「先生」について

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2011年 9月 20日 火曜日

 先日、通りを歩いていると、昔の「教え子」にバッタリ出会うということがありました。その時、私は用事があったので早足に歩いていたこともあり、すれ違った際には気が付かなかったのですが、相手が先に気付いてくれ、後ろから追いかけて、「先生!」と声を掛けてきてくれました。正直なところ、最初は目の前に現れた成長した男性が誰なのか、すぐにはわかりませんでしたが、記憶の糸をたどって「○○(名前)?」と聞くと、「覚えてもらっててよかったです。」とニコニコと答えてくれました。外見的には大きくなっていても、口調や眼差しは昔と変わっておらず、しばらく近況報告や思い出話などをして別れた後も、様々な昔の記憶がよみがえってくる程に懐かしい出会いでした。

 また、通勤途中のバスでの出来事なのですが、小学1年生位と思われる女の子がお母さんと一緒に、私の座席のすぐそばに座りました。そして、その後、一人の女性がそのバスに乗り込んできた姿を見て、女の子が「先生!」と大きな声をあげたのです。その声に気付いた女性は、親子のそばにきて色々な話をし始めたのですが、女の子はその「先生」のことが大好きな様子で、「先生、このあいだね・・・」とか「先生、○○ちゃんはね・・・」とか「先生のおうちどこ?」とか、何度も何度も話しかけていました。途中で、親子はバスを降りていきましたが、「先生、一緒に降りて、私の家に来て!」と言う位、別れを惜しんでいて、何とも微笑ましい気持ちになりました。

 同窓会などで恩師と顔をあわせたり、街で昔の生徒に偶然出会うようなことがあると、一気に全てが昔に戻ったような気分になり、懐かしさや感謝、反省などの気持ちが複雑に入り混じって、うまく表現できない不思議な感情がわいてきます(単に、私が「良い先生」「良い生徒」ではなかったからなのかもしれませんが・・・)。人ごみの中で「先生」という言葉が耳に入ると、思わず注意を向けてしまうことがあるのも、この言葉にこめられた特別な思いによるものなのかもしれません。では、「先生」と呼ばれる立場で「生徒」としての子どもたちに出会った場合、将来子どもたちにこのような思いをもってもらえる先生はどれ位いるのだろうかと、ふと考えることがあります。習いごとの多い今の子どもたちにとっては、「先生」はたくさんいるでしょうから、関わりが途切れればすぐに忘れられていくケースも多いのではないでしょうか。

 一概に「先生」といっても、塾の先生と学校の先生では、その役割や立ち位置は異なったものになるでしょうし、他にも「先生」と呼ばれる立場の人はたくさんいます。バスの中で偶然出会った「先生」も、結局何の「先生」なのかはわからずじまいでしたが、あの女の子にとってはとても大きく特別な存在なのでしょう。明確な答えを出せるものではありませんが、先日の出会いから、「先生」と呼ばれる人の持つ責任の大きさや子どもとの関わり方の重要性について、あらためて考えるきっかけをもらったような気がしています。

(butsuen)

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