2010 年 4 月 のアーカイブ

今、4年部ではどんな学習をしているの?

2010 年 4 月 12 日 月曜日

4年生授業 満開の桜とともに本格的な春がやってきました。毎年のことですが、このころになってから受験のための塾選びを考えるご家庭もあるようで、連日たくさんのお問い合わせをいただいています。

 そこで今回は、これから学習塾をお選びになるご家庭の参考にしていただければと思い、4年部の学習の様子についてご紹介してみます。

 2010年度の4年部は、2月末に開講しました。現在会員として通学しているお子さんは、およそ300名(土曜コース生数十名を含む)ほどでしょうか。

 4年部の学習指導は、算数と国語の二教科です。この二教科の指導のねらいや位置づけについてご説明しましょう。

 国語は、すべての教科の学習を支える重要な教科です。受験勉強が本格化するまでに、国語の基礎をしっかりと固めておけば、国語のみならず、算数や理科、社会の学力形成にも大いに寄与します。

 国語力を支える重要な要素は、語彙や読解力、思考力など。4年生から5年生にかけては、生涯で一番語彙数が増加する時期です。語彙の増強と読解力や思考力の向上は連動しています。語彙が増えれば、それだけ複雑な意味合いや細かな表現を読みとったり、使い分けたりすることができます。家庭生活で語彙を増やせる状況をつくるのをはじめ、読書を奨励するなど、4年生のうちに国語力増強に向けた流れをつくっていきたいところです。

 また、文章を読み解く楽しさを体験させたり、読み取りの視点の向け方を指導したりすれば、子どもたちの読解力は確実に進歩していくものです。これは学習塾での指導の主たる役割です。私たちは、受験塾だからといって早くから問題演習に取り組ませるような指導はしていません。読んで強い印象を受ける部分を掘り下げていくことを通じて、少しずつ主題に迫る読み取りができるよう導いています。4年生での国語学習を充実させれば、無理なく中学入試を突破できる見通しも立ってくることでしょう。

 算数は、中学入試における花形的存在です。頭を使って考えることの楽しさがたっぷり味わえ、できたときの達成感が最も大きい教科であり、子どもたちの有能感をくすぐります。ただし、教科書と入試問題とのレベルの差が最も大きいのも算数です。入試レベルの問題に対処できる力をつけるには、早めに教科書の範囲を一通り学び終えておく必要があります。そこで、算数は4年生から先取り学習をし、4年の秋口までには5年の教科書範囲に移行していきます。

 算数においても、教科書の先取りこそしていくものの、基礎をしっかりと固めることを重要視し、難しい内容はできるだけ扱いません。その分、図を描いて考えること、筋道立てて思考していくことを繰り返し指導し、算数本来のおもしろさや解き明かす喜びを、子どもたちにたくさん味わわせるよう指導しています。テスト対応力よりも、筋のよい勉強によって伸びしろの大きい頭脳を育成することに力を入れています。

 以上のような趣旨に基づいて指導していますから、受験塾だからといって重苦しい雰囲気は微塵もありません。子どもたちは、「楽しいことをしに塾に通っているのだ」といった様子です。「勉強っておもしろい!」――そう受け止めたお子さんは、受験勉強を辛いと思わずにやり遂げることができます。4年生からの受験対策は、「3年間塾漬けになる」ということではなく、「3年間を通して、学習者としての土台を楽しみながら築いていくのだ」というふうにご理解いただきたいと思います。

 無論、5年生になってから受験勉強を始めるご家庭もありますし、それでトップランクの成績をあげ、志望校に受かるお子さんもたくさんいます。ただし、5年生以降に入会される場合、受験学力をつけるうえで必要な土台は築いておく必要があります。

 いかがでしょうか。なんにつけてもそうですが、基礎固めには時間がかかります。しかも、小学生の子どもですから、我慢させてやらせるような方法は望ましくありません。3年間じっくりと時間をかけ、焦らず無理なく基礎・基本の徹底をはかろうというのが弊社の考えです。

 今は4年部が開講して、一ヶ月ちょっと経過したところです。まだ、学習の習慣づけや勉強方法の体得を主眼として指導の段階です。今から入会されても戸惑われることはないと思います。興味をもたれたら、最寄りの校舎にお気軽にお電話ください。入会試験の日時は、相談のうえ決めさせていただきます。ご質問やご相談は、本部事務局でも受けつけております。業務時間内なら、いつでも構いません。

各教室の場所・連絡先は教室案内をご覧ください

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カテゴリー: 中学受験, 入塾について, 家庭学習研究社の理念

親の信念をもった子育てに感服した話

2010 年 4 月 8 日 木曜日

 親は、子どもに何かと手を貸したくなる誘惑に抗しきれないものです。わが子がかわいいからこそのことですが、それが子どもの自立を阻んでしまうことになりがちです。そこで、とかく過保護になりがちな親御さんにとって、よい点を示しておられるおとうさんの事例をご紹介してみようと思い立ちました。

 ある年、6年生から私たちの教室に通い始めた男の子がいました。聞くところによると、友だちが家庭学習研究社の教室に通っていることから中学受験に興味をもつようになり、おとうさんに「塾に通わせてください」と頼んだのだそうです。ところが、おとうさんは「その必要はない」と、聞き入れてくれませんでした。あきらめきれず、何度も何度もおとうさんに言ってみたものの、どうしても首を縦に振ってはもらえませんでした。

 6年生になるとき、おとうさんは「じゃあ、1年だけ塾に通わせてやろう。精一杯やってみなさい。だが、だめならきっぱりとあきらめなさい」そのようなことを言われたそうです。

 さて、彼の塾通いはこうして始まりました。彼の口癖は、「ボクはみんなに遅れているから、がんばらないといけない」でした。事実、彼はひたすら熱心に勉強しました。

 しかしながら、1年、2年前から受験勉強をしているお子さんも、だてに早くから始めているわけではありません。基礎を身につけ、学習の土台を築いているお子さんに簡単に勝てるわけがありません。がんばってはいるものの、平均点をとることも最初はおぼつきませんでした。

 でも、彼はひたすらがんばりました。自分から言いだして始めた受験勉強でしたから、気持ちの入りようが違っていたのでしょう。少しずつ確実に成績は上がり始め、夏の講習では成績上位者に食らいつけるまでになってきました。そして、秋が深まるころにはついに成績上位群の仲間入りをしました。そして、入試ではとうとう私立最難関校を含め、受験した中学校のすべてに合格しました。

 彼は、最後の受験校の入試が終了したあと、教室を訪ねてきました。そして、筆者にこんなことを言いました。

 先生、今まで本をたくさん紹介してもらったけど、受験勉強で精一杯だったので読めませんでした。今日、入試が終わったのでやっと読む時間がつくれます。実は、入試が終わったあと本屋に行って、紹介してもらっていた本をたくさん買ってきたんです。

 これまで、どうもありがとうございました。それから、ボクには三つ年下の弟がいます。もし、家庭学習研究社にお世話になるとしたら、ボクと同じ6年生からだと思います。そのときはよろしくお願いします。

 それから2年後、彼とまさにうり二つの容貌をした新6年生の少年が教室に通い始めました。塾通いが始めてらしく、はじめは戸惑っていたものの、すばらしい取り組みでとうとう受験校のすべてに受かりました。言うまでもなく、彼の弟です。

 さて、この話をご紹介したくなったのは、彼らのおとうさんの骨太な教育に感銘をしたからです。筆者も愚息を弊社の教室に通わせましたが、1年間で受験を突破するなどという発想はできませんでした。彼ら兄弟がともに1年間の準備で最難関中学校の入試を突破できたのは、勉強以外のすべての面で子どもに高い要求をし、それができるだけの人間に鍛えておられた、おとうさんの厳しくも愛情深い子育てがあったからです。

 わが子がかわいいのは誰しも同じです。しかし、わが子がかわいいと思う気持ちをどう子育てに反映させるかは、それぞれに違っているものです。とかく子どもに手を差しのべがちな筆者自身、「このおとうさんの爪の垢でも煎じて飲まなければ」とつくづく思わずにはいられません。これをお読みになり、同じような思いをされている方もあるかもしれませんね。少しでも参考にしていただければ幸いです。

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カテゴリー: アドバイス, 中学受験, 子どもの自立, 子育てについて, 家庭での教育

子どもの健全な自己イメージを築くほめ言葉

2010 年 4 月 5 日 月曜日

 前回は、子どもをほめる場合に子どもの人格的側面を取り上げてほめるのではなく、子どものしたことを指摘してほめる方が望ましいということについてお伝えしました。それが、子どもの自己イメージを形成するうえで確かな手助けとなるからです。

 無論、これは筆者の個人的見解ではありません。子どもの教育に関わる多数の専門家が指摘していることを受け、筆者が納得したうえでご紹介したものです。

 これから中学受験準備の学習生活が始まるご家庭においては、おそらく「ほめ方・叱り方」について頭を悩ませることは何十回となくあると思います。そのとき、この記事にことを思い起こし、多少なりとも参考にしていただければという思いで書いています。

 今回は、どういうほめ方がよいかについて、具体的にシチュエーションを設定して考えてみたいと存じます。なお、今回の設定内容については、アメリカの心理学者(故人)の著著を参考にさせていただきました。

★よいほめ方とはどういうものか、練習してみましょう!

1.子どもがリビングルームをきれいにそうじしてくれました。

<よいほめ方>                          

<子どもの内面> そうじしてよかった。こんなに喜ばれるなんて。

<悪いほめ方> まあ、いつからこんなにきれい好きになったの。これからは部屋を汚さないでね。

<子どもの内面> おかあさんは、いつも私が部屋を汚すと思ってたんだ。傷つくわ。

2.子どもがサッカーの試合でシュートを決め、チームが1対0で勝ちました。

<よいほめ方>                          

<子どもの内面> 僕がチームに貢献できたことをおとうさんは喜んでくれている。がんばってよかった。

<悪いほめ方> すごいぞ、よくやった! これでおまえはチームのエースだ!

<子どもの心理> 今日はたまたま得点しただけさ。いつもは失敗してる。エースだなんてとんでもない。

3.間違って小遣いを多くもらっていたことを、子どもが報告してきました。

<よいほめ方>                           

<子どもの内面> 正直に親に言ってよかった。

<悪いほめ方> なんて正直な子なの! そう言えば、あなたってウソをついたことがないわね。

<子どもの内面> 僕はおかあさんにときどきウソをついてるよ。なんだか気が重くなった。

4.子どもが入院中のおばあちゃんに見舞いの手紙を書きました。

<よいほめ方>                           

<子どもの内面> うまく書けそうもないと思ったけど、書いてよかったな。

<悪いほめ方> 下手でも書いただけましね。

<子どもの内面> どうせ下手さ。手紙なんて書くんじゃなかった。

5.苦手な算数をなんとかしなければと、この1週間がんばりました。

<よいほめ方>                           

<子どもの内面> おかあさんがあんなに喜んでくれるなんて。もっとがんばってみよう。

<悪いほめ方> あら、めずらしくがんばっているわね。このがんばりが続くといいわね。

<子どもの内面> なんか皮肉っぽい言い方だな。どうせ長続きしないと思ってるんだろ。

 今回の記事のアイデアをお借りした心理療法の専門家は、行為を取りあげて子どもをほめるということについて、次のように述べています。

 事実を語り、子どもがそこから明確な結論を引き出すというプロセスは、精神の健康をつくり出す積み木のようなものです。子どもは、私たちのことばから、自分についての結論を引き出すと、それを再び心のなかでくりかえしてみるのです。こうして、ありのままに事実について言われたことを、心のなかでくりかえすことによって、子どもは、自分自身および自分の周囲についての評価を、ほぼ定めていくのです。

 子どもの行為を名指ししてほめるということが、子どもの健全な成長に大きく寄与することがおわかりいただけたと思います。親が子どものすることに対してどう反応してやるべきか、どうほめてやるべきか、迷いを感じておられた方に参考にしていただければ幸いです。

<よいほめ方の一例>

1.まあ、きれいにそうじしてくれたのね。ありがとう。部屋がきれいだとやっぱり気持ちいいね。

2.チームの勝利に貢献できてよかったね。すばらしいシュートだったよ。

3.あら、よけいに渡していたんだね。教えてくれてありがとう。

4.心のこもった手紙を書いてくれたね。おばあちゃん、きっと喜ぶよ。

5.苦手な算数をよく取り組んでいるわね。おかあさんも応援しているからね。

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カテゴリー: アドバイス, 中学受験, 子育てについて

子どもにレッテルを貼らない

2010 年 4 月 1 日 木曜日

 以前、子どもをほめることの必要性について書いたことがあります。子どもに自信をもたせ、何ごとにつけ意欲をもって行動する人間に育てるためには、まず子どもをほめ、子どもに「自分はOKである」という気持ちをもたせる必要性があるからです。このことについては、どなたも心得ておられることでしょう。

 ただし、ほめるにあたってはよいほめ方もあれば悪いほめ方もあります。たとえば、子どもをほめるにしても「いい子」「頭のよい子」「立派な子」などのように、子どもにレッテルを貼るほめ方はよくないと言われています。 なぜでしょうか。ある本に次のようなことが書かれていました。

「そうした言葉は不安を生み、子どもを防衛的にさせる。また自主性や自信を育むことにもつながらない。なぜなら、自主性や自信は他者の判断によってではなく、内的な動機や評価によって育まれるものだからだ。(中略)子どもは評価を下す賞賛のプレッシャーから自由でなければならない。さもないと、子どもは他者からの承認を必要とする存在になってしまう」

 具体的な例をあげて考えてみましょう。たとえば、わが子が近所の小さな子を助けてあげたとします。父親がそのことを知り、「おまえはほんとうに親切な男の子だ。おとうさんは誇らしいよ」と言ったなら、わが子はそれをどう受け止めるでしょうか。

 無論、素直に喜ぶ子どももいるでしょう。しかし、その子がもし「自分は自分勝手で冷たい人間だ」と常日頃気に病んでおり、その日に限ってたまたま他の子を助けただけだったらどうでしょう。「ボクは、おとうさんにほめられるような親切な人間じゃない」と反発したくなるかもしれません。

 また、ほめられたことで「いつも親切にしなければならない」というプレッシャーを感じる子もいるでしょう。さらには、「人には親切にして、親にほめられるようにしよう」と、親の評価を気にするようになるかもしれません。そうなってしまうと、親がほめたことがかえって子どもにとってマイナスに作用してしまいます。

 小学生のお子さんをもつおかあさんを対象としたワークショップで、「よいほめ方と悪いほめ方」をテーマに掲げて共に考えていただいたことがあります。そのとき、あるおかあさんが「うちの主人は、子どもがテストでいい成績をとってくると、『さすが俺の子だ!』ってほめるんですけど、あれもよくないんでしょうか」と尋ねてこられました。

 これは、どの家でもありそうなことですね。このブログをお読みになったかたはどう思われるでしょうか。おとうさんのお気持ちはよくわかります。しかし、もしも成績がよくなかったときにはどうされるのでしょうか。「やっぱり俺の子だな」とはおっしゃらないと思います。また、自分のためではなく親を喜ばせるために勉強するといったような本末転倒の事態の引き金になるかもしれません。ですから、やはりこういうほめかたは望ましいとは言えません。20100614  では、望ましいほめ方とはどのようなものでしょうか。ほめること自体は非常に大切なことです。しかし、そこに重要なルールがあるということを認識していただきたいと思います。どういうことかというと、ほめるべきは子どもの努力や行為であり、子どもの人格や人間性ではないということです。先ほどの話に照らすなら、わが子が親切にした行為をほめるのなら、子どもは素直に喜ぶでしょう。「僕は親切な人間なんかじゃない」と戸惑ったり反発したりすることはありません。

 筆者がファシリテーターの資格を取得した、民間教育運動(アメリカで発足し、現在世界80カ国以上に広まっている。日本ではNPO法人として活動)でも同様のほめ方・叱り方が推奨されています。子どもにレッテルを貼る代わりに、行動に対して名前をつけることが適切だというのです。「行動に対して名前をつける」とは、子どもに「よい子」などというレッテルを貼る代わりに、よい行動を具体的に指摘し、子どものしたその行為をほめるということであろうと思います。

 ただし、子どもをどういう言葉でほめたらよいかについては、実際場面に即して考えてみないことにはピンとこないかもしれません。そこで次回は、具体的場面を想定し、レッテルを貼るほめ方と、行為を取り出してほめるやり方とを比較し、上手なほめ方のエクササイズに挑戦してみたいと思います。よろしかったら一緒にやってみませんか?

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カテゴリー: アドバイス, 子育てについて