“音声言語”と“文字言語”の理解のプロセス その2

2020 年 9 月 4 日

 先月上旬、当ブログの閲覧数が累計200万ビューに到達しました。2008年の秋に始めてからおよそ12年。読んでくださる人がおられたからこそ、こんなにも長く続けられ、しかもこのような閲覧数を記録できたのだと思います。みなさま、誠にありがとうございました。

 100万ビューを超えたあたりから、「およそ思いつくことは書いたし、年齢的にもそろそろ潮時かな」という本音の思いと、「受験のプロセスで揺らぎがちな保護者に指針や励ましを提供する場を!」という、開設以来堅持してきた思いが交錯し、逡巡することが多くなりました。それでも続けられたのは、やはり当ブログの果たしてきた役割に対する思い入れがあったからであろうと思います。今後、どこまで続けられるかはわかりませんが、もうしばらくはやっていこうと思います。保護者の方々に参考にしていただける情報を少しでもお届けできるよう、今後もがんばってまいる所存です。どうぞよろしくお願いいたします。

 前置きが長くなってすみません。前回は、人間が生まれながらに備えている言語中枢は音声言語を理解するためのものであり、文字言語を理解する能力は学習によって後付けで獲得する必要があるということをお伝えしました。そして、そのことを踏まえ、「人間はどうやって文字列から言葉を抽出し、意味に変換しているのでしょうか」という問いかけをしたところで終了しました。今回はその続きを書いてみようと思います。この理屈を知れば、読解力不足で受験対策の勉強がはかどらないお子さんに必要な対策が何かについて、保護者におわかりいただけるのではないかと思ったしだいです。

 まずはみなさんが文章を読む(黙読する)ときの状況を思い浮かべてみてください。文字列を目で捉えるや否や、文字のつながりや切れ目を峻別し、文脈に沿って著述の内容を順次理解しておられると思います。そのとき、意識しておられるかどうかわかりませんが、心の中(脳内で)で文字に対応する音声(自分の声)をイメージされているのではないでしょうか。この「文字の音(発音)をイメージする」ということにより、文字言語情報が音声言語情報に置き換えられています。これによって著述内容がウェルニッケ野(音声言語の理解中枢)で解読されているのです。つまり“読む”という行為(ここでは黙読のこと)は、脳内で文字言語を音声言語化する作業なんですね。

 前述のように、人間は何の学習もせずにそれができるようになるわけではありません。幼児期から少しずつ文字というものに触れ、一つひとつの文字の字形とその文字が示す音を教えられた(先生は主としておかあさん)からこそ、「文字を見る→音をイメージする」という一連の流れが造作なくできるようになったのです。これには、積み木の文字と絵を組みあわせた玩具(例:「あ」と大きく書かれた文字と、あさがおの絵が組み合わされている)が少なからず貢献しています。こういうものをずいぶん昔から親がわが子に与え、文字を教えていったのですね。

 こうした文字学習初期の段階で不可欠なのは、文字の字形に対応する音を実際に声に出して確かめることです。「あさがお」という言葉を見た瞬間に「a‐sa‐ga‐o」と読めるようになるには、「あ(a)・さ(sa)・が(ga)・お(o)」と、それぞれの文字に対応する音を学ぶ必要があります。絵と文字を組み合わせた積木は、それを学ぶうえで大変有効だから広まったのでしょう。また、絵本を広げ、子どもに見えるよう文字を指さしながらゆっくりと読んで聞かせる「読み聞かせ」も、子どもが音声の言葉と文字の言葉、事物との関係性を学ぶうえで大いに貢献したことでしょう。

 こうして文字に慣れ親しむようになった子どもは、小学校に入る頃にはかなりまとまった文を一人で読めるようになります。ただし、読めるのはまだひらがなとカタカナ、僅かな数の漢字に過ぎません。ですから、易しい文をさらに読みやすくするため、教科書の文は「にわに きれいな はなが さいた」などのように、文字のつながりや切れ目がわかるよう工夫された「分かち書き」になっています。

 以上からも容易にわかりますが、まだ音声の言葉の語彙数に文字の言葉の語彙が遠く及ばない段階では、文をすらすらと読むことは子どもにとって困難なことであり、文字の列をゆっくりたどりながら音声の言葉と文字の言葉とを照合し、文字の言葉の語彙を増やす作業を地道に続けていくことが求められます。この作業の中心となるのは「声に出して読むこと」です。すなわち、文字列の視覚的情報を音声に変え、それによって文字のまとまりとそれによって形成される言葉の意味を学んでいくのです。この学習が一定の期間にわたって続けられるうちに、視覚から入力された文字情報が自動的に音声情報へと変換されるようになります。

 このような学習をたっぷりと繰り返した子どもは、いち早く黙読段階へと移行し、正確に滑らかに読めるようになります。子どもにすれば声に出す負担から解放されるとますます読むのが楽しくなりますから、読書活動も勢い活発になります。こうなると、子どもの読みの習熟は一層進みますし、ものすごい勢いで語彙が増え、それに伴って抽象的な思考の発達も進んでいきます。黙読が可能になるのはだいたい2年生の春ごろ、語彙が急速に増加するのは4~5年生頃、抽象的な思考が発達してくるのも4~5年生頃であるのは、読みの習熟の流れと連動していることがわかりますね。

 いっぽう、“読み”の能力の土台形成期の学習(文字の字形と音の照合)が不十分だと、読みの習熟が停滞し、読解力の上達、思考の高度化といった中~高学年期の成長変化が見られないもどかしい状態が続きがちです。読むのに手間どる、読んでも理解が不十分、読解力が足りなくて国語のテストに対応できない…、このような子どもは能力に問題があるからではなく、読みの習熟に不可欠のスキルを十分に経験していなかったことが一番の原因です。

 ここまでお伝えしたことから、「読解力を強化するには何をしたらよいか」についておわかりになったことでしょう。これまで何度もお伝えしてきたことと同じです。そう、「文章を目で追っていくだけでなく、声に出して読む練習をする」ことに尽きるのです。昔の人が「読書百編意自ずから通ず」という言葉を残していますが、ここで言う読書とは「声に出して読むこと」を指します。「意味はわからなくても、とにかく繰り返し声に出して読むことだ。それを続けているうちに意味も自然とわかるようになる」ということなのでしょう。声に出して読む行為は、その意味では「音読」というよりも「素読(そどく)」と言ったほうが適切かもしれません。音読は、意味を考え受けとめながら声に出して読む行為を意味します。

 文章を声に出して読む。この練習を今からやってみませんか? 「高学年からでは遅すぎる」ということはありません。声に出して読むことで、自分の読みの具合を確認できますし、滑らかでスピーディな黙読の下地をつくることができます。練習した分だけ脳は賢くなりますから、必ず成果はあらわれます。2~3ヶ月もすると、つっかえつっかえながら読んでいた男の子も、ずいぶん滑らかに読めるようになってきます。それは「活字を読んで理解する」学習活動全般に好影響をもたらすことでしょう。

 先月、6年生のお子さんとそのおかあさんに「声に出して読む練習を、3ヶ月、毎日15分ぐらいでいいから続けましょう」とお伝えしました。その理由は前述のとおりです。活字を目で捉え、声に出して読むのが上手になれば、その分自分の読む声をイメージする作業もスムーズになります。実際に声に出さない分楽に早く読めるようになりますから、文章を一気に読み通す力もついてきます。こうなってこそ、家庭での一人勉強によって成果をあげる態勢も整ってくるのです。

 特に2~4年生頃のお子さんは、文章を声に出して正確にスピーディに読めるようになるための練習を繰り返し毎日行うことを強くお勧めします。黙読のみによる学習では、お子さんにも保護者にも読みの熟達度がどういう状態にあるのかわかりにくいものです。声に出して読む作業に難渋するお子さんは、間違いなく黙読もうまくできていません。また、声に出して読むと、目と耳と二つの経路から情報が行き来しますから、それだけ読んだ内容が知識として定着する確率が高くなります。

 読書の秋がもうすぐやってきますが、その前に読書を快適に楽しめる下地づくりにも精を出してくださいね。

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カテゴリー: アドバイス, 子どもの発達, 家庭での教育

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