親子で国語辞典を活用しよう!

2014 年 2 月 17 日

 先週は、日本で生まれ育った子どもが英語を身につけるには、その前提として確かな日本語の習得が必要だということをお伝えしました。しかしながら、この10年、20年、「日本語が危ない!」といったような危機感を訴える専門家の著述をしばしば目にするようになりました。

 かく言う筆者にしても、自分が日本語の確かな遣い手であるというような大それた自覚はありません。たとえば、かつて筆者は子どもの頃、次のような言葉の意味を取り違えていました。あるとき、自分の勘違いにふとしたきっかけで気づき、内心顔を赤らめるような思いをしたことがあります。ちょっとご紹介してみましょう。これをお読みのかたはちゃんと理解されていたでしょうか? 下線部の言葉はどう解釈するとよいでしょうか?

20140217b

 多くの大人は、かつて子どもの頃、これらの歌の真の意味など知らぬまま、何十回となくひたすら歌ったことでしょう。また、先生も詳しい意味など教えてくれなかったのではないでしょうか。それが、やがて中学生・高校生へと成長し、ことばの世界を広げ深めていく過程において、ある日あるとき突然に「あっ、あの歌のこの部分は、こういう意味だったのか!」と、はたと気づく。このような経験がおありではないでしょうか。

 ところが、今日の子どもたちの国語力の現状、また、若い世代の日常会話を耳にしていると、ある種の不安を覚えずにはいられません。これらの歌の真の意味について、関心もなければ知識もない。そんな大人にばかりになってしまうのではないかと……。

 さて、先ほどの歌の一節の意味を確認してみましょう。①ですが、「おわれて」を「追われて」ととって、「鬼ごっこで追いかけられながら」というような意味に理解している子どもがいるようです。しかしながら、これは「負われて」であり、「お姉さんに背負われて」が正しい理解のようです。その昔、たくさんのきょうだいがいて、年上の姉におんぶされるような境遇にあった人ならいざ知らず、少子化の進んだ今どきの子どもたちには、イメージし難いかもしれません。

 ②ですが、大人でも「今こそ別れ目」といったような連想をしがちですが、高校の古典で「こそ~め」が強調の意を表すことを習ったことを思い出してください。「今、まさに別れのときが来た」といったような意味でしょうか。

 ③ですが、「におい」を「匂い」と受け止めてしまう人が多いようです。古文では「におい」は「美しく輝くさま」を表します。「あわし」は「淡し」です。ですから、「においあわし」は「うっすらと美しく輝いている」といったような意味でしょうか。20140217a

 ④などは、子どもが自分で理解するのは無理かもしれません。「帰ってみたら、恐いカニが家の前にいた」などと勘違いしかねませんね。「こはいかに」は、「これはどうしたことでしょう」といったような意味の表現です。発音すれば、「恐い」と同じで、現代の子どもたちにはわからないのも道理です。

 言葉の意味は、文脈によって変わることがしばしばです。ですから、やはりたくさんの言葉との出合いが大切です。小学生といえば、まだ言葉の習得の修行が始まったばかりの段階にあります。ですから、たくさんの本を読んだり、親子で会話を楽しんだりする経験は、子どもの言葉のバリエーションを増やすうえで欠かせません。

 言うまでもありませんが、ほとんどすべての教科の学習は言葉によって行われます。その言葉の豊かな遣い手になるためには、言葉の習練をする経験が不可欠です。中学受験の学力試験では、算数、国語、理科、社会の4教科が出題されますが、そのどれをとっても言葉なしには成り立ちません。

 そう言えば、当社の教室への入会にあたって実施する「会員選抜試験」において、合格点を取れなかった子どもたちの答案用紙を点検していて、意外な事実に突き当たったことがあります。

 算数の問題で、相当に複雑でレベルの高い操作を必要とする計算問題はちゃんとできているのに、計算式自体はごく簡単なものにすぎない、2~3行の文章題で躓いている子がいます。

 このことは一体何を意味するのでしょうか。言うまでもありません。文章を読み取る力が不足しているから、算数の出題の意図が理解できないでいるのです。算数のできる子になるためには、意思伝達や思考の手段としての「言葉」が身についていなければならないということを、この事実は物語っているのではないでしょうか。

 これから中学受験準備の学習生活を始めるご家庭、すでに受験生活が始まっているご家庭を問わず、おとうさんおかあさんにご提案したいことがあります。それは、家庭で見聞きした言葉の意味について、一緒に話し合い、「ほんとうの意味はどうなのかな?」と、一緒に辞書を引きながら確かめてみること。それが楽しいひとときになれば、自然とお子さんはわからない言葉に出合うと自分で辞書を引いて調べるようになるでしょう。親も辞書を引いてハタと新しい気づきを得ることがあるかもしれません。

 言葉の意味は、実際の用例を通して学ぶのがいちばんです。忘れにくいうえ、自分で使える語彙を増やすことにもなります。それが、国語力のみならず、学習全般の推進力の増強にも役立つことでしょう。 

 何よりも、言葉に堪能な人間になることは、受験の結果はどうであれ、人生を心豊かに送れる人間になるために必須のことです。

 言葉の意味について一緒に考えるには、子ども用の「慣用句辞典」や「諺辞典」なども活用できるでしょう。国語のテキストを一緒に読んだりするのもよいでしょう。新聞やテレビから言葉のネタを取ってくる方法もアリかもしれませんね。

 親子で言葉について語り合う。それは、親子がともに過ごす最も充実した「花も実もある」時間になることでしょう。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: アドバイス, 勉強について, 家庭での教育

おすすめの記事