが子の学習状況に満足する親はほとんどいません。まあまあの状況なら「もっと、がんばって!」、相当よくても「まだまだだわ」、今ひとつなら「情けない、ちゃんとできないの!」と、叱咤激励しかねません。どの親も、「もっと、もっと」と子どもをがんばらせ、少しでも早く花を咲かせるのを待ち望みます。まだ入会して間もない4年生の5月だというのに、「うちの子に見込みがないのなら、はっきりそう言ってください。無駄なお金は払いたくないので!」そんなことをおっしゃる保護者もおられました。

 いったい、いつくるのやら皆目わからないわが子の能力開花のとき。しかし、大器晩成を信じ、じっとそのときを待ってやる親の愛情あってこそ、子どもは持ち前の素質を花開かせることができるのではないでしょうか。少なくとも焦って子どもの才能の芽をつぶすより、親子の深い信頼関係を育む、この見守りの方が人間を何倍も幸せにするように思います。

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カテゴリー: アドバイス, 中学受験, 子育てについて

子どもが前向きさを失い始めたとき

2009 年 12 月 7 日 月曜日

 中学受験生をもつおかあさんから相談を受けるとき、必ずといってよいほど切り出される話題があります。それは、「がんばらないわが子に対して黙っていられなくなり、注意をしたら親子喧嘩になった」など、子どもの勉強がもとで生じるいざこざに関するものです。

 無論、大げさな喧嘩ではありません。親は、わが子に対して愛情や期待があるからこそ口を出すのであり、それは子どもも十分わかっています。以前このブログに書いたように、子どもは常に「がんばらなければ」と思っているのです。小学生までの子どもは、みんな「親の期待に応えたい」という気持ちを強くもっているのですから。

 それなのに、子どもは勉強を億劫がる気持ちに負けてしまいます。そして、「もう少し後」「もう少し後」と先延ばししているうちに、おかあさんが苛立って注意をしてくるのです。こんなとき、子どもは「今やろうと思っていたのに!」と、感情を爆発させます。そして、それをきっかけに親子喧嘩は始まります。

 子どもは、そもそも子どもであるがゆえに自己中心的です。自分の思いを上手に説明できないけれども、その一方で「親に自分の気持ちをわかってほしい」という手前勝手な願望をもっています。しかしながら、「今やろうと思っていたということを、理解してよ」と言っても無理というもの。ですから、この問題に関しては圧倒的に子どもの側に非があると言えるでしょう。とは言え、これをただ子どもに問題があるとして叱ったところで何の解決にもなりません。何しろ、子どもは「がんばろうと思っているのにがんばれない」のですから。

 親は、こういう問題が生じる根本の理由に目を向けるべきではないでしょうか。たとえば、なぜ子どもが勉強を億劫に思うようになったか、その理由に目を向けるべきでしょう。子どもは、普通4年生頃から自分の能力に疑いの目を向けるようになります。他者と自分を比較したり、自分というものを見つめる目が育ったりすることによるものです。それが、「自分はがんばってもよい成績がとれないのではないか」「親の期待には応えられないのではないか」というように、自分の能力に対する懐疑的な気持ちへと波及していき、目の前の課題に取り組もうとする意欲を蝕んでしまうことがあります。

 また、親がいつまでも子どものことに構い続け、口を挟んだり、手を差しのばしたりしたために、子どもの自立心が十分に育っていないということも考えられるでしょう。中学受験をめざしているようなお子さんは、平均レベルよりはずっと頭のよいお子さんです。自分でやるべきことぐらいわかっています。しかし、親が子離れしてくれないと、どうしても自分の行動に責任をもつようになれません。

 こうしたことが理由であった場合、状況を巻き直すのは容易ではありません。ですから、塾の指導担当者である私たちがアドバイスすることではないのかもしれません。

 しかし、一つだけ提案させていただきたいことがあります。それは、家族全員が生活習慣の自立をめざし、「自分のことは自分でやろう!」を合い言葉にして励まし合うことから家庭を前向きな雰囲気に染めていくということです。

 おとうさんが、何かとおかあさんを頼みにしていたことを自分でやろうとしたら、おかあさんがすかさずそれを大変喜び、感謝の言葉で表します。お子さんが、率先してやるべきことをしたときには、おとうさんもおかあさんもそれをおおいに喜んでやります。そうやって、家庭を前向きな雰囲気で包んでいくのです。そうすると、家族の信頼関係は以前よりもずっと強いものになると思います。自分のことは自分でする。家族のために、できることを自分で考えてする。

 それが当たり前になった家庭の子どもは、結果ではなく努力こそ価値のあるものだと思うようになるのではないでしょうか。そういう姿勢が見えてきたとき、親がまた、そのことを何よりも喜んでやる。そうやって、子どもの自立心と行動力を育てていくのです。

 大人であれ、子どもであれ、外の世界でがんばり続けて行くにはエネルギー補給が必要です。家庭がそのための大切な場所であるということを実感したなら、誰だって前向きさを取り戻すことができるのではないでしょうか。
 

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子どもを読書好きにするための親の役割は?  ~その2~

2009 年 12 月 3 日 木曜日

 前回より、親のどのような関わりが子どもの読書活動を活性化させるかを話題に掲げ、ともに考えていただいています。このテーマについては、東京大学大学院教授の秋田喜代美氏が貴重な研究を行っておられます。そこで、秋田先生の著作の参考になる部分をご紹介させていただいています。

 前回は、秋田先生が小三、小五、中二計506名を対象に、親が子どもに読書を促すためにどのような働きかけをしたか、それに対して子どもはどのような影響を受けたかを調査されたことまでお伝えしました。

 さて、調査の結果わかったのはどのようなことでしょうか。それをご紹介してみましょう。

調査の結果わかったこと

1.親が読書好きであることが、子の読書の自立を促すさまざまな働きかけの量に影響を与える。
親が読書好きであるほど、親自身がよく読書をし、家の蔵書も多く、子どもを図書館や本屋などに頻繁に連れて行き、小さい頃から“読み聞かせ”をしている傾向があります。

2.親が子どもの読書に直接関わる家庭が、子どもを読書好きにする。
家に本がどれだけあるかや、親がどれだけ本を読むかよりも、親が子どもに“読み聞かせ”をしたり、図書館や本屋に連れて行ったりしたほうが、子の読書感情に及ぼす影響は大きいようです。

3.家の蔵書量は、子の読書量に影響力をもつが、子どもの読書感情には影響を及ぼさない。
家にある本の量と読書量には相関関係があります。しかし、子どもを読書好きにする作用はもたないようです。

4.子の加齢が、親の役割の影響力の低下につながるものと、つながらないものとがある。
“読み聞かせ”の影響は、学年とともに小さくなりますが、図書館・本屋につれて行く役割の影響度は変化しません。

 秋田先生の調査結果から、どのようなことがわかるでしょうか。まず言えるのは、親が本好きなら自然と子どもも本を好きになるのではなく、本の好きな親は子どもの読書活動を促すような働きかけをたくさんする傾向があり、その結果子どもが本を好きになっているということです。

 また、小さい頃から“読み聞かせ”をしたり、図書館や本屋に頻繁に連れて行ったりすることは、単に子どもを読書好きにするだけでなく、「読書とはどのようにするものか」を具体的に教え、自立した読書活動ができるよう子どもを導くという効果を発揮しています。このことは、小さいお子さんや、小学校低~中学年のお子さんをおもちのおかあさんには、大変参考になる話だと思います。

 この調査結果をみて、筆書自身大いに反省させられることがあります。愚息がまだ小さい頃から、たくさんの児童図書を買い集めました。やがて、児童書はいくつもの本棚に分けて収納しなければならないほどたまりました。それだけで、安心してしまったのです。「これだけあるのだから、子どもは自分の好きな本を見つけて読むだろう」と思い込んでしまったのです。また、両親ともに読書は好きでした。そこで、「親が本を読んでいるのだから、子どももいずれ本を読むようになるだろう」と、高をくくっていたように思います。

 ところがあにはからんや、愚息は一向に本に興味を示すことはありませんでした。そうこうしているうちに、中学受験の勉強を始めることになり、「もっと本を読みなさい」と助言をしないままに、子どもを読書好きにするチャンスを逸してしまいました。そのことと、愚息が国語を苦手にしてしまったことは、無関係であろうはずがありません。おかあさんがたには、是非ともわが子が本に親しむ人間になるよう、いろいろ工夫し働きかけてみていただきたいと思います。

 最後に、4つめの調査結果について述べさせていただきます。親子で本屋に行ったり、図書館に通ったりすることが、子どもが中学生になってからも読書活動に影響力をもつということについて。中学生というのは、親子関係において難しい時期です。読書活動を通じて、親子の断絶を防止できるとしたら、すばらしいことではないでしょうか。

 また、小さい頃から親子で本屋や図書館に出かけたことは、子どもを単に読書好きな人間に育てるという効果をもたらすだけではないと思います。親子で共有する思い出として、いつまでも脳裏に残るのではないでしょうか。親子いっしょの読書活動は、そういう意味においても価値があると思います。

 おかあさんがたは、わが子の読書活動の活性化にあたり、いろいろな試みをされていると思います。今回ご紹介した調査結果から、何らかのヒントが見つかったなら、それも是非試してみていただきたいと存じます。 

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