2020 年 7 月 13 日 のアーカイブ

子育ての悩みをどう乗り越えるか

2020 年 7 月 13 日 月曜日

 前回、「梅雨ももうすぐ開けようか~」といったようなことを冒頭に書きましたが、大雨の被害は梅雨明けの近い7月に生じがちです。今年も、梅雨前線の停滞に伴う豪雨により、河川の氾濫や決壊、土砂崩れなどによる大きな被害が各地で発生しています。特に九州では多数の犠牲者、行方不明者が出ています。これ以上被害が大きくならないことを切に念じるばかりです。広島県においても、まだまだ予断を許しません。雨の状況を掌握し、くれぐれも禍が生じないようご注意ください。

 さて、このブログ記事は弊社で広報の仕事を担当している筆者が主として書いています。ちなみに筆者は家庭学習研究社に35年あまり在籍しています。すっかり年を取ってしまいました。

 この35年程の間に、広島の中学受験事情も随分変化しました。入社初期の昭和末期ごろには、中学受験というと広島学院、修道、清心、広島女学院、広島大学附属への受験をあらかた意味していました。ところが、何年かするうちに広島にも中学受験ブームがやってきて、他の私学も軒並み受験者数を増やすようになりました(一例:広島城北中の受験者は1300名を超えました)。最も幅広く人気のあった男子校の修道には1850名前後、女子校の広島女学院には1500名近くもの受験者があったことを思い出します。

 その当時、「受ける学校の全てに合格しても不思議ではない」と思っていた受験生が、前述の2校(修道・女学院)に不合格となる事態が数多く生じるようになり、随分気持ちを落ち込ませたものです。「こんなにできる子が…」と声を失うことも少なくありませんでした。そういうことがあるたびに、お預かりした優秀なお子さんを合格に導くことができなかった自分を情けなく思ったものでした。

 あれから25~30年を経た今日、広島の中学受験事情はさらに様変わりしています。公立一貫校という新たな受け皿があるうえ、新規参入の私立一貫校もあります。さらには少子化の進行で受験者数が随分と減少しています。合格をめぐる競争は随分と緩和され、特定の学校にこだわらなければ、合格を得ることはさほど難しいことではなくなっています。

 ただし、中学受験や子育てにまつわる親の悩みは大いに減ったのかというと、そうではありません。「わが子に恵まれた教育環境を」という親の願いは、昔も今も変わりません。むしろ、少子化が進んだことでわが子に目を向けるゆとりが生じ、それが子どもの自立にとって逆効果を招いている面もあるのではないでしょうか。また、「わが子の望みをできるだけ尊重してやりたい」というものわかりのよさが、子どもの甘えを助長しているように思うこともあります。

 かつては、「チャンスは与えるが、結果は子どもしだいだ」と突き放したり、ちょっと距離を置いて見守ったりする保護者が結構おられたものです。筆者が担当したクラスに、友人が受験することを知ったのがきっかけで、中学受験というものを知った男の子がいました。ただし、初めは父親に「受験させてください」と頼んだものの、「うちはそんなことできない」とはねつけられたのだそうです。それでもあきらめきれず、何度も何度も「お願いします」と必死で懇願した結果、やっと6年生になるときに受験を認められ、弊社の教室に通い始めたのだという経緯を本人から聞き、「そんな家もあるのか」と感心したものでした。(当時、すでに「受験準備は1年では難しい」と言われていましたから、親の方針とは言えかわいそうに思ったことを記憶しています(その子は、もらった1年のチャンスを生かして猛烈に勉強し、広島学院に進学しました)。

 しかしながら、今日の親の多くはあれこれとわが子に気を回し、心配してはいろいろと手を差し伸べます。無論、子どもが恵まれているのは悪いことではありません。親がわが子に手を差し伸べるゆとりがあるのもよいことに違いありません。しかし、それが仇となって何をするにも受け身で積極性に欠ける子どもが増えているのではないでしょうか。

 臨床心理学者の河合隼雄氏(1928-2007)の著書(ある教育雑誌の特集記事を本にしてまとめたものです)に、こんなことが書かれていました。「わが子の生きる力をというと、まず何をしたらよいでしょうか」という司会者の質問に対する回答です。

 

 ああしてやってこうしてやって子どもを幸福にするというのは、子どもの生きる力を忘れているわけです。家庭教師をつけてやる、よい学校へ入れてやるというように、子どもの幸福を、親が完全に先取りしているわけですよ。子どもが本来もっている生きる力を行き詰らせている場合が多いわけです。

 ただ、それはいまの親が悪いわけじゃないんですよ。親はできるからするわけです。昔は経済的に豊かでない家庭が多かったから、家庭教師をつけたくても、大学にやりたくてもできなかった。だからかえって子どもは、人間が育っていくうえで大事な試練を、わりと自然に乗り越えられていたんです。いまはそれができない子どもが増えてきたわけです。だから、ある意味でいまの親は気の毒なんですよ。できるのにしないというのは大変なことですから。

 

 わが子が望むなら何でもしてやれる状態にある。しかし、それをすると子どものためにならないということが多い。――こういうジレンマと闘っているのが今日の親なんですね。

 そのいっぽう、「チャンスをわが子に与える」というところまでが親の仕事かというと、そうもいきません。かつては、親は何をしてやらなくても周囲に手本となる年上の子どもの存在があり、わが子が知恵や生きる力を育むうえで手を貸してくれたものです。しかし、今日の子どもを取り巻く環境には、異年齢集団の中で発生する教育力はほとんど機能していません。また、近隣の大人から情報を得たり、いろいろな教えを受けたりする機会も殆どありません。ですから、親にはチャンスを与えたあと、さらにわが子との間合いの取りかたが問われる時代になっています。それが手を差し伸べたくなる親にとっての大きな悩みになっているのではないでしょうか。

 前出の河合隼雄氏の書物から、もう一部分引用します。司会者の「子どもの教育について悩みを抱えている家庭はどうしたらよいでしょうか」という質問に対する回答です。

 

 悩んで当然なんです。私は相談に来られた方によくこう言うんです。

「親子でも夫婦でも悩みとか苦しみがない家はおかしい。これだけ時代が変わってきて、考えかたが変わりつつあるときだから、悩んで当たり前でしょう」

 と。それを悩みも迷いもなしに、親子でホイホイ生きているなんていうのは、その家は幸福だけどもおそらくまわりはすべて迷惑を被っているに違いないと冗談を言うんだけれどもね。そして、

「何もおたくだけじゃありません。恥ずかしがる必要も何もありません。むしろ悩みとか苦しみがあるのが当たり前であって、ただ、それに対してあなたがどう取り組んでいるかが問題になる」と。

 たとえば子どもの教育について、父親と母親で考えが違っていて当たり前なんです。答えが簡単に出なくて当然なんだから。家で迷ったり苦しんだりしているということに意味があるんです。

 それを認識していれば、けんかをしても破壊的にならないんですよ。そうしないと、「お前がぼんやりしているからこういうことになる」とか、「あなたがなんとかだから……」と、つまりどっちかに悪者をつくろうとするわけです。

 そうではなく、「お前みたいな考えかたもあるし、おれみたいな考えかたもあるし、多様な時代なんだ」と考えれば、話はとことんやろう、そしてうちとしてはこう決めようとか、次に進んでいくわけです。

 

 このようなことを述べた後、河合先生は「カウンセラーだって答えを用意しているわけではありません。『一緒に考えていきましょう』という姿勢でカウンセリングに臨んでいるのです」というようなことを述べておられました。このことは、親子の対話という形で、そのまま生かせるのではないでしょうか。親は子どもの話を聞き、一緒に考える。常日頃そういう姿勢で子どもとのコミュニケーションを欠かさない。そうすれば、子ども自身がどうすべきかを自分で気づけるのだと思います。自分のことなのですから、自分で考えて当然なのですが、そのことを親から言って聞かせても効果はありません。胸襟を開いた対話を通して子どもが自ずと気づく。そういうことから、子どもにまつわる心配や悩みが解決の方向へ向かうのではないかと思います。

 今日のグローバル社会で求められる人間。それは、知識量や学力に長けただけの人間ではないと言われています。身につけた知識を組み合わせ、稼働させ、自分の思考を吹き込みながら新しい何かを考えだせる人間だと言われます。また、どんな困難にもへこたれず、あきらめず、目標の遂行に向けて努力を貫ける人間だと言われます(以前、このような力は「やり抜く力(グリット)」と言われ、近年注目されていることをお伝えしました)。子どもの「創造性」や「やり抜く力」は家庭で育まれるものです。その意味において、親子間・家族間の会話(対話)は、親子・夫婦共々「わが子のために何をすべきか」についての方向性を見出すうえで、最も大切なもののひとつではないかと思います。

 さきほど、「生きる力」という言葉が出てきましたが、まさに今日の時代にはそれが求められています。わが子をどう方向づけるべきか、子育ての悩みをどう解決すべきか、今回の記事がそのことを考えるうえで多少なりとも役立てば幸いです。

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カテゴリー: アドバイス, 子どもの自立, 子育てについて, 家庭での教育, 家庭学習研究社の理念