クラスの雰囲気について

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2012年 6月 20日 水曜日

 先日、あるクラスの授業を何度か続けて担当する機会があったのですが、そこで雰囲気作りの重要性を改めて感じるような出来事がありました。その内容はまた後日ご紹介させていただくとして、今回は「クラスの雰囲気」に関して思うところを少し書かせていただこうと思います。

 仕事柄、自分が授業を担当する場合も含め、色々な校舎で様々なタイプのクラスを見させてもらっていますが、どのクラスもそれぞれかなり特徴的です。校舎、学年、子ども達の性格など多くの要因で異なってきますから、クラス一つ一つの特徴はまさに千差万別。こうした違いがある中で、子どもの発言が多くて活気のある授業を作りあげていこうとすると、指導者側がこの「雰囲気」をある程度コントロールしていく必要があります。

 しかし、もしも授業中に子ども達が頻繁によそ見をしていたり、先生よりも他の友達ばかり気にしている姿が見られるような場合は、どれだけ活気があっても子ども達の意識は授業に向いていませんから、出てくる発言はいわゆる「無駄口」や悪ふざけなどが多くを占めています。結果、先生からの注意場面が多くなり、授業の進行は滞りがちで、思いとは逆に子どもの発言を制限せざるを得ない・・・という悪循環に陥ってしまいます。これでは、いくら先生が頑張って授業を進めても、そこから軌道修正して良い雰囲気を作り出すことはかなり困難です。

 反対に、同じように子どもの発言が多く賑やかな授業であっても、子ども達の意識が先生の方向にしっかり向いているクラスでは、子ども達も授業から大きく脱線することはありません。当然、先生は毎時間「ねらい」をもって授業を進めている訳ですから、子ども達が先生の言葉や動きをしっかり追えているのであれば、例え子ども達の口数が多くても、その内容は授業の内容に関係していることがほとんどなのです。
 また、このようなクラスの多くは、普段の先生の細やかな指導によって、友達の発表もきちんと聴くことができますし、発表態度や座る姿勢などの授業に参加する基本的な部分もしっかりできています。こうした環境であれば、自然と授業に集中できる空気や集団の一体感も芽生えていきますから、これまで見てきた塾や学校の明るい良好な雰囲気の授業は、楽しい仕掛けがあるだけではなく、こうした基本がきちんと押さえられていました。

 つまり、普段から継続的な先生の働きかけがあり、授業にきちんと参加するための基礎基本ができている下地があるからこそ、授業展開上の楽しく学ぶための工夫がより一層活かされ、授業に明るく良好な雰囲気を生み出す、ということになるのでしょう。

 ・・・と、色々と思うところを書かせていただきましたが、なかなか理想通りにいかないのも現実で、授業を担当した経験のある方なら大なり小なり苦労した経験をお持ちなのではないでしょうか?特に低学年の場合は、授業そのものを楽しくする工夫も当然求められますが、それ以外の要素によってその日のクラスの雰囲気が左右されるケースも少なくありません(「明日運動会がある!」「今度の連休は旅行に行く!」などでウキウキソワソワ・・・)。また、塾の場合は学校とは違い、どうしても授業時間以外の子ども達との触れ合いが限定されてしまいますから、雰囲気作りにも限られた時間での多くの努力と工夫が必要になります。

 もし今後授業を参観される機会がありましたら、こうした面にも目を向けていただければ、一つの授業にちりばめられた先生達の多くの工夫(もしくは苦労?)を垣間見ることができるかもしれませんね。

(butsuen)

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「週1回の通塾」について

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2012年 6月 13日 水曜日

 先日、友人達と会食する機会がありました。その中でお互いの子どもの教育に関する話題になり、その流れで私の仕事に関しても色々な意見をもらったのですが、友人の奥さんからは「授業は週に何回?週に1回なんて、塾に行く意味あるの?」という厳しい意見も出されました。「週1回だけのために毎月払う学費がもったいない」という、家計を預かる主婦としての率直な思いから出た言葉のようでしたが、かなり辛辣な意見・・・。

 たしかに、お母さんの立場から考えると、少し学費が高くなっても、より長く何度も塾に通った方が対費用効果が高いように思えるのかもしれませんし、第三者的な立場から見ればその意見もわからなくはありません。

 しかし、弊社低学年部門では、1週間のうち1日を通塾日、それ以外の日を家庭学習の日としています。さらに、子どもさんへのサポート方法や関わり方のポイントなどをまとめた「ホームスタディ・ガイド」をお配りし、保護者の方にも家庭学習の重要性についてご案内しているのですが、それには理由があるのです。

 以前も書かせていただきましたが、子どもの学習は、受験の結果だけで価値が決まるのではなく、子どもの成長に資するものであるべき、というのが弊社の考え方です。その点をふまえると、低学年においては、合格することだけを最優先に知識を詰め込むよりも、まずは塾と家庭が連携して、確固たる学びの基盤を築くことを念頭において進めていかなければなりません。そのためには、塾の授業は家庭学習と連動させるように設計する必要がありますし、塾からの働きかけだけではなく、ご家庭の協力も当然欠かせません。先述の「ホームスタディ・ガイド」で保護者の方に家庭学習の重要性をご説明させていただいていることのほか、お子さんと保護者の方で話し合った上で決めた「一週間のスケジュール表」をご提出いただいたり、ご家庭での指導内容を細かく解説した「ホームワークガイド」を毎週お渡ししたり、定期的に保護者対象イベントを開催していることなども、そうした取り組みの一環です。

 もしかすると、塾や学校の授業中にしっかり学んでいれば、家庭で机に向かう必要はないという意見をお持ちの方もおられるかもしれません。しかし、もしも週1回の授業だけで学習の全てをカバーしようとすると、限られた時間内にかなりの情報量をつめこむことで、教える側からの一方通行になる可能性が非常に高くなりますし、仮に1回あたりの時間や週の授業回数を増やすことによって時間を確保したとしても、授業のみで学ぶような形式では当然学習の主体は塾や学校に置かれる訳ですから、いずれにしても子どもの自主的な学びなど入る余地はなくなってしまいます。

 子どもの将来にとって大切なのは、学ぶことがいかに楽しいものなのかを自分自身が知ること、そして土台を固める時期である今のうちに学習の習慣を確立させることにあります。近視眼的にとらえれば、受動型の授業でも目前の成果をあげることは可能でしょうが、将来の大学進学や就職、そして何より学習への基本的な姿勢を築くことの重要性を考えた際、主体的に学ぶ授業と受身中心の授業のどちらで学んだ経験が有用であるかは言うまでもありません。

 このような内容を友人達にも話して、理解してもらえたように思っているのですが(たぶん・・・)、これを読まれた皆様はいかがお考えでしょうか?

(butsuen)

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「音をことばで」

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2012年 6月 6日 水曜日

 先日のジュニアスクール3年の国語では、「音をことばで(擬音語)」という授業を行いました。今回はこれに関係したお話をご紹介させていただこうと思います。

 今回擬音語を扱うということで、授業の事前準備をしながら思い出したのは、大学時代に学んだ内容でした。それは、国語の教科指導法に関する講義で出てきた「オノマトペ」という言葉です。これはフランス語で擬音語や擬態語を包括的に指した言葉なのですが、日本語にはこれが非常に多く存在していて、世界的に見てもこれだけ多くの種類を使って表現する言語は珍しいのだとか。日本語には音節が少ないため、「オノマトペ」は美しい日本語を話す上で欠かせないものであり、幼い頃から日常の中で身につけていくことが重要なのだ・・・と説かれていたような記憶があります(遠いおぼろげな記憶ですが・・・)。

 それから月日は流れ、自分が教材研究や教える側になってみると、子ども達がこれを身につけることの重要性について実感することが多々あります。擬音語や擬態語を使わなければ、身の回りに溢れている種々の音を表現することはできませんし、日本語の持つ良い意味での「あいまいさ」を表現したり、言葉にならない気持ちを表現する際にはこれらが非常に有用なものになります。例えば、もしも「バタバタ走って、キビキビやって、サッサと帰る」などと極端な言い方をしたとしても、擬音語や擬態語の持つ意味によって、何となく状況を想像できてしまいます。子ども達の国語力向上という面では、このような会話は良いものとはいえませんが、それほど日本語には「オノマトペ」が根付いているということの証でもあります。

 さて、前置きが長くなりましたが、今回の授業についてご紹介させていただこうと思います。
 まずは導入として、「かねが【  】鳴る」という文を板書し、「この【  】には、どんな言葉が入るかな?」などと投げかけて、みんなで一緒に考えました。事前の想定としては、『ゴーンと』『カーンと』『ボーンと』などがすぐに子どもから出てくるはず・・・だったのですが、予想に反して、「大晦日にお寺の鐘を撞いたことはあるけど・・・」と言いながら、なかなか意見が出てきません。あれこれ発表を促してはみたものの、「聞こえた音を言葉にするなんてできんよー」と、誰も発表しようとしません。

 そこで、私が教室を歩く足音や手を叩く音を聞かせ、「この音は『カンカン』かな?」と言うと、子ども達からは「おかしい!ロボットみたい」との返事。「じゃあ、『ドンドン』?『ボンボン』?」などとわざと的外れな表現をしながら誘導すると、「歩く音は『コツコツ』」「手を叩くと『パンパン』」といった、状況に相応しい擬音語が出てきました。その流れで「かねが鳴る音は?」と再度尋ねると、ようやく「『ドーンと』です」「僕は『ゴーンと』だと思います」などの意見が出てきて一安心。ということで、導入部分にかなりの時間を要してしまいました。

 この導入でのやりとりで、「最近の子ども達は擬音語や擬態語に馴染みが薄いのかなぁ」と思いましたが、その後は子ども達の理解が深まり、要領良く考えられるようになったことで課題にも順調に取り組むことができ、最後は難しい問題も解くことができました。もっと導入部分をわかりやすく工夫していれば、子ども達もスムーズに授業に入れたのではないかと反省しています。また、他校の同じ授業を行ったクラスでは、最初からいろいろな言葉が子ども達から続けざまに出てきて、その感性の豊かさに授業担当者も感心したとのこと。そうした報告を耳にして、指導する側の導き方次第で子ども達の反応に大きな違いが出ることを改めて痛感しました。

 ちなみに、最後に取り組んだ難易度の高い「チャレンジもんだい」の一つに、「『ガラガラ』が表す音を考えよう」という問題がありました。模範解答は、「窓を開ける音」「赤ちゃんのおもちゃの音」などだったのですが、子ども達から出てきたのは「先生がしゃべった時の音(声)!!」確かに『ガラガラ』声で、それも正解か・・・。導入に少し時間はかかったものの、子ども達はよく理解できていたようです。

(butsuen)

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「自信を持つ」って大切

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2012年 5月 30日 水曜日

 今回は、ジュニアスクール3年部の様子をお伝えしつつ、そこでのある出来事をご紹介しようと思います。 

 前半の算数は、「ふしぎなものさし」を使って長さや数の操作に関して勉強しました。この「ふしぎなものさし」は、通常のもののような細かい目盛りがなく、代わりに0・1・2・6・13cmの目盛りだけが並んだ「ものさし」です。これを手にした子ども達からは、「えーっ、普通のと違う。」「mmの目盛りがないよ。」などと一斉に声があがります。そして、あえて使い方の説明をしないまま、第1問「この『ふしぎなものさし』を使って4cmの直線を引いてみましょう」という問題に取り組みました。まずは何もヒントを与えない状態で、どうやったらこのものさしで長さを測れるのか、子ども達それぞれにしっかり考えてもらいます。しばらくみんなで一生懸命考え、あれこれ悩んだ結果出てきたのは、「2cmを二回測って、それをつなげれば4cmになります」という意見でした。「確かにそれでも4cmの直線が引けるね。でも、ものさしを動かさずに線を書く方法があるよ。」と、さらに考えを深めるよう促すと、「えーっ、そんなのできんよ。」「だいたいの位置じゃダメ?」などと口々に言いながら、またあれこれと考え始めました。

 さらに数分が経過した頃、「あっ!!」と声をあげて、一人の女の子が手を挙げました。そして、「2から6の目盛りまで線を引けば、6-2=4で4cmの直線が引けます。」と、満点の発表をしてくれたのです。クラスのみんなからは「おー!!」「あー、そっか!」と驚きの声があがりました。しかし、実はこの時、私も内心驚いていました。なぜなら、この発表をしてくれた女の子は、やや算数を苦手としていて、プリントを解き終えるまでにいつもクラスで一番時間が掛かり、普段は自ら進んで意見を発表する機会の少ない子だったからです。その子が、誰も解けなかった問題の答えにクラスの誰よりも早く気付き、しかもそれをみんなに向かってきちんと分かりやすく説明できたことに驚いたと同時に、とてもうれしい気持ちになりました。

 続いて、後半の国語は「声に出して読んでみよう!」という音読の授業でした。まずウォーミングアップとして短い文をみんなで音読した後、『これはのみのぴこ』(谷川俊太郎著)の音読に挑戦しました。これは、1ページ目より2ページ目、2ページ目より3ページ目・・・と、後ろにいくほど少しずつ長くなっていく構成になっているのですが、これをクラス全員で1ページずつリレー読みするというのが今回の課題で、それをクラスの記録としてタイム測定することにしました。もちろん、どれだけタイムを縮めようとして早く読んでも、姿勢を正して一音ずつはっきりと大きな声で、というルールは厳守しなければなりません。誰かと競争する訳ではないですが、結果がタイムという形ではっきり表れるので、みんなやる気満々です。

 ジュニア3年張り切ってリレー読みを何度か行いましたが、途中で読み間違えたり、焦って読み飛ばしてしまったりで、タイムはなかなか縮まりません。そうして授業の終了時刻が迫ってきたところで、最後は各自の立候補制で音読の順番を決め、タイムの更新に挑戦することにしました。すると、子ども達の希望は、文が短くてプレッシャーの少ない前半部分の順番に集中・・・。これを見て、心のうちで「これは、一番長い文を読むアンカー役は誰も立候補しないかな・・・」と思いながらも希望を聞いたところ、なんと算数で「ふしぎなものさし」の秘密に最初に気が付いた、あの女の子が自信に満ちた表情で「はい!!」と元気よく手を挙げたのです。そして、その最後のチャレンジで、見事に最高タイムを更新!みんなで「やったー!!」と喜び合いました。

 今回、非常によく頑張った女の子は、普段はもの静かで、引っ込み思案なところもある子なのですが、最初の算数の中でしっかり発表できたことによって、きっと大きな達成感を得られたのだと思います。そして、それが本人の中で自信につながり、プレッシャーのかかるアンカーへの立候補という形で表れたのではないでしょうか。低学年の授業では、毎回のように大小様々なドラマが起こるので、教える側としては感動を覚えるような機会も多々あります(もちろんうまくいくことばかりではないですが・・・)。1つの成功で達成感を得ることができ、それによって自信を持つことできれば、色んなことに積極的に取り組むことができるようになるというのは大人も子どもも同じ。ですが、発達段階の低学年や未就学児の子どもさんにあっては、たった一つの経験が劇的な変化となって表れることもあるのです。自信をもつことの重要性を、改めて感じることのできた授業になりました。

(butsuen)

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「家庭学習」を研究する塾?

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2012年 5月 23日 水曜日

 弊社の社名である「家庭学習研究社」という名称についてですが、これまでに何度か「そちらは、普通の塾ですか?」と質問されたことがあります。先日も、中学受験に関わりのない知人から「何の家庭教師?」と言われ、驚いたことがありました。確かに、「塾なのに家庭学習を研究する?矛盾しているのでは?」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。

 弊社には、合格できる学力を保証するのは当然のこととして、子どもの学習は、受験が全てではなく、子どもの成長に資するものであるべきという考えがあります。これを低学年の学習に照らしあわせてみると、その根本にあるべきは塾や学校の授業ではなく、充実した家庭学習である、といえるのではないでしょうか。なぜなら、発達段階にある低学年にあっては、授業で知識を身につけることも大切ですが、それ以前に主体的に学ぶことの楽しさを知ることや正しい形で学習習慣を身につけることの方がより重要であり、そしてその学習習慣の基盤になるのは、やはり生活の中心である家庭での学習だといえるからです。
 まだ家庭での学習習慣が確立していない段階から、いくら塾や学校で難解な内容を学んだとしても、それらを本当の意味での学力として定着させることは非常に困難です。しかし、だからといって、問題集を積んで「お家でたっぷり勉強しようね。」と言ったところで、まだ幼い子どもさんにとっては、無理に机に向かうよりも好きなことをして遊ぶ方が楽しいに決まっていますから、おそらくうまくいかないでしょう。ですから、家庭で勉強に取り組むための動機付けや理解を助ける知識の土台形成として、塾の授業で楽しく主体的に学んだ経験を家庭に持ち帰ることに大きな意味があるのではないかと考えています。つまり、塾での授業が家庭学習のペースメーカーとなり、指針を示す役割を担うことで、「授業で学ぶ→家に帰って復習・宿題に取り組む→家庭学習(宿題)の内容を授業で確認・新たな単元を学ぶ→家に帰って・・・」という、家庭学習をベースとした塾と家庭が連動する一連の学習サイクルを確立させられれば理想的であるといえます。

 これから学習基盤を築く段階にある低学年にあっては、この時期にどのような経験をし、どのような姿勢で勉強に取り組むかによって、高学年や中学校進学以降の学習が方向付けられるといっても過言でありません。毎日を過ごす家庭での学習が、非常に大きな割合を占めるものになるからこそ、弊社の低学年部門では、学習意欲を喚起して家庭学習の動機付けにもつながる「楽しく学ぶ」工夫を随所に取り入れています。その楽しさと結びついた学習体験をもとに、保護者から働きかけを受けながら家庭での学習を毎日継続していくことによって、基本的な学ぶ姿勢が築かれていくと考えているのです。

 冒頭のような質問に対しては、必要であれば「家庭学習研究社はこんな塾ですよ(=怪しい会社ではありませんよ)」と、先述のような考えとともに話すようにしています。塾の立場から家庭学習を考えるということは、決して矛盾している訳ではなく、切り離しては考えられないものなのですね。

(butsuen)

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