テストの成績=現在の実力 と思い込まない!

2020 年 9 月 29 日

 テスト制度は受験対策を標榜する学習塾において欠かせないものです。カリキュラムに沿って学習しつつ、単元の区切りに合わせてテストを行い、勉強のはかどり具合や現在の実力をデータで確認していきます。このデータをもとに、足りない部分、わかっていない部分を割り出してテコ入れをし、学力を伸ばしていくわけです。

 弊社で2週間に一度実施している単元テストは、「マナビーテスト」と呼ばれていますが、みなさんの家庭ではこのテストでの結果をどのように受け止め、生かしておられるでしょうか。今、「現在の実力をデータで確認」と述べましたが、実はマナビーテストの結果が正直に実力を数値化した形で示されることはほとんどありません。小学生のテストでは、実力以外の要素が得点にかなり影響しているからです。今回はそのことをよくご理解いただき、テストデータをより有効に活かした受験勉強を実現していただけたらと思ってこの記事を書くことにしました。

 では小学生の場合、実力以外のどういう要素が得点に影響するのでしょうか。その多くは、幼さと経験不足ゆえに生じるミスです。典型的な事例は次のようなものです。

 

●算数

 あなたのお子さんは、テスト問題をどのような順序で解いておられますか? ①番号順に最初の問題から解いていく。②易しそうな問題から手をつけ、一定の得点と残り時間を確保したうえで、難しい問題に取り組む。③先に難問を攻略し、自信を深めたうえで残りの問題を一気に片づける。

 実力さえ十分なら問題を解く手順など関係なく高得点を得られる可能性がありますが、どの方法にもリスクがあります。①ですが、易しい問題が先にあるとは限りません。のっけから出鼻をくじかれて悪戦苦闘して時間を失い、それが焦りにつながってボロボロになるケースがあります。同じようなことが、最もスタンダードなパターンの②にも当てはまります。易しいと思って手をつけた問題が意外と難しくて途中で投げ出し、あわてて別の問題に手をつけたがうまくいかない。焦りが更なる焦りを読んでわけがわからなくなる。そういうこともあるでしょう。③は算数に自信のある子ども以外に採らない方法ですが、やはり最初に手をつけた問題が運悪く滅多にない難問だった場合、①や②と同じようなプロセスをたどることになります。

●国語

 国語のテストには長文がつきものです。国語のテスト対応力の要は「速読即解」にありますから、読みのスキルが不足しているお子さんは苦労することになりがちです。長文を一気に読み通すことができるかどうか。それによって、問題に対処する時間的な余裕が随分違ってくるのです。 

 素材文を読むこと自体に手間取ると、手をつけない問題をいくつも残して時間切れになることもあるでしょう。そこで、ざっと文章に目を通したら、文意が理解できているかどうかにかかわらず、すぐに問題に手をつけるお子さんもいます。しかし、大半の問題は文章の内容理解を試すものですから、うまく解答できるはずがありません。しかたがないので、「漢字の問題を確実に」と、この種の勉強に偏るお子さんもいます。しかし、これらの配点は僅かです。しかも、漢字の出題には同音異義語や同訓異字があって紛らわしいものが多く、必ずしも得点できるとは限りません。

 前述のように、国語の文章題の肝は速読即解です。家での勉強においては、5年生ぐらいになったら、一気に読み通して文意を掌握する練習をし、わからない表現や語句はあとから丁寧に調べて覚えるような勉強法をお勧めしたいですね。

 

 テストで失敗する理由はお子さんによってさまざまです。上記はほんの一例にすぎません。内面が成熟する途上の小学生の場合、早とちりや思い込みによるミスも大人に比べて格段に多いものです。そういうことも含め、毎回のマナビーテストの点数や成績を、「ほんとうの力をどのくらい発揮した結果か」という視点から検証し、反省点や課題を埋め合わせていくような勉強をしていただきたいですね。子どもは放っておくと、そういう見直しやチェックをしませんから、この部分については親が関わる必要性が大いにあると思います。

 ともあれ、本物の実力をつけていけば、稚拙な失敗や未熟さゆえの失敗はだんだんと減っていくものです。これからお伝えすることは参考になるかどうかはわかりませんが、よろしければ目を通してみてください。現4~5年生を念頭に置いて書いています。

 まず算数についてですが、授業が終わったその日のうち、もしくは授業の内容が多く記憶に残っている翌日のうちに、何を学んだのかを親に説明する時間を設けることをお勧めします。改まった場ではなく、例えば夕食の時間でも結構です。「何を学んだのか」を反芻し親に説明するプロセスは、何よりも有効な復習になります。問題をただ見直したり、解答・解説をなぞってやり直したりするのでは、ほんとうの意味で頭が働いたことになりません。頼みにするのは自分の頭・記憶だけ。それをもとに他者に学んだ事柄を説明することは、ほんとうに頭を鍛える勉強になります。

 親は意見を言ったり、子どもの発言を訂正したりする必要はありません。「もうちょっと、詳しく知りたいな。あとで問題を使って説明してくれないかな」などと反応し、食事の後の勉強前に、お子さんを一緒にやりとりをすると、お子さんのやる気も一層高まり、一人で勉強するときの取り組みに好影響を及ぼすことでしょう。

 国語については、マナビーテストが返却された後、定期的に親子一緒の振り返りの時間を設けることをお勧めします。何をするのかと言うと、こちらも保護者が答えを教える必要はありません。テストでバツを食らった問題について、「どうしてこの選択肢を選んだのか」「どういう考えでこの答えを書いたのか」を、お子さんに説明させるのです。親はつい教えたくなるし、あまりにも下らない答案に失望して叱りたくなる場面も生じるでしょうが、それは逆効果にしかなりません。

 どうしてこれを答えだと思ったのか、なぜ正解はこれなのか。このことをお子さん自身が考え、納得するプロセスを応援していただきたいのです。ですから、問いかけや、逆質問などをして、お子さんに気づきを与える役どころを演じてくだされば、大いに効果があると思います。答案を見直すとき、消しゴムで消した部分に正解を書き込んだ形跡を発見することは少なくありません。そう、お子さんはいつも惜しいところで失点している可能性大なのです。失敗を検証する作業は、こういう惜しい間違いを未然に防ぐ力を与えてくれることでしょう。

 なお、国語のテスト対策として最も基本的かつ重要なのは、「長文をすばやく正確に読み通せる力を養う」ことです。前述のように、家庭でのテキストの予習や復習のとき、一気に素材文を読み通して話題の流れや大要をつかむ練習を毎回繰り返せば、かなり読みの力は上達すると思います。その際、文章を声に出して読むようにしましょう。先日のブログ記事にも書きましたが、声に出して速く正確に読めるようになるにつれて、目で文章を追って意味を読み取る黙読のスピードや精度もあがってきます。黙読は、文字の言葉の示す音を脳内でイメージする作業です。声に出して読むのが上手になれば、自然と黙読力も向上します。

 小学生の受験勉強は、大人から見るともどかしいものです。しかし、同時に言えるのは、いったん成長や上達の曲線が上向きになると、一気に変わってくるということです。もどかしい上達のプロセスをうまく乗り切るコツは、親が教えることではなく、子ども自身に考えさせることであり、子どもが夢中で取り組む姿勢を育むことです。それは、受験での成功はもとより、親子の大いなる信頼関係の構築にも貢献してくれるのは間違いありません。

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カテゴリー: がんばる子どもたち, アドバイス, 勉強について, 勉強の仕方

受験をめざす4・5年生だからこそ読書を!

2020 年 9 月 21 日

 秋が訪れると、新聞や週刊誌、ネットなどで読書の話題がしきりに取り上げられるようになります。昔から「読書の秋」と言われていますが、確かにしのぎやすくて気持ちの落ち着く秋は「読書」をするにふさわしい季節なんですね。

 小学生時代は人生で最も読書に時間が割ける年齢期です。中学生や高校生になると部活や交友、勉強と、いろいろ忙しくなり、読書に割ける時間が少なくなりがちです。ほとんど読書をしない中・高生もかなりいるという調査データもあります。いっぽう、中・高生になっても読書を欠かさない生徒は、小学生の頃に読書の習慣がしっかりと根づき、読書の魅力をよく知っている生徒です。小学生の子どもたちには、今のうちに読書に慣れ親しんでいただきたいですね。

 先日新聞誌面に目を通していたら、小学生の読書についての投稿を紹介するコーナーが目に留まりました。そのなかに、学校の休憩時間や自由な時間に寸暇を惜しむように本を読み、他の子どもたちのおしゃべりや遊びに加わらない子どもがいることへの懸念について書かれているものが2~3ありました。数名の投稿における数ですから、かなりの割合のかたが同種の懸念を抱いておられるのかもしれません。確かに、クラスメートが集まって楽しい時間を共有しているなか、一人だけ机に着いて読書をしている子どもがいたら、大概の大人は「社会性やコミュニケーション能力が欠落した人間になるのではないか」と、心配になることでしょう。

 しかしながら、投稿者のひとりである小学校教員のかたは、「若い頃はみんなと交わらずに読書をしている子どもがいると心配になったが、やがてそういう子どもも問題ないことがわかってきた。授業に普通に参加し、読書以外の時間に他の子どもと協調できていれば心配要らない」といったようなことを書いておられたと記憶しています。この指摘に筆者も納得した次第です。他者と交わることを拒絶しているのではなく、学校での自由に使える時間には何はさておき読書をしたい。そういう読書好きの子どももいることでしょう。

 読書は子どもを孤独に追いやるものではありません。むしろ逆で、活字の世界に入り込み、登場人物と共に数多くの追体験をし、心の動きに同調したり反発したりすることで人間性を培ったり、社会性を養ったりすることができます。特に小学校高学年は、急速に内面の発達が進んでいく時期ですから、読書は単なるエンターテインメントに留まらず、子どもの人間としての成長に少なからぬ影響を及ぼすことでしょう。これについては、筆者の乏しい知識や経験を語るより、専門家の知見に触れていただくほうがよいでしょう。以下は「小学校高学年の発達段階の特質と読書の実態」について書かれたものです。日本子どもの本研究会・編の「子どもの発達と読書の楽しさ」から引用しました。

 まず知的発達の面では、具体物を通し外側から見たもので考える段階から、心の中で思考することがはじまる。抽象作用や推理作用が育ってきて、もし自分が、その立場であれば……と仮定した推論が、可能になるのである。
 情緒的には、こうしようと自ら決めた課題意図に向かって精力を集中し、持続することができるようになる。「〇〇してはいけない」といった強制的感覚には反発し易く、自律的道徳感覚の感情が芽ばえる。
 社会性の面では、自己中心性をぬけ出し、集団的行動、自治的活動に関心がむけられ始め、友情や社会的責任が育ってくる。
 読書に関しては一般的には、幼年童話、生活童話から児童文学、思春期文学へと質的に転換し、内容として、友情をテーマとした少年少女物語とか、冒険物語、スポーツ、SF、探偵、空想科学物語へとジャンルを広げていく時期である。
 読みかたも、作中の主人公と自分とを対比し、もし自分ならといった思考や、人間と自然・社会とのかかわりとか、生きかた、正義、真理、美への価値、あこがれ、探求心などに共鳴したり批判を加えたりできるようになり、大人の読みかたと接近してくる。この年代に読んで深く感動した本の印象は、大人になっても、心に刻まれている場合が多いことは、自分の読書体験からもいえるように思う。

 上記引用文によると、小学校高学年期は、抽象的な思考、自律的道徳感覚、社会性が発達し、内面が大人に近づいていく時期だということがわかります。また、こういう時期の読書は、子どもの人間性の涵養、知的発達に少なからぬ貢献をすることがわかりますね。

 中学入試の国語の出題に目を通すと、思春期前後の子どもの行動と心の動きとの関係を問う出題がよく見られます。こういう問題にうまく対処できるかどうかは、内面の思考や人間に対する洞察が大人の域に近づいているかどうかで決まります。いくら問題に数多く当たったところで、内面の思考レベルが幼稚では空回りを延々続けることになりがちです。そういった意味において、小学校4~5年生のお子さんには、読書を大いに励行していただきたいですね。中学受験生であればなおさらです。ただし、読書をしているとき、勉強という観念はどこかへ行ってしまい、子どもはただただ作品の描く世界に引き込まれていきます。だからこそ子どもの内面に変化をもたらすのですね。勉強の一環と位置づける必要はありません。

 とは言え、暇さえあれば学校だろうと家庭だろうと、とにかく本をむさぼり読む。そういったことはお勧めできません。受験生の子どもが読書に割ける時間には限りがあります。しかしながら、それをむしろ生かし、決めた時間の範囲で読書を楽しむ生活を実践することで、時間の割り振りという意識を育て、テレビやゲームの時間を含めて、予定したタイムスケジュールに沿って行動を上手に切り替える姿勢を身につけてほしいですね。それができるようになれば、受験生活は辛いものになりません。勉強の効率も上がり、より高いレベルをめざせるようになることでしょう。

 さて、最後にご紹介するのは、ロシア語の同時通訳者として活躍された米原万理さん(1950‐2006)の著書(「ガセネッタ&シモネッタ」文春文庫)の一部です。彼女は小3~中2の頃までチェコスロバキアで過ごしました。日本語を身につけるうえで極めて重要な年齢期を外国で過ごしたにもかかわらず、卓越した日本語を駆使し、多くの著書を残しておられます。以下の引用文はその秘密を垣間見させてくれると思います(文字数の関係で、少し簡略にした部分があります)。児童期の読書の影響力の強さを思わずにはいられません。

 (外国に移り住むと)日本語のコミュニケーションは、両親と二歳年下の妹との会話に限られることとなった。どんなに知的水準の高い家庭であれ、日常茶飯のやりとりに用いられる語彙や文型は限られているものだ。ましてわが家においてをや。そのうち両親は、他の国々に出張していることのほうが多くなっていった。

 それでも日本語との絶縁状態にならなかったのは、半年遅れて船便で届いた荷物の中にあった「少年少女世界文学全集」全50巻のおかげである。いまでも目を瞑(つむ)ると、プラハの自宅の本棚に並ぶ小豆色の背表紙に手が届くような気がする。それほど親しんだ。日本と世界の選りすぐりの名作が収められていて、少なく見積もって20回以上、文字通りボロボロになるまで読んで読んで読み尽くした。

 私の日本語話し言葉の発声法とイントネーションの教師は、母親だろう。でも書き言葉初級の教師はまちがいなく「少年少女世界文学全集」全50巻だった。この物語上手な先生は、多様な語彙と文型と文体に、面白く自然な形でまず限りなく出合う機会を与えてくれた。教科書的退屈や押しつけがましさを微塵も感じさせることなく、いつも魅力的な語り口で広大で奥深い日本語の世界に誘い込んでくれたのである。

 帰国の際、米原さんは名残惜しい思いをしつつも、後から来る日本人子弟のためにこの全集を譲り置かれたそうです。そして、「代々愛読されたようだから、きっと本冥利に尽きるのではないかと思う」と述べておられました。よい本は、母国語の先生、人生の先生にもなってくれることがわかりますね。

 みなさんのお子さんにも、素晴らしい本との出合いがありますように!

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「この学校はわが子に合っているか」という視点

2020 年 9 月 14 日

 いつの間にか9月も中旬を迎えています。入試を控えた受験生に与えられた準備期間はあと4カ月ほど。私学の入試解禁日は1月上旬ですが、公立一貫校のなかには年内に一次選抜を実施するところもあります。夏の暑さが若干収まり、秋の風を肌に感じるようになりましたが、そのことをきっかけに入試が近づいていることを改めて実感されたご家庭も少なくないことでしょう。

 9月6日(日)には、弊社主催の模擬試験(第2回)が行われました。この模擬試験は毎年5回実施していますが、今年も9月から入試直前の12月にかけて月1回のペースを予定しています。秋を迎えたことで、今回は家庭学習研究社の会員以外の受験生も増え、男女とも500名近い参加がありました。今回の結果を確認したらデータをよく検証し、弱点対策や仕上げ学習に大いに生かしていただきたいですね。受験生に残された期間は平等ですから、いかにして効率的な受験対策を実現するかが問われます。それが明暗を分けることになります。受験生のみなさんには悔いの残らぬようがんばってほしいですね。

 さて、今回は学校選びに関する話題を取り上げてみました。筆者は会員受験生全員の受験校選択、進路選択の状況を毎年調べていますが、広島にはかなりの数の中高一貫校があり、しかも国立、公立、私立と、運営母体のバリエーションも豊富です。そのほとんどは同一日に入試を行っていません(私立の男子校と女子校、共学校の入試が重なることはあります)から、その気になればほとんどの中学校を受験することができます。

 とは言え、現実に最も多いのは受験生一人あたり3校受験であり、その次が4校、さらにその次が2校受験です。5校受験も結構見られますが、6校以上の受験となるとごく少数です。これは、受験の負担と行きたい学校(行かせたい学校)のリストアップとの兼ね合いで、落ち着くべきところに収束した結果でしょう。秋もこれから少しずつ深まってまいりますが、そろそろどの中学校を受験するかについて親子で相談されている頃ではないかと拝察します。みなさんのお宅では、受験校を既に決めておられるでしょうか。受験校の選択にあたっては、いろいろな判断基準があるでしょう。たとえば、次のような要素が考えられます。

家庭からの通学距離と所要時間、男女共学か別学か、学費負担の度合い(国・公立か、私立か)、大学への進学実績、校風、学校の建学理念や歴史、6か年一貫を生かした教育実践の内容、生徒への面倒見、保護者へのフォロー、先生と生徒のつながり、設備と施設、地域に浸透しているイメージ(地域の評価)、卒業生のネットワークの充実度、家族や親戚に出身校がいるかどうか、友人と一緒に通えるかどうか、何となくの好み、周辺から聞こえてくる評判、保護者の知人の強い勧め、私立学校の設立母体(ミッション系、仏教系、無宗教など)、受験日程の都合(適当に間隔を開けたいなどの判断)、オープンスクールや説明会で得た印象、入学後にやりたい部活があるかどうか、留学制度の充実度 等々

 無論、他にもいろいろあることでしょう。みなさんのご家庭では何を重視されるでしょうか。おそらく、上述のようなファクターをいろいろと勘案し、お子さんや保護者の志向性の高いものを比較検討したり組み合わせたりして決めておられるのではないかと思います。

 おもしろいのは、同じことがらが選択の理由になったり選択しない理由になったりすることです。たとえば、「家から近いから」という理由で進学先に選ぶ受験生があるいっぽう、「家から遠いほうがよい」と考え、敢えて別の学校に進学する受験生もいます。友達や仲間と一緒に通えることを喜び選択理由にする受験生もいれば、「周囲の人とは別の学校に行きたい」という理由で学校を選ぶ受験生もいます。親やきょうだいの通った学校であることは、志望の強い動機になるケースが多々ありますが、敢えて家族とは別の学校に行きたがる受験生もいます。あくまでも筆者の体験に基づく印象ですが、そういったへそ曲がり?な選択をするお子さんは、入学後もうまくやれる確率が高い(間違いが少ない)ように思います。自分の考えを明確にもっているからでしょう。

 さて、受験校を決めたあとは合格後の進路選択も大いに悩まされる問題です。いくつかの学校を受けた結果、合格した学校が一つであれば、その学校に入学するかどうかの選択以外に迷う余地はありません。しかしながら、2校、もしくはそれ以上の学校に受かった場合、しかもどの学校がお子さんに合っているか、ふさわしいかどうか判断に迷われるご家庭が毎年多数あります。

 無論、複数の中学校に受かった場合でも、そのなかにあこがれの第一志望校が含まれていれば迷う余地はありません。また、多少迷う点はあっても、多くのご家庭では偏差値の高い学校、地域で評価の高い学校をお選びになっています。また、前述の受験校選びの理由となるファクターの中から、よりお子さんや保護者が重要視されているものを携えている学校があった場合、その学校を選ばれる傾向が強いのは間違いありません。

 ところが、それでも判断に迷われるご家庭があります。たとえば、「一応受けたが、合格は難しいだろう」と思っていた学校に受かった場合です。近年は合格を巡る競争もかなり緩和され、こういう事例がたびたび生じています。入試で予想以上の結果を得た喜びは、親子共々どんなにか大きいであろうことは想像に難くありませんが、同時に生じるのは「勉強のレベルや進度について行けるだろうか」という不安や心配です。弊社の指導担当者には、毎年このような相談が相当数あります。

 こういう場合の進路選択の判断材料としてポイントとなるのは、お子さんの性格です。優秀な生徒がたくさんいる環境で大いに刺激をもらい、「みんなに負けないようがんばろう!」と意欲を燃やすタイプのお子さんは、難易度の高いほうの学校に進学してもやっていける可能性が高いでしょう。合格を知って、「この学校でがんばるぞ!」と意欲を滾らすようなお子さんなら委縮することはありません。特に、順位や時間を競うような勝負事に燃えるタイプのお子さんなら、多少しんどくても這い上がっていけることでしょう。

 逆に、優秀で自信に満ちた生徒の集団の中にいると、場の雰囲気に気圧され、やる気や自信を失ってしまうタイプのお子さんもいます。「この中でいちばんをめざしてやる!」という意気込みをもつ生徒の集まった教室には、特有の張り詰めた雰囲気が生まれます。そういう空気が苦手で、みんなと落ち着いた気分で楽しく勉強するほうを志向するタイプのお子さんは、このような性格に照らして学校選びをするのもありでしょう。

 心理学に「小さな池の大きな魚効果」という有名な言葉があります。同じ実力レベルの生徒が、優秀な集団(大きな池)に所属するか、それほどでもない集団(小さな池)に所属するかによって自己に対する有能感が変わり、結果として実力の伸びように違いが生じるということのたとえとして用いられています。レベルの高い集団内にいると有能感が相対的に低下しがちです。そのいっぽうで、実力的に低い集団内にいると、「自分はできる!」という有能感を高めることができます。このような集団にいるほうが、高い学力の持ち主になれるということを意味しているのでしょう。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という格言がありますが、これもほぼ同じような意味合いで用いられています。

 大きな池の小さな魚になるか、小さな池の大きな魚になるか。選択肢はこの二つではありません。大きな池の大きな魚もたくさんいます。お子さんそれぞれのタイプや性格に合わせて進路を決定されればよいのではでしょうか。入試終了後の進路選択に迷いが生じたとき、本記事が多少なりとも参考になれば幸いです。

 最後に。何より重要なのは、お子さんが行きたい学校を思い描いて最後まで努力を継続し、進学の夢を叶えることです。それが自信と意欲につながります。保護者におかれては、最後までお子さんの努力を信じてバックアップをしてあげてください。弊社の指導担当者一同、同様の気持ちで悔いの残らぬ指導を実践してまいる所存です。

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“音声言語”と“文字言語”の理解のプロセス その2

2020 年 9 月 4 日

 先月上旬、当ブログの閲覧数が累計200万ビューに到達しました。2008年の秋に始めてからおよそ12年。読んでくださる人がおられたからこそ、こんなにも長く続けられ、しかもこのような閲覧数を記録できたのだと思います。みなさま、誠にありがとうございました。

 100万ビューを超えたあたりから、「およそ思いつくことは書いたし、年齢的にもそろそろ潮時かな」という本音の思いと、「受験のプロセスで揺らぎがちな保護者に指針や励ましを提供する場を!」という、開設以来堅持してきた思いが交錯し、逡巡することが多くなりました。それでも続けられたのは、やはり当ブログの果たしてきた役割に対する思い入れがあったからであろうと思います。今後、どこまで続けられるかはわかりませんが、もうしばらくはやっていこうと思います。保護者の方々に参考にしていただける情報を少しでもお届けできるよう、今後もがんばってまいる所存です。どうぞよろしくお願いいたします。

 前置きが長くなってすみません。前回は、人間が生まれながらに備えている言語中枢は音声言語を理解するためのものであり、文字言語を理解する能力は学習によって後付けで獲得する必要があるということをお伝えしました。そして、そのことを踏まえ、「人間はどうやって文字列から言葉を抽出し、意味に変換しているのでしょうか」という問いかけをしたところで終了しました。今回はその続きを書いてみようと思います。この理屈を知れば、読解力不足で受験対策の勉強がはかどらないお子さんに必要な対策が何かについて、保護者におわかりいただけるのではないかと思ったしだいです。

 まずはみなさんが文章を読む(黙読する)ときの状況を思い浮かべてみてください。文字列を目で捉えるや否や、文字のつながりや切れ目を峻別し、文脈に沿って著述の内容を順次理解しておられると思います。そのとき、意識しておられるかどうかわかりませんが、心の中(脳内で)で文字に対応する音声(自分の声)をイメージされているのではないでしょうか。この「文字の音(発音)をイメージする」ということにより、文字言語情報が音声言語情報に置き換えられています。これによって著述内容がウェルニッケ野(音声言語の理解中枢)で解読されているのです。つまり“読む”という行為(ここでは黙読のこと)は、脳内で文字言語を音声言語化する作業なんですね。

 前述のように、人間は何の学習もせずにそれができるようになるわけではありません。幼児期から少しずつ文字というものに触れ、一つひとつの文字の字形とその文字が示す音を教えられた(先生は主としておかあさん)からこそ、「文字を見る→音をイメージする」という一連の流れが造作なくできるようになったのです。これには、積み木の文字と絵を組みあわせた玩具(例:「あ」と大きく書かれた文字と、あさがおの絵が組み合わされている)が少なからず貢献しています。こういうものをずいぶん昔から親がわが子に与え、文字を教えていったのですね。

 こうした文字学習初期の段階で不可欠なのは、文字の字形に対応する音を実際に声に出して確かめることです。「あさがお」という言葉を見た瞬間に「a‐sa‐ga‐o」と読めるようになるには、「あ(a)・さ(sa)・が(ga)・お(o)」と、それぞれの文字に対応する音を学ぶ必要があります。絵と文字を組み合わせた積木は、それを学ぶうえで大変有効だから広まったのでしょう。また、絵本を広げ、子どもに見えるよう文字を指さしながらゆっくりと読んで聞かせる「読み聞かせ」も、子どもが音声の言葉と文字の言葉、事物との関係性を学ぶうえで大いに貢献したことでしょう。

 こうして文字に慣れ親しむようになった子どもは、小学校に入る頃にはかなりまとまった文を一人で読めるようになります。ただし、読めるのはまだひらがなとカタカナ、僅かな数の漢字に過ぎません。ですから、易しい文をさらに読みやすくするため、教科書の文は「にわに きれいな はなが さいた」などのように、文字のつながりや切れ目がわかるよう工夫された「分かち書き」になっています。

 以上からも容易にわかりますが、まだ音声の言葉の語彙数に文字の言葉の語彙が遠く及ばない段階では、文をすらすらと読むことは子どもにとって困難なことであり、文字の列をゆっくりたどりながら音声の言葉と文字の言葉とを照合し、文字の言葉の語彙を増やす作業を地道に続けていくことが求められます。この作業の中心となるのは「声に出して読むこと」です。すなわち、文字列の視覚的情報を音声に変え、それによって文字のまとまりとそれによって形成される言葉の意味を学んでいくのです。この学習が一定の期間にわたって続けられるうちに、視覚から入力された文字情報が自動的に音声情報へと変換されるようになります。

 このような学習をたっぷりと繰り返した子どもは、いち早く黙読段階へと移行し、正確に滑らかに読めるようになります。子どもにすれば声に出す負担から解放されるとますます読むのが楽しくなりますから、読書活動も勢い活発になります。こうなると、子どもの読みの習熟は一層進みますし、ものすごい勢いで語彙が増え、それに伴って抽象的な思考の発達も進んでいきます。黙読が可能になるのはだいたい2年生の春ごろ、語彙が急速に増加するのは4~5年生頃、抽象的な思考が発達してくるのも4~5年生頃であるのは、読みの習熟の流れと連動していることがわかりますね。

 いっぽう、“読み”の能力の土台形成期の学習(文字の字形と音の照合)が不十分だと、読みの習熟が停滞し、読解力の上達、思考の高度化といった中~高学年期の成長変化が見られないもどかしい状態が続きがちです。読むのに手間どる、読んでも理解が不十分、読解力が足りなくて国語のテストに対応できない…、このような子どもは能力に問題があるからではなく、読みの習熟に不可欠のスキルを十分に経験していなかったことが一番の原因です。

 ここまでお伝えしたことから、「読解力を強化するには何をしたらよいか」についておわかりになったことでしょう。これまで何度もお伝えしてきたことと同じです。そう、「文章を目で追っていくだけでなく、声に出して読む練習をする」ことに尽きるのです。昔の人が「読書百編意自ずから通ず」という言葉を残していますが、ここで言う読書とは「声に出して読むこと」を指します。「意味はわからなくても、とにかく繰り返し声に出して読むことだ。それを続けているうちに意味も自然とわかるようになる」ということなのでしょう。声に出して読む行為は、その意味では「音読」というよりも「素読(そどく)」と言ったほうが適切かもしれません。音読は、意味を考え受けとめながら声に出して読む行為を意味します。

 文章を声に出して読む。この練習を今からやってみませんか? 「高学年からでは遅すぎる」ということはありません。声に出して読むことで、自分の読みの具合を確認できますし、滑らかでスピーディな黙読の下地をつくることができます。練習した分だけ脳は賢くなりますから、必ず成果はあらわれます。2~3ヶ月もすると、つっかえつっかえながら読んでいた男の子も、ずいぶん滑らかに読めるようになってきます。それは「活字を読んで理解する」学習活動全般に好影響をもたらすことでしょう。

 先月、6年生のお子さんとそのおかあさんに「声に出して読む練習を、3ヶ月、毎日15分ぐらいでいいから続けましょう」とお伝えしました。その理由は前述のとおりです。活字を目で捉え、声に出して読むのが上手になれば、その分自分の読む声をイメージする作業もスムーズになります。実際に声に出さない分楽に早く読めるようになりますから、文章を一気に読み通す力もついてきます。こうなってこそ、家庭での一人勉強によって成果をあげる態勢も整ってくるのです。

 特に2~4年生頃のお子さんは、文章を声に出して正確にスピーディに読めるようになるための練習を繰り返し毎日行うことを強くお勧めします。黙読のみによる学習では、お子さんにも保護者にも読みの熟達度がどういう状態にあるのかわかりにくいものです。声に出して読む作業に難渋するお子さんは、間違いなく黙読もうまくできていません。また、声に出して読むと、目と耳と二つの経路から情報が行き来しますから、それだけ読んだ内容が知識として定着する確率が高くなります。

 読書の秋がもうすぐやってきますが、その前に読書を快適に楽しめる下地づくりにも精を出してくださいね。

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カテゴリー: アドバイス, 子どもの発達, 家庭での教育

“音声言語”と“文字言語”の理解のプロセス その1

2020 年 8 月 25 日

 変則的な日程で実施した今年の夏の講座ですが、懸念されたコロナウィルス関連の問題も生じることなく、無事に終了することができました。

 ただし、新規感染者数は徐々に減少しているというものの、感染発症のピークアウトはまだまだ先のことだと考えるべきでしょう。それどころか、日本感染症学会の理事長(舘田一博 東邦大教授)は、「今は第2波の真っただ中にいる」という見解を述べておられます。現状認識については専門家の判断も若干割れてはいるものの、重症者の数が増加している府県もあることを考え合わせると、まだまだウィルス問題は予断を許さない状況にあるとみるべきでしょう。

 広島県内においても、新規感染者が少数ながら確認されています。間もなく開講する後期講座におきましては、これまで同様に感染予防に向けて十分な対策を取りながら子どもたちの学習指導にあたってまいる所存です。ご家庭におかれてもお子さんの健康維持に向けて十分なケアをお願いいたします。

 さて、受験勉強に限らず、教科学習に欠かせない重要なものの一つが“読み”の力です。何しろどの教科の勉強も文字を介して行われます。勉強するうえで読むことは、呼吸するのと同じように不可欠の営みだと言えるでしょう。人間としての完成形に達した大人は日本語の読みで苦労することがありませんが、児童期の子どもは学習の大前提となる“読み”の能力の基盤形成の途上にあります。それがうまくいっていないために読みで躓く(学習がうまく捗らない)子どもが少なくありません。大人がそのことを誤解し、漠然と「うちの子は国語が苦手なんだろう」で片づけてしまっているケースが少なくないように思います。

 文章問題にたくさん取り組ませる、長文にたくさん当たらせるなどの勉強を子どもにあてがっても、国語の成績が振るわないことへの根本的な対策にはなりません。そればかりか、子どもはますます国語嫌いになってしまいます。今回の記事は、こうした点を踏まえ、これまで何回か取り上げたかと記憶していますが、読みの能力(黙読力)を底上げするためには何が必要かについて書いてみようと思います。

 ご承知のように、言葉には耳から入るもの(音声言語)と目から入るもの(文字言語)とがあります。両者の違いで大きいのは、音声の言葉は誰でも楽に理解できるのに対し、文字の言葉を理解するには「読もうという意志」を発動させる必要があり、相応のエネルギーを要します。

 子どもは、生まれたときから母親の音声を耳にし、母親の声かけや世話を受けながら育っています。したがって、音声の言葉は文字の言葉よりも容易に理解することができます(大人でも、音声言語のほうがわかり易いと感じる人のほうが多い)。中学受験をめざすうえで問題となるのは、活字を読むことに習熟した子どもと、スキル不足の子どもとの“読み”の能力差が大変大きいことです。活字を読むスキルが不足している子どもは、読むという行為を「気の進まないしんどい作業」に感じ、実際のところ読んでも著述内容の理解が上手ではありません。こういう子どもは、「自分は本が好きではない」などと言います。しかしながら、実際は本が嫌いなのではなく、快適に読めないから本を読みたがらないだけなのです。これが悪循環を招き、ますます読みの熟達が進んでいる子どもとの差を広げています。

 ところで、人間が音声の言葉をコミュニケーションの手段として使用するようになったのはいつ頃のことでしょうか。脳生理学者の酒井邦嘉氏(東京大学教授)の文献(「言語の脳科学」中公新書1647)に次のような著述があります。

 特に注目すべき最近の発見によると、舌下神経管の太さ(断面積)を頭骨の底部から測定したところ、現代人は類人猿や猿人よりも約2倍太く、約30万年以上前の化石人類は現代人並みだった。舌下神経は舌の筋肉を支配する運動神経であり、舌の運動神経が急に発達した直接の原因は「話す」ことにあると考えられている。ネアンデルタール人は、約10万年前から3万年前にかけて生存したと言われているので、それよりもさらに昔の人類が話をしていた可能性がある。

 頭蓋骨が現代人とほぼ同じような形状になったのは、今から10万年ほど前だと言われています。おそらく、当時の人類はすでに音声の言葉を交わしてやりとりをしていたのではないかと思います。さらに、上記引用文によると、30万年前には音声言語が使用されていた可能性があります。

 いっぽう、人間が文字を使ってコミュニケーションをするようになったのは、音声言語の登場よりもはるか後のことです。文字言語として最も古いと考えられているインダス文字は今から約5500年前ごろ、次に古いとされるエジプト文字は5300年ぐらい前に使用されるようになったと言われます。日本人の文字使用は、大陸から伝来した漢字をもとに平仮名やカタカナが工夫され、一般に行きわたってきた平安期の頃ですから、文字使用が定着してからまだ1200年余りしか経っていません。文字使用の歴史は、音声の言葉の長い歴史とは比べるべくもありませんね。

 このことからも想像がつきますが、音声の言葉を理解する脳機能は人の遺伝子に組み込まれており、生まれたときから予め備わっているのに対し、文字の言葉を理解する脳機能は生まれた段階では宿っていません(言語理解中枢は、発見者のドイツ人医師の名に因んでウェルニッケ野と呼ばれています)。そこで、後付けで学習によって身につける必要があります。小学生と言えば6~12歳の子どもですから、文字を読んで理解するための学習の年数は知れています。しかしながら、だからこそいち早く読みの態勢を築いた子どもと、そうでない子どもとでは少なくない個人差が生じているのです。

 では、人間はどうやって目を通してとらえた文字列から言葉を抽出し、意味に変換して理解しているのでしょうか。その理屈を知れば、読みのスキルアップのために何をすれば効果があるかがわかってくるのではないでしょうか。今回はだいぶ文字数が多くなってしまいましたので、続きは次回お伝えします。よろしければ引き続きお読みください。

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カテゴリー: アドバイス, 家庭での教育