2010 年 7 月 のアーカイブ

記憶力の差は努力で埋め合わせられる!

2010 年 7 月 29 日 木曜日

 認知科学の専門家の書かれた本に、子どものみならず大人にも希望のもてるよい話があったので、今日はそれを取り上げてみようと思います。

 とはいえ、特別な話ではありません。誰でもある程度はそのことを自覚していることではありますが、それを信じてがんばれないことが、筆者を含めた凡人の現実であろうと思います。

 やや“もったい”をつけてしまいました。その話がどういうものか、筆者が着目した部分をご紹介してみましょう。

 何かを記憶するには、単純な練習の繰り返しが効果的なのは確かです。練習すればするほど、記憶するのがはやくなるのも確かです。反復練習をすることによって、脳の神経細胞どうしのつながりがよくなるのだと考えられます。しかし、どういう刺激がどの神経細胞と関与しているかは、わかりません。

 それでは、すべての人が練習次第で同じようにはやく覚えられるのかどうかとなると、人それぞれです。たとえば英単語一つ暗記するのでも、一、二回勉強するだけでほぼ完璧な人と、三~五回かかる人、十回もくりかえしてようやく覚えられる人とさまざまでしょう。

 実はそれは、遺伝で決まっているのではないかと推測されます。(中略)しかし、よほど暗記力がある人や、いくらくりかえしても覚えられないような精神遅滞の人は別にして、ふつう三~五回もくりかえせば、ほぼ覚えられるはずです。また、その訓練をくりかえせばくりかえすほど、効率よく覚えられるようになります(中略)。

 英単語を覚えさせるテストの場合、ほぼ三回やらせると百%近く覚えられます。一回暗記しただけでは半分くらいしか覚えていません。しかし、二回暗記してテストをすると成績はグンと上がり、三回目でほぼ百%近くになります。それ以降は何度やっても、だいたいその水準でフラットになります。同じ図形を見つけ出すというテストでも結果はだいたい同様です。

 ですからふつう、英単語でも歴史の年号でも暗記しようと努力しても、一回だけでは半分は忘れてしまうのです。それをあと二回、三回とくりかえせば、ほぼすべて覚えることができるはずです。つまり、何であっても覚えたければ、三回くりかえすことです。しかし、たいていの人がその、くりかえし覚えるという行動で躓(つまず)くわけですね。

 (中略)三回くりかえしても覚えられないというのであれば、あと二、三回くりかえす努力を惜しまないことです。暗記というのは慣れですから、くりかえすうちにいずれは覚えられるようになるのです。

 一、二回で覚えられる人は頭がよくて、五、六回もかかる自分は頭が悪いなどと落ち込む必要はありません。一回で覚えられる要領のいい人は、それに甘えて努力を怠るばかりに忘れるのも早いかもしれないのですから。

 どうでしょう。耳が痛い指摘である反面、元気づけられる話ではないでしょうか。やっているうちに、段々と要領よく記憶できるようになるし、力を入れて学んでいる分野の勉強が頭に入りやすくなるということは、どなたも経験されていることでしょう。要は、信念をもって努力を継続できるかどうかなのですね。

 自分よりももの覚えがよい人をうらやんでもしかたありません。その人が一の努力で覚えられることが、自分には二の努力、三の努力が必要だとわかったなら、それをすればいいまでのことです。努力を惜しまなければ、同じ結果が得られるのです。傍目には同じ成果を出しているわけですから、何ら問題はありません。実力は同じなのです。

 なまじ、努力をしなくてもできたばかりに、他人の苦労に思いを致すことができなかったり、うまくやれない人を小馬鹿にしたりする人がいます。そういう人は、引用文にもあるように、忘れるのが早いかもしれません。ですから、仕事でも成果を引き出すのが難しいのではないでしょうか。また、いつまで経っても人から尊敬されません。

 人知れず努力をし、苦労して結果を得た人は、うまくできない人への思いやりや配慮を怠らないものです。今から勉学の道を歩むお子さんには、そういう人になって欲しいものですね。

 筆者は、これまでたくさんの優秀なお子さんを見てきました。そのなかには、とてつもなく物覚えがよかったお子さんもいます。しかし、こうした天才肌のお子さんは希(まれ)にしかいません。コツコツ努力してよい成績をあげているお子さんのほうが、圧倒的に多いのです。

 そういうお子さんは、成績が悪かったとき、一様に「がんばりが足りなかった」と言います。テストの成績を努力に帰する姿勢をもったお子さんは、同じ失敗を繰り返しません。こういうお子さんをお育てになったおとうさんとおかあさんには、ほんとうに頭の下がる思いがします。小学6年生の時点でそういう姿勢をもち、受験勉強に励んでいるお子さんに、まず失敗はありません。そして、それは子育ての成果なのです。

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カテゴリー: がんばる子どもたち, 勉強の仕方, 子どもの発達

私学へ入ってからのことが心配ですか?

2010 年 7 月 26 日 月曜日

 このところ、毎日のように筆者は私学を訪問しています。弊社の私学紹介イベントが無事に終わり、協力していただいた私学にお礼の挨拶回りをするためです。

 そのとき、ふと「せっかく私学を訪ね、私学の先生とお話しできるのだから、受験生の親御さんに参考になる話を聞いて帰り、それをブログに載せたらどうだろうか」ということが頭をよぎりました。

 いささか思いつきでしたが、どうせなら知りたいけれど少し聞き難い質問をしてみようと、「私学に入ったものの、うまく行かない生徒さんはいますか」「うまく行かなくなるのはいつ頃が多いですか」「学業面で苦労している生徒さんに、何か具体的対策をしておられますか」「補習はされていますか。されているとしたら、何年生ですか」などといったことを尋ねてみました。

 それに対して、私学の先生がたは丁寧に答えてくださいました。先生がたのお話をお聞きしていて、「質問してよかった」とつくづく思いました。とかく受験する側の発想は「受かるにはどうしたらよいか」に偏りがちです。しかし、“受験後”を見据えた受験勉強をすることも大切です。受かったあとの子どもの様子を聞いてご紹介することで、どういう受験をすべきかをこのブログの読者の方々に考えていただきたいと思いました。

 まず筆者が驚いたのは、質問をした全ての私学で補習をされていることでした。さすがに中1からされているケースは稀でしたが、中2や中3ではほとんど全ての私学で補習が行われていました。それも指名して受けさせる補習、任意に希望者を対象として行われる補習など様々でした。なかには、朝の授業前に補習をされている私学もありました。お話を聞いていて、「私学の先生って大変なんだな」とつくづく思った次第です。

 昔はこんなに補習はしておられなかったと思います。入学後の学力格差が以前よりも広がりつつあるのでしょうか。ただ、以前よりも保護者からの要望が多く(強く)なったということは、私学の先生に聞くまでもなく、あちらこちらから漏れ伝えられていることです。

 私学は、同じ学力規準をクリアして入学した生徒さんの集団です。それなのに、中学2年生頃から補習を受ける生徒さんがどの学校にも一定数いるとは! これはどういうことなのでしょうか。まず思うのは、「私学の多くは中2までで中学校課程の勉強を終える。そのはやいテンポに着いていけなくなったのだろう」「中学課程の基礎が不十分な生徒さんは、高校課程の学習が始まった中3から全く勉強がわからなくなるのではないか」ということです。

 このことは、概ね当たっているように思います。しかし、そればかりではありませんでした。学習習慣がついていなかったり、思春期の問題がからんで勉強がおろそかになったり、クラブに傾倒しすぎたり、中学受験の反動でしばらく勉強に熱が入らなかったりなど、様々な原因があるようでした。

 ある私学の先生が言われていましたが、知識を口元に流し込んでもらうような受動的勉強をしていると、受かっても必ず行き詰まってしまうそうです。そういう生徒さんの保護者からフォローを望まれ、基礎を定着させるための補習を先生がたがさせられるとしたら、本末転倒と言うしかありません。私学は、志をもって、自ら学ぶ精鋭の生徒集団であるはずですから。

 中学へ入ってから勉強がうまく行かなくなる原因として、先ほど挙げた「学習習慣がついていない」というのがあるのも残念なことです。これも考えられる原因は、大人主導の受け身の受験勉強のせいだと思います。あるいは、中途半端な受験勉強で受かった生徒さんがこうなる可能性も高いと思います。

 思春期になると、多くの生徒さんは大人に反発するとともに、既成のものを否定し、自分らしさを主張したりするようになります。勉強以外のものに傾倒したり、羽目を外しすぎたりすることもあります。クラブ活動に傾倒しすぎるというのも、これと関連がありそうですね。

 大人から見ると危なっかしいのですが、ある私学の先生は、「そういう経験を通じて、自分ならではの世界をもつこと、自分の引き出しを多くもつことも重要だ」と述べておられました。そういう経験をした生徒さんのほうが、自分の生き方をもっているし、いざやる気になったときにエネルギーを集中させて夢を実現させる可能性が高いそうです。これは程度問題ではありますが、親としてはハラハラさせられますね。

 そういえば、中学受験で大人に勉強を強要されたり、親に厳しく叱られながら勉強したりしていた子どもは、思春期になったときが危ないと言われています。小学生時代までは、大人との力関係では圧倒的に大人の方が上です。そこで、子どもが納得いかないことも我慢させられます。しかしながら、心の奥底には大人への不信感や反発があります。それが思春期になって爆発し、周囲の大人の言うことを聞かなくなったり、親を否定したり、勉強を投げ出したりといった行動に子どもを走らせることになります。

 どうでしょう。どういう受験勉強によって入試を突破すべきかについて、多少なりとも参考になったでしょうか。いざわが子が受験となると、どういう勉強で合格すべきかを考えるよりも、どうしたら合格できるかばかりを考えがちです。しかし、大切なわが子が受かったあとに埋没しては受験の意味はありません。やはり、どういう受験で合格すべきかを考えることは大切なことだと思います。

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カテゴリー: 中学受験, 私学について

「私学イベント」を終えて~私学で輝く生徒さんの秘密とは?~

2010 年 7 月 22 日 木曜日

 先日、ブログでご紹介させていただいた弊社のイベント「私学が君を呼んでいる!」ですが、今回は運営に携わる広報担当者から、行事の思い出などをお話してみたいと思います。

 私達スタッフは、第一部冒頭の「映像による学校紹介」でご覧いただくビデオを作成するため、毎年いくつかの学校にお邪魔して、授業風景やクラブ活動などを撮影しています。今回は、修道中学校、ノートルダム清心中学校、広島城北中学校、広島女学院中学校の4校に伺ったのですが、そこで垣間見た生徒さんたちの素顔がとても印象的でした。

 このたびは、クラブの部長さんや弊社の卒業生さん数名が、カメラの前でクラブや学校のことをお話してくださいました。そのおかげで、今までとは一味違った映像を作ることができたように思うのですが、取材中に「こうしたら面白くない?」「もっとこんな風にやってみようよ!」など、生徒さんから次々とアイデアが飛び出すのにはすっかり感心してしまいました。中には、あまりの面白さに教室やグラウンドが爆笑の渦に包まれ、まるでコントのような楽しい学校紹介になったところもあるほどです。また、突然お邪魔しても快く私達を迎えてくれたばかりか、撮影が数時間にわたっても疲れた顔ひとつ見せず、最後まで笑顔でがんばってくれた皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 どの学校もそれぞれに思い出深い撮影となりましたが、そこで私学の生徒さんたちとふれあううちに、あることに気がつきました。学校で楽しそうにしている生徒さん、生き生きと輝いている生徒さんは、みんな実に「よく学び、よく遊ぶ」のです。ただでさえカリキュラムの密度が高く、学習進度もかなりはやいのが私学です。日々の課題をこなすだけでも相当に忙しい毎日を送っているはずなのに、勉強もクラブ活動も決して手を抜かず、自分達のやりたいことを追いかける生徒さん達。そんな彼らの姿を見て、「私学にはこんな素敵な生徒さんがいるんだ!」と嬉しくなってしまいました。イベントに参加してくれた6年部の子ども達も、私学に通う先輩の生き生きとした姿を間近に見て、きっと同じ思いを抱いてくれたに違いありません。

 私学で出会った生徒さん達の共通点――与えられた環境の中で前向きに努力する姿勢、何事にも全力投球するエネルギー、旺盛な好奇心などは、どの中学校に進んでもそこで成長していくために必要不可欠な力ではないでしょうか。また、こうした力は中学生になってから急に身につくものではなく、小学生のうちからじっくりと育てておくものではないかと思います。

「あんな素敵なお兄さんやお姉さんになるには、どうしたらいいと思う?」
「どんな勉強や生活習慣を心がけたら、楽しい中学校生活が送れるかな?」

 保護者の方におかれましては、ぜひお子さんと一緒に、望ましい受験勉強や生活のあり方などについて話し合ってみてはいかがでしょうか? こうした機会は日頃なかなか持ちにくいだけに、お子さんの方から思いがけない考えを聞かされたり、意外な発見をするなど、親子で新鮮なコミュニケーションをとることができるかもしれません。

 季節はいよいよ夏本番! 約40日間にわたる夏休みは、今後の受験生活の見通しを立てるうえで絶好のチャンスです。夏休みを実り多いものにするためにも、お子さんとたっぷり話し合って、「理想の中学生像」を思い描いてみてください。きっとその夢は実現するはずです。あこがれの先輩になったお子さんが後輩にエールを送ってくれる日を楽しみに、来年のイベントもスタッフ一同力を合わせて頑張ります。 (sugihara)

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カテゴリー: 私学について, 行事レポート

実物体験が“生きる力”を育む

2010 年 7 月 20 日 火曜日

 前回は、「夏休みは自然体験を子どもにさせる絶好の機会です」といった趣旨の記事を書きました。夏休みが近づいたせいでしょうか。テレビ番組を見ていると、識者が「日本人は実体験の伴わない知識に偏りすぎている。日本の子どもには、机上で知識を増やすことだけでなく、外に出て活動し、実物にふれる体験をもっとさせるべきだ」というようなことを語っているのを目にしました。

 また、ニューズウィーク日本版では、「子どもの頃の体験は、一生の宝物」というタイトルで特集記事が組まれていました。ちょっとその一部をご紹介してみましょう。

 子どものときに、豊かな自然を体験したり、子ども同士でたくさん遊んだ経験のある人ほど、学歴が高く、年収も多い――そんな調査結果が先日発表された。

 独立行政法人 国立青少年教育振興機構の「子どもの体験活動の実態に関する調査研究」の中間報告によると、子どものころの体験が豊富な人ほど、大人になってからの意欲や関心、規範意識が高い傾向があるという。さまざまな体験によって探求心や知的好奇心が刺激され、学習意欲が向上するのではないか。専門家からはそんな指摘がある。

子ども時代に自然体験をした人の大人になってからの意欲関心

 とすると、やっぱり夏休みには普段できないことをさせてあげたい。実際に体験した子どもとそうでない子どもとで大きく差が出る教科は理科だそうだ。カブトムシを捕りに行ったり、カエルをつかまえたり、満天の星空を眺めたり・・・・・・。自然を肌で感じる機会をつくってあげよう。それが、ひいては学校の勉強を支える好奇心や意欲のもととなるのだから。

 最近は、小学生の理科だけに特化した学習塾があったり、理科専門の通信教育があったりするそうです。普段の生活では、なかなか自然に親しむ経験はできませんから、これも一つの方法なのかも知れませんね。

 そう言えば、ずいぶん前のことですが、息子さんに徹底した自然観察をさせたおとうさんがおられ、その結果息子さんが東大医学部に進学されたという話があります。

 そのおとうさんは、近所の川や動物園に息子さんを連れて行き、自然や動物を徹底的に観察させ、その体験から様々なことを学ばせたのです。たとえば川に連れて行った場合でも、ただ漠然と川を眺めさせるのではなく、田んぼに水を引くための小川の中を覗いたり、河原を隅々まで歩き回ったり、水の中をじっと眺めさせたり結果、息子さんは自然に棲む動物の生態を詳しく知ることができました。

 子どもは、知れば知るほど「もっと詳しく知りたい!」という欲求を募らせるものです。そうした知識欲を満足させてやるべく、おとうさんは詳しい図鑑を八方捜しては手に入れ、息子さんに与えたそうです。こうした野外での体験的学習が、息子さんの学ぶ力を大いに引き出していったことは想像に難くありません。

 連想ゲームのように頭に浮かんだことですが、ノーベル物理学賞を受賞したアメリカのリチャード・ファインマン博士は、子どもの頃おとうさんにしばしば博物館へ連れて行ってもらったそうです。

 おとうさんは余り成功したとは言い難い起業家だったそうですが、恐竜の化石を前に、熱心にわが子に恐竜について語って聞かせてくれたそうです。ただし、おとうさんの説明は子どもにもだいぶ間違いがあったとわかるものだったようです。しかし、そういう実物にふれる体験が、後にノーベル賞を受賞するほどの偉大な科学者を育てたのかもしれません。

 教育的視点に立つと、「こうやれば、ああなる」といった図式で子どもに接するのは好ましくないように思います。ただ、先ほどの自然観察を息子さんにさせたおとうさんにしろ、偉大な科学者を育てたおとうさんにしろ、わが子に接しているときには具体的効果を目当てにはしておられなかったと思います。あったとしたら、「子どもにこういう体験をさせてやりたい」「子どもにこういうことを教えてやりたい」という情熱と愛情ではないでしょうか。

 夏休みは、普段より親子で一緒にいられる時間がたくさんあります。ここは、おとうさんの出番かも知れませんね。

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カテゴリー: アドバイス, 子育てについて, 家庭での教育

夏休みこそ子どもに自然体験を!

2010 年 7 月 15 日 木曜日

 子ども時代にぜひともたっぷりと体験しておきたいこと。その一つが自然体験です。しかしながら、近年は街で暮らしているか、田舎で暮らしているかに関わらず、子どもの自然体験の時間が減っているそうです。

 天の川と虫と子どもたち「自然に囲まれた場所で暮らす子どもなら、毎日自然と接触しているはずではないか」と思われるでしょうか。それが、そうでもないのです。先日ブログに書いた記事ではありませんが、田舎で暮らす子どもにもコンピュータゲームは浸透し、遊びの内容は街で暮らす子どもとさほど違いはありません。山奥で生活する少年たちだって、自然と接する遊びよりも、コンピュータゲームを好む傾向があります。

 さて、もうすぐ夏休みですね。このブログをお読みいただいているご家庭のおとうさんおかあさんは、おそらくこの何年かうちにお子さんの中学受験を迎えることになります。しかし、たとえ中学受験をするお子さんであっても、小学生時代に自然とふれあう体験をしておくことの重要性は何ら変わりません。次にご紹介する文章は、ある教育学者の書かれたものですが、自然体験の重要性を教えられる話ですのでご紹介してみましょう(一部改変)。

 人格が発達するということ、あるいは自我が発達するということは、自分という人間を見るもう一人の人間、あるいは自分という人間と対話するもう一人の自分を、心のなかに豊かに発達させていくことと重なります。

 けれども、その自分を見る別の自分は突然わいてくるわけではありません。たとえば、星空を見上げながら、宇宙のなかの自分の星、その星の上の自分、それはこんなにちっぽけなんだと見るような体験を重ねることで、あるいは教科の勉強を通じて、今、ここを超えてものを見る確かな視点を手に入れることで獲得されるのです。

 小学生時代にそういう体験をたくさんすれば、自分をとらえるもう一つの眼差しを育てるチャンスはふえます。それを獲得していないと、思春期になっていろいろな問題にぶちあたり、混乱したときに、自分を突き放して見ることがなかなかできない、ということになる可能性があるわけです。よって、いろいろな問題に飲み込まれて、翻弄され、思春期の問題をこえにくくなります。

 ですから、小学生時代に自然の不思議を体験したり、自然を感じる体験をいっぱいするということのなかには、ものすごく大きな意味があるのです。自然とふれあうとよいということの意味のなかには、自分以外の大きなものを感じることで、自分を見るもう一人の自分の目を育てていくということがあるのです。

 お子さんの現在を振り返ってみてください。こうした不思議がる気持ちに満ちた子どもに育っているでしょうか。そういう体験を繰り返すことが、自分を中心とした世界しか見えない幼児的なものの見方から、自分を取り巻く様々な事象と自分とを客観視する大人的なものの見方へと子どもを成長させるのでしょう。先ほどの学者は、そのことを「自我が発達する」というような言い方で説明しています。自分という人間を見るもう一つの自分、あるいは自分という人間と対話するもう一人の自分を、心のなかに豊かに発達させていくことに重なるのだそうです。

 別の学者によると、思春期に問題行動を起こした子どものうち、かなりの割合の子どもは、小学生のころに空の星を見て「不思議だなあ」とか、「どうしてこんなにいっぱいあるのだろう」とか、「あれが何億年も前の光だとは信じられない」などといったような、不思議を体験していないそうです。先ほどの話と照らし合わせると、何となく理由がわかるような気がします。

 こうした専門的な話はぬきにしても、自然とふれあうのは楽しいものです。自然のなかで戯れている子どもを見ていると、不思議を感じる気持ちをどんどん増幅させている様子がよくわかります。自分がまだ知らないもの、よくわからないものが無数にあるのが自然です。そういうものを目にしたり手に取ってみたりしたときに感動するのは、新奇なものに好奇心を抱く人間の本性です。その感動の気持ちがわきあがりやすい小学生のうちにこそ、自然とふれあう体験をわが子にたっぷりとさせておきたいものですね。

 筆者は、愚息が3歳の頃から山登りに度々行きました。一緒に歩きながら、山の植物の名を教えてやったものでした。愚息が山道の端を指さしながら「あれはホトケノザ」などと言うだけで、妙に嬉しかったものです。もう少し大きくなると、図鑑などから自分で名前を確かめ、逆に教えてくれるようになりました。また、山道を歩いているとそこに生息する動物に出くわすことがあります。子どもがビックリして反応したのは、シカ、サル、タヌキ、キジなどだったでしょうか。

 山登りが、何かの役に立ったかどうかはわかりません。しかし、親子で山登りをしたということ自体が、ずっとこれからも楽しい思い出として残ってくれるでしょう。

 さあ、この夏休みには親子で自然に囲まれた環境に足を運んでみませんか? わが子のセンス・オブ・ワンダー(不思議がる心)が目覚めるべく、夏休みならではの自然体験のチャンスを用意してやりましょう!

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