2014 年 2 月 のアーカイブ

2014年 弊社会員卒業生の進路

2014 年 2 月 27 日 木曜日

 先々週の土曜日、先週の土曜日には、弊社6年部会員の「卒業会」を各校舎で実施しました。志望校に合格し、喜び勇んで駆けつけてくれたお子さんが多数いるいっぽう、残念な結果となったにも関わらず、「最後にみんなに会いたい」と、気持ちを切り替えるべくやってきてくれたお子さんもいます(ほんとうにありがたく、うれしいことです)。指導担当者は、この会をもって1年間の指導に区切りをつけて新しい年度の指導に臨みます。

 この日ばかりは勉強から離れ、みんなで語り合ったりゲームに興じたりするなど、塾での最後の日を楽しく過ごしました。また、今まで一度も許されていなかった塾での飲食(お菓子を食べ、ジュースを飲むだけですが)の時間もあり、大いに盛り上がりました。そうして、いよいよ散会の時間が近づくと、全員で記念撮影をし、また寄せ書きをつくってお別れをしました。20140227b

 首尾よく結果を残せた子どもたちも、悔しい思いを噛み締めている子どもたちも、中学校進学という新しいスタートラインに立つという点では全員同じです。卒業生の子どもたちの、今後のいっそうの飛躍を念じながら笑顔で子どもたちを見送りました。心のなかで、「肝心なのはこれからだぞ。がんばれ!」と、エールを送りながら。

 さて、今年受験を終えた卒業生の進路がほぼまとまりましたので、主な中学校の状況についてご紹介してみようと思います。何度もお伝えしていますが、弊社では合格実績をあげて世間にアピールすることを目当てにするのではなく、子どもたち一人ひとりの進学の夢を叶えることをいちばんの目標に掲げて指導を行っています。したがって、受験校選択は全て家庭任せにしており、なかにはたった1校しか受験しないお子さんもいます。そうしたなかで、毎年子どもたちが数のうえでも質のうえでもすばらしい入試結果を収めていることが、弊社にとって何よりの誇りです。

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 全体を概観すると、広島学院、修道、ノートルダム清心、広島女学院と、広島の代表的な私学への進学者が多いことがおわかりいただけるでしょう(基本的に、弊社はそのための進学塾です)。重複して合格された場合、それぞれの家庭の方針や考え、お子さんの希望などから進路を選んでおられるようです。その結果が、上記のような進路選択だと言えるでしょう。

 たとえば、男子の私立最難関校広島学院への進学者は、46名という結果になりました。同校に合格したものの、他校を選んだ受験生が12名いますが、そのうち6名が広島大学附属、あと6名が修道を選んだようです。いずれ劣らぬ歴史も実績も十分な学校ですから、そういう選択があっても不思議ではありません。修道の場合、「絶対修道に行きたい!」という熱いファンもいます(親にも子にも)。そういう家庭のお子さんが修道でますますがんばり、さらに修道の名を高める――これが修道の伝統のなせるわざであろうと思います。無論、附属にもファンが多数おられます。進路選択の結果は、このような背景のもとで自然と行き着いたものでしょう。

 女子の最難関私学のノートルダム清心合格者は79名でした(今年は女子会員が例年より少ないなか、すばらしい結果を得ることができました)。そのうち60名が同校に進学する予定です。残りの19名の進路ですが、7名が広島大学附属、5名が広島女学院、4名が県立広島を選んでいます。また、安田、近大附属東広島、公立への進学者が各1名います。

 広島大学附属は女子の最難関です。清心と重複合格すると「どちらにするか」と悩ましい選択を強いられますが、毎年だいたい半々ぐらいに分かれます。ただし、今年は清心の選択率がやや高かったようです。広島女学院は広島きっての伝統ある女子私学ですから、こちらを選ばれるケースもあります。また県立広島を選んだのは、すべて東広島市在住の受験生です。近大附東広島進学者は、清心と2校合格という結果を受け、通学距離や時間等を考慮して選択されたのだろうと思います。さらに、公立への進学を選んだ受験生は、国・公立一貫校進学にこだわりのあったお子さんが、受験の結果そういう道を選ぶことになったものと推定されます。

 完全6カ年一貫教育の公立学校に衣替えした、広島市立中等教育学校(安佐北中学・高等学校)は、早くも受験生家庭の関心を集め、466名の応募者を集めました。弊社では、まだまだ対象校とまではいかないものの、安佐北区や安佐南区在住の会員を中心に、約20名が受検しました。なお、同校は公立であるため、入学者選抜は県立広島と同様に学力テストではなく、論述を中心にした課題によって行われています(「受検」としたのは、入学適性検査を受けるという意)。

 他の学校で目についたのは、広島城北の巻き返しです。受験者数を4~5年前の状態に戻し、弊社からも多数の合格者・進学者を輩出しました。また、広島なぎさについては、以前少し書きましたが、今年は広島大学附属の入試と重なり、受験者数が伸びませんでした。ただし、弊社からは47名が進学します。同校の定員200名のうち、50~60名は附属のなぎさ公園小学校からの内部進学者が含まれていますから、この47名は相当な数だと言えるでしょう。これは、弊社の校舎が西区に2校、佐伯区に1校あることとも無関係ではありません。同校は明るくスマートな校風で、共学の好きなご家庭にはよい学校だと思います。今年は、呉、東広島地区からも合わせて7名の会員生が進学する模様です。

 県立広島に関しては、地元の東広島市の女子児童に大変人気がありますが、弊社全体の応募者はそんなに多くありません。男子の場合、修道と同じ日程だったこともあり、受験したのは15名ほどでした。女子についても女学院と同一日となったこともあるせいか、受検者は30名あまりでした。しかしながら、公立一貫校として年々評判が高まっており、論述中心の入学者適性検査も、かなり高いレベルの学力がないと通過できない状況になっています。

 上述のように、広島市立中等教育学校が新たな進学ターゲットとなりそうな気配で、来年以降は「附属・県立広島・市立中等教育」という3校の組み合わせが、受験パターンとして浮上してくるかもしれません。ただし、3校はそれぞれ所在地が離れており、お子さんの居住地によっては通学困難なケースもあるでしょう。

 以上、ザッと会員受験生の進路を概観してみました。入試結果に全てのご家庭、お子さんが満足しておられるわけではないことと思います。しかし、何よりも大切なのは「今から」です。難関校への合格だけが幸せの道ではありません。受験の結果決まった進路にお子さんが誇りをもち、希望を胸に入学式を迎えられるよう、おとうさんおかあさんには「この学校でがんばろう!」と、喜んで送りだしてあげていただくことをお願いする次第です。

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学び合うことから育まれる社会性

2014 年 2 月 24 日 月曜日

 みなさんは、「白熱教室」というNHKのTV番組をご覧になったことがあるでしょうか。この番組は、ハーバード大学のマイケル・サンデル氏の教室を取材したもので、学生を議論に参加させる形式のユニークな授業を紹介しているのが特色です。この授業では、「正義とは何か」など、簡単に答えが見つからないうえ、それぞれの価値観によって答えが違ってくるような難しい討議テーマが与えられます。

 この番組は、日本でも多くの人たちが見ているようで、大きな反響を呼んでいます。ただし、その理由は扱われているテーマのおもしろさによるものではありません。学生たちが学んでいくプロセスから、視聴者が重要な気づきを得られるからだと思います。すなわち、学生たちが率直に考えをぶつけ合うことを通して、互いに成長していく様を実感できるところにこの番組の魅力があるのだと思います。

 大学の授業というと、学生が受動的に聞いているシーンを想像しがちです。しかし、この番組では教える側、学ぶ側の区別なく、授業参加者が双方向に意見を戦わせ、それによってそれぞれが自分の考えを太らせ充実させていくことのすばらしさを実感することができます。これは、学習者が何歳であろうと、どこで学ぼうと大切にすべき教育の在り方を例示してくれているように思います。

 ある教育者の著者で、子どもたちがお互いに感想を述べ合うことで、より深い学びにたどり着いていく例が示されています。ちょっとご紹介してみましょう。

私の学級で「ごんぎつね」を読んだときに、

「ごんが兵十に心の底から求めたものは、ひとりぼっちからくる、さびしさ、悲しみ、悩み・・・想いがすごくわかりあえる、相談できる、言い聞きあえる、そういう家族みたいな友達を求めていたんだ」ということを、考えに考えて子どもたちは言った。20140224kitune

 これを一番に言った子は、母ひとり、子ひとりの瑞ちゃんだった。お母さんは病院で働き、遅番のときには九時まで帰ってこない。幼稚園時代から彼女はそういう生活をしてきている。彼女は、「ひとりぼっちのときは本当に辛い。でも私は本当のひとりぼっちじゃない。私は九時まで待っておればお母さんが帰ってくるし、私には学級にくれば友達がいる。でも、ごんはそうじゃない、すべての家族がいない、すべての友達がいない、だから、本当にさびしかったんだ」と、ひとりぼっちの子ぎつねに思いを寄せた。

 そこには単にごんを深く読めたということだけではなくて、ああ、瑞ちゃんはごんを深く生活に投影させて読む力を持ったすばらしい友達なんだぞ、という友の発見もあった。

 物語の最後に「ごん、おまえだったのか。いつも、くりをくれたのは」と兵十が言うくだりがある。「ごん、おまえだったのか」というセリフを子どもたちは、「やっと気づいてくれて嬉しいのだ」と解釈した。

 でも、「気づいてくれたんじゃなくて、初めて心を拓いてくれたのだ」と言ったのはレイちゃんだ。レイちゃんは、単なる気づきではなく、ごんに初めて兵十は心を拓いてくれたんだと思う。「ここ、気づいたというのと心を拓いてくれたのは、違うか同じか」と問うと、子どもたちは違うと答える。心を拓いたということは相手を心に受け入れて、心に生き続けさせることなんだと言う。うまく言うもんだなあ、と感心したものだ。

 つまり、兵十の心の中にごんが入ってきて、住まわせたんだと言う。これは三十人で学びあって、それぞれから発言されたことが織り成されて、初めて生まれたことである。

 みんなで意見を出しあい、考え、相手の意見を取り入れて、自分の考えをさらに深めていく。そんな様子が目に浮かぶような場面ですね。これこそ、みんなで学ぶということだと、この記述を読んだときに思わずにはいられませんでした。20140224

 子ども一人ひとりの世界は、まだ小さく狭いかもしれません。けれど、異なる小さな世界を持った子どもたちが、共に学ぶことで、視野を広げていきます。また、相手の意見を受け入れたり、自分の意見を伝えたり・・・そんな経験が社会的知性を育みます。

 近年、「学力はあるのに仕事ができない」といわれる若者が増加しています。これは、知識や問題解法力を身につけたものの、集団内で求められる協調性や、コミュニケーション能力を十分に育むことができなかったからではないでしょうか。小学生の頃の学びは、他者とつながり、互いに刺激を与えあったり、教え合ったり、競い合ったりする経験が大切です。共に学ぶからこそ、「負けたくない」という思いが生まれ、成長したいと意欲を持ち、「そうか、なるほど」と感動に近い理解を得ることで、新しい知識の喜びを感じられるからです。子どもたちには、知性と社会性が連動し、バランスのとれた内面を持った成長を遂げてほしいと願っています。

出典:子どもの力は学び合ってこそ育つ 金森俊朗

(yasumoto)

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親子で国語辞典を活用しよう!

2014 年 2 月 17 日 月曜日

 先週は、日本で生まれ育った子どもが英語を身につけるには、その前提として確かな日本語の習得が必要だということをお伝えしました。しかしながら、この10年、20年、「日本語が危ない!」といったような危機感を訴える専門家の著述をしばしば目にするようになりました。

 かく言う筆者にしても、自分が日本語の確かな遣い手であるというような大それた自覚はありません。たとえば、かつて筆者は子どもの頃、次のような言葉の意味を取り違えていました。あるとき、自分の勘違いにふとしたきっかけで気づき、内心顔を赤らめるような思いをしたことがあります。ちょっとご紹介してみましょう。これをお読みのかたはちゃんと理解されていたでしょうか? 下線部の言葉はどう解釈するとよいでしょうか?

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 多くの大人は、かつて子どもの頃、これらの歌の真の意味など知らぬまま、何十回となくひたすら歌ったことでしょう。また、先生も詳しい意味など教えてくれなかったのではないでしょうか。それが、やがて中学生・高校生へと成長し、ことばの世界を広げ深めていく過程において、ある日あるとき突然に「あっ、あの歌のこの部分は、こういう意味だったのか!」と、はたと気づく。このような経験がおありではないでしょうか。

 ところが、今日の子どもたちの国語力の現状、また、若い世代の日常会話を耳にしていると、ある種の不安を覚えずにはいられません。これらの歌の真の意味について、関心もなければ知識もない。そんな大人にばかりになってしまうのではないかと……。

 さて、先ほどの歌の一節の意味を確認してみましょう。①ですが、「おわれて」を「追われて」ととって、「鬼ごっこで追いかけられながら」というような意味に理解している子どもがいるようです。しかしながら、これは「負われて」であり、「お姉さんに背負われて」が正しい理解のようです。その昔、たくさんのきょうだいがいて、年上の姉におんぶされるような境遇にあった人ならいざ知らず、少子化の進んだ今どきの子どもたちには、イメージし難いかもしれません。

 ②ですが、大人でも「今こそ別れ目」といったような連想をしがちですが、高校の古典で「こそ~め」が強調の意を表すことを習ったことを思い出してください。「今、まさに別れのときが来た」といったような意味でしょうか。

 ③ですが、「におい」を「匂い」と受け止めてしまう人が多いようです。古文では「におい」は「美しく輝くさま」を表します。「あわし」は「淡し」です。ですから、「においあわし」は「うっすらと美しく輝いている」といったような意味でしょうか。20140217a

 ④などは、子どもが自分で理解するのは無理かもしれません。「帰ってみたら、恐いカニが家の前にいた」などと勘違いしかねませんね。「こはいかに」は、「これはどうしたことでしょう」といったような意味の表現です。発音すれば、「恐い」と同じで、現代の子どもたちにはわからないのも道理です。

 言葉の意味は、文脈によって変わることがしばしばです。ですから、やはりたくさんの言葉との出合いが大切です。小学生といえば、まだ言葉の習得の修行が始まったばかりの段階にあります。ですから、たくさんの本を読んだり、親子で会話を楽しんだりする経験は、子どもの言葉のバリエーションを増やすうえで欠かせません。

 言うまでもありませんが、ほとんどすべての教科の学習は言葉によって行われます。その言葉の豊かな遣い手になるためには、言葉の習練をする経験が不可欠です。中学受験の学力試験では、算数、国語、理科、社会の4教科が出題されますが、そのどれをとっても言葉なしには成り立ちません。

 そう言えば、当社の教室への入会にあたって実施する「会員選抜試験」において、合格点を取れなかった子どもたちの答案用紙を点検していて、意外な事実に突き当たったことがあります。

 算数の問題で、相当に複雑でレベルの高い操作を必要とする計算問題はちゃんとできているのに、計算式自体はごく簡単なものにすぎない、2~3行の文章題で躓いている子がいます。

 このことは一体何を意味するのでしょうか。言うまでもありません。文章を読み取る力が不足しているから、算数の出題の意図が理解できないでいるのです。算数のできる子になるためには、意思伝達や思考の手段としての「言葉」が身についていなければならないということを、この事実は物語っているのではないでしょうか。

 これから中学受験準備の学習生活を始めるご家庭、すでに受験生活が始まっているご家庭を問わず、おとうさんおかあさんにご提案したいことがあります。それは、家庭で見聞きした言葉の意味について、一緒に話し合い、「ほんとうの意味はどうなのかな?」と、一緒に辞書を引きながら確かめてみること。それが楽しいひとときになれば、自然とお子さんはわからない言葉に出合うと自分で辞書を引いて調べるようになるでしょう。親も辞書を引いてハタと新しい気づきを得ることがあるかもしれません。

 言葉の意味は、実際の用例を通して学ぶのがいちばんです。忘れにくいうえ、自分で使える語彙を増やすことにもなります。それが、国語力のみならず、学習全般の推進力の増強にも役立つことでしょう。 

 何よりも、言葉に堪能な人間になることは、受験の結果はどうであれ、人生を心豊かに送れる人間になるために必須のことです。

 言葉の意味について一緒に考えるには、子ども用の「慣用句辞典」や「諺辞典」なども活用できるでしょう。国語のテキストを一緒に読んだりするのもよいでしょう。新聞やテレビから言葉のネタを取ってくる方法もアリかもしれませんね。

 親子で言葉について語り合う。それは、親子がともに過ごす最も充実した「花も実もある」時間になることでしょう。

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英語を子どもに学ばせるにあたって

2014 年 2 月 10 日 月曜日

 企業のグローバル化が進むなか、国際共通語としての英語の重要性がますます認識されつつあります。世界各地にブランチをもつグローバル化した日本企業や、日本で外国人を多数採用する企業などでは、会議も英語で行われているということを耳にします。大規模なメーカーでは、技術系の論文は全て英語で書くことが求められるとか。

  テレビやインターネットの画面には、これでもかというほど「英語が堪能になる」というふれこみの学習ソフトの宣伝が溢れています。筆者など、「聞き流すだけで英語が身につくなんてウソに決まっている」と疑ってしまいます。ともあれ、「もうじき、日本に住んでいるのに英語ができなければやっていけない時代になるのではないか」という不安すら覚える昨今です。

 日本人の英語下手はつとに有名ですが、その理由として「英語教育が不適切である」という人がたくさんいます。しかし、どう不適切なのかについては諸説あります。以前は、「文法や構文、読解中心の教育が使える英語が身につかない原因になっている」と言われていましたが、学校教育が会話型英語にシフトすると、今度は「文法や構文を無視した、小手先のコンビニ英語を子どもに教えるから身につかないのだ(すぐに忘れるだけ)」などと言われています。そんな具合で、的を射た見解がいまだに定まりません。

 そもそも、「英語、英語と、これだけかまびすしい国民は、日本人ぐらいのものではないか」と思うのですが、広島という地方に暮らす筆者や周辺の人たちを見回すだけでも、英語の存在や必要性を意識せずにはいられない状況が訪れています。

 たとえば、外国人の知己とメールをやりとりするたびに「アメリカに来なさい」と誘われます(筆者が後込みするので、逆に先方が広島に来てくれましたが)。広島で一緒にスポーツを楽しむ友人のなかには、毎年会議でアメリカに行く者もいるし、子どもがアメリカに留学したりアメリカで働いたりする家庭もあります。かつて弊社で学んだ卒業生ともなると、かなりの数にのぼる人たちが仕事で普通に外国暮らしをしたり、日本と外国を行き来したりしています。

  街の看板や雑誌の誌面、テレビやインターネットの画面などには、いたるところにカタカナ言葉が氾濫していますし、Jポップと呼ばれる音楽の歌詞の何割かは英語のフレーズです。

  いつだったか、「日本語はウワバミのような言語である」という指摘が書物にありました。かつて漢語が日本に渡来すると片っ端から日本語化され、江戸時代にはオランダ語、明治以降は英語がすさまじい勢いで日本語の中に入り込んでいます。英語の名詞の末尾に「する」をつければ、大概は日本語の動詞に早変わり。そうやって、本来外国の言葉だったものを無制限に日本語化してしまいます。外国語に精通しているある文化人は、「他国の言語を、かくも無防備に自国語に取り込む国は他にない」と述べていました。そういった民族性が、グローバル社会の到来によってますます「英語」に走らせているのかもしれません。

 そう言えば、明治時代の初代文部大臣だった森有礼は「日本でも英語を公用語に」と提案したし、戦前の社会思想家の北一輝は「エスペラント語を公用語にしよう」と言っていますし、作家の志賀直哉は「日本語よりもはるかにフランス語のほうが美しいのだから、日本でもフランス語を公用語にしたらどうか」と言ったと伝えられています。なんとも無邪気というか、恐ろしいほどの母国語軽視の考えに驚いてしまいます。

 少し本題から外れてしまったようです。ともかくも、これから社会に出て働く世代にとって、もはや英語を学ぶ必要性が増すことはあっても減ることはないでしょう。では、少しでも早くから子どもに英語を教え、英語を話せるようにしておくべきなのでしょうか。また、英語の読み書きも早めに習得させておくべきなのでしょうか。それにあたって、効果的な方法はあるのでしょうか。早くから英語を学ばせることに何も問題はないのでしょうか。

 これに関して、外国語に堪能なかたの参考になる著述がありました。ちょっと紹介してみましょう。

 私どもにとっての母語、つまり生まれてこのかた最初に身につけた言語、心情を吐露しモノを考えるときに意識的無意識的に駆使する、支配的で基本的な言語というのは日本語である。第二言語、すなわち最初に身につけた言語の次に身につける言語、多くの場合外国語は、この第一言語よりも決して上手くはならない。単刀直入に申すならば、日本語が下手な人は、外国語を身につけられるけれども、その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身につかない。コトバを駆使する能力というのは、何語であれ、根本のところは同じなのだろう。

 これに続けて、ある有名な女性人気アナウンサーが結婚発表の記者会見の際、「子どもを国際人にしたいから、家では一切日本語をしゃべらないことにします。家では全て英語で話すようにします」と述べた話を紹介し、このアナウンサーの考えについて次のようにコメントしておられました。

 「国際」という言葉は、日本語でも国と国の間という意味。「国際」を意味するインターナショナルという英語だって、インターは「間(あいだ)」を、ナショナルは民族あるいは国を意味する。自分の国をもたないで、自分の言語をもたないで、国際などあり得るのか。

 そもそも日本語ができるからこそ英語は付加価値になり得るのであって、英語だけしか出来ない人なら、アメリカにもイギリスにもオーストラリアにも、ちょうど日本に日本語しか出来ない人がウヨウヨいるように、掃いて捨てるほどいる。さらには、どんなに英語が上手くとも、自国を知らず、自国語を知らない人間は、それこそ国際的に見て、尊敬の対象にはならない。20140210a

 (中略)同じ目論見で、日本に住みながら子どもを英語のみで授業をするインターナショナル・スクールに入れ、家庭内でのコミュニケーションも英語に限定している人たちが私の周囲にも後を絶たない。そして決まって、子どもたちが成人する頃になって、重大な過ちをおかしていたことに気づく。(中略)自国の文化のアイデンティティを形成し得なかった若い魂が、どれほど不安定で不幸な自我意識に苛まれるかを目の当たりにしてからなのである。

 第二言語は、第一言語を土台に形成されると言います。母国語である日本語を正しく美しく使えない人間になってしまうと、外国語が日本語よりも上手になるなどということは絶対にないということなのですね。

 英語を学ぶことはもはや「必要か、必要でないか」の論議を待つまでもなく、必須の時代が来ています。だからこそ、上手な英語の遣い手になるために、小学生のうちはしっかりとした日本語を習得しておかなければならないのですね。小学校での英語教育が強化される方向にありますが、確かな日本語の教育をその前提として行わなければ不幸な事態に陥りかねません。

 今、お子さんを英語教室に通わせておられるかたもおありでしょう。そのお子さんが英語を上手に操れるだけでなく、国際社会で立派に通用する人間に成長していくためには、土台となる日本語の確かな遣い手になるよう配慮することも、是非大切にしていただきたいと思います。

 それは、ご家族、とりわけおかあさんが毎日お子さんと交わす会話の場と深く関わることだと思います。また、日本語の確かな読み書きの習得という点からも、お子さんの成長をバックアップすることも忘れないようにしたいものです。

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2014年度中学入試 受験校・進路選択の状況

2014 年 2 月 6 日 木曜日

 中学入試を終え、合格発表後の入学手続き期間もほとんどの中学校が締切日を過ぎました。したがって、補欠の繰り上げ合格もほぼ収束しつつあるようです。

 弊社の各校には、連日受験生から「合否結果と進学先」を記した報告書が届いています。もうしばらくすると、ほぼ全員の進路が掌握できると思います。今回は、受験校の選択状況と、現在わかっている進路選択の様子について簡単にご報告しておこうと思います。なお、弊社は会員家庭の受験校の決定には関与していません。したがって、塾の意向が入り込まない、ありのままの受験校選びの様子がわかるので、これから受験されるご家庭の参考になるのではないかと思います。

 かつて今よりもはるかに児童数が多く、中学受験での合格をめぐる競争が激しかったころには、受けられる限りの中学校を全て受験するような例も少なくありませんでした。5校以上受験するような子どもも珍しくなかったほどです。

 しかしながら、近年は随分違った様相を呈しています。今年の受験者の受験校選択状況を簡単にご報告すると、いちばん多かったのが3校受験で、次が4校受験、その次が2校受験でした。これは男女とも同じ傾向でした。この3つが大半を占め、5校以上の受験はわずかで、なかには1校しか受験しない受験生も見られました。

 ただし、同じ3校受験でも受験校の組み合わせはいろいろです。学力に覚えのある受験生の場合、男子なら「広大附属・学院・修道」が代表的パターンで、いちばん多いのは、「学院・修道・プラス私学1校」のパターンです。女子なら、「清心・広島女学院・プラス私学1校」もしくは、「広島女学院・プラス2校」のパターンが代表的です。女子の場合、広大附属は男子以上に入りにくいことがよく知られているためか、受験者はさほど多くありません。したがって、学力に覚えのある一部の受験生が「広大附属・清心・広島女学院」の3校受験を選択しているようです。

 また、受験校選択の様子にも若干の地域差があります。男子で最もポピュラーな人気を誇る修道は、地域に限らず大半の受験生が受験校に選びますが、2つ目、3つ目の受験校としては広島の西側地区の校舎ではなぎさを選択するケースが多くなり、広島市中央部、東部、北部では城北を選択するケースが多いようです。女子についても同じで、西側ではなぎさを受験校に選ぶケースが多く、それ以外では安田を選ぶケースが多いようです。

 なお、今年の入試で注目されたことの一つに、広島の男女私学を代表する修道と広島女学院の入試日と、県立広島(公立6カ年一貫校として平成16年に設立)の適性検査日が重なったことがあげられるでしょう。

 この場合の問題は「県立広島か私学か」の選択ですが、県立広島の地元にある弊社の東広島校の受験生の場合、男子の8割以上が修道を受験しました。女子はこの逆で、県立広島を受験した児童のほうがかなり多かった模様です。かねてより県立広島は女子に人気が高かったのですが、やはりそうした状況が受験校選択にも反映されているように思います。

 また、広大附属の入試は私立中学校入試の解禁日と同一日に行われました。この場合問題となるのは、同じ日になぎさの受験があり、共学を志向する受験生の受験校選択の幅が狭くなったことです。広大附属は広島きっての難関校です。合格は厳しいと思いながらも、「受けてみたい」と思う受験生は少なくありません。できるなら、両方を受験するということが可能な日程であったらよかったのですが。

  このことは、県立広島と修道・広島女学院についても言えるでしょう。来年の入試では、なるべくこうした入試日の重複がないことを願うばかりです。

  公立の完全6カ年一貫校に衣替えを予定している広島市立広島中等教育学校(安佐北中学校・高等学校)ですが、名称が変わった今年は受検生がかなり増えました。学校側のやる気に満ちた姿勢もあってのことか、466名の応募者がありました(昨年比190名の増加)。弊社からの合格確認人数は12名です(2月6日現在)。

 進路選択の状況ですが、まだ7~8割の報告を受けている段階であり、もうしばらくしたらご報告できると思います。選択の基準としては、複数校に受かった場合には難関とされる学校を選択するのが普通です。しかし、そうでないケースも最近は徐々に増えつつあるように思います。

 悩まれるケースで多いのは、「広大附属と広島学院もしくは修道に重複合格」した場合の選択です。男子の場合、国立よりも私立を選ばれるケースが多いのですが、「清心と広大附属に重複合格」した場合は、若干広島大学附属を選択されるケースが多いように思います。女子の場合、男子以上に広大附属は難関であり、さらに女子のほうに共学志向の傾向が強い点が反映されてのことでしょうか。

 男子に女子ほどの共学志向がないのはなぜでしょうか。どうやら、女子のほうが精神面の成熟が早く、常日頃小学校で女子にやりこめられているせいで、「男同士のほうが気楽だ」といった気持ちが作用しているのではないかと思います(そういった発言が男子にあります)。広大附属、県立広島、広島中等教育、なぎさなど、国・公・私立を問わず共学校はすべて女子のほうに人気が高いのはそのためでしょうか。

 なお、弊社のHPに合格者数を掲載していますが、毎日少しずつ数が動いています。これは、郵送された「入試結果調査書」で補欠の繰り上がりの報告があり、それを加えているためです。ですから、リアルタイムに近い補欠繰り上がり状況をお伝えしているわけではありません。

 20140206どこを受験するかも悩ましい選択ですが、複数の合格を得た場合、今度はどこに進学するかという難しい選択に迫られます。しかしながら、どの中学校に進学するにせよ、親が喜んで送り出してやればだいじょうぶです。これは、1校のみに受かった場合も全く同じです。希望とやる気に満ちて中学校に進学する。それこそが、どの学校に進学するかどうかに関わらず、先々うまくやっていくための絶対条件だと思います。

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