2011 年 3 月 のアーカイブ

中学受験の意義をどうとらえるか

2011 年 3 月 28 日 月曜日

 受験は行きたい学校があるからするものです。その意味において、“受かる”ということが、第一の目的にあります。

 しかしながら、長年中学受験指導にあたっている私たちは、「中学受験の場合、受かること以外にも重要なものがある」ということを痛感しています。それは何か、ということになりますが、次にあげる事例を通じてお考えいただきたいと存じます。

 ある年、たまたま筆者の知っているご家庭のお子さんが入会されました。5年部からの入会だったと思いますが、おとなしくて真面目な男の子でした。仮にA君ということにしましょう。A君は、成績は決してよい方ではありませんでしたが、コツコツ学ぶタイプの子だったので「受験校のいずれかには受かるだろう」と思っていました。

 ところがいざ受験となると、A君はことごとく失敗してしまいました。やや内気な性格が災いしたのかもしれません。結局地元の公立中学校に進学することになりました。とても申し訳ない思いに襲われ、以後は気まずくなって親御さんとはお会いすることもなくなってしまいました。

 それから2~3年後だったと思います。A君の弟さんが入会されました。正直言って、「A君があんなことになり、もう下の弟さんとはご縁がないだろう」と思っていました。しばらくして、おかあさんとお話しする機会がありました。そのとき、こんなことをおっしゃったのを記憶しています。

 「確かに、上の子の受験が失敗に終わったときはショックでした。『かわいそうなことをした』と、受験をさせたことを後悔もしました。しかし、中学校に入学してから、受験をさせてよかったと思うようになりました。というのは、息子の勉強に向かう姿勢がとてもよいと先生にもほめられ、また、周りからも一目置かれるようになり、何事も自信をもってハツラツとやれるようになったんです。それを見ていて、『そうか、小学生のうちに学習姿勢を築いておくというのは、こういうことなんだな』と思うようになりました。それで、下の子もおたくに通わせる気持ちになりました」

 とてもありがたい話でしたが、そのときはお子さんを志望校合格に導けなかったことを申し訳なく思うばかりでした。

 また、こんなお子さんもいました。仮にB君としておきます。B君は、先ほどのA君と違って元気いっぱいに学ぶエネルギッシュな男の子でした。理系の教科はトップクラスで、私学の最難関校を目指していました。勉強ぶりも積極的で、何も注文をつけることがないほどのお子さんでした。

 ただし、一つ弱点を抱えていました。筆者が指導を担当していた国語です。算数では切れ味抜群の頭脳を発揮するB君でしたが、いわゆる文学的文章(物語)などで問われる、登場人物の心情把握などが苦手でした。心理描写が複雑なものになると、サッパリわからないようで、テストでもそのときに限ってはがくんと点数が落ちる傾向がありました。

 中学受験の場合、こうした精神的な成熟度に起因する弱点は能力とは別問題で足を引っ張ります。筆者も心配していろいろアドバイスをしたのですが、弱点の解消はなかなかはかどりませんでした。B君が第一志望にしていた私学は、国語では記述式の問題が多く、それも心配の種でした。

 そしていよいよ入試。心配は現実のものとなり、B君の合格はなりませんでした。「ああいう子を合格させてあげられないなんて・・・・・・」そのときは、自分の指導力のなさをつくづく思い知らされました。

 さて、そのB君ですが、6年後の春に電話をしてきました。「先生、今年T大の理Ⅰに合格しました」という彼の元気いっぱいの報告を聞き、とてもうれしく思ったものでした。中学受験では残念無念の思いを味わったものの、それからの6年間で彼は見事な成長を遂げていたのです。

 二人の男の子の学力の状態はそれぞれ違っていたと思います。しかし、中学校進学後、自ら学ぶ姿勢を維持し、ますます熱心に学んでいったという点では同じです。

 こういった学ぶ姿勢は、中学校に進学してから育てていくのは難しいものです。習慣として染みついた学びの姿勢は、よきに悪しきにそうそう変わるものではありません。だからこそ、中学受験の助走を通じてよい学習姿勢を育てたいと私たちは考えています。

 だいぶ前、筆者も愚息を家庭学習研究社に通わせ中学受験を経験させました。愚息は計画性や戦略性に著しく欠けるタイプで、見通しをもって学ぶということが苦手でした。受験も親として心配したとおりの結果になってしまいましたが、中学生になってからあることに気づきました。

 愚息は、自分の欠点を何とか払拭しようと意識し、勉強に取り組むようになっていたのです。このことも、中学受験をさせることの意義に通じるのではないかと思います。受験を通じて、自分の長所を自覚するとともに、欠点に気づくこともできます。受験のプロセスで欠点を全て解消できなかったとしても、以後の学校生活で欠点の解消に向けて継続的に取り組んでいけばいいのです。

 自分の力を磨くうえで、自らのよい点や悪い点がどこにあるかを知っておくのは重要なことです。しかし、それは何らかの目標をもち、ある程度腹を据えてぶつかってみないと見えてこないものです。受験を経験したからこそ自らの欠点を自覚し、「直さなければ」としみじみ思うこともあるでしょう。それが子どもの奮起につながれば、受験の結果など二の次だとさえ言えるほどです。

 ときどき、「受験は受からないと意味ない」「受からなきゃ何も始まらない」という声を耳にします。しかし、成長期の受験である中学受験はその限りではないと思います。子どもを成長させるすばらしい機会にできるのですから。

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勉強に自信がなくなるのは成長の証(あかし)?

2011 年 3 月 22 日 火曜日

 2~3年ほど前、テレビCMの撮影に立ち会ったときのことです。5月頃だったでしょうか。弊社5年生の会員家庭にお願いし、1クラス分ほどの数の子どもたちに集まってもらいました。

 撮影にあたっては、機材のセッティングを始め大変手間のかかる準備が必要です。こうした作業と並行して、子どもたちも交替でメイクさんに顔を塗ってもらいました。

 これは女の子たちにはとてもうれしいらしく、どの子も呼び出されるたびに晴れがましい表情を浮かべ、うきうきとメイクの場所へ移動していました。一方の男の子の表情は対照的でした。メイクをされるのが照れくさいのでしょうか。大概、ぶっきらぼうな表情をしたり、頬を引きつらせたりしていたのが印象に残っています。

 子どもたちは、自分のメイクの番が来るまでは何もすることもなく、所在なさそうな様子でした。そこで、待機している子どもたちにこんな言葉をかけてみました。

「どうだい? 塾に通うのも慣れてきて、だいぶ勉強に自信がついてきたんじゃないかな? 5年生になって理科や社会の勉強も始まったし、算数なども結構難しくなったのに、みんなずいぶん元気いっぱいにがんばっているようだね」

 それから、「5年生になって勉強に自信がついてきた人は?」と挙手をしてもらいました。すると、驚いたことにほとんど手が挙がらないではありませんか。「じゃ、自信がなくなってきた人は?」と、尋ねたら、何と三分の二以上の子どもが手を挙げました。

 みんな笑顔に溢れ、その日も撮影に張り切って協力してくれているというのに。これはどういうことなのでしょう。

 すると、ある男の子が言いました。

「塾は楽しいだけど、勉強はやっぱり大変だよ」

 なるほど、と思いました。それから、何人かの子どもとやりとりをしていて、少しずつわかってきました。子どもたちも、受験勉強の変化に少しずつ気づき、受験生としての自覚をもち始めているのです。

「前よりがんばっているんだけど、なかなか成績があがらない」
「復習に時間がかかるようになって、予定の勉強を全部やりこなせなくなった」
「算数や理科に苦手な単元があって、テストで点数が思うようにとれない」

 子どもたちは、ただ授業を受けたり、友だちとおしゃべりしたりするために塾に来ていた状態から、勉強に目的意識をもって塾に通う状態へと成長していたのです。しかし、成長した分だけ自分を見る目も確かになり厳しくなります。自分はこれでいいのかについて、4年生のころには何も思うことがなかったのに比べ、今は自分を客観的に見つめる目ももてるようになっています。それが自信を揺るがす大きな原因となっていたのです。

 ところで、そのときの子どもたちの反応で気になることがありました。それは、おかあさんがたが子どものこうした変化に気づいておられないように思えたことです。

「このままではいけない」
「勉強が難しくなってきた。ちゃんとやっていけるだろうか」
「苦手単元は、やってもなかなか成果があがらない。どうしたらいいんだろう」
「5年生になったら人数も増えてきて、成績も簡単には上がらなくなってきた」
「テキストのやり残しが増えてきた。どうしよう」

 ――このように、子どもは子どもなりに考え、悩みながら勉強するようになっています。ところが、こうした子どもの変化を知ってか知らずか、おかあさんがたは子どもの尻を叩くようなことを言っておられるようでした。たとえば、
「このままの成績じゃ、お兄ちゃんと同じ中学、受かんないかもしれないよ」
「だんだん成績が下がってきたじゃない。もっとがんばれないの?」
「集中力が足りないのよ。もっと気合いを入れて勉強しなさい!」
「何でこんな点しかとれないの? こんなんじゃ、塾に行かせても意味ないじゃない」・・・・・・

 子どもたちによると、親にこのようなことを言われるようです。家での勉強の様子やテストの成績だけをみると、親がそう言いたくなるのもうなずけます。しかし、子どもの心の中をおもんばかるとかわいそうになってきます。内心の不安と闘いながら学んでいるさなか、親にこういわれたのではますます辛くなってしまうのではないでしょうか。

 おとうさんやおかあさんには、子どもの気持ちを理解してやり、勇気づけるような働きかけをお願いいたします。わが子をがんばらせたいのは同じでも、伝える言葉によっては真逆の結果を招いてしまいます。わが子を意気消沈させたり、やる気や自信を失わせたりする言葉ではなく、奮起を促す言葉かけこそ、お子さんが待望しているものです。

 おとうさんおかあさんの心からの激励を受けた子どもは、親への尊敬や信頼の気持ちを育むこともできるでしょう。それは、長い目で見れば親子関係にも多大な好影響をもたらすことにもなります。

 今一度、わが子の学ぶ様子をしっかりと見守ってみてください。以前と違う真剣な眼差しをしていることに気づかれるかもしれません。

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受験には間に合わなかったけど・・・・・・

2011 年 3 月 7 日 月曜日

 中学受験は12歳の子どもの受験です。人間として発達途上にある小学生の受験だけに、早熟型のお子さんのほうが有利な面が多分にあります。能力開花を見ないうちに入試が来てしまい、残念な結果に終わるお子さんは少なくありません。

 では、そういった懸念を感じた場合、親御さんには早めにそのことをお伝えし、受験をあきらめてもらったほうがよいのでしょうか。

 筆者はそうは思いません。小学生の受験でいちばん重要なのは第一志望校に合格できるかどうかではなく、受験生活を通じて子どもが何を得るかということにあると考えるからです。金銭的な負担のこともありますが、途中であきらめてしまうと、せっかく築きつつあったものが台無しになってしまいます。

 わが子の受験勉強がうまくはかどらず、どうしたものか悩んでおられるご家庭はありませんか。今回紹介する事例が、そんなご家庭の参考になれば幸いです。

<M君の例>
 融通の利かない性格が仇となって入試に失敗。しかし・・・・・・

 授業はいつだって、真剣そのもの。ノートを見ると、一生懸命に予習してきた様子がありありとわかります。わからなければ何度でも質問をしてきます。A君はほんとうにがんばりやでした。

 ただし、彼は弱点を抱えていました。生真面目な一方、臨機応変にものごとに対処することができず、不器用な性格でした。そのせいでしょうか。一つ気になることがあると、そのことばかりに気持ちを奪われ、他の大事なことがおざなりになってしまう傾向がありました。

 成績はというと、国語や社会はかなりよい成績なのですが、いわゆる理系の教科はサッパリ。テストでは、20点、30点台をとることも度々でした。でも、彼は苦手を何とかしようと必死になってがんばっている様子でした。少しでも苦手が克服できればいいのですが・・・・・・。

 やがて6年生の秋になると、算数や理科のてこ入れの成果が出ないばかりか、国語や社会に成績も下がり始めました。

 たまりかねて彼を呼んで面談をしました。すると彼は、「苦手な算数の予習がなかなか最後までやり遂げられず、気がつくと夜中になっているんです。それから、急いで他の予習をするんですが、ほとんどできないうちに眠ってしまうんです」と言うではありませんか。

「苦手というのは、少しずつ解消すればいいんだ。急には変われないんだから、もう少しバランスを考えて勉強しなさい。それに、“得意な教科で点を稼ぐのも一つの方法なんだからね”」と言って彼を帰しました。

 後で彼のおかあさんとも話をしました。おかあさんは、「息子なりにがんばってはいるのですが。今はもう、健康のことばかりが気がかりです」とおっしゃいました。愛情深く見守っておられるおかあさんのためにも、「がんばれよ!」と、心から思ったものでした。

 入試本番は、刻々と近づいてきます。何とか態勢を巻き直してくれることを祈るばかりでしたが、状況は好転しないまま入試本番に突入してしまいました。

 彼の入試結果は、懸念したとおりになりました。希望していた中学校はすべてダメで、彼としては考えていなかった私学に一校だけ受かりました。そして、彼はその中学校に進学しました。

 ここまでの話では、「彼のような性格、得意不得意のはっきりした子どもは、中学入試には向かないのだろう」と思われたかたも多いことでしょう。

 彼についての情報を得たのは、それから3年近く後のことでした。何と、彼は学年で一けたの順位を推移しているということを耳にしました。すばらしい成長です。まじめだけれども融通の利かない性格が災いした彼ですが、だんだんとバランスのよい勉強ができるようになったのでしょう。中学受験での苦い経験の反省に立ち、試行錯誤で勉強法を改めていったのかもしれません。

 そうなると、もちまえの馬力に任せた一途な勉強ぶりは大きな武器になります。人一倍向上心が強いことも、勉強の推進力になります。多くの生徒さんが中だるみになったり、部活に夢中になったりするなか、彼はそういった壁に突き当たることなくどんどん調子を上げていきました。

 ときどき、「うちの子は見込みがないのなら、早めにそう言ってください」とおっしゃる親御さんがおられます。そのお気持ちもわかりますが、子どもに目標をもたせ、精一杯努力をさせることで得るものは少なくありません。途中であきらめさせる代わりに、何か別の目標を子どもにもたせられればそれはそれでいいと思います。しかし、いったんもった目標をお子さんが放棄していないのなら、ぜひとも最後まで期待を差し出し、応援してあげていただきたいのです。入試結果を超える価値ある宝物をお子さんが得る確率は極めて高いのですから。

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