2010 年 6 月 のアーカイブ

子どもに自信を植えつける方法  ~その2~

2010 年 6 月 28 日 月曜日

 今回も引き続き「子どもに自信を植えつける方法」について考えてみたいと思います。

 これは一般論ですが、小学校低学年のうちはどの子どもも希望で溢れています。自分の能力に疑いの目を向けたり、自己卑下をしたりする子どもはいません。ところが、学年が上がるとともに、いつの間にか「ボクには無理です」「私にできるはずがない」などと言い始めます。

 なぜこのような事態が生じるかというと、子どもが成長し自分と他者を比較して考えたり、自分の能力を客観視しようとする目が育ち始めたからだと言われています。筆者の指導経験を振り返ってみると、4年生ぐらいがそういう時期にあたるようです。

 それを踏まえるなら、子どもに自信を植えつけ積極性を引き出すべく、4年生ぐらいまでの時期に親が様々な働きかけをしておくのが望ましいでしょう。自分の能力に疑念をもってしまってからよりも、親の配慮が効力を発揮しやすいからです。とは言え、大切なわが子のことです。何歳であっても、親に影響力があるうちは、あきらめずに親としてできる精一杯のことをしてやりたいものですね。

 さて、本題に入りましょう。

 

3.子どもを“信頼”していることを伝える

 子どもに限らず大人でもそうですが、「自分は信頼されている」と思えばやる気も元気も湧いてきます。反対に、「自分は親に信頼も期待もされていない」と思えば、何につけ意欲は湧かないし、がんばりのエネルギーも得られません。そういう状態が続けば、自分への信頼の気持ち、すなわち自信も喪失してしまうことでしょう。

 「『わが子を信頼しましょう』ですって。とんでもない。うちの子は、放っておくとすぐ遊んでしまうんですからね。押さえつけてでも勉強をやらさないとダメなんです」――こんなことをおっしゃるおかあさんがおられました。

 しかしながら、これまでも書いたように、子どもは親が育てたように育つものです。親が、わが子を信頼する。子どもは、親の信頼に応えてがんばる。そういう流れを親がつくらなかったから、残念な事態が生じたのではないでしょうか。こうした非生産的な親子関係を解消し、親子が信頼でつながっていくための努力をすべきだと思います。遅すぎるということはありません。わが子だからこそ信頼する。そこから出発すべきです。

 無論、できもしないことについて信頼するのは無理な注文です。ですから、前回書いたように「親の期待は、どういうものがよいか」をよく吟味することです。無理なことではなく、ちょっとがんばればやり遂げられるような期待を差し出すのです。その期待に応えるべく、何をどうするかは、親子で相談してもよいのではないでしょうか。そして、子どもの納得ずくで決めさせるのです。

 

4.子どもの“がんばり”を見逃さない

 さて、わが子を信頼してやったらそれで終わりではありません。わが子が、親の信頼に応えるべく努力するかどうかを注意深く見守らねばなりません。なぜなら、がんばったことを親が見届け、結果に関わらず喜んだりほめたりすることが、親への信頼の気持ち、「もっとがんばろう」という意欲、自分をOKだと思う気持ちを引き出すからです。

 また、小さなことでも、やり遂げると自信が生まれます。そうした成功体験を、親は「当たり前のことをしただけ」と片づけてしまうのはいけないことだと思います。

 子育てをしている親は、わが子の優れた観察者でなければならないと言われています。わが子の様子をしっかり観察し、注意して見守っていれば、子どものささやかな努力も見逃すことがありません。そうすれば、たとえ結果が伴わなかった場合でも、わが子をほめ、励ましてやることができます。結果よりもプロセスを見てほめる。これを生活のさまざまな面でしてやれるのは親だからこそのことで、それを子どもは何よりも喜ぶものです。

 振り返ってみてください。子どもが失敗したり、やり遂げられなかったりしたとき、そこに至るプロセスで子どもがどんなにがんばったかを掌握しておられたでしょうか。子どもが、親を信頼し奮い立つのは、結果を出したときに評価されることではなく、がんばりを見届けてくれていたかどうかです。子どもの小さながんばりを見届け、ほめてあげてください。きっとわが子の目が明るい輝きを取り戻すことでしょう。
 次のような言葉があります。子育ての核心をついている名言だと思います。

 親がいるときに 子どもが何をするかではない
  肝心なことは 親がいないときに 子どもが何をするかである

スペンサー・ジョンソン

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カテゴリー: アドバイス, 子育てについて

弊社イベント「私学が君を呼んでいる!」 ~その1~

2010 年 6 月 25 日 金曜日

家庭学習研究社私学イベント2010 6月20日の日曜日には、西区民文化センターホールで「私学が君を呼んでいる!」というタイトルのイベントを実施しました。このタイトルで想像がついたかも知れませんが、広島の主要な私学を紹介する内容となっています。

 2002年に始めたこのイベントですが、回を重ねるごとに「ある目的に特化した行事」という色彩を強めています。その目的とは、「中学入試を半年後に控えた、受験生の子どもたちのモチベーションを高める」ということです。したがって、このイベントは毎年6月に実施され(中だるみになりがちな時期)、弊社の6年部児童とその保護者のみが対象となっています。

 しかも、どちらかというと保護者は“付き添い”的な存在であり、“主役”は6年生の子どもたちです。「どの私学もいいな」「あの私学へ行きたい!」「あんな先輩のようになりたい!」――子どもたちにこういった私学へのあこがれや、私学に行きたいという気持ちを引き出すような催しとなることを意図しています。

 これをお読みいただいている4・5年生家庭の親御さんのなかには、「もっと下の年齢の子どもたちも参加できる行事にしたらどうか」と思われる方もおありでしょう。かつて4、5年生家庭のお子さんも参加できるようにしたこともあります。しかし、受験についての意識がまだ定まっていないお子さんにはいささか時間が長く、またステージに立って話す先輩や先生方の話も十分に理解できないようでした。そこで、「やはり、受験を控えた6年生だけに絞った方がよい」と判断しました。

 また、「保護者向けの話をもっとしてほしい」というご要望もいただきます。しかしながら、保護者向けに学校に関する詳しい情報を提供する催しなら、毎年各私学で実施されている学校説明会以上に充実した催しはありません。主要な私学の先生の話が一度に聞けるメリットはあるでしょうが、どうしても1校あたりの内容は中途半端なものになりがちです。

 実は、このイベントの開始当初は、私学の先生に自校の特色を語っていただく親向けの内容と、私学の学校生活の様子をビデオで紹介したり、先輩に話をしてもらったりする子ども向けの内容を組み合わせたのですが、結果は失敗でした。先生方は、保護者に向けたアピールにどうしても力が入って時間超過になりますし、子どもたちはそういう話にはすぐに退屈してしまいます。そこで、「受験生の子どもが目を輝かせる催しにしよう!」ということになった次第です。

 ここ数年は、男子の部には修道、広島学院、広島城北、広島なぎさの4校、女子の部にはノートルダム清心、広島女学院、広島なぎさ、安田女子の4校をお招きし、これらの私学についての様々な情報を提供しています。

 「もっとたくさんの学校を紹介してほしい」「国立の学校はどうして呼ばないのか」「公立の一貫校もあるではないか」という要請やご質問もいただくことがありますが、学校が増えると情報が薄いものになりがちであり、私立と国公立の学校とでは生徒募集に対する姿勢も異なる面があり、今のところ以前からご協力いただいている私学7校に参加をお願いしています。

 さて、前置きが長くなりました。今年もお陰様で男子の部、女子の部ともに555名収容の会場がおおよそ埋まるほどの盛況となりました。
  イベントの構成は、おおよそ次のようになっています。

★第1部 これであなたも私学博士!?

  1. 1.映像による私学紹介+先輩によるナレーション
  2. 2.私学に関するクイズ+先生による説明

★アトラクション

     午前/広島学院:ブラスバンド部 午後/安田女子:バトン部

★第2部 私学で夢を叶えよう!!

  1. 1. 制服紹介+先輩からのメッセージ
  2. 2. 先輩・先生からの受験アドバイス
  3. 3. 会員生からの質問コーナー
  4. 4. 受験生への応援メッセージ(ミニパフォーマンスとエール)

 今回は、前置きだけに紙面を使ってしまいました。それぞれの出し物の詳しい内容や様子については、次の機会にご紹介いたします。興味をおもちになったなら、ぜひお読みください。

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子どもに自信を植えつける方法  ~その1~

2010 年 6 月 24 日 木曜日

 先日は、日本の子どもが自分に自信をもてないでいるという、調査結果についてお伝えしました。またその原因に、「親の期待過剰があるのではないか」という専門家の指摘があることをお伝えしました。

 そこで、今回は子どもに自信を植えつけ、何ごとにも主体性や積極性のある人間に育てるための方法について考えてみたいと思います。

1.子どもに期待を差し出すことの意味と重要性を再認識する

 大学で学習意欲を専門に研究している学者によると、子どもの意欲を引き出す要素としていちばん大きいのは、「親の期待に応えよう」という気持ちだそうです。これは、小学校中学年から中学2年生ころまでに見られる傾向であり、思春期になり精神的に親離れしてしまうと様相は変わっていきます。親の影響力は薄れ、自己目標の達成という動機が学ぶ意欲のいちばんの支えになるのです。

 このことから言えるのは、「小学生までは、子どもの学習意欲を高めるのも失わせるのも親次第だ」ということです。それは、「子どもに自信をもたせられるか、自信を失わせるかも親次第だ」ということにもつながるでしょう。

 ですから、子どもへの期待を差し出すのは親の重要な役割です。問題は、「何をわが子に期待するか」であり、「期待のさじ加減をどうするか」ではないでしょうか。子どもが努力すれば成し遂げられるような、ちょうどよい期待をわが子に差し出しておられるでしょうか。もしも期待が適切であれば、お子さんは意欲や自信を失うことなくがんばれるでしょう。親の期待に応えられたなら、自分に対する自信を深めることにもなります。

 もともと、子どもは親の期待に応えようとし、様々な努力を繰り返すことで成長していくものなのですね。親に必要なのは、そういうプロセスの重要性を認識し、子どもにとってちょうどよい期待とは何か、どれぐらいのレベルのものであるべきかを考えることであろうと思います。

親が期待すべきは「成績」? それとも子ども自身の「努力」? 以上は、当たり前の理屈です。しかし、現実はどうでしょうか。子どもが自分の期待に応えようと努力してくれない。そこで子どもへの不満を募らせ、つい叱ったり命令したり、コントロールしようとしたりします。しかし、それが子どもの意欲の減退、親への反発、自信の喪失につながっているのです。今一度現状を振り返り、親が差し出すべき期待とは何かを考えてみてはどうでしょうか。

2.子どもに“自己決定”の機会を多く与える

 何でも親に頼っていたわが子が、あるとき「自分でやる!」と自己主張をするようになり、ハッとなった経験はどなたにもあると思います。子どもは成長とともに、「自分でやりたい!」という欲求をもつようになり、そこでの体験を通して自分への自信を高め、自立していくのでしょう。

 ところが、親はそういう子どもの自立に向けた変化の時期を見逃したり、逆に子どもの自立を妨げたりすることがあるものです。「自分でやる!」と言い張るのでやらせてみると、全然できない。それが現実かもしれません。さりとて、「まだまだ無理ね」と言って親が手助けしていると、子どもはいつまで経っても自立した人間になれないし、自分に対する自信も得られません。

 子どもに必要なのは成功体験の積み重ねです。過大な期待が子どもの自信を奪ってしまうのと同様に、子どもに自分でものごとを決めチャレンジしていく機会を与えないことも、日本の子どもが自信をもてないでいることの主要な原因になっているのではないでしょうか。

 外国などでは、子どもに関する大事な決めごとについて、「親が子どもに相談する」という形をとることが多いと言います。親の考えはすでに用意されているのですが、それを押しつけるのではなく、子ども自身が決めたように導いていくというわけです。子どもが「自分で決めたことだ」と思ったなら、それだけやる気も高まりますし、実行力も向上します。そうやって、子どもに自信をもたせるのです。

 日本の親は、ついつい子どもが考える前に先回りし、親の指示で動かしてしまう傾向が強いと言われます。おたくではいかがでしょうか。子どもに相談し、子どもに考えさせ、子どもに決めさせる。それは、親にはまどろっこしいことです。しかし、そこから子どもの自立が始まり、すばらしい成長への歩みが始まるのではないでしょうか。

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カテゴリー: 子どもの発達, 子育てについて, 家庭学習研究社の特徴

なぜ日本の子どもの自己評価は低いの? ~その2~

2010 年 6 月 21 日 月曜日

 前回の記事をお読みいただいたかたのなかには、「日本の子どもの自己評価が低い理由はだいたいわかった。しかし、進学を巡る競争がつきまとう日本では、点数や順位によって自分を評価する傾向をなくすことはできない。この問題を解決することは難しいのではないか」――このように考える人も少なくないことでしょう。

 確かに、日本を含め、東アジア諸国は受験熱が高く、合格を巡る競争のせいで子どもの自己評価が低くなる傾向があるようです。しかし、小学生までの子どもに関しては、大人の子どもに対する期待の差し出し方を工夫することである程度対処できるのではないかと思います。次にご紹介するアメリカの教育観などは参考になるのではないでしょうか。

 前出の国際比較調査に関わった日本の学者は、アメリカの教師に、「さほど勉強ができないのに、子どもが勉強を得意であると思えるのはどうしてか」と尋ねたそうです。すると、質問を受けた教師は、しばらく質問の意図がわからなくて当惑していたそうです。アメリカでは、子どもの学力を全体(クラス内)の順位と関連させてとらえるという発想自体がないからです。

 そのアメリカの教師は、「『2ヶ月前と比べると、よくできるようになった。だから、自分は進歩したのだ』と、子どもが思えることが重要なのだ」と語ったそうです。質問した日本の学者が、「しかし、自分は他の子よりも勉強が苦手と感じることはあるのではないか」と質問したところ、「他の子どもと比較するのは意味がない。本人ができるようになったと思えることが大事なのだ」と、アメリカの教師は答えたそうです。

 自分の以前と比較して評価をする。こうした考え方を、もっと子どもに向けてやればよいのではないでしょうか。無論、受験を視野に入れた勉強の場合、順位を参考にしないで対策はできません。しかし、子どもも親も順位にばかり目を向けるのはどうでしょうか。少なくとも親は、「以前のわが子と比べて進歩しているかどうか」「より努力をするようになったかどうか」という視点から子どもを見守り、進歩や努力を喜んでやる必要があるように思います。そうすれば、子どもが挫折や失望に苛まれることはありません。成績が思わしくなかったときでも、子どもは随分精神的に救われるのではないでしょうか。

 この記事をお読みいただいているかたの多くは、わが子の中学受験を視野に入れておられる親御さんであろうと思います。そうした親御さんにぜひお願いしたいことがあります。進学塾というところは、データ(成績)を提示しないとやっていけません。データからわかるいろいろな事柄をもとに、合格に向けた修正や対策をしていく必要があるからです。

 しかし、データには恐ろしい力もあります。極端に成績が落ちたりすると、親子共々落ち込んでしまいがちです。「もっと上をねらえ!」と親に檄を飛ばされた子どもは、自分の限界を早々に感じてしまうこともあります。がんばっても順位が上がらない状態が続くと、子ども自身が「自分には能力がない」と自らを見限ってしまうこともあります。

 データによって子どもが自分に自信を失ってしまっては、そもそも受験をめざす意義が失われてしまいます。データは活かせば役に立つものですが、データに振り回されてはならないのです。ですから、「以前のわが子より、進歩しつつあるかどうか」という視点から見守り、コツコツ努力していくことを奨励してあげてほしいのです。

 以下にご紹介する話は、以前にも書いたことがあるかもしれませんが、改めてお伝えしておきます。筆者はこれまで、「この子はすばらしい!」と唸らされるような優秀なお子さんを多数見届けてきました。そういうお子さんをみて感心したのは、「よい成績を維持しているお子さんは、それだけ努力しているお子さんなのだ」ということです。どのお子さんも、まっとうな努力をしているのです。

 たとえば、「頭のよい子だ」と思うお子さんほど、「成績は、自分の努力の度合いを示す物差しだ」という見方をしています。そして、思わしくないテスト結果が返ってきたときには、「今回は、努力が足りませんでした」と言います。そして、次は必ずといってよいほど挽回します。おそらく、次のテストに向けて反省点を洗い出し、徹底的にやるべきことをやって次のテストに臨んだのでしょう。

 無論、どの子も努力しさえすれば望む結果が得られるとは限りません。しかし、自らを信じ、努力をすることで自分を進歩させることができるのだという実感を得る体験をしたお子さんは、一生を前向きに生きていく姿勢を身につけることができます。それこそが、大きな財産ではないでしょうか。

 子どもが小学生のうちは、毎日の体験や親の働きかけがそのまま人間形成に影響を及ぼします。それを踏まえるなら、「親の差し出す期待は“成績”だけではいけない」と認識すべきではないでしょうか。もっと子どもが奮起し、自分に自信がもてるような働きかけや励ましが親の側には求められるように思います。小学生までの子どもにとって親の存在は絶対的です。その親の期待の差し出し方を工夫することで、子どもをプレッシャーから解放してやるのです。

 わが子の現状を振り返ってみてください。成績に過敏になり、自信を失いかけているようなことはありませんか。少しでもそれが感じられたなら、対処に向けて今回の記事を少しでも参考にしていただけたならうれしく思います。

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なぜ日本の子どもの自己評価は低いの? ~その1~

2010 年 6 月 17 日 木曜日

 先日、日本の子どもの自己評価が他国のそれと比べて低いということについて書きました。この記事は、いつもよりもたくさんの方にお読みいただいたようです。そこで再び取り上げ、もう少し掘り下げて考えてみることにしました。

 日本の子どもの自己評価が低いという調査結果は、いろいろな方面から指摘されています。下の表を見てください。先日ご紹介した資料とは違うものですが、やはり同じような結果になっているようです。勉強について、「とても得意」「かなり得意」と答えた子ども(調査対象学年:小学5年生、標本数は不明)は、サンパウロの子どもが72%、ミルウォーキーの子どもが71.1%であるのに対し、日本の子どもは21.6%に過ぎません。

成績の自己評価(小学5年生)

 なぜ日本の子どもの自己評価が低いのかは、データからだけでは特定できません。そこで調査に関わった日本の学者は、他の調査対象国に出向き、学校の授業を見たり実際の学力の状態を調べたりしたそうです。すると、意外な事実が判明しました。「調査結果」と、「実際の学力」が逆の関係になっていたのです。

 学力の自己評価が低い東京の子どもは、概ね授業をしっかりと聴き理解していました。ところが、アメリカの教室では、自己評価が高い割には授業を理解できていない子どもが数多く見られたのです。その一方で、計算に悪戦苦闘している子どもでも、「算数は得意?」と尋ねられると、「うん、得意」と答えていたそうです。また、自己評価が高い国では、わからないことを苦にしたり、学力の状態を卑下したりする子どもが総じて少ないという傾向がありました。また、学力的にさほどでなくても「勉強は得意だ」と答える子どもが多かったそうです。

 どうやら外国では、学力が客観的に高いかどうかに関わらず、取り組んでいること自体に子どもが誇りをもち、「自分は算数が得意」などの気持ちを抱く傾向があるようです。日本ではそうではありません。よい成績をあげていても、「もっと上の子がいる」というふうに他者と比較し、「自分はまだまだダメだ」と思ってしまう傾向があるのではないでしょうか。その結果、勉強をできるということが、自己評価に繋がらないのです。

 「自己評価が少々低くても、勉強ができればそれでいいのではないか」と思う人もおられるかもしれません。しかし、自己評価が低いと、ものごとに取り組む際のエネルギーが高まってくれません。また、何かを「何が何でもやり遂げるのだ」という決断力や実行力がわきあがってきません。さらには、自己評価が低い人間に、周りを引っ張っていくリーダーシップが備わるとは思えません。

 そこに日本の子どもの弱点があるように思います。客観的には「勉強のできない子」でも、本人は取り組んでいることに誇りを抱き、「自分はできる!」という自信をもっている。そういう子どもは、やがて大学に進学して自分が掘り下げて学びたい対象が絞られてくると、すばらしい勢いで学び始めます。

 アメリカやヨーロッパの学生は、「よく学ぶ」と言われます。それは、前述のような流れがあるからではないでしょうか。大学に入ると安心して遊び始める日本人とは対照的です。

 以前、次のような話をご紹介しました。

 ヨーロッパで催された会議に出席した日本人が、かつて日本に留学した経験をもつ外国人に、「日本は追い抜くのがたやすい国だ」と言われたそうです。理由は、大学生が全然勉強していないからだそうです。ヨーロッパでは、学生が図書館などで一生懸命勉強します。そういう事実を知っている人が、日本の大学生を見たらビックリするとともにあきれてしまうのでしょう。そういう人から見ると、「日本は終わった国」に見えるようです。

 日本の子どもは、よい大学へ進学すること自体が目的化し、そこまでの競争が厳しいため、よく学びます。その代わり、「もっと上をめざせ」と常に尻を叩かれるため、いつまで経っても自分に自信がもてないのではないでしょうか。そして、ひとまず「よい大学」と言われるところに入れたなら、そこで終わってしまうのではないかと思われます。(以下、次回へ続く)

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