英語習得の前提として大切にすべきこと ~その1~

2019 年 4 月 1 日

 グローバル社会が進展し、公用語として英語の重要性がますます高まりつつあります。わが国においても、2020年から小学校5・6年生では正式な教科として位置づけられ、さらには3・4年生も総合学習の一環として英語学習が導入されることになっています。こうした情報は保護者の関心事でしょうから、筆者などよりもこれをお読みの保護者の方々のほうが詳しいかもしれませんね。

 このように、英語が正式な教科の扱いになると、中学生以降の英語教科の位置づけに近くなってくるでしょう。これまで、5・6年生の主要教科は「算・国・理・社」の4教科だったのが、「算・国・英・理・社」の5教科になるでしょう。英語の授業時数ですが、年間70時間ほどになるようです。正式な教科になるので、通知表に成績も記載されることになります。指導は担任の先生に加え、英語を専門とする先生も加わります。

 3・4年生は、これまでの5・6年の英語教育と同じ扱いになります。すなわち、総合学習の「外国語活動」と位置付けられ、年35時間が割りあてられるようです。こちらはクラス担任の先生が担当されることになっています。まずは英語に慣れ親しみ、英語のごく基本的な知識を得たり、英語に親近感をもったりすることが目当てとなっています。したがって、通知表に成績は記載されません。しかしながら、5・6年生から正式な教科になるわけですから、「疎かにできない」と思われる保護者は少なくないことでしょう。

 こうしてみると、「もはや国際語としての英語をマスターすることは、今日の子どもにとって必須のことであり、英語の習得に後れを取るとわが子の将来は危うくなるのではないか」と心配や危惧の念を抱く保護者もおありかも知れません。

 小学校から英語を学ぶようになるということは、ずいぶん前から想定されていました。筆者自身、外国語には疎いので、「外国語はいつから学ぶべきなのか」や、「外国語に堪能になることが、実社会でどれぐらい求められるようになるのだろうか」、「ネイティブスピーカーになる必要があるのだろうか」などについて、識者の発言や様々な文献を拾い集めてみたことがあります。そのなかで、筆者が参考になると思ったものを、これから2回に分けてご紹介してみようと思います。なお、こういったことはそれぞれ個人によって考えかたが違うのは当然のことですし、あくまで「参考までに」という意味合いですのでご了承ください。

 アメリカで長く暮らし、ロボット工学などの先端技術の専門家として知られる金出武雄氏は、著書「独創はひらめかない」で、日本人の英語学習(幼児期からの英語習得)について次のように述べておられます。

 

 英会話の習熟は、人によって、目的によって違う。小さな子供に教えられるのは、ものの名前やその聞き取り、せいぜい外国へ行って物を買うとか、道を聞くとかのことしかないだろう。そもそも話す内容としてそれ以上のことは本人に概念そのものがないのだから。その程度の英語を教える暇があったら、子供のころから日本語そのものか、算数でもきちんと教えるほうが賢いような気がする。

 私は「効き言語」とでもいう概念があるのではと考えている。長い間、英語の環境にいるから、日常では、英語で考える時もある。しかし、はっきり言って、ややこしい計算や理屈、思考は日本語で考えるほうが効率がいい。私の人生の最初の三十五年間はそちらでやってきたのだ。

 私の子供は日本語も英語も自由に話すことができる。つまり、バイリンガルである。しかし、基本的にアメリカで育った。すると、面白いことに、足し算をやらせてみると、英語で問題を与えたほうが答えがわずかに速く出てくる。私とは反対に、効き言語が英語らしい。

 私はバイリンガルはあまり勧めないが、仮にバイリンガルが目的だとしても、いくら幼児のころから早期に英語を覚えても、会話学校に行く程度ではバイリンガルにはならない。毎日の生活が圧倒的に日本語だからである。

 バイリンガルが目的でないなら、「日本人としての」英会話は、「効き言語」としての日本語をしっかり育て、固まってからでは遅いということは決してないであろう。そもそも幼児は英語で会話すべき内容がないのだ。

 相撲の世界では「なまくら四つ」と言って、右四つでも左四つでもとれる力士はあまり出世しないともいう。頭の世界もあるのではないか。

 

 日本語の環境で育った後、海外に渡って仕事を始めた人にとって、英語を自在に操れるまでの努力がいかほど苦労の伴うものであるかは想像に難くありません。しかし、そうした苦労を経て外国語のハンディを乗り越え、高いレベルの業績を残している方々は、大概同じようなことを述べておられます。すなわち、「まず母国語の習得が大切である」ということです。

 日本で生まれ育ったなら、まずしっかりとした日本語の遣い手になる。そのことのほうが外国で通用する人間になれる確率がはるかに高いのだそうです。ネイティブスピーカーになれたとしても、それはアメリカやイギリスに行けば子どもですらできることであり、そのこと自体には価値はないというのです。前出の金出武雄氏自身も、大人になってからアメリカに渡って成功しておられます。

 以上のことは、「英語の勉強を、もっと早くからさせておけばよかったのではないか」と不安に思っておられる保護者がおられたとしたら、そういった心配は無用だと思ってよいのだということを教えてくれるのではないでしょうか。日本で生まれ育ち、日本の学校で学問を修めた人は、外国語環境の下で仕事をすることになったときに語学で苦労するのは避けられません。しかし、必要となったら逃げられませんから、誰でも必死になってマスターしよう努力します。それがあるレベルに達したなら、逆に日本語環境で習得してきた知識や技能のもつ価値が生きてくるのではないでしょうか。

 次回は、同時通訳者として活躍されたかたの著作の一部をご紹介してみようと思います。

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カテゴリー: アドバイス, 学問について, 家庭での教育, 小学1~3年生向け

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