2010 年 6 月 のアーカイブ

子どもの“ほめかた”には原則やコツがある!?  ~その2~

2010 年 6 月 14 日 月曜日

 前回は、子どもをほめるときには、子どもの努力や成し遂げたことをほめるべきだということをお伝えしました。では、このようなほめ方ができるよう、少し練習をしてみましょう。次にあげるいくつかの例の空欄にどんな言葉を入れるのがふさわしいか考えてみましょう(今回の記事も、前回と同様アメリカの心理療法家の文献を一部引用しています。また、そのかたの考えを参考にして書いています)。

1.息子が家の車を洗ってくれました。よごれがとれ、すっかりピカピカです。

よいほめかた
  「                    」

考えられる結論
      「ぼくはいいことをしたんだ。おとうさんが喜んでくれている」
 悪いほめかた
      「おまえって、ほんとうに親切な子だな。さすがおとうさんの子だ」

2.宿題を忘れたり、やらなかったりしていた子どもが、今日はがんばりました。

よいほめかた
      「宿題を最後までやったんだね。今日は集中できたんだ。
    その調子だよ」
 考えられる結論
      「今日は遊びのことを考えずに集中できた。やればできるんだ」

悪いほめかた
       「                    」

3.塾のテストで、初めて算数・国語とも60点以上とれました。

よいほめかた
  「                   」

 考えられる結論
   「苦手な算数を嫌がらずにやってよかった。ちょっぴり自信が
    ついたな」
 悪いほめかた
   「まあまあだな。でもまだ平均点にも足りていない。
    もっとがんばらないと」

4.子どもが、遠くで一人暮らしをしているおばあさんに年賀状を送りました。

よいほめかた
   「気持ちのこもった年賀状をかいてくれたね。おばあさん、
         きっと喜ぶよ」
 考えられる結論
   「おばあさん、喜んでくれるかな。年賀状をかいてよかったな」

 悪いほめかた
   「                   」

 5.おかあさんからの小遣いが、約束の金額より多く渡されていました。

よいほめかた
   「                   」

 考えられる結論
   「正直におかあさんに言ってよかったな」
 悪いほめかた
   「なんて正直な子なの。ほんとうに心のきれいな子ね」

 いかがでしょうか。ほめるときの原則、コツはすでに述べましたが、もう一度反芻(はんすう)してみましょう。子どもをほめるときには、親が子どものどんなところをよいと考えているかを具体的に言葉にして表すことが大切です。成績のよい子が、周囲から「できる子だ」というレッテルを貼られると、次第に難しい課題に挑戦するのを嫌うようになると言われます。「できる子」というレッテルがはがされるときがくるのが怖くなるのです。

 ほめるときには、子どもの性格や人格を語るのではなく、子どもがした行為を指摘するほうが子どもに好い影響をもたらします。自分のした行為をほめられることで、その行為の当事者である自分に対して肯定的なイメージをもつができるからです。

 中学受験の準備にあたっては、長期にわたる努力の積み重ねが求められます。また、勉強の内容も小学生にとって簡単なものではありません。さらには、人間的にも未完成な段階での受験生活ですから、いつも子どもが意欲を示してがんばってくれるわけではありません。

 子どもが厳しく長い受験生活を元気に乗り切るためには、がんばりを引き出すための働きかけが不可欠です。子どもに意欲という名のエネルギーを吹き込むことが求められるのです。その役割を握っているのはおとうさんおかあさんに他なりません。

 では、どうすれば子どもの意欲を高めることができるのでしょうか。言うまでもありませんね。子どもを上手にほめることです。

 蛇足ですが、なぜ親のほめ言葉が効果的かというと、小学生から中学2年生までにかけての子どもの学習意欲を支える要素として、いちばん大きいのは「親からの期待」だからです。

 小学生の子どもはまだ社会についての知識が備わっていません。進学のこと、将来のことについて考えようにも、よくわからないのです。ですから、「目標をめざして」などということは、まだ期待できません。子どもががんばるのは、「親がほめて、自分への期待を示してくれる」こと、「勉強がおもしろくて興味を引く」ことに尽きるのです。

 親はどうしてもわが子の成績を気にします。その結果、「成績が上がったらほめてやる」というふうに、“成績と引き替えにほめる”ことになりがちです。がんばっている集団のなかで、どの子も成績を上げることなど不可能です。勢い、ほめる回数は減ってしまいます。親は自分が思うほどには子どもをほめていないと認識すべきでしょう。

 ここで、ほめるということの原則を思い出してみてください。子どもの行為や努力を見てほめる。これなら、ほめる回数は格段に増えるのではないでしょうか。子どもを励まし、元気づける。そして、少しでも努力をした跡が見えたなら、すかさずそのがんばりをほめたたえる。それこそが、子どもが親に望んでいることなのです。

 長い受験生活は、決して順風満帆には進まないかも知れません。しかし、子どもの注意深い観察者になり、子どもの小さな努力を見逃さずに励ます親のもとでは、子どもは常にがんばりのエネルギーを得ることができます。それだけではありません。「親が自分をいつも見守ってくれている」と感じているお子さんは、親を信頼し、心の安定を得ることができます。

答えの例:

  1. 1.車を洗ってくれてありがとう。新車みたいにピカピカにしてくれたね。
  2. 2.怠け者がやっと目を覚ましたようだね。三日坊主にならないといいけどね。
  3. 3.やったね。算数、このところがんばっていたものね。よかったね」
  4. 4.年賀状をおばあさんに送るなんて、なんて思いやりのある子なの!
  5. 5.あら、おかあさんが間違っていたのね。正直に教えてくれてありがとう
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カテゴリー: 子育てについて

子どもの“ほめかた”には原則やコツがある!?  ~その1~

2010 年 6 月 10 日 木曜日

 親なら誰でも、子どもをよくするには“ほめること”が大切だということを知っています。ところが、ほめることを実践し「うまくいった」という話をあまり聞きません。なぜでしょう。おそらく、効果的なほめ方がどういうものかを、知っておられる親御さんが少ないからではないでしょうか。「子どもの上手なほめかた」は、以前も話題にしましたが、今回も再び話題に取り上げてみました。

 なお、今回の記事はアメリカの心理療法家(故人)の文献から一部引用したほか、そのかたの考え方を参考にして書いています。予め、おことわりしておきます。

 ある女性から心理療法家のもとへ電話がかかってきました。

「家族みんなで遠距離ドライブをしていたんです。車の後ろで息子がお行儀よく座っていました。「ごほうびでもあげなければ」と思ったほどです。そこで後ろを振り返り、「あなたはお利口ね。とても行儀がよくて・・・・・・ママもうれしいわ」と言ったんです。 その直後、びっくりするような事件が起きたんです。息子が車の灰皿をはずすと、中身を私たち夫婦に向かってぶちまけたんです。灰や吸い殻、煙が飛んできて、大変な騒ぎになりました。私は本気であの子をほめてやったのに、理由がわかりません。ほめられることが、今どきの子にはうれしくないんでしょうか・・・・・・」

 これをお読みになった保護者の方はどう思われたでしょうか。なぜ、息子さんは親に灰皿を投げつけたのでしょうか。

 やがて事件の真相がわかりました。彼(息子さん)は、車のなかでずっとある考えを巡らせていました。それは、前の席で両親を独り占めしている弟をどうやったら追い出せるかということでした。弟に嫉妬していたのです。いろいろ考えた末、最後に浮かんだアイデアは、「もし車が突然真っ二つになれば、自分と両親は助かり、赤ん坊の体は切断されるだろう」ということでした。

 ところが、そんな恐ろしいことを考えていたとき、突然母親から「お利口ね」と言われたのです。彼は狼狽しました。そして罪悪感に襲われました。「ボクはいい子なんかじゃない!」という心の奥の叫びが、発作的に灰皿をぶちまけさせたのでした。

 この事件は、私たちに何を教えてくれるでしょうか。ほめてやりさえすれば、子どもが自信を得たり、心を落ち着かせたりできるのではないということです。

 子どもはいつもいい子でいるわけではありません。「おとうさんなんか、死んでしまえ」とか、「弟が重い病気にかかって入院すればいいのに」など、許されざる願望を抱くときだってあります。

 そんなとき、子どもはほめられればほめられるほど、真の自分を知ってほしいという露悪的衝動に駆られます。その結果、望ましくない行動に及びます。大人にすればそんな子どもが理解できません。よいことをしたからほめたのに、まるでそれが気に入らないかのような乱暴な振る舞いをするのですから。

 子どもは、他者が自分に対して抱くイメージについて、内心異議があるときには、いたずらをしたりよくないことをしたりすることで自分の意志を伝えようとするのです。そのことを、子どもをもつ親は知っておくべきかも知れませんね。

 筆者がファシリテーターの資格を取得している、国際的民間教育運動には、「ほめる場合でも、叱る場合でも、“○○な子”というレッテルを貼ってはいけない」という教えがあります。

 たとえば、転んで泣いている近所の子を助け、家まで送ってあげたわが子を「なんて親切な子なの」とほめるのはよくないと言われています。なぜなら、ほめられた本人は、常日頃自分を「いじわるな子だ」と認識していて、「今日は、たまたま親切にしただけだ」と、思っていたかも知れないからです。そんなときにほめられると、罪悪感に襲われ、かえって親に反発したくなるのです。

 子どもをほめるときの最も大切で、ただ一つの原則。それは、「ほめるなら、子どもの努力やそれによって成し遂げたことをほめること。子どもの性格や人格を問題にしてはならない」ということです。子どもがリビングをきれいに片づけてくれたときには、「よい子だね」というほめかたをするのは適当ではありません。望ましいのは、子どもがしてくれたことをそのまま映してみせる働きをするべきで、子どもの人格について言及するのは好ましくないのです。

 ですから、「感心な子ね」「あなたはおかあさんの自慢の子よ」「ママ、あなたがいなかったらどうしていいかわからない」――こういうほめ方は、かえって子どもを脅かすおそれがあります。親にほめられるほどよい子だという自信がないとき、親のほめ言葉は重荷になってしまいます。「よい子」というレッテルを貼られると辛くなるのです。

 前出のアメリカの心理療法家は、「真正面から人格をほめられるのは、直射日光を浴びるようなものだ。まぶしすぎて当惑してしまう。そして、少なくともそのほめ言葉のある部分を否定せずにはいられなくなる」と、述べておられます。

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カテゴリー: 子育てについて

自分に自信がもてない日本の子ども

2010 年 6 月 7 日 月曜日

「自分に自信をもつのは大切なことだ」と、誰しも思います。ところが、日本の子どもは他国の子どもと比べて自分に対する評価が低いそうです。筆者は仕事柄、教育や発達心理学に関する本に目を通す機会がよくありますが、このことを問題視し、指摘する学者が少なからずいました。

 自分への評価が少し低い程度なら、「日本は謙譲の美徳を重んじる国だから、子どもも控えめに答えるのだろう」と、笑ってすまされるのでしょう。しかしながら、次の資料を見るとそれではすまされないように思えてきます。

小学生の自己評価

 このブログをお読みいただいているかたの関心が深いと思われる、「勉強」に関する項目を見てみましょう。何と、「自分は勉強ができる子」と答えた子どもの割合が一番低いのは東京で、わずか8.4%でした。この質問ではアジアの都市が全体的に低いのが特徴です。東アジアの都市域は、世界的にも子どもに対する受験圧力の強い地域であり、それが「自分は勉強ができる」という意識を失わせているのでしょうか。

 ただし、他の項目もおしなべて日本の子どもの数値が低いのが気になります。生活に困窮する経験もなく、親の庇護のもとで何不自由なく暮らしているというのに、なぜ日本の子どもは自分に自信がもてないのでしょうか。

 東京大学名誉教授の汐見稔幸(としゆき)先生は、このことと因果関係があるのではないかという見方から、次のような資料を提示しておられます。

 

子どもの成長についての満足度

 これは、「子どもの成長に満足していますか」という質問への回答結果をまとめたものです。選択肢は、「満足」「やや満足」「不満」の三つで、表中の数字は、「満足」と答えた人の割合を示します。

 日本のおかあさんは、わが子が赤ん坊の段階で、すでに7割弱しかわが子の成長に「満足」しておられません。なぜわが国ではこうした傾向が見られるのでしょうか。これをご覧になったおかあさんには、ぜひこのような結果が出た原因について、考えてみていただきたいと思います。

 次に、子どもが小学校高学年になったときの数値を比べてみましょう。日本のおかあさんは36%あまりしか「満足」と思っていないようです。これは他国と比べて図抜けて低い数値です。欧米諸国との差は50%近くもあります。こうした現実について、前述の汐見先生の見解をご紹介しましょう。

 本来なら、子どもが大きくなるにしたがって「うちの子はしっかりしてきたな」となって満足感が回復してくるべきだと思うが、日本は逆に満足度は下がってしまう。日本の親はどうも子どもへの期待が高すぎるのか、期待の方向が子どもの実際の成長の方向と少しずれているのだろうか。いずれにせよ、親が自分の子どもに満足していないことは態度となって、どうしても子どもの前に出てくる。そういう子どもへの感情は、親子の信頼関係をつくりにくくしてしまうのではないか。

  この資料と汐見先生の指摘は、これからお子さんの中学受験生活に入るご家庭にとって大いに参考になると思います。親が胸に留めるべきは、こういうことではないでしょうか。

 わが子への期待は大いに伝えるべきである。しかし、期待が過度なものだと、子どもに自信を失わせるおそれがある。わが子に対しては、適度な期待を継続的に伝えてやることが必要である。

 子どもに対して絶対的な立場にある親の対応は、子どもの人格形成に大きな影響を及ぼします。親の期待を差し出すことは重要ですが、期待通りにならないときの対応も同じくらい重要です。がんばりのたりないわが子に不満を示すだけでは、子どもをがんばらせることにはなりません。子どもを励まし、粘り強く見守り、そして子どもの成長を待ってやる余裕をもちたいものです。

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カテゴリー: アドバイス, 子どもの発達, 子育てについて

進学塾のテキストは難しいほうがよい?

2010 年 6 月 3 日 木曜日

 以前、「易しいテキストが私たちの優しさ?」というタイトルで当ブログの記事を書いたことがあります。その記事においては、「合格に差し支えない範囲で、できるだけテキストの内容を易しくするよう心がけている」という、私たちのテキスト制作における方針をお伝えしました。

 ところが、一般に中学受験の世界では、難しい問題を中心に編集されているテキストのほうが好まれるそうです。そのせいでしょうか。弊社の中学受験用のテキストも、「易しすぎる」という指摘を受けることがあります。

 昨年、大都市圏の進学塾の関係者にお会いしたとき、たまたま「テキストは難しいほうがよいのか、それとも易しいほうがよいのか」という話題がもちあがりました。すると、その人曰く。「テキストは難しいほうがよいか、易しいほうがよいかという議論は意味がありません。大都市圏では、テキストが易しいと、それだけでクレームになるんです」――つまり、学習塾の考えはさておき、テキストの問題が易しいと、それだけで保護者に「これでは受かるだけの学力がつかない」という印象を与えてしまうのです。そして、不安になった保護者から文句や苦情が寄せられることになるのです。

 かつて、その学習塾はテキストを易しい問題中心に変えたことがあるそうです。すると、保護者からクレームや批判が殺到しました。やむなく、翌年は難しい問題を中心に編集されたテキストに戻したそうです。

 全く歯が立たない難問があったとしても、レベルの高い問題があることで保護者が安心する。だから、テキストは難しくしなければならない。そういう理屈なのだそうです。「ですから、うちでは始めから扱わないと決めている難問でも、敢えてテキストに載せています」とおっしゃっていました。

 家庭学習研究社は、どうやら易しいテキストを意図して制作している例外的な進学塾のようです。それでも編集方針を変えなくてすむのは、このテキストで何十年も前から実績をあげて保護者からの信頼を確立したことや、基礎内容を出題の中心とした広島という地域の入試事情によるのだろうと思います。そのことについては、以前このブログに書きましたね。

 さて、これは心理学の世界でかなり有名な話なのでご存知かもしれません。人間の意欲は、成功する見込みが50%ぐらいのときにいちばん高まるのだそうです。易しすぎる問題では征服感も達成感も得られません。子どものやる気を増幅させる成功体験にはならないのです。逆に、難しすぎるといくら考えてもわからないので、意欲はしぼんでしまいます。「自分はダメだ」と、自信を失ってしまう怖れもあるでしょう。

「やるぞ!」「何としても解きたい!」という意欲を引き出し、「やったぞ! 解けた!」という効力感を与えてくれる学習こそ、子どもたちに求められるものです。それを達成させてくれるのは、成功か、失敗かの確率が五分五分ぐらいの課題なのです。そのことを踏まえるなら、入試用のテキストも、受験生の平均的レベルから割り出した五分五分をねらって編集されるのがベストではないでしょうか。

 この観点から、今一度弊社のテキストに載っている課題の平均難易度を検証してみると、「なかなかよいバランスで編集されている」と、改めて筆者は思いました(手前味噌ですみません)。

 実際に弊社のテキストを使って学んでいる子どもたちはどうでしょうか。少なくともここ数年、「こんな易しい問題ばかりでは、やった気になれないし、もの足りません」といったような反応は一つもありません。

 私たちが心配しているのは、むしろ逆の反応です。近年少しずつ私たちの「易しい」と言われるテキストをやりこなせないお子さんが増えているように思います。そういう状態のお子さんが、「全部やらないといけない」と思ってしまうと、受験勉強はつらく苦しいものになってしまいます。

 同じ中学受験をめざすといっても、子どもたちの学力状態はいろいろです。そして、その上下幅が徐々に大きくなっているとすれば、そのことにも配慮しなければなりません。かといって、難易度を変えた何種類ものテキストをつくるのは塾の経済力から言って無理ですし、そういうことをすると、受験生やその保護者に無用の差別感を与えてしまいます。

 以上から私たちは考えます。入試の実状と受験生の学力状況をみながら、「易しすぎず、難しすぎず」の最もよいバランスをめざしてテキストをつくる。一人でも多くの子どもたちが達成感や征服感を味わいながら、勉強に対する志向性を高めていけるようなテキストをつくる。困難なことですが、それを達成すべくあきらめずに追求していくしかありません。

 中学受験は、合格者と落伍者を振り分けるためにあるのではありません。すべてのお子さんの将来にとってプラスの作用をもたらさなければ意味がありません。子どもたちの意欲や自信を左右するのがテキストです。易しすぎず、難しすぎずのバランスをどうとるかの大切さについて、改めて肝に銘じたしだいです。

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カテゴリー: 中学受験, 家庭学習研究社の特徴, 家庭学習研究社の理念