2020 年 5 月 25 日 のアーカイブ

親に求められる“優しい”と“甘い”の線引き

2020 年 5 月 25 日 月曜日

 広島県においては、新規のコロナウィルス感染者が確認されなくなってからかなりの日数が経過しました。予断は許さないものの、自粛ムードは弱まり、街を往来する人の数も随分多くなってきたように思います。ただし、マスクをせずに歩いている人が結構目につくようになりました。鬱陶しい気持ちはわかりますが、感染防止への意識をもっともち、慎重に行動していただきたいものです。

 こうしたなか、学校の再開も近いことが予想されます。弊社においても現在の状況や今後の学習の流れなどを勘案し、本日(5月25日)より授業を再開することにいたしました。長期間の休講は子どもたちの学習に少なからぬ影響を及ぼしていることでしょう。特に来年受験を控えた6年生のお子さんは、長い在宅学習期間にやるべき勉強をコントロールできたかどうかで、学力形成にかなりの個人差が生じている可能性もあります。学びの態勢が揺らいでしまったお子さんは、授業再開を機に一刻も早く学習の態勢を築き直していただきたいと存じます。

 さて、今回は保護者の方々に一緒に考えていただきたい事柄をテーマにとりあげてみました。掲げたタイトルから、内容はおよそ想像されているかもしれません。受験生活を送る子どもが、自分を律してやるべき勉強を日々やり遂げるかどうかは、家庭でわが子の受験生活を見守り応援される保護者の接しかた一つで随分と違ってくるものです。

 「やるべき勉強があるのに、なかなか取り組むことができない」「勉強をし始めたかと思うと、いつの間に遊んでしまう。困ったものです」――このような相談を保護者、特におかあさんがたからしばしばいただきます。弊社に通って受験勉強をしているお子さんのほとんどは、「勉強は必要なもの」「勉強をもっとがんばりたい」と思っています。それなのに、ちゃんとやれているお子さんと、なかなか実行に移せないでいるお子さんとがいます。どこに違いがあるのでしょう。「がんばってほしい」という親の思いは同じなのに、どうして違いが生じるのでしょう。

 筆者としても、せっかく弊社の教室に通い、受験をめざして勉強しておられるのですから、全員に頑張ってほしいと心から思います。そこでふと気づいたのは、おかあさんがたが“優しい”と“甘い”の線引きを明確にしておられるかどうかということです。この二つの言葉は似たようなニュアンスもありますが、お気づきのように“優しい”にはポジティブなニュアンスが、“甘い”にはネガティブなニュアンスが強いように思います。みなさん承知のことでしょうが、そこをはっきりさせたうえで、「わが子をがんばらせるにはどうしたらよいか」を考えてまいりたいと思います。

 “優しい”の対義語、“甘い”の対義語は何でしょうか。たぶん、どちらも“厳しい”になるのだと思います。そして、ここが重要なところですが、“優しい”と“厳しい”は親の態度として両立可能ですが、“甘い”と“厳しい”はおそらく両立不可能です。その証拠に、普段は子どもに愛情深く接する優しいおかあさんが、いざというときわが子に厳しく接する。甘えを許さない強い態度で臨む。これはよくあることです。しかし、子どもに甘い親が、いざというときに強い姿勢をわが子に見せられるでしょうか。たとえ試みても、おそらくお子さんは怯むどころか親をなめてかかるのではないでしょうか。

 以前、たまたま授業中に「おかあさんは優しいか」という話題になったとき、こんなことを言う男の子がいました。「うちの母は普段は優しいんだけど、ときどき怖いと思うときがあります」これを受けて、「どんなときにおかあさんは怖いの?」と尋ねたら、「約束を守らなかったり、ルールを破ったりしたときです」と、答えてくれました。6年男子のトップ3にいる優秀な男の子でした。

 親はわが子に深い愛情をもっています。しかし、わが子かわいさに“甘い”接しかたをすると、子どもは自分を律する姿勢を身につけることができません。また、特に「子どものためにあえて突き放した対応をする」ということを苦手にするタイプのおかあさんの場合、このような轍を踏んでしまう可能性が高いと思います。。“優しい”と“甘い”の違い、これは言わずもがなかもしれませんが、大ざっぱにみてみるとつぎのような感じでしょうか。

 子どもは親の注意を引き、親に見守られながら成長していきます。自己中心性が強いのはそのためです。成長につれて、児童期の半ばころからだんだんと常識にかかるようになり、ルールや約束に沿った行動ができるようになります。このことからもわかるように、しつけにおいては、“叱る”という行為はつきもので、わが子を聞き分けのある人間にするために親に課された使命のようなものです。しかし前述のように、日頃わが子に甘いと、いざ叱らねばならないときに躊躇してしまいがちですし、たとえ叱っても効果が期待できません。

 優しい親であれ、甘い親であれ、わが子を叱らねばならない、それも毅然と叱る必要に迫られたとき、勇気が要るものです。ですから、なるべくなら「叱らないで済ませたい」と思うわけです。しかし、どのような家庭においても、この「強く叱る」「毅然と叱る」ということが、わが子が辛くてもまっとうな行動を選択できる人間に成長していくには必要なことなんですね。

 次の文章は、心理学の専門家で、家族問題などのカウンセラーとして知られるサル・シビア氏の著作の一部です(簡略にしています)。子どもに毅然とした態度で臨む姿勢の大切さがよくわかります。

 首尾一貫しているということは、言ったことを徹底してやるという意味である。悪い行動が起こるたびに、同じやり方で対応することだ。これは、悪い行動が継続的に起こる場合には特に守ってほしい。娘に、五時には家に帰ってくるようにいったん命じたら、それを徹底する。しかし、葛藤を避けるために、ちょっとくらいは許す親もいる。「大した問題ではない」「今はとても疲れているので」と口実をもうけて、親は自分自身を偽る。それが、今あえて対処すべき重大な問題でないとすれば、他に一体どんな重大な問題があるのか。明日になったら疲れていないとでもいうのか。  ( 中略 )

 私が「少年の家」で働いていた夏、たくさんの子どもをライトバンに乗せて週末のキャンプにでかけた。数マイル走ったころ、一人の子どもが落ち着かなくなったので注意した。さらに数十マイル走った頃、彼の悪さはだんだんエスカレートし、他の子をからかったり騒いだりし始めた。私は「やめないなら、車をUターンさせて家に帰す」と言った。彼は私が本気と思っておらず、悪ふざけをやめなかった。でも私はやった。車の向きを変えたとき、レイモンドにとって大きなショックだったろう。彼は「よい子にするから許して」と嘆願し始めた。私は言った。「もう遅い」。そして彼は家へ帰された。

 レイモンドの家に帰るまでに約2時間かかった。それは私のこれまでの体験で最も利き目のあった2時間だった。たちまちこの話は評判になった。その後のキャンプがうまくいっただけでなく、子どもがその話を後輩に代々伝えたので、以後もずっとキャンプはうまくいくようになった。

 この引用部分の後、著者のサル氏は「もし車をUターンさせなかったらどうなっただろうか」について書いておられました。みなさんの想像通りです。子どもはますます騒ぎ、他の子どもも大人の注意を「単なる脅しだろう」と思ってしまいます。キャンプ終了までの災難の多さは推して知るべしでしょう。

 普段は優しくても、いざというとき、すなわち子どもが望ましくない態度や行動をとったとき、見逃すことなく厳しい姿勢で臨む。これを一貫していくことが必要なのですね。親にとっては楽なことではありませんが、この線引きが明確にあると、子どもはそれに沿った行動をとる人間になっていきます。「ちゃんと勉強しなさい」と言うまでもなく、わが子が「自分のことだからやるのは当たり前」という態度で勉強するようになるには、この線引きのプロセスでしっかりと話し合う、または説明して納得させることが肝要です。そして、そのうえで子どもが受け入れた約束事は絶対に守らせる。守らなかったなら、相応の罰を与える。そのことが子どものまっとうな成長には欠かせません。

 みなさんの家庭で、「我が家の受験生活ルール」というのを作成しても効果があるかもしれません。お子さんが納得して受け入れたルールなら、守らなかったときの罰則もあっていいでしょう。ルールを破ったなら、必ず結果を経験させる。その繰り返しで、お子さんは親に甘えた姿勢から脱することができるようになります。受験は、何よりも自分自身のことです。それなのに甘えた受験生活を送ってよい結果が得られるはずはありません。たとえ得られても、後で苦労するのは必定です。

 この記事をお読みくださったことがきっかけで、「“優しく”て“厳しい”親になろう!」と決心されるおかあさんが一人でもいてくださるようなら、書いた甲斐があろうというものです。中学受験は、学童期の子どもを人間として成長させてこそ真の意味があります。それが果たせたなら、受験結果は必然ついてきますし、多少の不運はあっても子どもの前途に何らマイナス影響は及びません。

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カテゴリー: アドバイス, 子育てについて, 家庭での教育, 家庭学習研究社の理念