家庭の言葉と子どもの知力の相関関係 その2

2014 年 7 月 14 日

 前回に引き続き、家庭での言葉の使用状況が子どもの知的能力に及ぼす影響について書こうと思います。やや堅い内容の話ですが、子育て、とりわけ知育に関わる重要な話題ですので、最後まで読んでいただけるとうれしいです。

 前回は、それぞれの家庭で交わされる言葉には暗黙のルール(言語コード)が存在し、それが教育の場で用いられる言葉、学問に適している言葉かどうかで子どもに備わる知的能力が違ってくるということをお伝えしました。

 このことを大がかりな調査・研究を経て発表したのはロンドン大学のバーンステイン教授でした。そもそもこの研究の発端は、イギリスの下流階級の子どもが貧しい生活から抜け出すことができない理由、また、中流階級の家庭の子どもが高学歴を得て高いレベルの生活を維持する傾向が強い理由を明らかにするためでした。そして、こうした階層格差が固定化される原因として、「家庭で用いられる言語の質」が深く関与しているという結論に至りました。

 では、中流の家庭で用いられている言葉(精密コード)と、下流の家庭で用いられている言葉(限定コード)には、どんな違いがあるのでしょうか。少し詳しくみてみましょう。日本の教育社会学者の書物に、両者の違いを簡単に比較した資料があります。
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 会話のセンテンスは、長いほうがより細かな意思伝達、より複雑な事柄の説明が可能です。また会話で用いられる語彙のバリエーションは、当然長いセンテンスでやり取りする精密コードのほうが豊かになることでしょう。したがって、会話を通してやり取りする情報は圧倒的に精密コードのほうが多いことになります。

 構文というのは、文の組み立て・つくりですが、センテンスの長い精密コードの会話では、必然的に「複文」「重文」などの複雑な構文が多く用いられることになります。それに対して、限定コードの家庭はセンテンスが短いので「単文」を用いることが多くなります。ご承知かと思いますが、複文とは、述語が複数ある文のことで、「重文」とは、主語・述語の関係が複数ある文のことです。複文や重文のほうが、より複雑な思考や事象の説明が可能なのは言うまでもありませんね。

 代名詞の使用についてはどうでしょう。目の前に会話の相手がいる場合、周囲にある物なら一緒に同じ物を見ることができますから、そのものの名前をわざわざ言わなくても「あれ」「それ」で事足ります。そこで勢い代名詞を用いて省略したくなるものです。この傾向が強いのが限定コードの家庭です。

 精密コードの会話が「論理的」で、限定コードの会話が「情緒的」であることから生じる違いは、どなたも納得されると思います。筋道立てて冷静に話すか、その場の感情に任せた言葉を発するか、どちらが子どもの知性を育むかは言うまでもありません。子どもがよくないいたずらをしたとき、「こら!」「ダメ!」「何やってんの!」と感情に任せて怒鳴るか、「それは危ないよ。怪我をするからやめなさい」「他の子の迷惑になりますよ。ちゃんと元に戻しておこうね」と、子どもに禁止の理由を説明するかの違いでしょう。どちらが子どもの思慮深さを育むでしょうか。

 「文脈独立的」と「文脈依存的」の違いについて。これは、言葉のみでコミュニケーションを成立させるか、その場面に至るプロセスや流れに依存しながらコミュニケーションを成立させるかの違いであろうと思います。精密コードの家庭の会話は、言葉以外の要素に頼らず、言葉を駆使して相手とコミュニケーションを図れるので、共有する体験をもたない人でも話を聞けば理解できます。こういう能力を培う土壌が家庭の会話にあれば、当然子どもの思考力や表現力はより高い次元へと導かれることでしょう。

 以上、二つの言語コードの性質をやや極端な対比で見てきました。会話の質が子どもの知力に影響を及ぼすことについては納得されたのではないでしょうか。ただし、なかには「うちでは限定コードを多用しているんだ」と、がっかりされたかたがおられるかもしれません。

  実際のところ、家庭内の会話が「精密コード」か「限定コード」かの二者択一で行われるなどということはあり得ません。会話の傾向が、どちらかに近いというのが多くの家庭の現実ではないでしょうか。また、普段は精密コードを基調とした話しかたをする人が、スイッチが入る(感情が高ぶるなど)と限定コードに切り替わってしまうということもあるでしょう。そもそも、特別に親しい間柄であれば、限定コードが多くなるのは当たり前のことです。ですから、今回ご紹介した説はあくまで原則論として受け止めていただければよいと思います。

  重要なのは、家族が共に暮らす家庭生活の中で、精密コードにも触れる体験をいかにして子どもにさせるかということではないでしょうか。

20140714b 「玉井式国語的算数教室」の創始者である玉井満代先生は、自身の講演会でおかあさんがさりげなく子どもの語彙を豊かにする会話を心がけることの重要性について語っておられました。たとえば、「今朝は、とても気持ちのよいすがすがしい風が吹いているわね」「平和公園で行われた式典は、厳かな雰囲気だったね」など、子どもが普段耳にしない言葉を聞かせ、その言葉に興味をもたせたり、その言葉の使用場面を理解したりするチャンスを与えると、子どもはそれを新たな語彙にできるのです。

 このように、普段の会話のなかに少し難しい言葉を挟んでみるのと同様、おかあさんが丁寧な言い回しを意識することも効果があるでしょう。日頃の家庭での会話では、とかく親は注意や叱責の言葉を乱発しがちですが、それでは感情交じりの限定コードによる会話にシフトしてしまいます。

  もしも、禁止する理由を筋道立てて伝え、なぜいけないのかを子どもに納得させる言いかたを心がけたならどうでしょう。それは精密コードにシフトした言いかたに他なりません。そうすれば、子どもも感情をあらわにした話しかたではなく、思慮深く考え、相手が納得するよう丁寧な話しかたを心がける人間に成長するのではないでしょうか。

 また家族がそろっているときの会話において、ときどきは互いの考えや意見を交換する機会を親が意図的に設け、話題について子どもが自分の考えを筋道立てて表現する場をつくってやることも必要でしょう。子どもが望ましくない行動に及んだときも、いきなり叱るのではなく、子どもに釈明の余地を与えてやれば子どもにとって考えながら丁寧に話す練習になります。そういう経験を繰り返すと、自然と子どもは複文構造、重文構造の複雑な構文の話しかたを自ら身につけていくのは間違いありません。

 さらに、子どもが多様な言葉の表現にふれる体験をするには、読書が一番効果的です。物語だけでなく、説明文や伝記などざまざまなジャンルの本を読めば、どんな場面でどんな言葉遣いをすることが望ましいかを自然と学ぶことができるでしょう。読書という仮の体験は、そういう意味でも子どもの成長にとってなくてはならないものです。

 このまま書いていくと、とんでもなく長くなってしまいそうなので、そろそろ切り上げようと思います。子どもを高い学力・知性のもち主に育てる要件の一つとして、家庭の会話に留意するということの必要性をお伝えしました。

  先ほどの2つの言語コードの比較表をよく点検してみてください。頭のよい人間になるための要素が何であるかが見えてきませんか? 家庭内の会話の質を上げるうえで、どんな点に気を配るべきかを確認のうえ、必要に応じて親が言葉の使用を考慮したり、言葉の体験に彩をもたせたりする工夫をすれば、それは必ずお子さんの内面の成長によい影響を与えることでしょう。

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カテゴリー: 勉強について, 家庭での教育

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