2018 年 9 月 のアーカイブ

成功するための切り札は“才能”ではない

2018 年 9 月 24 日 月曜日

 「ああ、もっと頭のよい人間に生まれていたら…」――あなたはこんなふうに思ったことはありませんか? 今よりずっと若かったころのことですが、筆者はほとんど毎日のようにそんなことを思いながら、自分の能力のなさを嘆いていたように思います。受験を控えている子どもたちは、学力をめぐる競争の場に立たされているのですから、難問と格闘していたり、悪い成績をもらったりしたときなど、同じような心境になるケースが多いのではないかと思います。

 しかしながら、心理学や脳科学の専門家の著書を拝読すると、「人間が潜在的にもっている才能は、個々でそう違うものではない」とか、「よい結果は才能だけで得られるわけではない」などという指摘をしばしば目にします。では、結果を引き寄せるにあたって“才能”以上に大きく関与するものがあるとしたら何でしょうか。今回は、それを話題に取り上げてみようと思います。

 以下でご紹介するのは、あるアメリカの心理学者が一時期中学校で数学の教員をしていたときの体験を綴ったものです(教職に就いて最初に赴任した、都会の貧困地区にある中学校での体験が紹介されています)。

 

 最初の週からすぐにわかったことは、生徒のなかには数学的概念の呑み込みがずば抜けて速い子が何人かいることだった。クラスでも抜群によくできる生徒たちに教えるのは、とても楽しかった。文字通り、頭の回転が速いのだ。たいしてヒントを与えられなくても、すぐに問題のパターンをつかんでしまう。私が黒板で例題を解くのを見ただけで、「わかった!」と言って、つぎの問題をさっさと解いてしまうのだ。

 いっぽう、それほど能力のない生徒たちは、なかなかパターンがつかめずに苦労する。

 ところが、最初の学期の成績評価を行ったところ、驚いたことに、能力の高い生徒たちの成績は思っていたほどよくなかった。もちろん、よい成績の生徒もいたが、クラスでもとくに能力の高い生徒に限って、なぜかぱっとせず、なかには成績の悪い生徒もいた。

 それとは逆に、最初はなかなか問題が解けずに苦労していた生徒たちのなかには、予想以上によい成績を取った生徒が何人もいた。このようによく伸びた生徒たちは、決まって欠席せず、忘れ物もしなかった。授業中にふざけたり、よそ見をしたりもせず、ノートをしっかり取って、よく質問をした。最初からすぐに問題を理解できなくても、あきらめずに何度も挑戦した。昼休みや午後の選択科目の時間に、「先生、教えてください」と頼んでくることもあった。そうやってこつこつと努力したことが、成績に表れたのだ。

   実は、筆者も 似たような体験を学習塾の国語指導の現場でしたことがあります。予習をしっかりやってきている子どもや、授業の反応がとてもよい子ども、発表意欲に満ちた積極的な子どもはどうしても目につきます。新米の授業担当者の頃には、「こういう子どもが優秀なのだろう」と思ったのですが、かなり高い確率で筆者の予想は外れていました。授業で目立たない、地味な感じの子どものなかにテストで確実によい成績をあげる子どもが多かったのです。

 まもなく気づいたのですが、予習状況がよいのはすばらしいこととは言え、それが親がかり、家庭教師のサポートによるものでは、やったことが身についているとは限りません。また、発表意欲が旺盛なのもよいことではありますが、それがちゃんとした理解に基づくものであるかどうかは一概に言えません。さらに、筆者が担当していたのは主に男子クラスだったため、ただ目立ちたいために一生懸命手を挙げる子どもも少なくなくありませんでした。自分の考えが的外れでないかどうか、自分の考えを要領よく説明できるかどうか。そういったことを吟味する慎重なタイプの子どものほうがおおむね優秀なのだということが、しばらく経験して分かってきたのです(以上は、外見と実際が違っているという点で似ていることから、筆者の体験としてご紹介しました)。

 どうやら、数学に向いているだけではよい成績は取れないらしい。数学の才能があるからといって、数学の成績がよいとは限らない。――このことは、数学的才能がある生徒ほどよくできるだろうと思い込んでいたこの学者にとって、まさに青天の霹靂であり、大きな驚きでした。そして、才能にばかり目を奪われていた自分の視点を修正し、改めて成績を決める要素は何かについて考察しました。

 

 私はしだいに突き詰めて考えていった。授業で新しい章に入っても、生徒たちが問題の考え方をなかなか理解できないことがある。しかし、すぐには理解できない生徒たちも、もう少し粘り強く取り組めば、ちゃんと理解できるのではないだろうか。説明がうまく伝わらない場合は、もっと工夫してほかの説明のしかたを考える必要があるのでは?

 「才能には生まれつき差がある」などと決めつけずに、努力の重要性をもっと考慮すべきなのでは? 生徒たちも教える側も、もう少し粘り強くがんばれるように、努力を続ける方法を考えるのは、教師である私の責任なのではないだろうか?

 それと同時に思い出したのは、数学が苦手な生徒たちも、自分が本当に興味を持っていることを話すときは、びっくりするほど頭の回転が速くて、生き生きしていることだった。こちらはほとんどついて行けないような会話だ。たとえば、バスケットボールの統計に関する詳しい解説や、大好きな曲の歌詞や、交友関係のややこしい問題(誰が誰を無視するようになって、それにはどんなワケがあるのか)など。

 生徒たちのことを深く知るほど、誰もが複雑な日常生活のなかで、さまざまな事柄を理解していることがわかった。はっきり言って、それに比べれば方程式のの値を求めることのほうがよっぽど簡単ではないだろうか。

 生徒たちの能力には、たしかにばらつきがあった。それでも中学1年生の数学に関しては、教師が生徒たちと一緒にじっくり取り組んで、十分な努力を積み重ねれば、きちんと習得できるのではないだろうか。きっとそうにちがいない、と私は思った。みんなあれだけ賢いのだから。

 ここまでお読みになったかたは、どんな感想をもたれたでしょうか。この学者は、人生の成功を決めるうえで決定的なものは“才能”ではないと気づき、以後の研究においても成功へと導くものが何かを追求し、研究しておられます。それについてはまたいずれ話題に取り上げてみようと思いますが、とりあえずここまで読まれてもある程度予想がついたのではないでしょうか。

 まずは“努力”でしょうか。その言葉も本文中に出ていますね。ほかにも、“興味”という言葉も目につきました。“粘り強く”という言葉もキーワードの一つかもしれません。つまり、学習対象に興味をもち、少々わからなくても粘り強く取り組み、常に努力を怠らない生徒のほうが、一見才能に恵まれているかのように見える生徒を成績で凌駕するということなんですね。

 そう言えば、遺伝子の専門家として有名な東京大学の先生の著作に、「才能に恵まれた子どもが1回で覚えられることを、自分は5回かかる。それなら自分の能力を嘆くよりも、5回辛抱してやればいいのです。それでテストの成績が同じなら、少なくとも成績的には対等で同じ能力の持ち主ということになるのですから」といったような記述があったのを思い出します。この姿勢を継続することが“努力”であり、それを繰り返しているうちに能力が高められ、才能に恵まれている人を乗り越えるだけの力がついていくのですね。

 子どもが一定年齢に達すると、やることなすことの全ては本人の能力とみなされるようになります。その段階に至るまでに親や周囲の大人が子どもにしてやるべきことがあります。それは、あきらめずに取り組み続ける姿勢をもった人間にすることであり、そのことによって得られるものの大きな価値に気づかせることであろうと思います。

「子どもは、本当に好きなことについては、驚くほど頭の回転が速くなる」といったようなことが先ほどの引用文にもありましたが、そのことはとりもなおさず、一人ひとりに子どもにはすばらしい可能性があるということを意味するのではないでしょうか。

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“やる気スイッチ”をON(オン)にするルーティンを築こう!!

2018 年 9 月 17 日 月曜日

 こんなふうに、わが子をしょっちゅう叱っているおかあさんはおられませんか? こういう家庭のお子さんのほとんどは、勉強を「やらされるもの」「やらなくてはならないもの」という受動的な受け止めかたをしています。だから悪循環が連鎖している状態にあると言えるでしょう。

 それでいて、大概の子どもは「勉強は必要なものだ」という気持ちはもっています。ダラダラテレビを見たりマンガやゲームにかまけたりしているのは、それらが格別楽しいからというよりも、やらなければならない嫌なものから逃避するための、身近で手軽な道具だからだとも言えるでしょう。

 そもそも、勉強は(ものを知るということは)好奇心や探求心を充足させる喜びを与えてくれるもののはずです。決して忌避の対象となるようなものではありません。それなのに、どうしてこんなことになるのでしょう。

 この8月に、弊社では「玉井式」の創設者である玉井満代先生をお招きして「教育講演会」を実施しました。そのとき、今お伝えした疑問と深く関わる話を聞き、はっとさせられました。玉井先生は仕事でしばしばインドを訪れておられますが、インドでは子どもたちが目を輝かせ、夢中で勉強に取り組む姿が当たり前のように見られるそうです。その理由ですが、インドはまだまだ貧しい家庭が圧倒的に多く、学校に行きたくてもいけない、勉強したくてもさせてもらえない子どもがいっぱいいます。そんななか、やりたいだけ勉強できる境遇を得ているのは掛け値なく幸せなことであり、「自分は恵まれているのだから、一生懸命勉強に励むのは当たり前だ」と、子どもたちは思っているのだそうです。勉強する機会を得られること自体が幸せなことなんですね。しかしながら、日本の子どもはそういった気持ちになりたくてもなれない環境のもとで暮らしています。どうしたものでしょうか。

 少し話が横道にそれるかもしれませんが、先だってテニスの全米オープンの女子シングルスで優勝した大坂なおみ選手のインタビュー記事を読んでいて、心の惹かれる思いをした箇所があります。それは、彼女の「テニスができることはハッピー!」という言葉です。もう少し詳しくお伝えすると、試合に出て、優れた対戦相手とテニスをする。それは最高の楽しみであり、そのために練習を重ねるのですから、ポジティブな精神でテニスと関わるべきだと彼女は考えているようでした。だから、テニスをずっと続けたいし、それが今できていることはこの上なくハッピーなことだというのです。

 恵まれた日本の家庭の子どもは、あまりにも苦労を知らない環境で暮らしています。子どもを目当てにしたエンターテインメントの類が大きな市場を形成し子どもを惹きつけ、目先の楽しさを得ることに日本の子どもたちは慣れきっています。前述のインドの子どもたちのように、「自分が勉強できる境遇にあることに感謝し、喜んで取り組む」といった状況を今更実現するのは難しいと言わざるを得ません。しかしながら、どのような国で生まれようとも、人間社会で生きていくうえで勉強は不可欠です。よりよい社会を築き、よりよい生活をしていくには、一人ひとりの人間が「学ぶ」ということに真摯に向き合う必要があります。子どもたちも一定の年齢になると、そのことをある程度認識しています。だから、勉強は必要なものだとは思っているのです。

 で、ここからが今回の本題です。「勉強は大切だと思っている。けれど、いざとなると億劫になる。目先の楽しいことにかまけてしまう。どうしたらいい?」――この問題の解決方法を少し考えてみようと思います。

 勉強は、わかるまでのプロセス、目標とする次元に到達するまでのプロセスにおいて、楽しいというよりも辛いと感じる側面があるのも事実です。しかしながら、いったん勉強のもつよさに触れ、その経験が繰り返されたなら、大人も子どももなく、誰でも勉強せずにはいられなくなります。問題は、勉強のよさに気づき、考えることが楽しくなるレベルにどうしたら漕ぎつけられるかでしょう。

 そのための方法として、筆者は子どもが勉強にとりかかるプロセスに一工夫加えることをお勧めしたいと思います。どういうことかというと、「遊びから勉強への切り替えスイッチをスムーズにする」ために、「決めた時間になると自然に勉強を始めるルーティンを築く」のです。すでに何度かお伝えしましたが、子どもの学習意欲は「勉強しなさい」の言葉では湧きません。むしろ逆効果です。必要なのは「習慣化」し、やるのを当たり前にすることです。一定のペースで勉強を繰り返していると、子どもは必ず勉強のもつよさに気づくようになります。特に、自分の推測したことが正解だったときの喜びは何とも言えないものです。こういう経験をしていると知らず知らずに学習意欲も高まってきます。「習慣化→意欲向上」の流れを築くのです。そうすれば、勉強が億劫なレベルを脱することができるのです。

 では、ルーティン化、習慣化を成功させるために何をしたらよいでしょうか。弊社は、隔週実施のテストを軸にした2週間の学習サイクル)に基づく学習計画を立てるよう指導していますが、計画を立てても実行できない子どもが今回の問題の主人公です。わかっているけど取りかかれない子どもが、計画に沿って取りかかれるようにするための工夫が必要なのです。

 筆者が考えた案をちょっとご紹介してみましょう。きっとみなさんなら、もっとよい案が出てくるでしょう。文にするとわかりにくいので、イラストと組み合わせてみました。


 ちょっと補足説明をしておきます。①ですが、子どもは家族と楽しく話をすると、すごくやる気を起こします。すでに書いたことがありますが、会話を通じて親の愛情を感じると、「親は自分に何を期待しているか」に思いを馳せ、それをすることに積極的になります。団欒の後が勉強の時間になっていたら、「さあ、次は勉強だ!」と気持ちを切り替え、しっかりと取り組むようになります。会話の内容は、おとうさんがへまをした話でも、スポーツの話でもなんでも構いません。

 ②も同じような理屈ですが、子どもは家族みんなで何かに取り組むときは、「自分もやっているよ!」ということを示そうと張り切るものです。おとうさんは読書、おかあさんは洗濯ものを畳む時間にするなど、ご家庭の事情に合わせて何をするかを考えてください。毎日できなくても結構です。家の決め事と言える程度の回数を励行しましょう。時間も、子どもの勉強時間にピッタリ合わせる必要はありません。

 ③ですが、子どもは親が自分の話に真剣に耳を傾けてくれると、とても喜びます。①と同様にこういう時間を過ごすとき、子どもは頭の片隅で「親は自分に何を望んでいるか」と考えるようになり、「次は勉強の時間だから、すぐにとりかかろう」という気持ちになります。ただし、その日の行動を詰問調で尋ねる形式は逆効果です。すぐにたしなめたり関心のなさそうな態度で聞いたりするのでは効果はありません。子どもの気持ちに寄り添い、同調しながら聞いてやるだけで結構です。

 どうでしょう。やってみませんか? ①~③はいずれも根は同じ考えに基づくものです。そう、家族一緒に何かをすること、親の愛情を感じること、親が自分のすることに関心をもってくれること。これらこそ、子どものやる気に好影響をもたらすスイッチなのです。親が商売をしていて、子どもと一緒に過ごす時間がないうえ、勉強も見てやれない家庭がありました。そこで、毎日10分だけ時間をとって学校から帰宅した子どもにその日の報告を聞いてやり、それからおやつ、宿題という流れをずっと繰り返したという話を聞いたことがあります。その子どもは学力を大いに伸ばし、やがて有名な国立大学に進学したそうです。ルーティンというものの威力とすばらしさを感じずにはいられません。

 上記の3つは単なる提案です。どうしたら子どもの気持ちを盛り立てられるのかを踏まえたなら、みなさんのほうがよい案を思いつかれるかもしれません。習慣化はすばらしい成果をもたらします。面倒で嫌になったはずのことでも、習慣化に成功するとやらずにはいられなくなるのです。必ずやり、それを継続する。この好循環の流れを子ども時代に築いたなら、それは目の前の目標達成(中学受験での結果)のみならず、人生の充実に向けて、欠かせない財産となるのです。

よい習慣は一生の宝です!

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子どもへの“励ましかた”を振り返る

2018 年 9 月 10 日 月曜日

 このところ、朝夕はだいぶ凌ぎやすくなりました。これから晩秋にかけては勉学にもスポーツにも最適のよい季節が続きます。受験生の子どもたちには、ここで一段ギアを上げた勉強を実現させてほしいですね。4年生や5年生など、まだ受験までにたっぷりと時間のあるお子さんは、読書に勤しむのもよいですね(6年生も、少しの時間なら読書はよい息抜きになるでしょう)。

 さて、前回は受験を来年1月に控えたご家庭に向けた情報をお届けしましたが、今回はいつものように子育ての視点に立ち、健全な知育や望ましい学力形成を実現するための親の働きかけをテーマに掲げて記事を書いてみようと思います。

 みなさんは、勉強だけでなくわが子の様々な取り組みに対して激励の言葉を投げかけておられると思います。その多くは、もっとがんばりなさい!」「がんばりが足りないんじゃない?」など、努力を奨励したり促したりする言葉かけではないでしょうか。試しに、最近わが子にどんな励ましの言葉を投げかけたかを思い出してみてください。

 実際のところ、筆者もかつて指導現場にいた頃には、特に何とも思わず「がんばれよ!」という言葉かけを子どもたちにしょっちゅうしていたのを思い出します。それどころか、「きみは努力が足りないんだ!もっと頑張らないと」と、努力を子どもに強要するような言いかたもしていました。無論、小学生時代のわが子に対しても同様でした。

 学習心理学の研究で有名な、ある国立大学の先生の著作に目を通していると、この「がんばりなさい」という激励の言葉かけの問題点を指摘されていました。ちょっと、該当部分をご紹介してみましょう。

 

 わたしはまわりの教師が学業成績の悪かった子どもに対して、「もっと頑張りなさい」と激励する姿をよく見る。わたし自身もそう言われて育ってきた。しかし、よく考えてみると、もし自分に能力がなかったら努力しても無駄ではないのか。能力がないのに、いくら努力しても期待する効果は得られないのではないのか。わたしたち日本人は「努力」を大切にするあまり、それにたより過ぎているように思う。そして、本当は心の奥底で自分の能力の有無にこだわっている。

 そうだとしたら、「本当は頭がいいのだから、もっと努力してごらん」とか「本当は能力があるのだから、がんばればよい点が取れるよ」というような潜在的な能力のあることを理由として激励するほうが、単に努力を促すだけの激励よりも効果的ではないだろうか。( 中略 )そこで、わたしは小学生、中学生、大学生を対象にして、教師から「努力不足だから努力しなさい」と激励(努力不足を理由とする激励)される場合と、「本当は頭がいいのだから努力しなさい」と激励(潜在的な能力を理由とする激励)される場合とで、どちらのほうが学習意欲や教師への好感度が高まるかを調査した。( 中略 )その結果、小学生でも、中学生でも、大学生でも潜在的な能力を理由に激励されるほうが学習意欲も教師への好感度も高まることが示された。特に教師への好感度は抜群に高かった。

 

 これを読んでどう思われましたか? これを書かれた先生は、努力を促すことに意味がないと言っておられたわけではありません。努力の必要性を十分認めたうえで、上記の指摘をしておられました。しかしながら、筆者は「確かにこの指摘は一理ある」と思ったものの、「本当はあなたには力がある」といったような言葉かけを、一定年齢に達した子どもが素直に聞き入れるだろうかという疑念ももちました。実験の結果、効果があったとされているのに、そう思う私は「根性がひねくれているのかな?」と自問しつつ、なぜそんな気持ちになったのかを自分なりに考えてみました。

 で、その結果筆者が思いついたのは次のようなことです。突然親から「あなたには能力があるのだから」と言われても、 何らかの経緯で「自分には能力がない」と子どもが思い込んでいたとしたら、この激励は効力を発揮しません。また、進学塾では成績が繰り返し目の前に突きつけられますから、悪い成績が続いていると、あったはずの自信や意欲がしぼんでしまいがちです。そんな折、唐突に「本当は力があるのだから…」と言われても、逆に励ましてくれた大人に不信感を抱く恐れもないではありません。

 さらには、小学校の4~5年生ともなると、大人に言われた言葉を鵜呑みにせず、発言の真意を探ろうという心理も育ってきます。たとえば、久しぶりにテストで高成績をあげたわが子に、「ほら、やればできるじゃないの!」と喜び勇んでほめた親に対し、子どもは「おかあさんは、今までボクに力がないと思っていたんだ」と、不快を露わにしたという実例があります。学者の根拠に基づくよい指摘に対して、少しねじ曲がった受けとめかたをしたのは、進学塾での様々な経験があったからでしょう。

 こんなことも考えられます。親は本心ではなくとも、一向にやる気を見せないわが子に、「頭が悪い」「能無し」「愚図」などと子どもに否定的な言葉を投げかけていたとしたら(親子喧嘩になった際、かわいさ余って何とやらで、親が思わずこういう言葉を子どもに浴びせることがあります)、子どもは親の突然の宗旨替えに戸惑ったり、不信の思いを抱いたりするかもしれません。まずは、これまでのわが子にどのような激励の言葉をかけていたかを振り返ってみる必要がありそうですね。

 「これまで、わが子への言葉かけにおいて、『あなたには能力がある』といった趣旨の励ましをしていなかった」と、後悔されているかたはおられませんか? あるいは、親子喧嘩の際、前述のように我知らずわが子の能力を否定する言葉を幾度となく浴びせたかたはおられませんか? そんなかたは、わが子が親の言葉に素直に耳を傾けてくれるような関係を築くことが先決であろうと思います。そのためにどんな方法があるでしょうか。たとえば、わが子のよい点をまずは三つ思い描いてみてください。「親切だ」「好きなことなら頑張る」「手伝いをしてくれる」「気が優しい」「その気になったら集中できる」「愉快な話をする」「スポーツが得意」など、なんでも構いません。

 こうしたわが子の側面も、全て大切にすべき能力だと思いませんか? なぜなら、これらはいずれも人生を生き抜くうえで支えになる、有用なものばかりだからです。話が上手なことや、スポーツができるなども、人生でプラスになってもマイナスになることはありません。そう、まっとうな人生を歩むうえでの立派な能力なのです。これからはわが子のよい点、美点を常に念頭に置き、機会を見ては伝える親であってください。そして、それを照れずに伝えられるレベルにまで高めていきましょう。そのプロセスで、「あなたには能力があるのだから…」と、状況を見ては励ましてやるのです。きっとお子さんに変化が起こります。

 最後に。上記引用文の最終行に着目してください。「特に教師への好感度は抜群に高かった」というくだりがありますね。子どもは、自分を認めてくれ、「あなたならできるよ」「やれる能力があるんだから」と、励ましてくれる大人を信頼し尊敬するものです。ましてそれが親だったなら、これほどうれしく励まされることはありません。親をいつまでも信頼し尊敬するとともに、どんなことが起こっても自らを信じて頑張れる人間へと成長していけるに相違ありません。

  さあ今から子どもへの励ましかたを振り返り考え直してみませんか?

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中学入試まであと5カ月足らず・・・

2018 年 9 月 3 日 月曜日

 夏休みが終わり、学校が再開しました。8月28日の朝、わが家の前を小学生の集団が通り過ぎていきました。小学校の夏休み期間は予め知っていましたが、子どもたちの登校の様子を目の当たりにして、「あっ、夏休みはもう終わったんだ」と、改めて気づかされました。「夏休みは8月末まで」という観念が染み付いていたせいでしょう。

 筆者の家は、広島市とは言え昔気質の残る田舎のほうにあります。そのせいか、子どもたちは大人の姿を見かけると、必ず「おはようございます!」と、一斉に元気なあいさつをしてくれます。それに応じて、筆者も大きな声であいさつを返します。子どもたちから元気のお裾分けをしてもらえる、とても気持ちのよいひとときです

 さて、夏休みの終了とともに、中学入試を控えた6年生児童をおもちのご家庭では、「あと入試まで半年もないぞ!」と、気持ちの引き締まる思いをされていることでしょう。そこで今回は、受験生家庭の保護者の方々に向けて今の段階でお伝えしておきたいことを書いてみようと思います。

 まず何よりも保護者にお願いしたいのは、お子さんがたとえ思い通りのステップを踏めていなくても、「焦りは禁物!」という戒めを、肝に銘じていただきたいということです。親が焦って子どもを急に振り回しても、子どもの側に「何とかしよう」という気持ちの構えができていなければ、逆効果を招くだけです。まだまだ夏休みが明けたばかりのこの時期ですから、お子さんも入試に向けた自覚は高まっておらず、一気に目に見えるほど取り組みが変わるなどということは期待できません。

 そのいっぽう、本番はあと5カ月足らずでやってきます。お子さんの気合が高まる日の訪れは、1週間でも2週間でも早いほうがよいに決まっています。大人のお仕着せでなく、子ども自身の自覚に基づいた受験生活をできるだけ早く実現させなければなりません。そこで弊社では、日頃の授業を通じて受験生の子どもたちに様々な働きかけやアドバイスをしていくほか、保護者の方々には入試本番までの仕上げ学習をより有効なものにしていくための情報をご提供してまいります。さらには、各中学校も入試の概要や学校の教育方針などを受験生家庭に知ってもらうために、「入試(学校)説明会」や「オープンスクール」などの催しをこの秋に実施される予定です。

 こうした働きかけや様々な催しへの参加等を通じて、子どもたちの受験に対する意識も徐々に高まり、勉強への取り組みも真剣さを帯びていきます。焦らず、さりとて後手を踏まないよう、いよいよ大詰めに向かう受験生活の充実に向けてがんばってまいりましょう。

 

1.6年部「第3回 保護者説明会」のご案内

 6年部の後期は、いよいよ本格的な入試問題に取り組みながら学力を仕上げていく、受験勉強らしい勉強の始まる時期です。学習内容は当然レベルアップしますし、期限を切りながら弱点補強をしたり、基礎内容の習得不足を補填したりするなど、わずかな期間も無駄にしない密度の濃い受験対策が求められます。

 上記催しでは、こうした仕上げ期の学習のスケジュールを保護者にご説明するとともに、前述のような基礎のやり直しを、どんな教材を使ってどう取り組んだらよいかについてもご説明します。また、受験生の多い主要校については、入試での出題傾向を分析した結果をお伝えし、対策ポイントの概略をお伝えします。

 人生経験の浅い小学生の受験ですから、仕上げ学習における成否のカギは保護者が握っておられます。この点を踏まえ、「仕上げ期の親の心得」についても、できる限り詳しくご説明する予定です。いちばん受験勉強がはかどるのは、受験に対する意識が定まり始める今頃から、入試直前のコンディション調整に入る1月上旬までの数カ月。その意味において、今回の保護者説明会は、「もっとも重要な保護者説明会」と言えるでしょう。お忙しい毎日をお過ごしとは存じますが、ぜひ参加いただきますようご案内申し上げます。

 

2.主要中学校「入試説明会」の日程

 9月~11月は、各中学校の情報収集に役立つ重要な催しが目白押しです。以下は、主要な中学校で開催が予定されている「入試説明会」の日程です。

 上記以外にも、多数の中学校で入試説明会が実施されます。目新しいところでは、県北部で初の公立一貫校として「広島県立三次中学校」が来春開校されますが、同校の入試説明会は11月18日(日)に予定されています(詳細は未定)。

 上表をご覧になってお気づきかと思いますが、学校によっては「オープンスクール」を同時に開催される場合があります。お子さんが実際に志望する学校の授業を受けてみたり、部活をちょっと体験したりできるなど、学校に対する理解を深め、興味関心を引き出すための仕掛けがたくさん用意されています。ぜひお子さんと一緒に参加されることをお勧めします。

 

3.弊社主催「中学入試模擬試験」(第3回~第5回)のご案内

 例年、弊社では広島の中学受験生を対象とした公開模擬試験を実施しています。全5回のうち、すでに第2回までが終了していますが、いよいよ受験校を絞り込む時期が近づいていますので、残る3回の模擬試験で学力の状態を入念にチェックし、お子さんに最適な志望校を選択するとともに、入試までの残り期間を最大限に活用した仕上げ学習を実現していただきたいと存じます。

 特に最終回の第5回は、多くの受験生が実際に入試に臨む私学を会場にして行われます。この回は最も多くの受験生が参加する模試であり、雰囲気もほとんど実際の入試と変わりません。大人と違い人生経験の乏しい小学生にとって、「本番そっくり」の疑似体験をしておくことは、入試で実力を発揮するうえで大変有効です。状況を想像していただくとお解りでしょう。何もかも初めての体験をするか、一度同じような体験をして織り込み済みであるかは、お子さんの精神状態に大きな違いを生み出します。体調にも気を配り、まずはできる限りのことをしたうえで、この模試最終回に臨んでいただきたいと存じます。

 最後に。これまで勉強のエンジンがかからず、やるべきことが中途半端のまま今日に至ったお子さんもおられるかもしれません。そういうお子さんの保護者に特にお願いしておきたいことがあります。「今からできる最善の努力をさせることが親の役割なのだ」と心得ていただき、「親は絶対にわが子に対してネガティブな発言をしない」ということを肝に銘じていただきたいと存じます。無論、これまでの勉強を振り返り、これからの受験勉強について話し合うことは必要です。そのときは、できるだけ冷静で穏やかな話し合いになるようご配慮を願いします。子どもを動かすのは親の愛情なのだということを忘れないでください。

 親の不満を伝えたり、入試の結果を悪いほうに予見する発言をしたりしても、お子さんにとって何らプラスになりません。最後まで親だからこそできる心からの励ましやサポートが子どもを奮い立たせるのです。こうした働きかけは、入試が終了した後の長い人生において何よりも得難い「親子の信頼関係」をもたらします。

 また、親から見れば「中途半端にしかやっていなかった」ように見える受験勉強も、相当な期間を使って基礎の反復学習をしてきているのですから、多少取り組みの甘さはあったとしても相応の成果は得ておられます。これまでの成績についても、全員が受験生の集団内での結果ですから、今一つに思えるのは当然のことだと割り切りましょう。必要なのは状況に応じた切り替えです。「焦らず、今から子どもの意識の高まりや努力を可能なかぎり引き出すことこそ親の務めなのだ」とご理解ください。

 それに、合格を巡る競争はかつてと比べると随分緩和されています。学力試験での選抜の場合、難関とされる中学校の入試であっても、4教科平均60%前後取れれば合格できるのです。「そうは言っても、やり残したことが多すぎる」と思われるご家庭もおありかもしれません。しかし、親が落ち着きを失ってむやみやたらと子どもを叱咤激励し、闇雲に勉強させても子どもは混乱するだけです。点数が上がらない教科は、「まずは基礎事項の埋め合わせを」と助言してあげてください。基礎内容の再点検(基礎のチェック用の副教材は、みなさんが活用されています)を丁寧に繰り返すことで、かなり巻き返すことは可能です。上記の催しなどを参考に、お子さんの意識を高めながら、今からできる最善の対策を実現していきましょう。

 中学受験は生涯で一度きり。わが子の成長につながる体験にすることが何よりも大切です。

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