2020 年 4 月 のアーカイブ

子どもを理系分野へ進ませたいなら

2020 年 4 月 27 日 月曜日

 まもなくGW(ゴールデンウィーク)が始まります。今年は新型コロナウィルスの感染拡大の防止という、国をあげて対処している深刻かつ喫緊の問題が存在します。そのため、GWの名とは裏腹に海外旅行はほぼ不可能ですし、国内旅行も自粛が強く要請されています。他県・他地域への移動もままなりませんし、故郷への帰省も見合わせる家庭が大半であろうと思います。

 ウィルスに感染した人たちが多数命を失っています。窮屈で不自由な生活はしかたないことではあるものの、長期戦に至っているのでどなたもストレスを溜めておられることでしょう。しかしながら、これ以上感染が拡大すると、社会が成り立たなくなるほどの大打撃を被ることになります。一つひとつの家庭、一人ひとりの行動自粛が求められています。ウィルス感染が収まるまで、ともに協力しながら対処してまいりましょう。

 さて、今回はお子さんがやがて進んでいく将来の方向に関わる話題を取り上げてみました。わが子に対し、「将来は、理系の分野へ進んでほしい」と望んでおられる保護者は少なくないことでしょう。そこで、「子どもを理系にするために、親ができることは何か」を共に考えてまいりたいと思います。

 小学校、中学校、高校と、学年が上がるにつれて修める学問のレベルは高くなっていきますが、高1の終了時に子どもたちは将来の進路設定に大きな影響を及ぼすであろう、学問選択の岐路に立たされることになります。いわゆる「文理選択」をしなければなりません。得意なほうにすればいいとはいうものの、希望と現実とに齟齬が生じるケースが多いのは、保護者も先刻ご承知でしょう。

 かつてご自身も悩まれたのではありませんか? 文系か、理系かの選択において、どちらが人気なのかは言うまでもありません。広島の私立6か年一貫校の先生に、自校生徒の文理選択状況を伺うと、文系より理系に進む生徒さんのほうが圧倒的に多かったと記憶しています。これは、医学部人気や薬学部人気が背景にあるだけでなく、理系の分野に魅力を感じさせる職業が多くあるからだと思います。

 しかしながら、理系の専門的な分野に進むにあたっては、それをやりこなせるだけの学力が必要です。

 また、本人にそうした学問に対する興味や探求心も求められるでしょう。そうでないと、仮に理系を選択しても、後で様々な問題や悩みに直面する可能性が高く、後悔をすることになってしまいます。実際、無理をして理系に進んだものの、勉強がおもしろくない、わからない、やる気になれない、などの問題に直面し、行き詰ってしまう生徒さんもいると聞きます。

 お子さんがまだ小学生ならどうでしょう。まだまだ文系タイプか理系タイプかに固まってしまう段階には至っていません。まして低~中学年児童なら、基礎の基礎からしっかりと学問の土台を築けますし、大人の配慮で理系分野への興味関心を育てることも可能でしょう。親が子どもの進む学問的方向性に関与できるとしたら今のうちです。中学生になり思春期を迎えると親の影響力は一気になくなりますし、お子さん自体も素養が固まってしまいます。ですから、親にとってこの問題は「今のうちに考え、対処すべきものだ」と言えるでしょう。

 早稲田大学名誉教授(理学博士)の大槻義彦氏に、「子供を理系にせよ!」(2008NHK出版 生活人新書)というタイトルの著作があります。数多くの本を出しておられる氏ですが、親向けの本のように見受けられたので読んでみると、みなさんにご紹介したい情報が目に入りました。

 氏が勤務しておられた大学の理系学部の新入生1500名以上と、上級生1500名に「理系を選んだ理由は何か?」というアンケートを実施されたそうですが、結果は次のようなものでした。

質問:理系を選んだ動機は何か?

 第一位 親に理系を薦められた・親が理系だった…32%

 本を買ってもらったり、テレビを見せられたりといった親の影響も含めると70%になる。つまり、親の影響や親の希望が何らかの形で影響を及ぼすことが、子どもの進路に強い影響を及ぼすということがわかる。

 第二位 学校の先生、とくに中学の理科の先生の影響…26.4%

 「中学の理科の先生がすてきだった」「科学に対する興味を開いてくれた」複数の先生の授業、クラブ活動での指導もあるが、圧倒的に多いのはただ一人の先生の影響だった。 

 第三位 科学に関する書籍の影響…23.0%

 科学的読み物や漫画、雑誌、書物などの影響。また、教室に貼られている「科学ポスター」の影響も決して少なくない。

 第四位 映像や映像社会からの影響…15.4%

  科学、医学、宇宙物のテレビの特番や映画などを繰り返し見て影響を受けた学生が多い。

 いっぽう、「博物館」「科学館」「プラネタリウム」などの影響を受けて理系に進んだという学生がほとんど見られなかったそうです。これにはアンケートの実施者である著者自身が驚かれたとか。なにしろ、3000名余りの学生のなかで僅か1名しか該当する者がいなかったのです。近年は子どもの興味を惹く「科学実験イベント」や「科学ショー」などが盛んに行われ、テレビなどでも紹介されていますが、これらも理系進学への動機を高める効果を発揮していません。これはどういうことでしょう。

 上記報告を見ると、子どもの理系進学に最も強い影響を及ぼしているのは親です。ただし、親の働きかけに特別なものは見当たりません。何が作用しているのでしょうか。氏は、「親と子どもは家族として毎日接している。子どもは生活の中で親の様子を観察し、何らかの影響を受けているのではないだろうか」と推測し、次のような要素が子どもに影響しているのだろうと述べておられます。

・父親あるいは母親が自分の仕事に熱心に取り組み、成果をあげていること

・親が自分の理系の仕事に誇りをもっていること

・親が自分の理系の仕事に満足し喜びをもっていること

・親が自分の理系の仕事について子どもに話をしていること

 この見解に基づくと、親が理系の仕事に従事し、やりがいや誇りを感じて生き生きと仕事をしていれば、それで十分だということなのでしょう。なおかつ、ときどき自分の仕事について子どもに語って聞かせていれば、特別な理系教育をしてやるまでもなく、子どもは自然と理系を選んでくれるのです。

 また、氏は次のようにも述べておられます。「親は、機会があれば、自分の職場に子供を案内することを考えるべきである。このような機会があれば、子供には決定的な影響を与える。科学博物館も科学実験イベントなどもいらない。ただ親の理系の仕事場に一、二時間連れて行けばよいのだ。日曜日の午後、急いで目を通す必要のある書類を忘れたので、ふと職場にそれをとりに行く。子供をついでに車で連れてゆくのだ。わけのないことではないか。しかしその子供にとっては生涯忘れられない思い出にもなるわけだ」

 博物館で実物をつぶさに見る経験をしたり、目を奪われる科学ショーを見たりするよりも、なぜ親の影響のほうが格段に大きいのでしょうか。これについて氏は、「博物館や科学ショーは1回きりの経験になりがちであり、くり返し継続的に受ける刺激とならないのに対して、親との接触は毎日継続されるものだ。子どもにとって親は生きた手本であり、最も身近な影響力をもつ存在だから、この『毎日』というのが効力を発揮するのではないか」といったような主旨のことを述べておられました。児童期の子どもにとって親は尊敬の対象であり、生きた手本でもあるのですから、それは頷けることですね。

 そういえばノーベル物理学賞の受賞者で、20世紀最大の科学者と言われるリチャード・ファインマン氏(米)は、子どもの頃父親にしばしば博物館に連れて行かれ、氷河痕の模型を一緒に見る経験をしたそうです。このエピソードは以前もご紹介しましたが、そのときには「博物館での体験が科学への興味関心を引き出す原動力になったのだろう」と、いささか漠とした感想をもったに過ぎませんでした。

 しかしながら、今改めて考えてみると、博物館で氷河痕の模型を見たことよりも、ファインマン少年を博物館に連れて行ってくれた父親が、熱心に氷河期の様子について語ってくれたこと、すなわち父親の情熱がより大きな影響を及ぼしたのではないかという気持ちになります。当時のファインマン少年は、「父親の説明には誤りがある」と気づいたそうですが、それよりなにより父親の愛情と熱意に動かされたのでしょう。

 このことを踏まえたなら、「文系の親はどうしたらよいの?」と当惑していたおとうさんも、元気が湧いてくるのではないでしょうか。そうです! 理系の親であるかどうかは問題ではありません。理系の専門知識を豊富にもった親である必要はありません。親のわが子に対する思い。それがわが子に伝わればよいのです。子どもに見せてやりたいもの、経験させてやりたいことをいろいろ思い描き、テーマを見つけて一緒に出かけましょう! とは言え、子どもを触発するための語りかけに説得力があることは重要です。もしも入念な下調べをもしもしていたなら、そのほうがよいに決まっています。わが子が知らないこと、興味をもちそうなことを雄弁に語ってやれるだけの知識を仕入れておけば、効果は何倍にもなるのではないでしょうか。前述のように、説明に間違いがあったとしても、それは大した問題ではありません。

 今年のゴールデンウィークには、残念ながら親がわが子に実物を見せ、科学への興味関心を引き出してやれる機会はつくれそうもありません。しかし、一緒に図鑑を見たり、科学に関する話をしたりするなど、根回しから始めておけばいいのではないでしょうか。そして、ウィルス問題が収まったなら、ぜひ行動に移してみてください。子どもの眠れる才能を開発できるいちばんの存在。それは親なのですから。

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中学受験のプロセスを知的冒険の旅に

2020 年 4 月 20 日 月曜日

 新型コロナウィルスの感染問題が深刻化していますが、広島県内でもクラスターが複数発生し、感染の拡大がますます進みつつあります。

 このような事態に鑑み、弊社においても今日(4月20日)から二度目の休講措置を取ることにいたしました。とりあえず5月第2週から授業を再開する予定ですが、状況に合わせて対応すべき問題ですので、しばらくは感染の拡大が沈静化することを祈りつつ状況を見守ってまいります。

 学校も塾もしばらく休みとなり、外出も控えなくてはならないとなると、お子さんは四六時中家のなかで過ごすことを余儀なくされることになります。親自身も不自由な生活を強いられているうえに、休校中の子どもへのサポートも必要となり、すでにストレスを感じておられるかたもおありかもしれませんね。しかしながら今は日本中が非常事態にあります。感染回避に向けた対策が欠かせないのはもちろんのこと、長期にわたる学校休みで生活習慣の乱れが生じないようケアすることも求められます。

 お子さんが何をするでもなくダラダラと時間を浪費したり、ゲームやテレビ三昧の状態に陥ったりすると後が大変です。というのも、生活習慣や学習姿勢は築くまでには長い期間を要しますが、失うのはいとも簡単なことだからです。ひとたび崩れると、もとの状態に戻すには大変な苦労が伴います。受験勉強は楽なものではないだけに、気持ちや取り組みが乱れると立て直すのに何倍もの時間と努力が必要となります。支える保護者にも大きな負担がかかります。

 これからしばらくの間は、学校や塾、習い事などのない生活が続きます。そこで保護者にお願いしたいのは、通常の生活が始まるまでの期間の過ごしかたについてお子さんとよく話し合い、今の非常事態を無事に乗り越えるための計画を練りあげることです。朝の起床時間、夜の就寝時間は必ず一定に保ちましょう。頭のスッキリとした午前中は勉強もはかどりますから、じょうずに学校や塾の勉強の割り振りをし、リズムよく勉強をやりこなしていくよう助言し励ましてやりましょう。

 日頃、じっくりと読書に勤しむ時間がとれなかったお子さんには、ぜひこの機会に読書の楽しみにふれる経験もしていただきたいですね。読書は心豊かな人生を送るうえで欠かせないものですが、中学生になってからではなかなか根づきません。読書をしない生徒は「読む暇がない」と言いますが、読書は「寸暇を惜しんでするもの」です。そういう人間になるには、児童期までに読書の楽しみを知ることが求められます。また、児童期の読書は新規の語彙獲得にもつながります。中学受験突破という側面においても少なからず貢献してくれるでしょう。

 無論、体を動かすことも成長途上の子どもにとって欠かせません。家の周辺の環境を踏まえ、適度な運動を日課に組み入れることも必要でしょう。これらのことを勘案し、毎日のスケジュールをバランスのとれたものになるよう工夫してみてはいかがでしょうか。「今の局面をチャンスにして、自己管理の下で勉強できる人間に成長してほしい」という親の期待を、お子さんにはっきりと伝えてあげてください。お子さんが、自分の行動を意識してコントロールすることを学ばれたなら、そのこと自体も大きな進歩と言えるのではないでしょうか。

 さて、ここで話題が変わります。弊社の「総合案内書」をご覧になったことがおありでしょうか。研太君一家のイラストが随所に描かれていますね。よく見ていただくと、ページをめくるたびに宝物を探し求める旅の物語が展開していきます。そして、やがて宝物を探り当てます。そう、この物語は宝を発見するための冒険という構図になっているのです。

 この案内書は制作会社とのコラボで生まれたものでした。特に明確なプランがないまま、依頼した会社の担当者に「中学受験を知的冒険の旅に見立て、学んで新たな知識を得ることのワクワク感を表現したい」ともちかけたのが始まりでした。しかし、それだけでは漠とした話に留まってしまいます。そこで「とりあえずキャラクターを」と、社名のなかにある「研」の字を借りて主人公の研太君を考案しました。中学受験には親が重要な役割を果たします。そこで、つぎにおとうさんとおかあさんを登場させることにしました。

 ここまでは簡単でした。しかし、それだけでは絵柄も平凡なものになりがちで、何の訴求性も感じられなくなってしまいます。あれこれ考えているうちに、「冒険の旅」という言葉からふと頭に浮かんだのが、かつて何度も映画で見たインディージョーンズのシリーズでした。「そうだ、少年版のインディージョーンズで行こう!」――これで問題解決です。こうして、見知らぬ地に宝物を探して旅を出かけることと、新たな知識や考えを獲得するために日々勉強に打ち込むことが結びつき、とうとう案内書の構想が具体化したのでした。まあ、今となっては大した思いつきではありませんが、「少年版インディージョーンズで!」という着想が浮かんだときの軽い興奮だけは今も記憶に残っています。

 子どもにとって見知らぬ世界はあこがれであり、そこに足を踏み入れることで様々な発見をするのはたまらなくうれしいものです。中学受験準備のための学習というと、「辛く厳しいもの」という先入観をもつ人もいますが、実際は全く違います。実は、子どもたちを感動させるような知的発見がたっぷりと用意されているのです。それは当然のことと言えるでしょう。中学受験で出題される問題は、長い人生を生きていくうえで土台となる大切な知識をベースにしたものなのですから。

 ただし、中学受験の勉強を通じて新たな知識を得る喜びを感じられるようになるには、学習を継続的に行い、基礎を固めていく必要があります。それが一定レベルに達すると、「もっと詳しく知りたい」「自分で解決したい」という欲求に基づく学習が軌道に乗っていきます。こういう流れができるかどうかで、同じお子さんが全く違った学力の持ち主になるのです。才能さえあれば高い学力の持ち主になれるのではありません。学習を自分のものにし、なくてはならないものにまでもって行けるかどうかが重要なんですね。

 今からしばらくは学校も塾も休みの状態が続きます。しかし、ここで緩んでしまうのではなく、テキストの家庭学習を計画的に行う習慣を築くよいチャンスにしていただきたいものです。おとうさんおかあさんには、そのための助言やサポートをお願いしたいと存じます。自発性に基づく勉強は発見の喜びを味わわせてくれます。飽くことのない学びの旅へと誘(いざな)ってくれます。いっぽう、やらされ勉強はテスト対応力を与えてくれるものの、知識を得ることの喜びを与えてはくれません。

 この差が大きいのです。この差が、将来の歩みを変えるのです。お子さんがたには、コロナ感染問題に起因する休み期間を不幸中の幸いとし、受験勉強を知的冒険の旅にしていくための転機にしていただきたいと存じます。おとうさんおかあさんにおかれては、お忙しいとは思いますが、今回お伝えしたことを踏まえ、親としての期待や考えをお子さんに伝えてあげてください。よろしくお願いいたします。

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お子さんは算数好き? それとも国語好き?

2020 年 4 月 13 日 月曜日

 おたくのお子さんは、国語よりも算数を好むタイプですか? それとも算数よりも国語を好むタイプですか? 親としてはどちらも好きな子ども、どちらも得意な子どもであってほしいもの。受験を乗り越えるうえでもそのほうが有利です。しかしながら、両方が好き(得意)な子どもはそう多くありません。

 学習塾としても、保護者同様に「できるなら算数も国語も得意であってほしい」と思うのですが、どちらかに偏っているケースが少なくありません。お子さんが算数好きか、それとも国語好きかは、どのような理由で決まるのでしょうか?

 4~5年生のお子さんの算数嫌いは、低~中学年時に習熟すべき筆算や九九などの基礎技能が不十分なため、高学年での学習に支障を来していることが原因かもしれません。基礎基本が未熟だと、学習の発展に対応できないからです。国語を苦手に感じるお子さんの場合、文章を滑らかに読む技能(黙読力)が習得されていないため、長文を読むことが苦痛になっていることも考えられます。算数の文章課題に難渋するお子さんも、同様のことが言えるでしょう。もしもそうであれば、躓いている基礎的学習を再度やり直す必要があるでしょう(算数の基礎技能の習熟を図る、文章の音読練習を繰り返して読みの態勢を築き直すなど)。そういったことも振り返ってみてください。

 ただし、教科の好き嫌いが生まれるのは、そういった理由だけではないようです。たとえば、次のようなことも考えられるでしょう。子どもに算数を好きになった理由を聞くと、「だって、必ず答えは一つに決まっているじゃん。だからいいんだよ」と言います。いっぽう、国語の好きな子どもに理由を尋ねると、「正解とは違ったことを書いていても、考えかたが合っていればマルがもらえるのがいい」といったような返事が返ってきました。

 算数が好きな子どもは、「答えは一つ」ということに着目しています。「どうしてこれが正解なの?」というわだかまりが残らず、スッキリした気分になるからでしょう。いっぽう、国語が好きな子どもは「正解は一つではなく、いろいろな答え(書きかた)が認められる」という点に魅力を感じるようです。

 実際のところ、算数の問題も国語の問題も、想定されている答えは一つなのだと思います。算数の場合、いろいろな正解を得るアプローチのしかたがあるが、最終的に答えは一つの数字に収束していきます。国語も答え自体は一つです。しかし、その答えというのが「事実はどういうことか」や、人物の心理であったりするため、それを説明するために様々な表現方法が考えられるという点が違います。国語を苦手に感じる子どもは、それが「スッキリしない」「結局、どういうことなのかよくわからない」ということのようです。

 さて、あなたのお子さんは算数派でしょうか。それとも国語派でしょうか。一度、「算数と国語では、どちらが好き?」「それはなぜ?」と問いかけてみてください。そして、算数と国語にあるそれぞれの楽しさについて語り合ってみるとおもしろいでしょう。そのやりとりを通じて、親として言ってやれることが見つかるかもしれません。また、子どもが教科学習をどのようにとらえているかがわかると、これから続く長い受験のプロセスで何をバックアップしてやるべきかを見通せるようになるでしょう。

 ためしに、お子さんの算数のテキストかマナビーテストの問題を一緒に解いて、互いに解いた際のプロセスや考えかたを披露しあってみませんか? それをきっかけに、お子さんの算数や国語の問題を解こうという意欲が増したり、勉強のおもしろさに気づいたりすることも大いにあると思います。

 「うちの子は算数も国語も嫌いみたいです」とおっしゃるかたはありませんか? こんな反応をわが子が示してきたら困りますね。しかしながら、小学生までの段階でこういうことが起こるのはきわめて稀です。新たな知識や考えかたにふれる経験は、本来子どもにとって掛け値なしに刺激的で楽しいことなのですから。もしもそのようなお子さんがいたとしたら、原因は前述のような低~中学年時の基礎基本のマスターが算数・国語ともに疎かにされていたことに起因するのではないかと思います。

 ともあれ、開講してまだ日が浅い段階で親に求められるのは、「わが子が勉強に対してどう向き合っているか」を掌握することです。そこから、何をどうバックアップすべきかが見えてくるでしょう。次のチェックリストに基づいて、親子で現状を振り返ってみてください。

 上記のチェックポイントの確認にあたっては、リラックスした雰囲気のもとでお子さんが率直に現状を話せるよう配慮をお願いします。とかく親子で勉強について話をするとき、親は詰問口調になりがちです。しかし、それでは意味がありません。受験生活を実りのあるものにするための話し合いですから、親はわが子が気軽に何でも話せるような雰囲気をつくる必要があります。がんばってください。 

 今お子さんが塾の勉強をどのように受け止め、どのように取り組んでいるかがわかれば、対処すべき課題も見えてくるかもしれません。そのことに当面は焦点を当て、「親はわが子を見守り励ます → がんばるわが子を見逃さずほめる」「わが子は親の期待を背にがんばる → 親の承認を励みに努力を重ね成長していく」――そういった受験生活をぜひ実現していただきたいですね。この流れさえ築けたなら、成績面の心配は徐々に解消されるでしょう。

 これから親の心配や苦労は否応なく増していきます。しかし、親子が確かな信頼関係で結ばれ、さらには親がわが子の実態をよく掌握していればだいじょうぶです。今回お伝えしたことをきっかけに、今まで以上にお子さんとの関係が風通しのよいものになるよう気配りをしていただければ幸いです。

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非言語的コミュニケーションのもつ力 その2

2020 年 4 月 6 日 月曜日

 今回も前回に引き続き、言葉を介さないコミュニケーションのもつ大きな力についてお伝えしようと思います。

 前回は、はじめにクレバー・ハンスと呼ばれた算数のできる馬の話を通して、動物は人間の無意識なしぐさや表情の変化などをシグナル(合図)として受け止め、それに対して敏感に反応することをご紹介しました。算数を教えた飼い主さえも気づかないところで、飼い主自身が意図することなく発していたシグナルに馬は反応していたのですが、それがあたかも算数の問題をそれが理解して解いているかのように見えていたのでした。

 次に、ラットによる実験の結果を通して、人間が「能力がある」と思い込んでいたか、「能力がない」と思い込んでいたかによって、もともと能力に違いのないラットの訓練成果に違いが生じるということをご紹介しました。人間が自分の感情を抑え、同じ訓練を施したつもりでも、能力や適性についての先入観が成果に影響を及ぼしたのでした。実験者は公平に振る舞おうとしても、前知識に基づく予想が無意識のシグナルを発信していたのです。

 この実験を目の当たりにしたなら、大概の人は「これは人間にも当てはまるのではないか」と思うことでしょう。事実、前述のラットの実験に関わった心理学者のロバート・ローゼンタールもそう考え、次のような実験を行いました。

 被験者に何枚かの写真を見せ、「これは成功の気持ちが感じられる写真か、それとも失敗の気持ちを感じさせる写真かについて評価してもらう実験を行いました。実験をする学生(実際には実験の対象者でしたが)に前知識を与え、それが結果にどう影響するかを調べるのが意図でした。

 実験に先立ち、学生たちを二手に分けました。片方には「これらの写真は、すでに行われた同様の実験で、成功の気持ちが表われていると評価されたものだ」と伝え、もう片方には「失敗の気持ちが表われていると評価された写真だ」と伝えました。実際は、どれも多くのサンプルや実験を通して「成功でも失敗でもない」と判定された写真でした。学生たちはそのことを知りません。さて、与えられた前情報は実験結果に何らかの作用を及ぼしたでしょうか。

 なお、被検者への説明は予め用意した台本通りにするよう指示しました。学生たちが、自分の予想を被検者に伝えてしまうリスクを避けるためです。

 さて、実験の結果はいかに。「成功の気持ちが表われた写真だ」という前知識を得ていた学生は、被検者からも同様の反応を予想(期待)します。そして、実際に予想に沿った回答を被検者から引き出しました。いっぽう、「失敗の気持ちが表われた写真だ」と知らされていた学生は、その前情報に合致した回答を予想し、その通りの回答を得ていたのです。言葉に出さなくても、実験者(学生)の予想は確実に被検者の判断に影響を与えていたのでした。

 前出のローゼンタールは、思い込みに基づく予想が教育現場で働く教師にも影響を及ぼすことを実験で明らかにしています。IQテストの結果が平均点だった生徒(本人にはテスト結果を知らせていません)のことを、「たぐいまれな知的才能を有する生徒が見つかった」と教師に偽って伝えたところ、その教師の生徒に対する評価は著しくあがりました。この生徒に高い評価をするいっぽう、他の生徒に対しては好奇心が足りないなど、相対的に低い評価をするようになりました。なんだか、思い込みやレッテル張りの恐ろしさを感じてしまいますね。

 教師が「才能あり」と思い込むと、生徒のテスト成績に影響することも確認されています。特に根拠がないにもかかわらず、「才能がある」「賢い」と教師に思い込ませた生徒のグループは、一定期間後に実施されたテストで、特に前情報を与えられなかった生徒のグループよりも相対的に高いポイントを得ていました。「賢い」というレッテル張りが、教師の指導成果をより高めることになったのです。

 どうしてこのようなことが起こるのでしょう。様々な調査や研究の結果、実験者の予想が被検者に伝わる要因として、少なくとも声の抑揚や音調が関わっているのは間違いないものの、影響する割合としては約半分程度だということが判明しました。しかし、もう半分が何であるかはまだわかっていません。作用しているのは無意識レベルで発生するシグナルであり、それがどういうものかを具体的に証明するのはきわめて困難だったからです。

 ただし、無意識に発生するシグナルがコミュニケーションを成立させ、子どもをより望ましい方向へ導くとしたら、その効果を大人は自覚しうまく生かしたいものです。家庭教育にも、学校の教育活動や学習塾の教科指導の効果にも当てはめて考えることができるのではないでしょうか。この記事は家庭の保護者を対象にしていますので、これから非言語的コミュニケーションの効能を家庭教育に照らして考えてみようと思います。

 まずは、みなさん自身の家庭におけるわが子への接しかたを振り返ってみてください。みなさんは、お子さんに大きな期待を抱いておられると思います。また、これまでその気持ちを言葉に出してお子さんに伝えた経験も少なくないことでしょう。では、お子さんは親の思いをしっかりと受け止め、何につけ親が満足するような行動やふるまいをしておられるでしょうか。おそらく多くのかたは、残念そうな表情とともに首を横に振られるのではないでしょうか。

 「これまでの文脈と違う。親が期待すれば、それは子どもに好影響を及ぼすという流れだったはず」とお怒りになるかたもおられるかもしれませんね。しかし、本題は無意識のサブリミナルなコミュニケーションの影響力です。親の無意識な態度やふるまいに問題はなかったでしょうか。たとえば、

 児童期の子どもは基本的に何事も親がかりです。思春期になると、ことごとく親に反発し、「親なんてどうでもよい」と言わんばかりの態度を取る子どもも、まだ今の段階では親に全面的に依存して生活しています。そのため、親の一挙手一投足をよく観察しており、自分に関わる親の態度には敏感に反応します。もしも親が自分に対してネガティブな気持ちをもっていると察知したなら、それは子どもの望ましい行動に対するブレーキの作用を果たすことになるでしょう。

 このことに関連して保護者に留意いただきたいのは、親がわが子に対して何らかの期待をしているのと同じように、子どものほうも親に対して何らかの期待の気持ちをもっているということです。その期待が何かをズバリ言えば、「自分のがんばりを認めてほしい」「自分を正当に評価してほしい」ということではないでしょうか。「自分は親に期待され、優しいまなざしで見守られ、いつだって応援されている」という気持ちが揺らがなければ、子どもは親の期待に応えようと必死になる。それが子どもというものです。親はそのことを常に意識すべきではないでしょうか。

 ある保護者に、「もっとお子さんをほめてあげてください」とお願いしたことがあります。すると、「あら、私はほめてやりたいのに、うちの子ったら全然ほめるようなことをしてくれないんですもの」と、「ほめないのは子どものせいだ」と言わんばかりに切り返されました。これでは非言語的コミュニケーションなど成立するはずがありません。子どもが無言で発するシグナルに気づくことなど不可能だと思うからです。このときは、さすがにその男の子のことをかわいそうに思ったものでした。「ほめて励ますという行為は、努力との交換条件であってはならない」「親がわが子をほめるのは、わが子のがんばりを引き出すためなのだ」--これは以前ご紹介した、ある教育学者の著書にあった言葉ですが、ほんとうにその通りだと思います。

 「うちの子は親の期待通りにがんばってくれない」と嘆いておられる保護者には、次の点について振り返っていただきたいと思います。

・わが子が親に何を期待しているかを考えたことがありますか?

・「うちの子はやれる」という信念をいつの間にか失ってはいませ
 んか?

・わが子に期待を差し向け、優しい眼差しで見守ることを忘れてい
 ませんか?

 親の表情やしぐさを見て、子どもは自分に向けられている親の本心を感じ取ります。子どもはいつも親の期待通りにはがんばってくれないものですが、「うちの子はやれる!」「今はできなくても、やがてはきっとできるようになる!」――この信念を失わず、期待の眼差しをお子さんに絶えず発信してあげてください。親の思いは、必ずお子さんに届きます。そして、お子さんは確実に親の期待に沿った成長を遂げられることでしょう。

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