Archive for 2月, 2010

私学に進学することの意義を考える  ~その1~

木曜日, 2月 25th, 2010

 先々週だったでしょうか。今年、広島の私学の中学受験者数が軒並み減少したことについて、当ブログでふれました。そして、これを機会に私学への進学の意義を問い直してみてはどうかということを書きました。

 もしも、私学教育のもつよさを改めて発見したり、私学にわが子を通わせたいという思いが一層大きくなったりしたなら、受験者数の減少は受験勉強の負担軽減につながり、むしろ子どもにとって歓迎すべきことだと思ったからです。

 受験者数が多く、競争の倍率が高ければ、いきおい受験勉強も猛烈なものになりがちです。実際、10年、20年前には受験者数が今よりも遙かに多く、合格を巡る競争も厳しかったものです。子どもに過度の負担を強いるような受験対策が、当たり前のように行われていました。その結果、せっかく合格しても燃え尽き症候群に陥ったり、受験競争に脱落して勉強嫌いになったりと、受験の本来の目的からすれば本末転倒な事態も少なからずあったように記憶しています。

 さて、長引く不況のなか、敢えて教育費のかかる私学にわが子を通わせる積極的な理由があるとしたら、どのようなことでしょうか。それを考えるにあたっては、そもそも私学教育とは何か、その成り立ちとはどういうものかを知ることが必要ではないでしょうか。

 とは言え、筆者も詳しいことを知っているわけではありません。ですから、「私学のよさについて、ともに考えてみましょう」といった程度の意味に捉えていただければ幸いです。

 日本で最も歴史のある私学について書かれている本に、「社中」という言葉が繰り返し用いられていました(この私学のホームページでも、やはり社中という言葉を用いて建学の理念が語られています)。この言葉は、私学教育の何たるかを象徴しているのではないでしょうか。社中とは、利害関係を共有する組織や団体の構成員ということになるのだと思います。その構成員の子弟を教育するためにつくられたのが「私学」なのです。

 ですから、私学教育とは、ある種プライベートな必要性のもとに生まれたものなのです。国の産業振興を支える優秀な労働者を育てようという、国の施策として誕生した公立の学校とは成り立ちが違っているのですね。ですから、私学教育というのは、自ずとそれを産み出した組織や団体の特質や個性が色濃く反映されているはずです。

 そういえば、広島にも浅野藩の藩校に源を発する有名な私学がありますね。その学校の応接室には、藩校時代の施設(跡?)の一部が写真で掲示されていたり(確か、そういう写真を拝見したように記憶しています)、歴代の校長先生の写真が部屋の壁いっぱいに飾られていたりします。まさに壮観です。それを見ただけで、この私学がいかに歴史と伝統をもっているかが伝わってきます。無論、この学校には校是というものがありますし、校風も、卒業生の気風もみなさんよく知っておられると思います。この私学から「私学」というものを連想するのが広島ではいちばん手っ取り早いかもしれませんね。

 何年か前、大手の広告代理店のかたとお話しする機会がありました。40代の後半とおぼしきそのかたは、かつて弊社の本部事務局が校舎として使われていたとき(30数年前?)に通っていたそうで、弊社の古ぼけた社内を懐かしそうに見渡しながら、「ここで坪内社長に算数を教わったんです」とおっしゃっていました。

 ところで、そのかたは今述べた広島の私学のご出身だそうで、話題を向けると、それはもう熱っぽい口調で母校のすばらしさについて語り始めました。「ボクは、たいして一流の大学に行ったわけではありません。また、どの大学に行ったかなんて、ボクの人生においてはどうでもいいことです。それよりも、ぼくにはこの私学に通ったことが誇りであり、そこで得た友人が重要であり、そこでの経験が今のボクをつくってくれたんです」――とまあ、こういう調子で約1時間来社の目的も忘れたかのように母校愛について雄弁に語って帰られました。その情熱と勢いにしばし圧倒されたほどです。

 生涯の師、生涯の友は、公立の学校でだって得られます。公立の学校に母校愛をもっている人だっているでしょう。ですが、やはり違うのです。そこで薫陶を受けた師も、ともに学んだ友も、すべてその私学の理念のもとにつながっており、その私学の理念の具現者として生涯を送るのです。こういった無形の財産を公立の学校はもつことができるでしょうか。公立学校の先生には次々と転勤があります。特定の学校の先生ではありません。

 私学にはそういったバックボーンがあるからこそ、その学校の個性を感じさせる、ある種共通の特徴を携えた人間が輩出されるのだろうと思います。前出のその私学にも「○○魂」などと呼ばれる言葉があり、出身者の方々は強くそれを意識されているように筆者は受け止めていますが、これをお読みになっておられるかたはどのように感じておられるでしょうか。この点に着目し、「こういう教育をわが子に」「こういう校風のもとでわが子を学ばせたい」と思われるなら、やはり私学は魅力があるのではないでしょうか。

 今回は、私学のよさというものを考えるうえで根本をなす「バックボーン」に着目してみました。この続きはいずれまた書いてみたいと思います。広島には私学出身者が多数おられるので、私学について語るべきものをたくさんもっておられるかたがおられることと思います。そういう方々にとっては物足りない内容になるかもしれませんが、趣旨に免じてご容赦ください。

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Posted in 中学受験, 家庭学習研究社の歴史, 私学について

今年の6年部会員の進学状況

月曜日, 2月 22nd, 2010

 2月13日の土曜日には、弊社の全ての校舎で6年生の「卒業会」を催しました。どこに合格したか、どこに進学するかに関係なく、入試までともに学んできた仲間が集まり、家庭学習研究社の教室を卒業するお祝いの会をしようという趣旨で毎年行っている行事です。

 6年部の授業の最終日が来ても、子どもたちはちょうど入試のさなかにあり、しみじみとした思いに耽る暇はありませんし、子どもたちも指導担当者も心のなかは受験のことでいっぱいです。ですから、すべての受験が終了し、一息ついたところで卒業会としてこの催しを行い、楽しいひとときを過ごしてお別れをしています。

 塾は受験対策のために通う場所ですから、通常は楽しい催しなど一切と言ってよいほどありません(その代わり、子どもたちは授業を楽しんでいるようですが)。「卒業会」はその意味において、最初で最後のおたのしみ会のようなものです。塾に行くものの勉強はしません。みんなとワイワイ話しに興じたり、一緒にゲームを楽しんだり、お菓子を食べたりしてもよいのです。おそらく、子どもたちもこの日が来るのを、首を長くして待っていたのでしょう。どの校舎においても、集合時間よりも遙かに早い時刻から次々と子どもたちがやってきます。

 中学入試を経験するまで、子どもたちはこんなに大きなストレスや負荷と闘ったことはなかったと思います。この入試の緊張や重圧をはねのけ、自分のできるせいいっぱいをぶつけようと必死になってがんばった経験は、随分子どもたちの成長につながったに違いありません。

 一人ひとりの成長カーブはみな違います。また、入試に臨む態勢がうまく整ったお子さんもいれば、そこまでのプロセスに悔いを残すことになったお子さんもいます。そんなこんなで、入試の結果に対する満足度はそれぞれに違うのはやむを得ません。また、これは指導担当者が口々に残念そうに言うことですが、緊張で実力が発揮できなかったり、コンディションをくずしてしまったりで、実力を有するお子さんが、得て当然の結果を得られない事態も必ずと言ってよいほど生じます。

 ですが、入試までのプロセスで積み重ねてきた努力は、決して子どもたちを裏切ることはありません。今からの人生において、必ず自分を支えてくれるのです。どのお子さんも、入試までの自分に対しては満足することもあれば満足できないこともあると思います。それらを胸に留め、中学校生活で新たなスタートを切ればよいのです。卒業会の日は、弊社のどの指導担当者も、子どもたちと楽しいひとときを過ごしながら、「中学へ進学してからも、努力する姿勢を続けていくんだよ」と念じたことでしょう。

 ところで、今年の弊社の卒業生の受験結果と進学先をお知らせします。弊社はご家庭から相談を受けたり、明らかに受験校選択に問題があったりしたとき以外は、どの中学校を受験するかについて関与しないことにしています。進路選択に塾は関わるべきでないと考えるからです。ですから、弊社の合格状況と進学状況は、受験生家庭がどういう受験校を選び、どういう進路を選択しているかに関する生の情報とすることできます。これからわが子が受験するご家庭にとって、大いに参考になるのではないかと思います。

 以下は、弊社の卒業生5名以上が進学する中学校について集計したものです。2010年家庭学習研究社進学状況暫定版

 このほかの進学先として現在確認しているのは、広島大学附属福山中、岡山白稜中、武田中、AICJ中、呉青山中です。

 この資料は、原則としてご家庭からご提出いただいた報告書をもとに作成していますので、未確認のご家庭も若干あります。

 複数の中学校に合格された場合の進路選択ですが、これは様々です。必ずしも難易度順で選ばれているわけではありません。わが子にあった学校選び、わが子の意志を尊重した学校選びをされているケースもかなりあります。

 少なくとも言えるのは、お子さんが喜んでその学校に進学されるご家庭に進路選択の失敗は少ないということです。行き先が決まったなら、親の本音はどうであれ、「そこがわが子にとっていちばん」と思い喜んで送り出す。それがお子さんにとって、幸せなことではないでしょうか。

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Posted in 中学受験, 家庭学習研究社の特徴

日本の親は子どもに「価値観」を教えているか ~その2~

木曜日, 2月 18th, 2010

 前回は、「親がわが子にどの程度関わっているか」に関する国際比較調査の結果をご紹介しました。

 その結果、わが国の親は父親も母親も、同じ内容について調査したアメリカやトルコの親と比べ、親の関わりが少ないことがわかりました。
  たとえば、子どもに口出しをしないというのは、どうやら日本の親に多く見られる傾向のようです。ある大学の先生は、幼い子どもが触ってはいけないオモチャに触ったとき、どのように制止するかについて、日本とアメリカの母親とを比較観察したそうです。アメリカの母親は、子どもの体を押さえたり、腕をつかんだり、大声を出したりして、ともかく子どもをオモチャから引き離すための行動をとっていました。

 日本の母親に多く見られたのは、子どもが言うことを聞かないとあきらめてそのままにして見ていたり、止めようとしても子どもに抵抗されるとあきらめたりするといったタイプでした。

 一概に日本の母親のようなタイプが悪いとは言えないかもしれません。しかし、こういう接し方をすると、子どものわがままに巻かれることになりがちです。ここではオモチャを放さないというわがままでしたが、もっと大きくなって、「勉強なんかしたくない」と、言うことを聞かなくなったとき、親に打つ手がなくなってしまうかもしれません。

 今回ご紹介した調査では、子どもから見て親が怖いかどうかについても調べたそうです。まず父親ですが、「そうだ」「かなりそうだ」と答えた子どもは、トルコが47.5%、アメリカが29.5%、日本が21.8%でした。母親について、「そうだ」「かなりそうだ」と答えた子どもは、トルコが34.1%、アメリカが21.9%、日本が18.3%でした。

 父親と母親、どちらも日本では「怖くない」と子どもに思われているようですね。ただそれだけならいいのですが、前回ご紹介した調査結果を見ると「日本の父親は子育てに参加していない」と言われても仕方のない状態にあります。父親の存在感が希薄な日本の家庭で育った子どもが、将来どんな人間に育つのかと思うと不安になってしまいます。強い父親のモデルを知らない男の子が、父親になったときにどうするのでしょうか。父性のもつ役割を知らない女の子が、やがて結構して母親になるとき、パートナーに父親としての何を求めたらよいのでしょうか。

 トルコは、昔の日本の家父長的な家族制度が残っている国で、父親は絶対的な存在です。しかし、だからといってただ「怖い」のではないようです。今回はご紹介していませんが、トルコの子どもは、「父親を尊敬する」という子どもが圧倒的に多いのです。父親が怖くて尊敬できる大きな存在であるということは、子どもの行動規範を育てるうえで大変重要なことのように思います。

 アメリカの子育ての特徴として、「子どもに相談する」という形式を採っているということがあげられることを、前回お伝えしました。このようなスタイルの子育ては、子どもに「自分は一人前の人間として扱われている」という意識をもたせます。それが、子どものプライドや自立心を育てる効果を引き出すであろうことは想像に難くありません。トルコのように威厳のある父親像ではないけれども、子どもとのコミュニケーションを積極的にとることで、アメリカの父親はその役割を果たしているようです。

 子どもに口出しもせず、相談もせず、教えることもしない日本の親たち。子どもは生きていくうえでの指針や価値観をどこで学んだらよいのでしょうか。同じ調査において、日本の子どもは性などの非行に甘い、大人の言うことを聞かない、努力や我慢が嫌いなどの傾向が見られたそうですが、親が子どもに関わろうとしない日本の親の子育てが招いた結果と言えるでしょう。

 ただし、日本人の子育ては「長い期間をかけてていねいに手厚く子どもを育てる」という意味において、大いに誇れる点が多々あります。アメリカの個人主義は、親の楽しみ優先、無責任な家庭生活にもつながっており、それがアメリカの少年非行の多さの一因であるという指摘もあります。また、トルコはトルコで古い制度やしきたりなどが近代化の足かせになり、子どもたちの夢見る豊かで快適な生活が実現できないでいます。
 

 これをお読みになっている方々の多くは、小学生の親御さんであろうと思います。これをきっかけに、親として子どもにどう接するべきかを捉え直してみてはいかがでしょうか。
 

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Posted in 子育てについて

「体験授業&説明会」を実施しました

火曜日, 2月 16th, 2010

 2月6日(土)と11日(祝)には、弊社の広島校と三篠校で「体験授業&説明会」を行いました。この催しは、弊社の下部組織「ジュニアスクール」が実施するもので、その名の通りお子さんがたには授業(算数・国語)を体験していただき、また、保護者の方々には指導の方針や授業のねらい・仕組みなどについてご説明する内容となっています(6日は広島校、11日は三篠校で実施)。

 ジュニアスクールは2001年に設立された弊社の中学受験部門の下部組織で、小学校の1~3年生の学習指導を手がけています。指導の拠点は、弊社の三篠校、己斐校、広島校(広島駅新幹線口近く)、五日市校と東広島校(3年部のみ)となっています。

 本日は、三篠校での催しの様子についてご紹介してみましょう。あいにくの雨に見舞われたにも関わらず、36組の親子に参加いただきました。まず驚いたのは、全体の6割強にあたる22組が新1年生のご家庭だったということです。おそらく、もうすぐ始まる小学校生活を意識されての参加だったのでしょう。また、おとうさんの付き添いもかなり目立ちました。これはうれしいことでした。

 この新1年生に限らず、大抵のお子さんは初めての塾体験です。いきなりおとうさんやおかあさんが授業を参観すると、授業はぎこちなくなるし、お子さんも緊張します。そこで、一時間目の授業はお子さんたちだけで行い、おとうさんおかあさんにはジュニアスクールについてご説明をしました。

 新1年生のご家庭が多かったことを意識し、おとうさんおかあさんには小学校入学からの3年間のもつ重要な意味についてお話ししました。

 たとえば“読み”の能力について。黙読の速さや正確さは、3年生いっぱいまでの学習のプロセスで定まってきます。ですから、ここまでの流れをしっかりつくっておきたいものです。そのための方策の一つとして、「読み聞かせ」についてお話ししました。読み聞かせをたっぷり経験しながら、自ら読書に勤しむようになったお子さんと、そうでないお子さんとはどこが違うかを、具体例を挙げてご説明しました。また、“書く”能力が高まっていくプロセスの重要なポイントについてもお話ししました。

 この日は授業をお子さんに体験していただく催しです。そこで残りの時間約20分は、ジュニアスクールの授業についてお話ししました。

  1. 1.発見の喜びを体感する
  2. 2.みんなで学ぶことの楽しさを知る
  3. 3.筋道立てて考える姿勢を築く
  4. 4.自分に対する自信を養う
  5. 5.旺盛な学習意欲を育てる

 以上のようなテーマを掲げてお話ししました。ジュニアスクールも家庭学習研究社の一部門です。ですから、自立した学習のできる子どもになること、自ら学ぶ姿勢をもった子どもになることを視野に入れて授業を設定しています。そのことを詳しくお話ししたつもりです。

 それにつけても有り難かったのは、おとうさんおかあさんの反応です。ずっとうなずきながら聞いてくださるおとうさんもおられました。ニコニコほほえみながら聞いてくださるおかあさんもおられました。具体例をご紹介したときには、みなさんドッと笑ってくださいました。

 さて、いよいよ当日のメインとなる「授業参観」です。それぞれの学年の教室にわかれ、わが子の授業参加の様子を見守っていただきました。

 この日は、どの学年、教室のお子さんも総じておとなしくて行儀がよかったようで、あとで指導担当者に尋ねると、「何事もなく授業は終了した」とのこと。ホッとしました。予めご説明していた内容と、実際の授業の内容が符合していたかどうか心配でしたが、おとうさんおかあさんはどう思われたでしょうか。よい印象をもってくださったらうれしいのですが。

 実は、当日の催しはこれだけではありません。授業後は、オプション講座「パズル道場」の体験を子どもたちにしてもらいました。おとうさんおかあさんにはその様子を御覧いただきました。

 パズル道場は、本格的な受験勉強に入る前に、図形に関する感覚的素養を磨いておこうという趣旨で、2年前から導入したものです。様々なパズルを用意しましたが、どのお子さんも興味深げに取り組んでくれました。ただ、なかにはまだ鉛筆がちゃんと握れず、線を引くこと自体が困難なお子さんがおられ、ハラハラしました。おとうさんが心配そうに見守っておられます。ですが、誰にもこういう段階があります。焦らず、着実に成長してくださればよいのです。

 低学年のお子さんは、総じて完璧主義なもの。まだ終わらないのに時間が来ると涙ぐむケースも多々あります。でも、一人ひとりの表情を見ると、どの顔も生き生きとしています。楽しい時間を過ごせたなら、お子さんに浸透するものもあったに違いありません。

 1時間半以上に及ぶ催しでしたが、どのお子さんも最後まで熱心に取り組んでいました。これからジュニアスクールのご縁をいただくかどうかはともかく、どのお子さんも立派に成長されますことを念じながら終了とさせていただきました。

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日本の親は子どもに「価値観」を教えているか ~その1~

月曜日, 2月 15th, 2010

 何年か前、大学の先生が中心となって実施した、中高生の規範意識に関する国際比較調査の結果をまとめた本が目に留まり、買い求めたことがあります。

 そこに示されていた日本の若者たちの現実に、衝撃を受けることになりました。今回は、この本に掲載された調査データをもとに、子育ての望ましい方向について考えてみたいと思います。

 まず、「子どもから見た、親からの働きかけ」に関する調査データから。子どもから見て、親が叱ったり教えたりするなど、「口出し」をしてくるかどうか、何かにつけ自分に「相談」してくるかどうか、「我慢」をすることの大切さを教えようとしているかどうか、についての子どもの意識結果をご紹介してみます。

 なお、調査年は2001年から2002年にかけてで、対象はアメリカとトルコと日本の中学高校生約2500人、そしてその父親と母親約3300人です。ご存知のように、アメリカは個人主義の国で、「子どもを早くから自立させよう」とする子育て傾向の強い国です。一方、トルコは集団主義的色彩の強い国で、かつての日本のように貧しい国です。この二国と親子関係と、経済的な発展とともに急速に家族制度や家庭環境が変貌しつつある日本の親子関係との比較から、何がわかるでしょうか。

父母からの働きかけの割合

 最初に、子どもから見て親が何かと教えてきたり、叱ってきたりするなど、「口出しをしてくるかどうか」についての調査結果をみてみましょう。グラフは、子どもが「そうである」「かなりそうである」と答えた割合を合わせたものです(以下共通)。

 アメリカやトルコの親は、父親も母親も50数%~80%近くが子どもに対して働きかけているのに対し、日本の父親は、わずか24%あまりです。また、日本のおかあさんは比較的子どもに対して口出しをしていますが、母親だけの比較で見ると、参加国中でいちばん低い数値を示しています。

 学者によると、日本の母親は子どもとの摩擦を回避しようとする傾向があるようです。「いろいろ口出しをしなくても、子どもはわかってくれる」と思えるだけの信頼関係がそこにあれば問題ないのかもしれません。しかし、調査にあたった先生は、「日本の現状を考えたとき、『子どもは親の意向を察して、結局は親に従うだろう』と考えるのは、親の甘えである」と指摘しておられました。

 二番目の「私に相談してくるかどうか」についての調査結果をみると、父親も母親もダントツでアメリカが多いということがわかりました。これは、アメリカの家庭が「子どもに相談する」という形で子どもを大人のように扱い、子どもの自発性を引き出そうという傾向が強いためであろうと思われます。一方の日本は、トルコと比較してもその割合が低く、父親に至っては3%未満に過ぎません。

 なお、日本の母親は男子よりも女子に多く相談しているという結果も出ています。そうなると、男子にとって家庭で相談相手になる存在がほとんどいないことになります。問題はないのでしょうか。

 次に、「我慢を教えるかどうか」ですが、アメリカの親もトルコの親も父母ともに8割前後が「教える」という結果を示しています。それに対し、日本の親は父親が4割強、母親が5割強でした。この結果は、わが国の親は他国と比べて我慢することを熱心に教えていないということを示していると思います。なお、日本では父親が息子に、母親が娘に我慢の大切さを教える傾向が強いそうです。

 次回は、この結果をどう見るべきかについてともに考えてみたいと思います。

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