2019 年 5 月 のアーカイブ

この夏を起点に、他律的学びから自律的学びへ

2019 年 5 月 27 日 月曜日

 もうすぐ6月です。毎年弊社では、6月になると夏の講座の会員募集を開始します。そこで、この夏休みから中学受験対策の学習を始めるにあたり、親はどのような見通しをもち、どのような見守りや応援をすればよいかについての情報をお届けしようと思います。

 前回は、子どもの勉強の動機づけ理論として代表的な「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」についてご紹介しました。前者は子ども自身に内在する知的好奇心に支えられた学習で、後者は外的な働きかけや圧力による学習ですが、一般的には前者が望ましいとされています。これをお読みの保護者の方々も、「親が無理にやらせるよりも、子どもが勉強好きになってくれて、自分からてきぱきと勉強に取り組んでくれたらどんなによいだろう」と思ってこられたのではないでしょうか。夏の講座への参加にあたっても、学習内容に興味をもち、自ら進んで取り組む勉強で成果をあげてほしいと願っておられることでしょう。

 ただし、親というものは子どもの自発的な学習姿勢を育てることの重要性はわかっていても、現実の子どもを見ていると、つい「早く勉強しなさい!」「まだ宿題やっていないの!?」とばかりに、子どもをせかしたり圧力をかけたりしてしまいがちです。そのために子どもの反発を招き、いまだに「わが子は勉強に対して前向きでない」と嘆いておられるかたが少なくないのではないでしょうか。

 こうしたことを踏まえると、この夏休みから弊社の教室に通って中学受験対策の勉強を始めるお子さんも、まだ内発的動機づけによる勉強が定着しておらず、むしろ親に言われてとりあえず塾通いを始める、すなわち外発的動機づけによって受験勉強を始めるケースが多いことが予想されます。ですが、親の勧めで受験塾に通うのを受け入れるお子さんですから、「自ら学ぶ人間になれる可能性あり」と考えて間違いありません。勉強に対するネガティブな観念が染みついていれば、塾に通って望みもしない勉強をするなんてまっぴらごめんに決まっています。ですから、親はわが子の現状に不満でも、これまでの親の働きかけに込められた思いについて、お子さんは相応にわかっておられると思います。

 ここからが今回の本題です。親に勧められて、あるいは何となく塾通いを始めた子どもが、自ら進んで勉強する姿勢を身につけるにはどうしたらよいでしょうか。心配には及びません。前回お伝えしたように、外発的動機づけによって勉強する状態から、内発的動機づけによる勉強へと移行していくことは十分に可能です。そこへ至るにはいくつかの段階があります。以下の表を見てください。


 心理学者によると、外から(例:親から)の働きかけで学ぶ外発的動機づけの状態から、自らの積極的意志で学ぶ内発的動機づけの状態に至るには、4つの段階があります。

 初期段階は、親などに促されて(内心しかたなく)塾に通って勉強する状態です。上表では「①外的制御の段階」です。この段階においては、まだ内発的な動機付けの要素はほとんどなく、外からの働きかけで受動的に勉強する外発的動機づけの段階です。

 それが、勉強をしているうちに、「がんばった。そのことを親に認めてもらいたい」という気持ちで勉強に取り組む「②取り入れの段階」」(外からの承認を求める)へと移行していきます。まだ勉強の大切さやよさに惹かれての勉強には至っていませんが、親の期待を受け止めて多少は前向きに取り組む勉強をするようになっています。わずかながら自律性の萌芽が見えてきます。

 そうして、やがて「この勉強は自分にとって必要なものだ、やる価値がある(目的=価値)」と考え、勉強の必要性を認めて取り組む段階に移ります。これを「③同一化の段階」と言います。「この勉強をがんばれば、入試に合格できるかもしれない」と、今やっている勉強を肯定的にとらえ、進んでがんばろうとするのがこの段階です(塾に通って学ぶうちに、受験の意味も理解し、受験して通う学校への知識も増してきます)。ここに到達すると、受験勉強も随分と熱を帯びてきます。

 さらに勉強が活性化するにつれて、勉強するという行為から得られる発見の喜びや心の充足感に大きな価値を見いだし、誰に言われなくても率先して勉強に打ち込む「④統合の段階」に到達していきます。ここに至ると、内発的動機づけに基づく勉強をしている状態だと言えるでしょう。この段階に至った子どもは、勉強するということの本質を理解していますから、先々までも学び続ける姿勢を失うことはありません。

 保護者の方々にとって努力や配慮が求められるのは、①と②の段階です。無理やり命令で受験勉強を始めさせても子どもは親の願い通りに学ぶようにはなりません。子どもに親の考えを上手に伝え、塾に通うことに興味をもたせることが必要です。講座の開始にあたっては、講座期間中の家庭学習の計画を親子で話し合って作成します。親の考えを押しつけるのを我慢し、子どもが納得する、無理のない内容の計画ができあがるようサポートします。

 いざ夏の講座が始まったなら、子どもの勉強の様子を見守り、がんばりを見逃さずに承認したりほめたりしてやります。期待通りにがんばっていない場合でも、できる限り小言や命令を避け、計画に沿って家庭勉強を遂行するよう温かく励まします。もしも、取り組みに少しでも積極性や自発性が感じられたときには、「自分から進んで勉強しているね。感心だね。おかあさんは、それがうれしいよ」と、大いにほめたり喜んだりしてあげていただきたいですね。大人であれ子どもであれ、よいことをしているときには「これは、自分から率先してやったことだ」と胸を張りたい気持ちになるものです。その気持ちを理解し、言葉や態度で示してあげると、子どもはより前向きに学ぼうという気持ちを高めるでしょう。

 上述のように、③の段階まで漕ぎつけると、親の苦労は格段に減って行きます。勉強の価値をそれなりに理解し、率先して勉強するようになるわけですから当然です。また、そういう勉強ができるということは、当然成績的にもかなり良い状態がもたらされているでしょう。ただし、長い夏休みとは言え、塾に通う期間は受験までのスパンで捉えるとわずかな期間です。①の段階から④の段階へと一気に上り詰めることは期待できません。まずは、①から②の段階へと移行できればよいとお考えください(多くの場合、④の段階は6年生の秋以降に訪れます)。お子さんの勉強が質的に変わるプロセスを辛抱強く待てるかどうかも、受験での成功のカギを握る要素の一つです。この点をご理解いただき、適切な見守りとバックアップをお願いいたします。

 無論、お子さんが①の段階から④の段階へと順調に進んでいけるかどうかは、塾の指導の質や技量によるところも少なくありません。次回は、塾はどのようにして子どもの勉強の取り組みに自律性をもたせていくのかということについてお伝えしようと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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カテゴリー: アドバイス, 勉強について, 子どもの発達, 家庭での教育

受験生活開始にあたってめざすべきもの

2019 年 5 月 20 日 月曜日

 ゴールデンウィークが明けたのも束の間、いつのまにか5月も余すところあと三分の一ほどになりました。朝夕は涼しいものの、日中の暑さは夏の訪れが近いことを感じさせるこの頃です。

 毎年6月になると弊社では夏の講座の募集が始まります。この夏の講座への参加から、お子さんが中学受験対策の勉強を始めるご家庭も多数おありだろうと思います。そこで今回と次回は、塾通いを始めてから受験勉強が軌道に乗るまで、親はどのような視点からわが子を見守ったらよいかについて、弊社の考えをお伝えしようと思います。参考にしていただければ幸いです。

 突然ですが、おたくのお子さんは勉強が大好きでしょうか。これはいささか愚問かもしれません。というのも、「勉強が好きでたまらない」という子どもは、ほとんど見当たらないからです。むしろ、親に毎日のように「勉強しなさい」と言われて辟易している子どものほうが圧倒的に多いことでしょう。

 また、昭和の時代までは「勉強すれば豊かな生活が送れる」ということが勉強のモチベーションになりましたが、贅沢な遊びや食に恵まれた生活を送っている今日の子どもは、勉強すること自体に価値を見いだすことが難しくなっています。「勉強しなさい」と言うと、「なんで?」と切り返してくる子どもも少なくありません(貧しい国の子どもは、勉強したくてもさせてもらえないというのに)。

 しかしながら、子どもは親に命じられてする勉強は嫌いでも、新規な知識を得ることや、不思議を解決することは本来大好きです。そういう子どもの特性を踏まえ、勉強の面白さや、問題を解決したときの喜びを味わう経験を通して、少しずつ一人前の受験生に成長していく流れを築くことが肝要だと思います。というのも、勉強とは到達点が永遠に見えない奥深いものです。そのもつ魅力に気づき、一生学び続ける人間に成長することこそ、中学受験によって得られる一番の収穫だと思うからです。

 日本では長い間「学歴社会」が続いていましたが、今日では様変わりし、学歴に見合う本物の知性を携えていない人間は評価されなくなっています。せっかく苦労して難関校に受かっても、受かることだけを目当てにした勉強をした者は、厳しい社会で生き残る術をもち得ません。このような時代において問われるのは、「学問を修めることが、本物の学力や知性を携えた人間への成長につながるかどうか」です。受験や進学もこの原則を見失ってしまうと、本末転倒の事態を招きかねません。

 以上を踏まえ、この夏から中学受験をめざした勉強をスタートされるご家庭におかれては、「どのような受験勉強で中学入試を乗り越えるべきか」という視点をしっかりと定めたうえで、お子さんを弊社の教室に送り出していただくようお願いするしだいです。

 さきほど、「おたくのお子さんは勉強が大好きでしょうか」という問いかけをしました。それは、勉強の成果をあげるうえで最も大切な要素がそこにあるからです。ご存知かと思いますが、勉強の動機づけ(モチベーション)として最も大きなものは、「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」です。まずは両者の特徴を簡単に見てみましょう。

 これをご覧になると、内発的動機づけと外発的な動機づけとは対照的な関係にあることがわかります。単純に言えば、「自律」と「他律」という違いでしょうか。自らの知的欲求や好奇心に突き動かされて勉強に取り組むのと、他からの働きかけや圧力で勉強に取り組むのとでは、結果にどのような違いがもたらされるのでしょうか。

 その最たるものは、上表の「付随するもの」の欄に見て取れるでしょう。本物の知性や創造性を養えるのは、明らかに「内発的動機づけ」にもとづく勉強です。今日の高度化された社会において有意な活動を可能にするのは、「内発的動機づけ」に基づく学習だと言えるでしょう。

 中学受験専門塾として50年余りの歴史をもつ弊社ですが、昭和42年創設以来一貫して私たちは「子どもの望ましい成長に資する学習塾であれ」を旗印に、子どもの「学びの自立」を支援し、子どもが主役の勉強によって「合格」の夢を叶えることをめざして活動してまいりました。すなわち、弊社は「内発的動機づけ」を背景とした学びを支援する学習塾であると自任しています。このような方針を掲げたのは、「成長途上の子どもの受験は、将来の大成につながるものでなければならない」と、設立当初から経営者が考えていたからです。

 さて、「内発的動機づけに基づく学習を実践し、それによって受験合格をめざします」と、言葉ではお伝えしても、今一つピンとこないかたもおられると思います。前述のように、「勉強が好きでたまらない」という子どもはそういるものではありませんし、そればかりか「勉強しなさい」という大人の言葉にうんざりしている子どものほうが圧倒的に多いのですから。そういう子どもが自ら学ぶ学習者に育ち、さらには難関と言われる中高一貫校への合格の夢を実現するには、どうしたらよいのでしょう。

 心配には及びません。子どもは元来好奇心の塊です。ものを知ることや新たな発見をすることが大好きなのです。この子どもの本質を踏まえ、上手に導いてやればよいのです。無論、弊社の教室に通ったなら、すぐに子どもの勉強ぶりが変わるわけではありません。ですが、教室での指導と家庭勉強を繰り返すプロセスにおいて、勉強の面白さや醍醐味に触れる体験をさせていけば、自ら積極的に学ぶ姿勢を育てることはできるのです。

 また、先ほどの表によると、「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」は水と油のような関係のように見えますが、実はそうではありません。多くの場合、子どもの受験勉強は親の勧め(外発)によって始まるものですが、いくつかの段階を経て、子ども自身のもの(内発)へと変わっていくのです。

 次回は、このことについてもう少し詳しくお伝えしようと思います。塾への通学開始から、すっかり受験生らしくなるまでのステップを概観するうえで、参考にしていただけると思います。よろしくお願いいたします。

※動機づけに関する表は、「CLEVERLANS」(ルーシー・クレハン著)より引用しました。

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〝記憶力″は覚える力と取り出す力の連携

2019 年 5 月 13 日 月曜日

 「うーん、のど元まできているのに、どうしても言葉として出てこない」――これは、テストのときに誰もが経験したことのあるおなじみのシーンです。せっかく手間暇かけて脳にインプットしたことが、肝心なときに記憶の倉庫から取り出せないと、ほんとうに情けなく悔しいものです。どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。今回は、記憶に関する話題を取り上げてみました。

 覚えているはずなのに、どうしても取り出せない。それは、記憶に「覚えること」と「取り出すこと」という別の側面があるからです。これを「記銘」「想起」と呼びますが、もう一つ、忘れないように頭の中にしまっておくことを「保持」と呼びます。

 覚えていることなのに言葉として取り出せない。こういう記憶の多くは意味記憶と呼ばれるもので、「壬申の乱」「象形文字」「光合成」などの一般的な知識を扱います。いっぽう、具体的体験に基づく記憶はいつでも取り出すことが容易で、エピソード記憶と呼ばれています。

  エピソード記憶は、自分が体験した出来事を時系列に沿って記憶しているので、必要に応じていつでも脳内の記憶の倉庫から取り出すことが可能ですが、意味記憶は単に知識として頭にインプットしている記憶のため、文脈的な手がかりがありません。よって、何かのきっかけがないと思い出せないことが多いのが特徴です。そこで、前述のように肝心のテストのときに言葉として再生できず悔しい思いをすることになるのですね。

 テストに強い頭脳の持ち主は、どこに何があるかを推理する(記憶のストックから探し出す)能力が高いと言われます。このように、頭の中で混然一体となって絡まり合っている知識のなかから、互いに関連し合う知識を検索したり、知識と知識を関連づけてひとまとまりの情報にまとめあげたりすることに強い人が、「記憶力に長けた人だ」と言えるでしょう。覚えて知識を蓄えることは学習活動に必須のものですが、臨機応変に取り出せなければせっかくの知識も宝の持ち腐れでしかありません。

 どうすれば、頭の中に蓄えた知識を必要に応じて取り出せるのか、互いに関連する知識を検索して抽出できるのかがわかれば、学習活動に大いに生かすことができるでしょう。金出武雄氏はアメリカで活躍されている有名なロボット研究者ですが、著書「独創はひらめかない」において、この問題についてシンプルかつ有用なヒントを示しておられます。

 たとえば、「記憶力を強化するための特効薬となるものはない」としたうえで、「覚えるときに理解して覚えることが大切である」ということを指摘しておられます。当たり前のことですが、理解したことは正しく出てくるからです。問題を解く際にも、思考の途中で「以前やった問題に似ている」と気づき、そこからとんとん拍子に解けることがありますね。しかし、以前の取り組みをいい加減に済ませていたならそうはいきません。氏によると、「目の前の問題と、以前やった問題との関係がわかってこそ、脳のなかで連結できる」からです。これは、学んで得た知識が理解を伴ってこそ可能なことでしょう。

 また、同氏は視覚や聴覚から入力した(読んだり聞いたりして得た)情報を、既知の知識や経験と関連させながら覚えることを薦めておられます。ただ詰め込むのではなく、今までに学んだこととどういう関係にあるのかを照合し、既知の知識と関連づけながら理解すると記憶が整理整頓され、取り出すときに混乱することが少なくなるのです。金出氏は、「想像を膨らませながら新しい知識を覚えることが、知識への感受性を高める」と述べておられます。その結果、学んだ知識を他の場面に適用して問題解決を図る力が磨かれることになります。

 以上のことから、中学受験をめざして学ぶ子どもたちに心がけていただきたいのは、次のようなことです。


 授業では、ただ何を覚えておくべきかを説明しているわけではありません。大切な考えかたや理屈を、例題や事例をもとにみんなで一緒に考えていくような流れになっています。したがって、よく聞いていればしっかりと理解できるよう配慮されています。また、授業中の先生や子どもたちのやり取りはエピソードとしてインプットされますから、「この考えかたは、あのときの授業でこんなふうに学んだ」と、すぐさま取り出すことが可能になります。


 すでに何度も書いてきたことですが、学んで得た新規の知識は1日もすれば何割も記憶から消えてなくなります。しかし、まだ記憶が鮮明なうちにやり直しをしておけば、記憶の保持率は格段に上がります。さらに、テスト前に一度、テスト後に一度おさらいをすると、学んで得た知識のほとんどは記憶として保管されることになります。知識は繰り返しインプットされてこそ定着するのですね。1のような授業姿勢と相まって、使える知識や考えかたを習得することができるでしょう。


 テキストには、単元ごとに類似問題や発展問題が過不足なく網羅されています(おもに算数)。授業で扱った問題や基本的な問題をしっかりと理解したところで、他の問題に積極的に挑戦することで、すでに理解できたことを活用して問題解決を図る力が養われます。いわゆる応用力が身につくわけです。うまく解けなければ、授業で学んだことや基本事項に立ち返り、繰り返し取り組めば、徐々に学んだ事柄を課題の内容に応じて運用する力が身についていきます。なお、類似問題への取り組みは、基本事項をしっかり理解したうえでなければ効果が薄れてしまいます。

 以上は、あまりに当たり前のことです。しかし、だからこそ最も重要な勉強法だと言えるのではないでしょうか。理解の伴った知識なら、正しく運用できます。これを様々な課題に挑戦して自在に活用していく力を養っていけば、勉強すること自体も楽しくなっていきます。保護者におかれては、お子さんがこうした学習によって力をつけ、成長していけるよう見守り応援していただくようお願いいたします。

 最後に、前出の金出氏が子ども時代に体験した勉強について書いておられますので、ご紹介しておきます。

 私は、子供の教育の基本は「読み・書き・ソロバン(計算)」だと思っている。読み・書き・計算は、すべての学科、さらに言えば思考、記憶力の基本の基礎である。基本は繰り返しやることで身につくものであり、近道はない。脳の中にチャンク(塊)ができて初めて基本として身につき、応用することができる。そのためには、ニューロンの発火を何回も繰り返す必要があるのだ。

 私は、小学生の頃から、覚えることは好きだったし、得意だった。神戸の小学校の一年生の時の受けもちの先生は、本を暗記させることがいいことだという先生で、生徒に教科書を繰り返し読ませ、覚えさせた。覚えてきて皆の前でそらんじたら、何ページまで進んだと教室の後ろに貼り出す。私は丹波の田舎から二学期の九月に転校してきたのだが、十月にはクラスメートのはるか先へ進んでいた。

 小学校のころは家が貧乏だった。辞書などは買ってもらえない。そこで、四年生のころ、一年から六年までの国語の教科書を全部借りてきて、各巻の「漢字一覧表」とその使用例を全部きれいな紙にあいうえお順に書き写した。それを糸で綴って、自分だけの辞書を作ったりしたものである。自分で作ったものは愛着もある。もち歩いて繰り返し見たり書いたりして、全部を完全に覚えた。

 ( 中略 )

 詰め込み教育はいけないと言うが、頭の中に何もなければ、考える材料を引き出すことはできない。詰め込むことが悪いのではない。詰め込み方が問題なのである。※羽生名人のように、関連知識をさっと引き出すことができればよいのだ。

 以上の記述の中に、勉強の本質について参考になる箇所がいくつもあるように思います。お子さんの勉強について、もしも活かせる箇所があったなら、試してみてはいかがでしょうか。

※羽生名人との対談の際、名人が「将棋を直観で指す」と言ったことに対し、金出氏は独自の見解を述べておられました。それは、「名人の言う直観はロジカルな思考と何ら変わらない。名人は将棋を覚えたての頃は、『こう指すと、こうなって…』と考えながら駒を動かしていたのだと思う。そうした経験が積み重なるにつれて、それをしなくても楽に結果を見通せるようになったのだろう」というものです。つまり、対局の積み重ねによって、まるで直観(思考が介在しない)で将棋を指しているかのように見えるレベルに到達したのだということのようです。直観は、経験によって磨きあげられた論理なのですね。

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