2009 年 6 月 のアーカイブ

子どもの「学習意欲」を高める妙案はあるの?

2009 年 6 月 15 日 月曜日

 前回は、「学習意欲」と「学習習慣」とでは、どちらが先にくるべきものかということについて考察してみました。そして、「習慣づけを通して意欲が高まるのだ」という、大阪大学の志水宏吉先生の説をご紹介しました。

 ただし、学習習慣は子どもだけではなかなか身につきません。ですから、親の影響力が強い小学生のうちに定着させておくのが望ましいと言えるでしょう。思春期に至ると、子どもは勉強以外の様々な楽しみを知り、友人との交流も活発化するなど、自分の世界をもつようになります。そうなると、親の話に耳を傾けてくれなくなります。

 さて、今度は「学習意欲」についての話題に移ります。学習意欲と学習習慣の連動性については、すでに確認しました。学習習慣を定着させていけば、おのずとそれに伴って勉強の面白みもわかってくるという話に、納得された方も多いのではないでしょうか。

 ただし、ものごとの習慣づけ自体がそう簡単ではありません(とくに、「学習の習慣づけ」はどのご家庭も苦労されていることです)。学習の習慣づけを図りながらも、学習意欲の向上につながる他の手だてについても考える必要はあるでしょう。

 私たち家庭学習研究社が、「学習意欲」の向上策として大切にしていること。それは、子どもたちに「勉強の面白さ、奥深さにふれる体験を数多く提供するということです。「勉強とは面白いものだ」という実感こそが、「もっと知りたい!」「もっと学びたい!」という意欲を駆り立ててくれるからです。こういった体験は、「学習習慣」との連動性を高める相乗効果も生み出すでしょう。

 学習課題について考えるとき、子どものほとんどは「これは受験のためにやるのだから、丸さえもらえればいい」とは思っていません。「何とかして課題の攻略法を見つけよう」と、必死になって考えます。そうして、課題の突破口を見つけたなら、もう有頂天になるほど喜びます。これこそが勉強の面白さではないでしょうか。

 ただし、勉強の面白さを実感するには、難しすぎる課題や易しすぎる課題を与えたのではいけません。子どもが既習内容を運用し、必死になって考えれば必ず解決の突破口が見つかるような課題が適当です。

 また、いちばん大切な着眼の部分を、大人に教えられたのでは子どもは喜びません。上手に、子どもたちが解決の糸口を見つけられるよう導いていく必要があります。そうすれば、どの子どもも教えられるよりも自分で解くことにこだわる積極的な学習姿勢を身につけていきます。

 さて、前述の志水先生は「学習意欲」について、次のようにも述べておられます。

「『意欲』なるものは、個人のなかからわきあがってくる場合もあるだろうが、多くの場合他者との関わりのなかで育ってくるということである。食べ慣れない食べ物に手をつけるのは、親や仲間がそれをおいしそうに食べるからである。むずかしい問題にチャレンジしようとするのは、先生がほめてくれたり、競い合うライバルが存在したりするからである」

 勉強は、基本としては一人ですべきものです。しかしながら、社会的動物である人間は、他者との結びつきのなかで刺激をもらい、「やってみよう!」と意欲を燃やします。とくに子どもは、手本を見てそれを真似、自分のものにしていきます(モニタリング)。その意味において、子どもの前向きな姿勢を引き出す適切な環境を与えることも有効だと言えるでしょう。

 言うまでもありませんが、学習塾は子どもたちにとっての「学習環境」です。私たち自身たくさん見てきたことですが、みんなの手本になるような優れた学習姿勢を携えたお子さんがいれば、周囲が大変な刺激を受け、周囲のみんながすばらしい取り組みを発揮するようになるものです。

 学習環境としての学習塾の役割を認識し、子どもの意欲溢れる取り組みを引き出す風土を醸成していきたいものだと改めて痛感する次第です。

 

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「意欲」が先か、「習慣」が先か。

2009 年 6 月 12 日 金曜日

 あるとき、たくさんのおかあさんが参加された催しの席上で、「学習習慣」と「学習意欲」のうち、お子さんの学力形成においてまずもって必要だと思うのはどちらだと思われるかを尋ね、挙手をしていただいたことがあります。

 結果を言いますと、挙手は両者ほぼ半分ずつに分かれました。実は、同じような試みを何度かしたのですが、結果は毎回ほぼ同じでした。学習習慣と学習意欲。この二つは、学力形成においてどちらも欠かせない重要なものです。「どちらが、重要だと思いますか」と言われると、ほとんどの人は困るのではないでしょうか。

 この質問のミソは、「まずもって重要だと思うのはどちらか」という点にあります。つまり、重要性の高低ではなく、順序を尋ねているわけです。この点に関して、おかあさんがたがどのように考えておられるかを知りたくて質問してみたのです。

 この質問に対して、明快な答えを提示されておられる大学の先生がおられます。教育社会学者の志水宏吉先生(大阪大学大学院教授)です。志水先生によると、先ほどの質問の答えは、「学習習慣」だそうです。以下は、近年喧伝される日本の子どもの「学力の低下問題」と、「学習習慣」「学習意欲」との関連について、志水先生が著書で述べておられたことを引用したものです。

 (前の部分は省略)近年の論調では、「子どもたちの学習意欲の低下こそ最大の問題である」と語られることが多い。「子どもたちの意欲を高める働きかけこそが、教師が考えなければならないポイントである」と主張されることも多い。しかしながら私は、こうした意見には反対である。学力問題の核心は、「子どもたちの意欲をどう高めるか」という「意識」の問題などでは決してなく、「子どもたちの習慣づけをどう図るか」という「行動」レベルの問題であると考えるからである。

 もともと勉強がきらいだという子がいないのと同様に、生まれつき学習意欲が低いという子どももおそらく存在しない。逆に、世の中のすべての事柄に対して意欲をもっている人間というのも考えにくい。「意欲」というものは個人に内在するものではなくて、環境との関わりで生じるものである。

 志水先生は、「習慣が先である」ということの根拠を、「食習慣」を例に説明しておられました。たとえば、日本人の食卓になじみの深い「納豆」や「みそ汁」「なまこ」などを思い浮かべてみましょう。これらを食する習慣をもたない外国の人々にとっては、「気味の悪いもの」であり、中には「食べ物には見えない」と言う人だっているかもしれません。

 しかしながら、子どものころからこれらを食べる習慣を身につけていた日本人の多くにとって、食卓に欠かせないものです。「納豆やみそ汁のにおいがしただけでのどがゴクリと鳴る」と言う人さえいます。これは、食習慣が食欲を生んだ結果にほかなりません。

 志水先生はさらに、「難しい数学の問題も、それと格闘をし、答えにたどり着いたときの喜びを知っている中・高校生にとっては意欲の対象になるが、数学が大嫌いになってしまっている中・高校生にとっては、忌避の対象に過ぎない」と述べておられます。

 このことを踏まえるなら、子どもの学力形成においては、まず「『習慣づけ』をいかにして図るか」ということを考える必要がありそうですね。学習の習慣が根づけば、毎日一定の時間子どもは机に向かって勉強をするようになります。勉強を継続的にやっていれば、自ずとその面白みもわかってくるはずです。そうやっているうちに、「習慣」と「意欲」は互いに連携して子どもの学習の推進力となり、学力の伸長に大いに寄与することでしょう。

 約40日間ある夏休みは、学習の計画を立て、毎日一定の時間机に向かって勉強する習慣をつける絶好の機会です。無理な計画を立てず、リズムよく勉強していく流れをつくっていけば、やがては「やらずにはいられない」という強固な習慣になっていきます。そうなると、机に向かうときの重たい決意は必要なくなり、体が勝手に机に向かって動くようになるものです。

 確かな学習習慣は、「計画」に基づいた生活あってこそ身につきます。勉強面のみならず、毎日の行動が行き当たりばったりにならないよう、この夏休みをきっかけに、生活全般から見直してみてはいかがでしょうか。

 

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“しつけ”という言葉のもつ深い意味

2009 年 6 月 11 日 木曜日

 今回は、躾(しつけ)という言葉について考察してみます。ご存知かもしれませんが、「躾」は、中国から伝えられた漢字ではなく、日本で考案された漢字であり、いわゆる「国字」と呼ばれるものです。峠、凪(なぎ)、働、畑、辻などもこれらの仲間だと言われています。

 この「躾」という漢字を分解すると、「身」と「美」になり、「身だしなみを美しくする」と解釈できます。「なるほど、よくできたとても素晴らしい漢字だ」と、思われるかもしれませんね。実際、文化人などがそういう感想を書物に書いているのを目にしたことがあります。

 岡本夏木先生(元京都大学・京都女子大学教授)は、幼児の言葉の発達の研究者として知られています。ご高齢になられましたが、今なお先生の著作の数々はいささかも説得力を失っておらず、言葉の発達に関心をもつ多くの人々に読まれています。

 その岡本先生の著作に、「しつけ」について書かれている興味深い文章がありました。「しつけ」という言葉は、もともと「着物を仕付ける」ということに結びついて成り立ってきた言葉であることを受け、「しつけ」という言葉の本質について言及されたものでした。幼児や小学生をもつおかあさん方に参考にしていただける話だと思いますので、ご紹介してみましょう。

 先生は、「『躾』という字がもたらす意味よりも、この『着物の仕付け』を背景とする意味のほうが、子どもをしつける過程の本質をよく表しているのではないか」と述べておられます。ご存知のように、「仕付け」とは、着物の形が整うよう、仮に縫いつけておくことを言いますが、そこで大切なことは、着物がやがて縫いあがると、仕付けの糸がはずされるということです。着物の完成をもって、もはや仕付けの糸はそこにあってはいけないものになるのです。

 以下は、岡本先生の著述からの引用です。

 (省略)五歳から七歳の子どもたちは、いよいよしつけ糸をはずしはじめる年齢にあたります。それまでは親が外側から枠組みを与えて、子どもに行為や生活習慣をかたちづくらせていたのですが、いよいよその枠をはずして、子どもが自分の力でみずからの行為や生活習慣を生み出しはじめる時期に入っていきます。

 しつけ糸をはずすことは、いうまでもなく、子どもを本人の自律にゆだねることです。しつけとは、もともと自律に向けてのしつけなのです。外からの強制によって社会のきまりをあてがうことよりも、むしろそうした外的強制をとりはずすことをめざすものです。しつけが不要になるようにしつける、といってよいかもしれません。

 このようにのべてきますと、私のいう「しつけ」は、読者の方々が一般に「しつけ」ということばから受けとっている意味とかなり違っているといわれるかもしれません。ふつうには、「しっかりと」とか「きちっと」「きびしく」することこそがしつけの第一の目的におかれるのではないでしょうか。それに対して、私のここでいっている「しつけ」は、そういう外からの規制をとりはずして、不要なものにしてゆくことこそ、しつけのねらいなのだと言っているのですから。とまどいを与えるようで申しわけないのですが、しつけの中で、そのねらいが見落とされていたら、それはけっきょく外見だけのしつけ、子ども不在のしつけに終わってしまうと思うのです。

 子育てにおいて、私たちはいつのまにか肝心なことを忘れがちです。「しつけとは、やがてそれがはずされるものであるという前提に立って行われるべきものだ」ということもその一つかもしれません。この前提に立ってしつけにあたっているかどうかが、子どもにとって大切な自律と深く関わっているのだという指摘は、とても的を射たものであると思います。

※岡本夏木先生は、2009年にお亡くなりになりました。

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夏期講座の申込受付を開始しました

2009 年 6 月 9 日 火曜日

 6月8日(月)より、夏休みの講座の申込受付を開始しました。

 4年生は、夏休みの講座に限り、「会員選抜試験」をお受けにならなくても受講していただくことが可能です。「まだ受験勉強を始めるかどうか、ふんぎりがつかない」「家庭学習研究社がどういう塾か、わが子に合っているかどうかを、まずは確かめたい」――こんなふうに思っておられるおとうさんおかあさんは、是非この夏休みの講座への参加をご検討いただきたいと思います。「試験を受けて受かったら通学できる」という制度では、敷居を高く感じるかたもおありでしょう。「とりあえず、夏休みの講座で学んでみて、どんな塾か、わが子ががんばれるかどうか」といった視点から、“お試し”的に参加されるご家庭も大歓迎です。

 なお、弊社には「ジュニアスクール」という、小学校1~3年生を指導対象とする部門があります。例年、夏の講座には多数の低学年児童が参加しておられます。指導日数も、1・2年生が6日間、3年生が9日間と、お子さんの負担と見込める成果とのバランスを考慮したものとなっております。上の学年のきょうだいが通われる場合、ジュニアスクールに通われるお子さんは3割引となっております。興味をおもちになったなら、是非通ってみていただけたらと思います。

 講座の日程や内容、お申し込みなどについては、お手数ですがトップページからご確認いただきますようお願い申し上げます。

 ところで、この夏休みの講座からお子さんが弊社の教室に通われるご家庭には、三つの成果をまずもって見通していただくことをご提案しています。無論、受験勉強をするわけですから、「学力をつける」ために学ぶのは言うまでもありません。しかしながら、闇雲に勉強してもやっただけの成果が上がりません。勉強が効率的に行われ、やっただけの成果が保障されるような勉強の態勢づくりをしておくことが肝要です。

 その“態勢づくり”とは、どういうものでしょうか。私たちがご提案しているのは、「学習習慣」「学習意欲」「学習方法」の三つをしっかりと固めることです。この三つは、学習を円滑に進め、最大の効果が得られるようになるために欠かせない要素です。

 夏の講座・夏休みの講座の会員募集にあたって、3回案内チラシを折り込む予定ですが、各チラシのメイン記事は、この三つの要素の大切さについて書いたものです。このブログにおいても、今後「学習習慣」「学習意欲」「学習方法」の三つについてご説明してまいりますので、よろしければ読んでみてください。 

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おとうさんの役割とは

2009 年 6 月 8 日 月曜日

 以前、わが国の家庭では、子どもの躾・教育の大半をおかあさんが引き受けておられることを書きました。子育ては本来両親でするものですが、どうもわが国ではおとうさんの影が薄いようです。

 ただし、新しい傾向もあります。弊社の小学校低学年部門“ジュニアスクール”の催しでは、夫婦一緒に来られた家庭がかなりありました。“子育ては夫婦共同で”というアメリカ的な動きもあるのでしょうか。それとも、催しが土曜日だったため、おとうさんが参加しやすかったのでしょうか。

 ところで、あるカウンセラーの先生が「思春期の子育てにおける父親の役割」という内容で、いくつかの指針を示しておられました。子どもをもつすべての家庭に参考になる指摘ですので、かいつまんでご紹介してみます。

父親の役割とは

1.おかあさんのサポート

 子どもの日常に向かい合い、一番苦労しているのは母親です。その母親の話をしっかりと聞いてあげること、そして、苦労をねぎらってあげることは父親の重要な役割です。「大変だったね」「おかげで助かったよ、ありがとう」と伝える。それだけで母親は、随分楽になります。

2.母親の呪縛(じゅばく)から救い出す

 子どもにとって、母親は強い吸引力をもちます。特に、男の子の場合にそれは顕著です。母親も子どもも、互いを所有物のように思うところから問題が生じることがあります。父親が、両者の強すぎる関係の緩衝剤的な役割を果たすことも大切です。

3.社会への入り口

 父親は、社会に一番近いところにいる存在です。ですから、子どもは父親を通じて社会を見ることができます。父親に認められ、受け入れられている、と感じた子どもは、社会からも認められ、受け入れられている、と感じます。子どもが自立を始めたとき、心の中はまだ不安でいっぱいです。そういうときに一言、「大丈夫、おまえならできる」と後ろを押してやってほしいのです。

4.社会のルールを教える

 子どもはまだ世の中のルールも知らず、何でも許されると思っています。社会に出て、いろいろな人と出会い、少しずつ世の中のルールを学んでいくのですが、子どもはいったん走り出すと止まらないことが多いものです。そんなときに適切にブレーキをかけ、ルールを無視するとそれなりの報いのあることを教えるのも父親の大切な役割です。

5.ジョークを言う

 母親はいつも家事や仕事に追われているので、なかなか余裕がありません。そんなときに、ちょっとしたジョークを言うのも父親の役割かもしれません。たいてい、「さむーっ」とか「ひでえ、オヤジギャグ」とか言われるのがおちですが、それが家の雰囲気を和ませてくれます。ユーモアのセンスをもつことは、人付き合いでも大切です。

 1は、すでに筆者も指摘したことがあります。子育ては、おかあさん一人に押しつけるべきものではありません。随分前のことですが、「息子がバカなのは、おまえがバカだからだ」と言われ、影で泣いておられたおかあさんがいらっしゃいました。失礼ながら、「愚かなおとうさんだ」と思いました。おかあさんをサポートするどころか、おかあさんを打ちのめすような言葉を浴びせて、よくなることなど一つもありません。

 2は、これを書いたカウンセラーの先生が「おかあさんたちからきついバッシングに遭いそうですが」と断りを入れておられました。男の子に対して、おかあさんは特別な「思い入れ」をもつものです。そのあまり、子どものやること為すことに干渉したり命令したりする傾向があるようです。それが高じて、互いに親離れ子離れができなくなってしまうというようなことをよく耳にします。

 3・4は、古くから言われている父親の役割です。近年は共働きの家庭が多く、一概におとうさんの役割とは言えなくなりつつありますが、基本としては今も変わらないと思います。

 5は、家庭におけるユーモアの大切さを指摘されたものでしょう。ユーモアは、潤滑剤のような働きをしてくれます。ぎすぎすしていた心を和ませてくれます。おかあさんが家庭で忙しくしているときには、ついつい余裕を失うこともあるでしょう。そんなとき、おとうさんのさりげない配慮があると、家庭の雰囲気が一瞬にして活気づくのではないでしょうか。

 言うまでもないことですが、近年はおかあさん一人でお子さんを育てておられる家庭がかなりあります。このカウンセラーの先生も、「“父親的”な親の役割という意味に解釈してください。この役割は、他の人が果たすこともできます」と述べておられました。要は「バランスをとりながら育てましょう」ということなのでしょう。

※上記の1~5は、紙面の都合で原文を変えたり、短くつづめたりしてしています。

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