2012 年 11 月 のアーカイブ

広島学院と修道のイメージって!?

2012 年 11 月 26 日 月曜日

 私立学校には、固有の建学の精神や、歴史、校風などがあり、それらが学校としてのカラーやイメージを形成しています。

 今月、弊社の実施するイベントに広島学院と修道の校長先生をお招きした関係で、両校に受験生がどのようなイメージをいだいているか、アンケート調査をする機会がありました。ご存知のように両校は広島を代表する私学であり、永遠のライバルですが、校風は随分異なります。

 さて、結果はどうだったでしょうか。われわれ大人のいだくイメージと同じでしょうか。それとも違ったとらえかたをしているのでしょうか。今回は、その結果をご紹介してみようと思います。

 調査は、来年受験を控えている6年生男子児童(弊社会員)を対象に行われました。全部の児童には実施できませんでしたが、それでも180名あまりに答えてもらいました。アンケート内容はごく簡単なもので、「広島学院、修道はどんな学校だと思いますか?」というものです。

 さて、それぞれのベスト10をあげてみましょう。

広島学院イメージ ベスト10 修道イメージ ベスト10

 1.頭がよい(勉強ができる) 77名  
 2.まじめ 41名
 3.勉強が厳しそう(難しそう) 23名
 4.自然に囲まれた学校 16名
 5.部活が充実していて楽しそう 13名
 6.広い 11名
 6.楽しく学校生活が送れそう 11名
 8.行事が楽しそう 7名
 8.先生が優秀(熱心)7名
 10.キリスト教の学校 6名
 10.校舎がきれい 6名

 1.楽しそう44名
 2.クラブ活動が盛ん43名
 3.校舎がきれい29名
 4.自由な感じ23名
 5.頭がよい(勉強ができる)16名
 6.広い(校内で迷う)15名
 7.歴史がある11名
 7.にぎやか11名
 7.先生が熱心(面白い・優しい)11名
 10.生徒が多い9名

  いかがでしょう。みなさんのいだいておられるイメージと一致しているでしょうか。両校の1位の内容が好対照ですが、多くのかたがもっておられるイメージを代表するものかもしれませんね。

 次に、ベスト10以下のものをご紹介してみましょう。

広島学院 ベスト10以下
・宿題が多そう5名  ・堅苦しい5名 ・先輩が優しそう4名 ・規則が多そう4名
 ・何でもきちっとしていそう4名  ・歴史がある4名  ・将棋が強い4名
・理系が強い3名 ・登校の坂がきつそう3名 ・礼儀正しい3名 ・軟式野球が強い3名

修道 ベスト10以下
 ・面白そう8名 ・行事が楽しそう8名 ・校長先生が強そう(熱い・でかい)8名
 ・体育館が広い(きれい)6名 ・食堂が立派(おいしい)6名 ・文武両道5名
 ・まじめ5名 ・制服が格好いい4名 ・明るい3名 ・陸上が盛ん3名 ・チャラい3名

 
   ベスト10以下にあげたものを合わせると、ほぼ両校に対するイメージの全体像が浮かび上がってきそうですね。大人の認識とそう変わらないように思います。修道の田原校長のキャラクターは、既に受験生にも知れ渡っているようです。

 ちょっと変わった答えもあります。180名あまりのお子さんに自由記述で書いてもらったので、他にもたくさんあるのですが、きりがないので一部をご紹介しておきます。

 まず広島学院から。「近くて遠い存在」というのが目につきました。「学校は家から近いけど、難しい学校だから・・・」という気持ちがよくでていますね。

 そのほか、「出家する人が多そう」「鼻歌まじりに東大合格」「恋愛ができない」「難しいが、やりがいのある問題を出す学校」「将来に安定感がある」「イノシシがでる」などの答えがありました。

 「鼻歌まじり・・・」は、広島最難関校の大学進学状況をおもしろく形容していますね。「恋愛ができない」は、修道も同じですが、これは「勉強が忙しくて」という意味でしょうか。「やりがいのある問題を出す」は、なかなか分析的で優秀な受験生を連想させる答えですね。

 修道のほうはどうでしょうか。「だれでも受けるちょうどよい学校」というのがありました。これに田原校長が大きく反応され、「うちの学校は、誰でも受ける丁度よい学校ですから!」と、保護者の前で笑って語っておられました。

 そのほか、「夢をもてる」「基本を大切にする学校」「遊びと勉強の切りかえがはやい」「遊び心満載」「先生と生徒の仲がよい」「バッジがよい」「お金持ち」などがありました。「なるほど」と思わせるものがありますね。

 最後に。「欠点を見つけるのが難しいすばらしい学校」という答えをご紹介して終わります。これなど、受験生としての素直な思いが表現されていて、とてもほほえましい思いがします。「これを書いたお子さんがぜひ受かりますように」と、心から思いました。
 

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カテゴリー: 中学受験, 未分類, 私学について, 行事レポート

子どもの何気ない質問を活かす

2012 年 11 月 19 日 月曜日

 子どもが突然思いもしない質問をしてきたとき、どう対応しておられますか? 小学生の子どもをおもちの家庭では、こういったことがよくあるものです。

 いけないのは、「よけいなことを聞くんじゃない!」「今、忙しいの!」「うるさいわね!」など、腹を立てて対応することでしょう。子どもが質問をしてきたときは、子どもがものごとに対して興味・関心をもったときであり、子どもの知識欲をより活性化し、刺激する絶好の機会です。

 しかし、生憎うまく答えてやれない質問だったときには、どうしたらいいのでしょう。特に、日常大人が何気なく使っている言葉でも、質問されるとちゃんと答えられないような言葉はたくさんあるものです。

<例>
 ①せっぱ詰まる・・・ギリギリまで追いつめられてどうしていいかわからない状態
 ②おはちが回る・・・順番が回ってくる

 大人は、これらの言葉のもとの意味を考えることなく使うことが多いものです。どういうときに、どういう意味で使用する言葉かを経験的に知っているからです。しかし、子どもが初めてその言葉に出くわしたときには、どんなときにその言葉を使うかだけでなく、その言葉がなぜそういう意味をもつようになったのか、知りたいと思うのが普通です。

 たとえば、「せっぱ詰まる」の「せっぱ」は、切羽と書きます。刀のつばが、さやとつか(手で握る部分)にふれる部分に当てる薄い金具のことです。それが、どうして「もうどうにもならない状態」という意味になったのでしょうか。

 「おはちが回る」の「おはち」は「お鉢」ですから、ご飯を入れるおひつです。では、なぜ「おはちが回る」が、「順番が回ってくる」という意味になるのでしょうか。

 こうした疑問を解決すべくいっしょに考える時間は、親子共々楽しいことですし、そうしたやりとりの経験が、ものを知ることに熱心な子どもを育てるのではないでしょうか。子どもが厄介な質問をしてきたときは、「子どもを成長させるチャンスだ」と受け止めたいものです。

 もう少し補足しておきましょう。たとえば、こんなふうにお子さんに言ったらどうでしょうか。「そうか、『せっぱ詰まる』って言葉、もうどうにもならないぎりぎりになったときに使うんだよ。でもそれじゃ、「せっぱ詰まる」がそういう意味で使われる理由がよくわからないよね。おかあさんも詳しくは知らないから、一緒に調べてみようか」――こんなふうに、まずは子どもの質問の着眼をほめ、子どもが一層知りたいという気持ちになるよう導いてやるのです。そして、できれば一緒に調べてやりましょう。

 そうなると、子ども用の国語辞典や大人用の国語辞典、語源辞典、ことわざ辞典、漢字事典などが家庭で必要になってきます。このような辞典類がたくさんあり、家族全員で使っているような家庭の子どもは、知識欲が旺盛で勉強熱心であろうことは想像に難くありません。

 小学校の中~高学年ともなると、興味のある事柄についてかなり専門的な知識をもつような子どもも少なくありません。知識は積み重ねによって無限に蓄積されるものです。難しい内容の勉強をしたり、様々な本を読みこなしたりしている子どもは、1年もすれば大人も顔負けの知識を獲得してしまいます。したがって、ときには大人も答えられないような質問をしてくることがあります。

 大人は毎日忙しくしています。家事の最中に子どもに話しかけられたとき、どう受け答えをされているでしょうか。内心、「忙しいときに、面倒なことを言ってこないで」という思いのときもあるでしょうが、こうしたときの対応で子どもは随分違ってくるものです。このようなタイミングを活かし、子どもを適切に伸ばすようがんばっていただきたいものです。

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カテゴリー: アドバイス, 子どもの発達, 家庭での教育

父親にしかできない教育

2012 年 11 月 12 日 月曜日

 中学受験に関わる仕事をしていると、たくさんの保護者の方々とお会いする機会があります。説明会、保護者会、面談、いろいろな相談・・・・・・。ただし、お会いする保護者の8割以上はおかあさんです。

 おとうさんは日頃仕事で忙しくしておられます。そこで、おかあさんが来られるのかもしれません。しかし、父親・母親それぞれに子育てのうえで違った役割もあるでしょう。日頃はお会いする機会が少ないおとうさんに、何かメッセージを送りたいと思ったのですが、筆者よりも遙かに説得力のあるメッセージがありますので、今回はそれをご紹介してみます。お書きになったのは、関東地方の私学の校長を長年勤められた外国人のかたです。

 父親の愛の構造は、母親のとは違う。母親にとっては、子どもが自分の膝元から離れるのを認めることはむずかしいことであろう。わが子をいつまでも無事に守っていきたいというのが、母親の愛だからである。

 父親は、わが子の心に自分を守ろうとする意欲や決断を呼び起こし、わが子が他人にも自分にも負けないように成長することを願う。さらに、「より強く、もっと強く」と、わが子を強い心をもつ男に育てていきたいと望む。これがあらゆる弱さを憎む父親の、わが子に対する愛なのである。

 このように考えると、最近よく言われている、子どもの心の教育は第一に母親の役目であるということは、残念ながら大きな誤りであるといわざるを得ない。この誤った考えが、子どもに甘えを植えつけているのだと思う。

 大人の社会にみられる人間の弱点――わがまま、妬み、恨み、ずる賢さ、利己主義、残忍さなどは、みな、幼い子どもの心にも芽生えている。これらの人間の生まれつきの持ちものをむき出しに表している子どもさえいる。子どももまた、人間であるからである。

そうした心の衝動をコントロールできない子どもは、当然、非人間的、非社会的な性格を帯びてしまうから、その子どもには、コントロールする力を養わせなくてはならない。

しかし、その衝動を抑えることだけでは充分ではない。大切なことは、その衝動に潜在しているエネルギーを上手にリードしながら、プラスに転化させることである。これが父親の役目なのである。男の子の場合は、特にそうである。

 父親は、家庭の外の実社会を自分の身で体験している。父親は、その辛い体験を通して、人類の進歩、及び社会の発展は人間個人の進歩によってのみ可能となることを知っている。そして、個人の進歩というものは、人間の心の向上以外にはあり得ない。これもまた、父親の個人として、社会人としての経験である。

 そのうえ、父親はもう一つの経験をしている。すなわち、心を清め、強め、高めることは、実に厳しい、絶え間のない涙ぐましい努力の賜物であるということである。私の父は、いつか次のように言ったことがある。

 ――聖書によると、天使さえも悪魔になった。人間はなおさら危ない存在である。悪魔にならないように、心にへばりついている心を窒息させてしまうたちの悪い垢(あか)は、削りとらなければならない。それをとりなさい。痛いけれどもな。

そして、父はにっこりして、つけ加えたものだった。

 ――おとうさんにそれを削りとらせると、もっと痛いぞ。

 いつの時代でも、子どもの心の教育に必要なのは、父親の適度の制御である。しかし、今日の日本の家庭教育には、このぜひとも必要なコントロールが欠けていると思う。「おかあさん任せ主義」の今日の「民主主義パパ」のもとでは、子どもは強く、たくましく育たないのである。

 愛する子どもの教育には、甘やかしがあってはならない。それはちょうど偏食のように、ひ弱な子どもをつくってしまうのである。それに、そうした子どもを溺愛する親は、子どもの精神的支えになることができないし、子どもから尊敬もされない。「溺愛」という言葉は、おもしろいことに、ドイツ語では“猿の愛”という言葉であらわしている。人間の子を猿の子にしてはならないからであろう。

 教育には厳しさが必要なのである。厳しさは教育される者にとってだけではなく、むしろ、教育する者にとってなおいっそう必要なのである。親が子どもに期待することと、自分が行うこと――この言行の一致の厳しさこそ、尊いものなのである。

 おかあさんは、子どもの身も回りの世話、生活で必要なことに関する目配りには向いています。しかし、受験をうまく乗り切るにはおとうさん的な視点からのフォローも大いに必要だと思います。

 先日、ある私学の校長先生とお会いする機会がありました。そのとき、おとうさんの子育て参加について話題が出ました。「受験をおかあさんのみで乗り切ると、母子関係が近くなりすぎて、思春期になって子どもが親を否定し始めると、おかあさんの手に負えなくなる。そのときになって、『おとうさんが何もしてくれなかった』とおとうさんが責められることが多い」といったような内容の話をされたと思います。

 受験の助走路で必要なのは、おかあさんのフォローだけではありません。おとうさん的な視点からの様々な言葉かけや激励も必要です。お子さんが、おとうさんとおかあさんの愛情や期待をしっかりと受け止め、精一杯の努力をして中学受験に臨めるよう、ぜひ一致協力をお願いいたします。そうすれば、次の子育ての節目である思春期の問題も、うまく乗りきれることでしょう。
 

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カテゴリー: 子育てについて, 家庭での教育

広島学院・修道の校長をお招きして

2012 年 11 月 5 日 月曜日

 早いもので、今年も冬休みの講座の募集が始まりました。昨日チラシが入ったせいでしょうか。どの校舎も、受付時間になったら電話が鳴り続けていました。

 弊社では、毎年この時期になると広島市、呉市、東広島市で中学受験に関するテーマを掲げたイベントを開催しています。今年は、「私学進学の意義」について保護者の方々とともに考えてみようといった趣旨の催しを企画しています。

 肝心なのは、どんな内容を盛り込むかということですが、今年は広島学院の前廣校長と、修道の田原校長をお招きし、「私学とは何か」「わが校はどんな教育を実践しているか」などについて語っていただくことにしました。

 ご存知のように、広島学院と修道は、建学の精神、今日に至る歴史、卒業生の社会における活躍など、いろいろな点で一流の私学です。この2校の校長先生のお話を通じて、私学という教育環境のよさを感じ取っていただけたらと思っています。

 広島学院と修道の校長先生が席を共にし、時間を割いて私学を語ってくださる機会はめったにないことです。せっかくの機会ですから、2人の校長先生には互いの学校をどんな風にみておられるかをお話しいただけたら面白いかもしれませんね。

 無論、女子校の校長先生をお招きすることも考えたのですが、お一人の持ち時間が少なくなると、通り一遍のことしかお話しいただけなくなりがちです。そこで、今年はとりあえず男子の私学を代表する両校の校長先生のお話を通して、私学という教育の場のもつよさや意義を感じ取っていただこうと考えた次第です。

 催しのタイトルは、「私学を語る、私学が語る!」としました。「私学とは何か」を、「私学の校長先生自らに語っていただく」ということから、このような行事名を考えました。

 お子さんの中学受験を視野に入れておられるかたなら、どなたに参加していただいても構いません。まだ考えが定まっていない保護者の方の参加も歓迎します。と言うよりも、迷っておられるかたに役立つ情報を提供できる機会とすることも、この催しの主要な目的の一つです。お話しいただく校長先生にも、そのことをお伝えしています。

 さらには、現在お子さんが受験生活を送っておられる4年生や5年生の保護者の方々にとっても、わが子の受験にあたってよいお話を聞けるチャンスにもなると思います。親としてどうわが子をサポートするか、指針となる話もあろうかと思います。

 この催しの日程や会場等の情報は、ホームページの案内に記載している通りです。お申し込みや予約などは一切不要です。お気軽にお越しください。

 なお、校長先生のお二人にお話しいただく時間は約1時間の予定です。残る30分は、弊社の各校舎の責任者(校舎長)に登場してもらいます。おおよその内容は、「私学に進学して将来に向けた可能性を広げていくには、どんな受験生活が望ましいか」といったものになると思います。

 私学に進学して、素晴らしい成長を遂げた子どもの実例を念頭に置き、そこにみられる共通性としてどういったことが挙げられるかを校舎長全員に考えてもらい、それを踏まえた話をしてもらおうと思っています。

 特に、おかあさんがたに必要なフォローとはどういうものかをご理解いただき、明日からの子育てや受験生活のサポートに役立つ情報が提供できればと考えています。

 今や、学歴だけでは世間を渡っていくのが難しい「実力主義」の時代が訪れています。しかし、それは学力や学歴が不要だということを意味するものではありません。学歴や学校歴にふさわしい真の知性や教養が求められる時代になったのだと言えるでしょう。

 かつて、「大学受験に有利だから」という理由で私学がもてはやされた時代がありましたが、本来の私学は大学への進学のためではなく、考えを同じくするたちの集団における子弟教育の場でした。自分達の価値観に基づく真の教養人の育成。それが本来の目的だったのです。今日の時代は、まさにそういった教育こそが必要な時代ではないでしょうか。本催しでは、校長先生のお話を通じて、こうした観点に立った私学のよさを感じ取っていただければ幸いです。

 中学から高校にかけての6年間は、思春期の入り口から青年前期にあたります。この時期に人間としての特性が明確になっていきます。この時期にどのような環境のもとで過ごすかは、人生を左右するほど重要だといっても過言ではありません。

 わが子の望ましい成長を期待し、そのためにどのような教育環境を与えるべきかを、様々に思案しておられる保護者はたくさんおられると思います。こうした方々に、参考にしていただける催しにしたいと考えています。お気軽にお越しください。

 

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カテゴリー: お知らせ, 中学受験, 私学について, 行事のお知らせ