2021 年 6 月 21 日 のアーカイブ

どうすれば学習対象が覚えやすくなるか

2021 年 6 月 21 日 月曜日

 夏休みの講座の受付が始まりました。受験部門(4~6年生)はクラスや定員に比較的余裕がありますが、低学年部門は、どの校舎・学年も割りあてられる教室数に限りがあり、しかも年齢を考慮してクラス定員も少ないため、すぐに定員に達する場合があります。弊社のHPにて申し込み状況を確認のうえ、申し込み手続きをしていただきますようお願いいたします。

 さて、前回は低学年児童向けの夏休み講座についてご案内しましたが、その導入として「記憶によく残る学びとはどういうものか」を話題に取り上げて考察してみました。今回もこの話題を引き継ぎ、「どういう情報や学びが記憶に残りやすいか」について、ともに考えていただきます。お伝えする内容は、高学年児童の受験対策に応用していただけるのではないかと思います。

 ロシア語の同時通訳者として活躍された米原万里氏(1950‐2006)は、文筆家としてもすぐれた才能を発揮され、語学や教育に関わる著述を多数残されています。筆者は氏の文献をかねてより拝読していますが、それは氏の学習や記憶に関する著述が、近年脳科学の発達にともなって解明されている諸々の事柄と見事に合致しており、唸らされる思いをたびたびしてきたからです。今回は、どんなものが覚えやすいか、覚えにくいかについて書かれている部分をかいつまんでご紹介してみます。中学受験をめざしている子どもたちの勉強のありかたを考えるうえで役立つのではないかと思います。

どんなものが覚えやすく、どんなものが覚えにくいか

 覚えることに長け、テストで常に好成績をあげているお子さんは、丸暗記が得意(記憶力が高い)だからというよりも、「新規の知識をものにしたい」という意欲の熱量が高く、覚えることに工夫を凝らす努力を惜しまないからよい結果を得ているのではないでしょうか。特別に記憶力のよい人の話をときどき耳にしますが、一般的には人間の記憶力はそう違ってはいません。それぞれの教科の勉強にあたり、上記でご紹介したことを応用して覚えるための工夫をしてみるとよいと思います。

 前出の米原氏は同時通訳者ですが、全く異なる分野の専門家の会議やシンポジウムなどの仕事がつぎからつぎへと舞い込み、その度におびただしい量の資料に前もって目を通し、必須事項を頭にインプットしたうえで現場に向かったそうです。その仕事ぶりをちょっとご紹介してみましょう。

 帰国翌日は、万国家禽会議で「卵のコレステロールのほうが豚のそれに比べてどれだけ優れているか」とか、「鶏をあまりにも非人道的に扱っている。もう少し鶏の福祉を考えるべきだ」という話を「ああ、どうせ絞めて喰ってしまうのに」と思いつつ、それをおくびにも出さずに通訳したかと思うと、夜はボリショイ・バレエのプリマのインタビューに備え、「バ・ドゥ・トゥ」と「バ・ドゥ・トロワ」の違いなどを予習し、翌日からは二日間のセミナーで「日本の天皇制とロシア帝政の比較」「日本における中国研究とロシアにおける中国研究の比較」とかいうテーマの歴史学者たちの報告の通訳の仕事が待っていた。文系出身者としては、やっと「一息つける」と期待していたら、中国語の固有名詞の発音が日本語とロシア語と想像もつかないほど隔たっているため、通訳も、したがって会議も混乱した。

 次の日は、日本から輸出する養魚施設に関する商談の通訳で、魚が成長する過程で、「仔魚から稚魚になり、稚魚から幼魚になり、幼魚から成魚になり、そして子を産む親魚になる。だから、なまこの稚魚にあたる時期を「稚なまこ」ということを日露両語でそれこそ血まなこになって覚え、さらに次の日は東京都の下水施設視察に同行し、そこで処理された水を飲んでみないかと勧められて閉口したり、「翌週は「旧石器時代におけるユーラシア北部の細石器文化」というテーマのシンポジウムの通訳を引き受けたため、細石器の名称や製造技術、出土する地層や遺跡の名前を、「ああ、せっかく覚えても、わが残りの人生で二度と使うことはあるまい」と思いつつも懸命に頭に詰め込んだり。…………

 想像を絶するようなハードワークの様子は、この後も延々と紹介されていました(上記引用文は、都合で多少約めています)。ユーモアたっぷりに書いておられるので思わず笑いながら読んでしまいますが、常人にはとてもこなせない高度かつ過酷な仕事であることがよくわかります。

 ところで、米村万里氏はどのようにしてこのような卓越した情報の処理能力や表現力、機転の利いた会話術を身につけられたのでしょうか。そのヒントとなるもののひとつに、氏が小3から中3の途中までプラハのソビエト学校で受けた教育があるように思います(以下は氏の著書より引用)。

1.子供用にダイジェストされたり、リライトされたりしていない文豪たちの実作品の多読。学校附属図書館の司書が、学童が借りた本を返す都度、読み終えた本の感想ではなく、内容を尋ねる。本を読んでいない人にも、その内容をわかりやすく伝える訓練を、こうして行う。そのうえで、もちろん感想も聞かれる。

2.古典的名作と評価されている詩作品や散文エッセーの主なものの暗唱。低学年では、週二篇ほどの割合で大量の詩作品を暗記させられていく。

3.小学校三年までは日本で過ごした私の経験では、国語の時間、「では、何々君よんでください」と先生に言われて、間違いなく読めたら、それでおしまい。「座ってよろしい」だったのが、ソ連式授業では、まずきれいに読みおえたら、その今読んだ内容をかいつまんで話せと要求される。一段落か二段落読まされると、その都度、要旨を述べない限り座らせてもらえない。

 日本の学校教育とはずいぶん異なることに驚かされますね。両者の違いについて云々すると、それだけでおびただしい文字量になるので割愛させていただくとしても、参考になる点について一言申し添えておきたいと思います。

 ただ教科書やテキストを読む、重要事項を覚えることの繰り返しでは、たいした頭脳の鍛錬効果になりません。前回のブログでも、他者に説明する、教えることが、理解や記憶につながることをお伝えしましたが、上記のソビエト学校の教育も同じことが言えると思います。学んだら、その内容を他者に教える、説明するという機会があるとよいでしょう。

 低学年なら、それこそお子さんが親に説明する仕掛けを工夫するのも有効かもしれません。もちろん高学年でも構いません。「なぜこうなるのか」を自分に問いかけ、納得しなければ他者には説明できませんから、そのプロセスが頭を鍛えることになるのですね。ただし、高学年の学習内容ともなると、親が説明して教えるのは困難ですし、それを経験すべきは子ども自身です。ですが、頭脳鍛錬のパートナーとして聞き役を務めるなら、勉強に親が関わるのも決して悪いことではないと思います。

 読書も頭脳鍛錬にもってこいのツールです。読書をしたら、どんなストーリーだったかを親に説明したり、親子で互いに読後感を語り合ったりすると、読んだ本の内容がより深く子どもの脳に浸透するのではないでしょうか。かなり読めるようになったら、あらすじをまとめたりするとよいと思います。そこまでできないご家庭では、親の前で朗読するだけでも効果があるでしょう。言わずもがなですが、親が一方的に語りかけたり、苛立って説教をしたりしないよう、くれぐれもご留意くださいね。

 親が聞いてくれていたり、後で親に説明する必要があったり、あらすじをまとめる仕事があったりすると、子どもは集中して真剣に読みます。はじめから高度な要求をすると、子どもにとって辛くて嫌なものになりますが、親も同じものを読んで感想を交換したり、子どもの表現足らずを前提に練習相手をするつもりで親が臨めば、段々と上手になり、半年後には驚くほど進歩しているのは間違いありません。

 小学生までの子どもの学びは、見守ってくれる大人の(厳しくも)温かいまなざしを背に受けてこそ活性化するものです。自学自習はいきなり達成できるものではなく、そこへのステップとして大人の適切な関わりや助力が必要なのだと思います。成長途上の子どもほど関わりがいのある対象は存在しません。上手に間合いを取りながら、少しずつ自立へとお子さんを向かわせてあげてください。最後、少し脱線しましたが、参考にしていただける点があったならうれしいです。

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