好き嫌い・得意不得意のない子どもに! ~低学年児童期の学習~
月曜日, 6月 25th, 2018
6月15日(金)には、「広島市まちづくり市民交流プラザ」にて、弊社の低学年部門「夏期講座説明会」を実施しました。今回は、この説明会で筆者が担当(約40分)した内容についてご報告しようと思います。最近は、低学年児童の保護者向けの記事を書く機会が少ないので申し訳なく思っています。今回の記事のなかに参考になる点があったなら幸いです。
なお、筆者がその日にお話ししたことは、学習塾から発信する情報としてはやや意外に思われるかたもおられると思います。というのも、受験塾、進学塾らしい合格実績の卓越性や指導力についてのアピールはなく、より善い人生を歩む人間に成長していくために必要な学びとは何かを明らかにし、そういった流れを築くうえで低学年児童期の学習にどのような役割や意味があるのか、今のうちに留意すべき学習とは何か、といったようなことを話の中心に据えたからです。なぜこのようなことをお伝えしたかというと、子どもたちが長い学習生活を通じて自らの知力を伸ばし、将来善い人生を歩んでいける人間に成長していくには、家庭教育との連携が不可欠であり、保護者と共通の視点に立つことがまずもって必要だと考えたからです。
そんな筆者の話を、どなたも熱心に耳を傾けてくださいました。それは、学習塾としての弊社の姿勢や立ち位置をよくご存じの保護者が多かったからであろうと思います。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
当日、筆者がまずもって保護者にお伝えしたのは、「学力はどの子も伸ばせる!」という表題に基づく、三つの提案でした。その三つとは以下の通りです。
まずは文字の習得を例に、学んだことが実際に活用できる勉強の重要性についてお伝えしました。たとえば、ひらがなや漢字の学習においては、早く覚える、たくさん書けることに偏重するのではなく、「文字は、人間の生活をより便利にするために発明されたものだ」ということに子ども自身が気づき、文字の果たす機能を実感しながら勉強することが望まれます。こうした学習を経験した子どもは、「大人主導で先行体験をしていた子どもを、小学校入学からわずか1年余りで一気に抜き去るほどの成果をあげる」と、学者の著した本に書かれていました。この点を踏まえ、学びの望ましい手順に沿った勉強の必要性をまずは会場の保護者にご理解いただきました。ご家庭においても、読むこと、書くこと自体から得られる楽しさをおかあさんがお子さんと共有するような関わりをされると、お子さんの学力形成に向けた流れをよりよいものにできると思います。
いっぽう、刺激に対する反応性の高い時期が一定の時期に限定されており、そのタイミングを逃すと資質を開花させるのが難しくなる領域の学習もあります。たとえば、図形などの単元は「閃き」や「直観」がものを言いますが、こうした分野の能力は9歳前後までの遊びや学習体験が関与することが知られています。したがって、一律に学力形成を同じ視点から捉えるのではなく、求める学力の特性や性質に合わせ、柔軟に子どもに働きかける必要性があることをお伝えしました。もう少し具体的な親の関わりについては、若干ながら後でお伝えするつもりです。
さらには、勉強で成果をあげる子どもには、ある種共通の特徴があります。たとえば、「思考を巡らせて問題解決の糸口を見いだすのが大好きである」とか、「覚えて反芻することに熱心で、興味の対象に関わる事柄について類まれな記憶力を発揮する」とか、「気持ちの充足感を大切にし、そのために目先の安易な楽しみに走ることがなく、我慢ができる」などの傾向がはっきりと見て取れる子どもは、勉強面ですばらしい成果を発揮します。
以上の三つについては、生来の資質よりも育った環境や培った経験などが大きく作用します。つまり、どのお子さんにも高いレベルに達するチャンスがあるのです。しかしながら、ここで気をつけるべきは大人の関わりかたです。小学校低学年期の子どもにとって、勉強のモチベーションを左右するのは「親が認めてくれること」「親がほめてくれること」です。だからこそ親は、子どもにどのような学習を期待し、水を向けるかを誤らないようにしなければなりませんし、ほめて承認することを忘れないようにしなければなりません。この夏休みを機会に、親の勉強に対する認識をもう一度振り返り、より望ましいわが子の成長を引き出す家庭環境の実現に向けて気持ちを新たにがんばっていただきたいですね。このような願いを込めてお話ししました。
次は、「児童期前半は、学力の〝伸びしろ″を形成する時期」という」タイトルで、学力形成における児童期前半という時期の特徴と役割についてお伝えしました。以下は、この項でお伝えした内容の小見出しです。
これらについてお話しした内容は、文字にすると随分長くなりますので、できるだけ簡略にご報告させてください。
小学校に入学し、学習の正式な場に立って活動を始めた子どもたちも、2年、3年もすると勉強に対する受け止めかたや構えに個性が出てきます。ですから、「勉強に前向きで熱心な姿勢をもった子どもに成長してほしい」と願うなら、親は児童期前半の学習体験や親自身の関わりの重要性に目を向ける必要が大いにあるでしょう。チャンスはまさに‟今”なんですね。
勉強の大半は、言葉、知識、思考が関わって成立するものです。そのことに基づいて考えると、「小学校前半の学習において最も大切なのは、読み書き能力の土台をしっかりと築くことだ」と言えるでしょう。読むこと、書くことの学習が一定レベルに達すると、子どもは身につけた能力を活用することに熱心になります。その成果が、読書や学習活動の活発化という形で現われるのですが、そこに至るプロセスのなかに子どもの能力開花の鍵を握る重要な要素があります。それは、一言でいえば言葉を介したコミュニケーションの土台が真に築けているかどうか。この流れに関与するのは、文字とその読みを照合する音読体験、様々な言葉のやりとりを体験する親子の会話などです(これについてご説明すると大変長くなりますので、今回は割愛させていただきます)。読む、聞く、話す、書く、の4要素がしっかりと根づいた生活を実現していただきたいですね。
前述のように、算数・数学の「閃き」や「直観」に関わる資質が開花するかどうかは、9歳前後までの遊びや学習体験で決まります。せっかく資質面で恵まれていても、開花するために必要な体験がなされないと、眠ったままになるおそれもあるのです。特に女子の幼児や児童の特性として、こうした算数のセンス育成に重要な働きをする遊び(積み木、タングラム、レゴ、おもちゃ遊びなど)と疎遠になりがちな傾向があります。そのことを踏まえ、今のうちに対処しておくべき点についても少しお話ししました。
この項目の最後にある「学習習慣」についても少しご報告しておきたいですね。ルーティンのもたらす重要な作用については、みなさんもよく耳にされていることでしょう。よい習慣(ルーティン)、たとえば「毎日決まった時間に机に向かう」「宿題のチェックを、提出前日までに必ずしておく」「食事後の食器の片づけを必ずする」などの習慣は、毎日の繰り返しの産物であり、定着の度合いが一定レベルに達すると「やらずにはいられない」という状態になるものです。児童期の前半までにこの状態を築けたら、どんなに勉強は楽になるでしょう。勉強の主体である子どもは無論のこと、見守りサポートする親の負担までも圧倒的に変わるものです。決まった時間に机に向かう習慣は、黙読が可能になる2年生頃から定着可能になります。なぜなら、一人で机に着き、課題文を読んで考えることができるようになるからです。それまでは、おかあさんが声をかけて一緒に課題に取り組むなどの助走を試みるとよいでしょう。
これらに関する今の状態を振り返り、この夏から何を重点的に強化すべきかを考えてみたらいかがでしょうか。親の関わりやサポートで、子どもを適切な方向に導いていけるのはあと僅かの期間です。子どもがより望ましい成長を遂げるには、当面の課題は何かをよく考え、今のうちに可能なサポートをしてあげてください。
最後に、男の子、女の子の学力形成において壁となりがちな典型的なパターンを取り上げておきます。男の子は読みの習熟を図り、読解力の基礎を育てておきましょう。「思考や表現が幼稚な男の子」にならないためには、読みの態勢をしっかり築くこと、充実した親子の会話生活の実現がポイントです。また、女のお子さんは理系に強い女性に成長すると、将来の職業選択の幅が格段に広がります。理系の学問が苦手なために生じる苦労がずいぶん軽減されることでしょう。今のうちに、図形の遊びやパズル、レゴなどに親しむのもよいかもしれませんね。ちなみに、弊社の6年部の玉井式女子出身者は15~16名ですが、大半が算数のテストで高得点をあげています。やはり経験は生きるのだということを実感しています。
児童期までの学習は、きちんと取り組めばすべての子どもが理解できる内容で構成されています。また、中学進学後の学習の発展を考慮すると、基本的に好き嫌いや得意不得意がないようにしなければなりません。それが子どもの人生の選択肢を著しく狭めてしまうからです。前述の内容も念頭に置き、勉強に偏りが生じないよう配慮してあげていただきたいですね。そうすれば、中学受験をめざして学ぶ段階になってからも困ることはなくなります。
説明会当日は、他にもたくさんのことをお話ししましたが、また機会を見てご報告させていただこうと思います。 当日のアンケートに書いていただいた保護者の感想を拝読し、ずいぶん元気をいただきました。もっともっとお子さんがたの健全な知育に向けて役立つ情報を発信すべくがんばってまいりたいと存じます。ありがとうございました。