2012 年 4 月 のアーカイブ

努力は人を裏切らない

2012 年 4 月 30 日 月曜日

 学力がどれぐらい身についたかを知るには、テストがいちばん有効です。受験生の子どもたちは、そこで得た成績やデータを参考に現在の学力状況を知り、必要な修正を図りながら次のテストに備えていきます。その意味において、進学塾にとってテストは欠かせないものです。

 しかしながら、数字とはこわいものです。お子さんには、「テストの結果は、あくまでその時点での学力を数値化したものだ。また、そのときの努力によって随分変わっていくものだ。決して、能力を示すものではないんだよ」とお伝えしていますが、必ずしも徹底できません。

 成績が伴えば、テストでの成績やデータは励みになります。その一方、低迷が続くと「努力、理解の度合いを測る資料」としての意味が薄れ、励みや奮起の材料にならないばかりか、子どもの有能感を喪失させるものになりかねません。

 初めの頃は楽しそうに教室に通っていたお子さんが、段々と自信を失い、「どうせ私は頭が悪いから」などとつぶやき始めることがあります。こうなると、悪循環に陥る可能性も出てきますから、とても心配になってきます。

 希望を失わずに、努力を継続していれば、どのお子さんもいずれかの中学校の入試に通用するぐらいの学力を身につけることはできるのです。今の子どもたちは、心血を注いで(ちょっと古い表現ですが)努力するのが苦手です。弊社では、無闇と難しい課題に取り組ませるのではなく、基礎・基本を重視した学習を大切にし、できる限り無理のない学習で入試合格が得られるよう配慮しています。それでも、なし崩し的にやる気を失っていくケースがあります。

 保護者のかたには、「努力は決して裏切ることはないんだよ」とお子さんを励まし、不断の努力を奨励していただくようお願いいたします。大切なのは、一歩ずつの進歩です。努力さえ怠らなければ、それは誰にでも実現できることなのです。

 ときには、保護者自身が「うちの子は能力が足りないのでは」とおっしゃる場合があります。何事もうまく行かないと、とかく能力に対して懐疑的な気持ちが湧いてくるものです。しかし、このような受け止めかたをすべきではありません。建設的な方向へお子さんを導くことは、決してないからです。

 人間のもつ能力と可能性について、遺伝子の研究で名高い学者は次のように述べておられます。

 いろいろなところで講演をすると、そのあとで「私の頭が悪いのは治らないのでしょうか」というような妙な電話がかかってくることがあるんですよ。そういうときは、「遺伝子が決めていること以上のことはできません」と言います。 (中 略)

 ただし、遺伝子が決めている範囲をすべて使っているかというと、実はほとんど使っていないと思うんですよ。僕だって、もし優れた指導者に出会えば、全然違う才能を発揮して、俳句のお師匠さんか何かになっていたかもしれません。そういう才能を発揮するような環境にいなければ、その才能があることも知らずに死んでいくわけです。アフリカの飢餓地帯にだって、アインシュタインに相当するような人は、長い間には必ず一定の確率で出てきます。でも、その人はそれに気づかずに死んでいく。

 自分が遺伝的にもらった才能というものは、自分が思っているよりもはるかに広い。それを開拓するのが、学習するということです。たとえば、勉強するとか、体験するとか、教育を受けるとかすることなのです。だから、遺伝子で決まっている範囲を超えられないからといって、悲観する必要は全然ない。

 それでも食い下がる人には、「あなたは今までに、せっかく与えられた自分の才能の1%しか使っていない。もう1%使ってごらんなさい。あなたの才能は二倍になります」と言います。すると、皆安心して電話を切ります。これは冗談みたいですが、真実に近いと思います。

 いかがでしょう。「人間は生まれもった能力の10%も活用していない」などといった趣旨の著述を目にしたこともありますが、これは脳科学に通暁した学者に共通して見られる見解です。

 そのことを信じるか、信じないかは人それぞれでしょう。しかし、「どうせ自分は才能に恵まれない」という結論を引き出したところで、何の益もないことは先程も述べたとおりです。埋もれかねない才能を開花させ、前向きな人生につなげるための架け橋。それが努力ではないでしょうか。

 かつて勤勉は日本人の美徳であった。武士道の数々の徳目を次世代に受け渡すための器となったのも、江戸の高度な職人文化を作り上げたのも、あるいは明治初期における急速な近代化や昭和における奇跡的な戦後復興、高度経済成長を可能ならしめたのも、これすべて日本人が連綿と受け継いできた勤勉の精神にほかならない。たゆまぬ努力こそが成功の鍵であるという教訓は、遺伝子情報のごとく我々の体内に組み込まれている。

 上記は、「努力論」(ちくま新書672)という本の巻頭の一節です。「わが子に努力の重要性を語ってやりたい」と願うものの、「よい語り聞かせの切り口はないものか」と思案しておられるご家庭は、一度読んでみてはいかがでしょうか。歴史に残る数々の偉人が、いかに努力の人であったかを思い知らされる本です。読み物としても楽しめます(おとうさんにお勧めです)。きっと参考になると思います。

<次の更新は5月14日(月)になります。ご了承ください。>

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カテゴリー: 子育てについて, 家庭での教育

中学受験生に必要な勉強って?

2012 年 4 月 23 日 月曜日

 会員家庭には、今さらお伝えする必要のないことですが、弊社では2週間をひとまとまりとした単元でカリキュラムを組み、2週目の週末土曜日には「マナビーテスト」という、まとめの単元テストを実施しています。

 テストの翌週になると、多くのお子さんはテスト結果を早く知りたいらしく、目をキラキラさせて、授業担当者に「テスト、どうだった?」と尋ねてきます。無論、みんながよい点や順位をとりたいわけですから、うれしい結果が待っているとは限りません。それでも、やはり結果が気になってしようがないのです(確かに、この繰り返しで学力が伸びていくのですが)。

 なかには、「これでいいのかな?」と首を傾げるくらい、成績に執着するお子さんもいます。「ボク、算数何点? 国語は? 理科と社会の結果も教えて! 総合順位は何番?」――こういった調子で、矢継ぎ早にテスト結果のことばかり聞いてくる男の子がいました。実際の成績はというと、これがたいしたもので、総合順位は6年生男子のなかで常にベスト10以内にいました。よいときは1位、2位などにもなるほどの優秀なお子さんでした。

 しかし、あまりに成績に執着心が強いため、「もう成績ばかり気にするのは、いい加減にしたらどうか!」と、一喝してやりたくなることも度々あったことを思い出します。

 このような話をお伝えすると、「うらやましい。うちの子が、もうちょっとそのような闘志というか、成績に対するこだわりをもってくれたらよいのに」と思われる保護者もおられるかも知れませんね。

 しかしながらそれも程度問題です。こうした調子で「点数と順位が命!」とばかりに競争に没頭するような勉強をしている子どもは、やがて行き詰まるのではないでしょうか。

 中学・高校までは身近な入試という目標があるし、クラス順位や学年順位などを励みに勉強できるでしょう。しかし、大学、社会人といった段階になると、こうした単純な図式での励みを糧にがんばることはできなくなります。

 あるとき、「中学受験指南書」の類の書物を手にしたところ、著者の過去の経歴や思い出が書かれた場面があり、興味深く読んだことがあります。その本によると、著者はかつて全国有数の中・高一貫校に通い、さらには東大に進学したそうです。

 その人の中学受験時代は、まさに先ほど筆者が紹介した「点数と順位が命」といったように、競争が好きで、よい点と順位をとることに没頭する毎日だったそうです。しかし、本人は全く辛くないのです。よく言うところの「ゲーム感覚」のノリでしょうか。点数をあげることが楽しく、しかもやったらやっただけ成績もあがるような頭のよい子どもだったのでしょう。だからでしょうか。「当時は、勉強をするほんとうの理由を考えたことはなかった」と述べていました。

 勉強の目的、それは今学んでいるそのことのなかにあるものだと言われます。目の前にある不思議や解決したいこと。それを明らかにすること自体が勉強の目的なのです。受験勉強とは言え、小学生の勉強ですから、ここのところは同じではないでしょうか。

 子ども時代は、その知ろうという欲求を満たしていく経験を繰り返すことが重要だと思います。成長につれて「何を自分はしたいか」「何になりたいのか」というふうに、知的欲求が社会化することによって進路が方向づけられていくのが理想であろうと思います。

 その意味において、やはり順位や成績ばかりを追い求める勉強を子どもたちにはさせたくないと筆者は思います。では、どういう勉強の姿勢が望ましいのでしょうか。これが今日の本題です。

 筆者がかつて指導を担当したなかにも、東大に進学するような優秀な子どもたちがたくさんいました。そういう子どもの受験生時代を思い出してみると、テストへの関わりかたが、今受験勉強をしている子どもたちの手本になるようなものがあります。

 たとえば、間違えた問題を全てチェックし、なぜ間違えたのかを一つひとつ分析する子どもがいました。ミスをすると、どの子どもも悔しがるのはおなじですが、後の対応はまちまちです。同じミスをしないためには、「自分はどういう間違いをしたのか。原因はどこにあったか」をしっかりと掌握して次に臨む子どもがミスを繰り返さない子どもです。

 また、できなかった問題のうち、理解不足が原因であるとわかると、何度も繰り返してやり直すタイプの子どもも、高いレベルへと学力を伸ばす子どもです。

 わからなかった問題を質問で理解することはとても大切なことですが、答え方のコツやヒントをもらおうとする子どもより、考え方を納得がいくまで理解しようとする子どものほうが伸びるものです。テストの点か、それとも理解か。理解を重んじるタイプのほうが伸びるのは道理です。

 今例に挙げた子どもたちも、テストの成績をあげたいのはみな同じだったでしょう。しかし、勉強本来のよさにふれる何らかのものをもっていたという点が違うのです。

 落ち着いて自己点検をしている子どもより、ミスをしてもあっけらかんとしている子どものほうが、かわいらしく見えるものです。しかしながら、受験のために塾に来ている以上、自分の取り組みを客観的に捉えようとする姿勢をもち、またそれができる人間へと成長してくれなければなりません。

 自分の認知状態を客観視するもう一人の自分をもつ。それをメタ認知的思考と言いますが、一流の中学受験生は、いち早くこのメタ認知思考を携えています。子どもたちには、今から一歩ずつその域をめざしてがんばっていただきたいと思います。

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カテゴリー: アドバイス, 中学受験, 勉強について, 勉強の仕方, 家庭での教育

中学進学後を見通した受験生活を

2012 年 4 月 16 日 月曜日

 2012年度の4年部講座が開講して、一月半近くが経過しました。一昨日は第3回目のマナビーテストが実施されましたが、お子さんの手応えはどうだったでしょうか。

 初回、二回目と、すばらしい成績をあげたお子さんもおられるようです。この調子でがんばれば、大変な学力の持ち主になれることでしょう。

 残念な成績のお子さんもおられますが、焦らないでください。毎回のテストはあくまで勉強の一環です。成績で一喜一憂するのではなく、テストの答案用紙をよく点検し、その中から現在の取り組みの問題点や課題を見つけ、次のテストに向けて修正することを心がけていただきたいと存じます。

 そうやって、勉強を自分の力で押し進めていく姿勢を培うことが先決です。それがうまく行くようになったなら、成績は自ずと努力に応じて上がってくるものです。

 また、4年生は言うに及ばず、5年生や6年生ですらテストの答案を見るとミスが多いものです。それが小学生の受験勉強の現実です。5、6年生ともなれば、自分のミスに歯がゆい思いをし、次は何とかしようとがんばります。それでもなくならないのがミスです。

 しかしながら、そういう努力がやがてミスの減少に繋がります。そして、このもどかしい体験が中学生になってから生きてきます。繰り返しますが、親は焦らないことです。テストが返却されたら、「ミスがあるんじゃないかな? チェックしてみてごらん」と励ましてあげてください。親は勉強の内容を教える必要はありません。

 今は、お子さんが2週間ごとの単元の学習と、その成果を競い合うマナビーテストの流れを理解し、弊社に通いながらの受験生活になじむことが重要です。そして、お子さん自身の受験生活を確立することが最も重要なことです。

 ご家庭におかれては、スケジュールに沿った家庭学習の実現、テストに備えたおさらい、テスト後の点検(見直しやり直し)を、お子さんが自分でできるようになるまで、継続的に見守り励ましていただくようお願いいたします。

 ある年、4年部の最初のテスト結果を知ったおかあさんが、血相を変えて相談に来られました。「うちの子は、かなりできる方だと思っていたのに、とんでもない成績でした。こんな成績じゃ、どこも受かりません。私が毎日勉強を教えますから、教えかたを教えてください」とおっしゃいました。

 筆者は、「そういうことをすべきではありません」とお伝えしたのですが、おかあさんの気持ちを変えることはできませんでした。その後、おとうさんの夕食もそっちのけで必死になってお子さんの勉強を見られた(それがもとで、夫婦喧嘩が絶えなくなったという報告を受けました)そうですが、お子さんの成績が浮上することはありませんでした。

 せめてお子さんにやる気があればよかったのですが、おかあさんの猛特訓で疲れ果てていたのか、授業を聴けるのは10分ぐらいが限界で、顔を机の上に伏せてボーッとするばかりでした。

 仮に、そのお子さんがおかあさんの猛特訓の成果で受かったとしても、決してお子さんにとってよいことにはならなかったでしょう。大人が無理やりやらせる勉強は、子どもの人間としての自立の機会を奪ってしまうからです。

 私たちが、小学生なりの「自学自習」を応援している理由もそこにあります。中学校入学後、子どもたちは基本的に自分で勉強をする姿勢をもった人間として扱われます。決して手取り足取り教えるべき対象とはみなされません。先生が出された指示に基づき、自分で勉強を管理しながら学力を伸ばしていくことが求められます。

 そのことを見通したうえで、受験勉強はなされるべきではないでしょうか。それでこそ、子どもたちは中学進学後も迷うことなく勉強に打ち込むことができるのですから。

 ところが、中学受験までの助走では逆向きのことが行われがちです。小学生の子どもは、まだ自己管理のもとで勉強を進める姿勢が十分育っていません。そこで、ともすれば大人は指示や命令で勉強をやらせることになりがちです。

 「とりあえず合格することが先決。後のことは受かってから何とかなるだろう」――こういった言い方をする保護者がおられますが、一旦染みついた姿勢を改めるのは簡単ではありません。受身の勉強を染みつかせるぐらいなら、受験させないほうがよほど子どものためだと言ってもよいほどです。

 自立した勉強の姿勢を築いた子どもは、何ごとにつけても主体性があります。このことが、今とても重要なことだと社会でも認識されています。人間として自立し損なったのでは、学力秀才になっても世間では通用しません。

 まだまだ受験までには十分な時間があります。お子さんの勉強の自立に向けて、じっくりと足固めをしていきましょう。これは、5、6年生についても基本的には同じです。大人が業を煮やして力ずくでやらせる勉強には、何ほどの意義も生まれません。親にすればもどかしい限りですが、お子さんが一歩ずつでも自立した勉強に近づけるよう、温かく辛抱強く励ましてあげてください。

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カテゴリー: 中学受験, 勉強について, 家庭での教育, 家庭学習研究社の特徴

授業で習得してほしい知識とは

2012 年 4 月 9 日 月曜日

 進学塾はその名の通り、進学のために通うところです。つまり、入学試験に合格できる学力をつけるためにお子さんは通っておられるわけですが、では、そこで行われる授業でお子さんは何を学んでいるのでしょうか。

 答えは様々かも知れませんが、突き詰めると、試験問題に対応できる「知識・技能を学んでいる」ということになるでしょう。特に、「知識の習得」という要素は、どなたも認識されていることであろうと思います。

 ただし、入試で求められる知識をすべて学習塾で伝授するとなると、毎日おびただしいほどの時間を使って学んでいただく必要があります。ですから、学習塾で全てをまかなうのは不可能です。

 これは、毎日通学のある学校ですら同じであり、家庭勉強の重要性を伝え、宿題をかなりの量出しているのはそのためです。

 ここからは、私たちの学習塾の話になります。弊社の教室は、基本的に週3日の通学としています。授業時間は1教科45分。たったこれだけで入試に対応する知識を伝授することなどできません。また、「残りは家で覚えておきなさい」などという指導では、子どもは塾でも家でもひたすら暗記や練習を繰り返すことになってしまいます。

 実は、知識というものには二つの要素があるのです。

 一つは、「それぞれの教科の学習対象の要素となる個別の知識」です。
 もう一つは、「何らかの理屈を身につけるための規則や方法に関する知識」です。つまり、「学習活動を支える知識」と言ったらよいでしょうか。

 多くのかたは、前者のような知識を連想されたのではないかと思います。しかしながら、後者のような知識も大変重要なものです。私たちの教室で実施する授業は、後者の知識を子どもたちに伝授することを主眼としています。

 単体の知識を覚えるために授業時間を使っても、あまり意味はありません。授業を繰り返すなかで、知識の活用法をしっかりと子どもたちが身につけていけば、先々もっと高い学問領域に進んでからも困りません。自ら知識を修めていくための知的枠組みを備えているからです。

 残念なことですが、中学受験においてはいまだに知識を詰め込むスタイルの受験対策が行われているケースもあるようです。これでは身につけた知識を活用する能力は磨かれませんし、頭のよい人間にはなれません。中学、高校、大学へと進むにつれ、学力は伸び悩んでしまうでしょう。

 近年、PISAテスト(OECDが実施する国際学力比較調査)で日本の子どもが今ひとつ振るわないことが問題視されています。その一方、フィンランドやカナダ、オーストラリアなど、日本よりも好成績を挙げている国の教育が注目されています。無論、日本のほうが優れている面もあるでしょう。しかしながら、これらの国で注目に値するのは、「日本よりも授業時数が少なく、教える知識量も少ない。教科書もページ数が少ない」ということです。このことが示唆することをよく考えてみる必要がありそうです。

 こうした結果を受け、日本でも「学習は量ではなく質が大切だ」という認識が広まりつつあるようです。ゆとり教育の反動として提唱されている「確かな学力路線」は、時間や物量主義の古典的学力観に若干立ち戻りつつあると警鐘を鳴らす学者も少なくありません。

 学んで獲得した知識は、単なる個別の知識として終わってしまうのではなく、さらなる知識の獲得や、思考・表現の手段として活用されてこそ意味をもつ。――これは、ある学習心理学者の言葉です。筆者は詳しく知りませんが、PISAテストで好成績をあげている前述の国々では、こうした考えかたと同じような観点に立った指導が教育現場で実践されているのかも知れません。

 お子さんが使っておられるテキストに、一度目を通してみてください。いずれも「学習の要点」で単元の基本的理屈を勉強します。そこでは、単元を構成する重要知識とそれが果たしている役割を学びます。それから練習問題・発展問題などへの取り組みを通じて、個別の知識の意味やその活用法に関する知識を定着させ、深めていく仕組みになっています。

 お子さんが授業を終えて帰られたとき、ときどきは「今日はどんなことを勉強したの?」と尋ねてあげてください。授業の流れに沿った説明を少しでもお子さんがされるようでしたら、授業を聞いて知識を獲得するだけでなく、その活用法についても学んでおられるのは間違いありません。

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カテゴリー: 勉強について, 家庭学習研究社の特徴

親の関わりかたと子どもの学習姿勢

2012 年 4 月 2 日 月曜日

休憩時間に6年生の男子が、こんな会話を交わしていました。仮にA君とB君にしておきましょう。

 似たようなご家庭はありませんか? 子どもへの接し方としては、どちらのおかあさんにも改めるべきところがあるように思います。 したがって、この会話をご紹介したのは、どちらのおかあさんが望ましいかをお伝えするためではありません。子どもとの関係において、何が重要かを示唆してくれるからです。

 二人の入試は対照的な結果に終わりました。A君の成績は、夏頃までは普通程度でした。しかし、だんだん調子をあげ、入試では見事第一志望校に合格しました。一方のB君は、A君よりもずっと成績がよく、常にトップを争う集団にいました。ところが、入試が近づいてきた秋から精彩を欠くようになり、受験は惨憺たる結果に終わってしまいました。

 原因は何でしょう。断定はできませんが、二人の入試結果を暗示するのが、あの会話をしていたときの表情です。A君は明るく朗らかでした。おかあさんの一件は軽い冗談のつもりだったのでしょう。久しぶりに勉強を見てやろうとしたものの、家事や仕事の疲れですぐに寝てしまったおかあさん。そんなおかあさんに、「しょうがないな」と、毛布をかけてあげているA君の様子が目に浮かぶようでした。

 ところが、B君のほうは違いました。おかあさんに勉強のことでうるさく言われる毎日に、閉口していたのでしょう。本当に辛そうな表情を浮かべていました。

 実は後で知ったのですが、B君はなまじっか成績がよかったために、親から多大な期待をかけられ、少々の成績では誉められませんでした。男子でベスト4の成績をあげたときも、「まだまだよ。次は1番!」とハッパをかけられたそうです。

 親からかけられる期待は、程々ならよいのですが、B君のように重荷に思わせると逆効果です。一方、A君がマイペースで受験生活を送れた背景には、おかあさんとの信頼関係があったのだと思います。A君が、最後まで笑顔を絶やさず楽しそうに受験生活を乗り切れたのは、おかあさんという太陽が微笑んでエネルギーを送っていたからではないでしょうか。

 この記事を読んで、有名なイソップ寓話を思い浮かべたかたもおありかもしれません。北風と太陽が力比べをし、旅人の上着をどちらが脱がせることができるかで勝ち負けを決めた、あの話です。厳しい寒風は上着を引き剥がすことができなかったのに対し、太陽の温かな光は旅人の上着をいとも簡単に脱がせてしまいました。確かそんな話でしたね。厳しく子どもを追い込むよりも、温かな愛情のほうが子どもを育てる力が強い。このような考えに符合する話ではないでしょうか。

 多くの場合、親はB君の家ほどではなくても、過保護・過干渉になりがちです。しかし、親が手を出せば出すほど子どもは重荷に感じたり、やる気や自信を失ったりするものです。さらには、大切な自立のタイミングを失ったりするおそれがあります。

 「何であれ、今できそうなことは一人でやらせる」を基本にし、お子さんを信頼して接してあげたらどうでしょうか。

 未熟な子どもの見守りは大変忍耐のいることですが、失敗のプロセスで子どもは逞しく成長します。大人の手助けで得た成績は、子どもが失敗のプロセスで手に入れた成績にはかないません。

 自立には時間がかかりますが、お子さんを信じて励ましてあげてください。それが入試での成功の、遠回りのようで確実な方法であると私たちは考えています。何よりも、将来の夢が広がるのではありませんか?

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