親が家庭での「先生」になるということ

Posted 2014年10月8日 水曜日

 「親が『先生』になる」と聞くと、どのような印象を抱かれるでしょうか。
 家庭で毎日つきっきりで勉強を教えたり、幼い頃から親が厳しく習い事のコーチングをしたり・・・、といったイメージをもたれる方も少なくないと思います。
 前回、子どもにとって最も身近で尊敬できる「先生」は、他の誰でもない親であり、最も一緒に過ごす時間の長いお母さんであるべきだ、という内容を書きました。それは、子どもにとってお母さんは唯一無二な存在であり、学力面や集団生活場面での指導にあたる学校や塾の先生とは違う方法で子どもの能力を育むことができるからです。

 ただし、「先生」というと、どうしても「教える」というイメージが強いものです。そうなると、子どもは「教えられる」立場にあって、先生の教えを受動的に吸収するもののように捉えられがちです。確かに一面ではそれも事実ではあるのですが、本当に優れた先生は、そのような指導をするばかりではありません。

 ある書物に、保育園での出来事が紹介されていました。
 自分で感じたり考えたりすることを大事にしていて、感性がすごく面白い子がいるとのことで、先生が「何かに特別配慮して育てられているのですか?」とその子のお母さんに質問したそうです。すると、そのお母さんはびっくりして、「何もしていません」と答えたそうですが、その後、「子どもと一緒に道を歩いていると、色んなものに興味を示すんです。以前は見向きもしなかったのに、今はこんなことに興味をもつようになったんだというのがわかると、日々の子どもの成長が感じられて、私自身が楽しくて仕方がないんです。だから、いつもこの子のちょっと後ろからついて歩くようにしているんです」と付け加えられた・・・というお話でした。

 この話の中でお母さんが素晴らしいのは、「子どものちょっと後ろを歩く」という点です。
 親があれこれ指図しなくても、子どもは、色々な場所で興味のあるものを自分自身で見つけ出します。そこで具体的に何に興味を持つかを子どもが自分で決められるように、親は見守ってあげなければなりません。子どもが嫌がったり、親の意図に沿わない反応を示したとしても、見守る姿勢をもたなければならないのは同じです。「それじゃなくて、こっちにしなさい」などと強制しては、子どもの自主性の育成を阻害することにもなりかねません。
 もちろん、望ましい方向に子どもを導く必要はありますし、親としての希望も当然ありますから、親の考えを子どもに伝えなければならない場面もあるでしょう。そういった場合は、親が「一緒に行ってみよう」と連れ出したり、子どもの目に付く場所に物を置いてみたりすることで、こういった類のものに興味を示してほしいなというのを、さりげなく示してあげてください。
 加えて、親がそれ(子どもに興味を持たせたいこと)に楽しそうに取り組んでいたら、子どもも自然と興味をもつものです。一度興味をもてば、子どもは親が望んだ方向に自分の意思で進みますから、まずは親が望ましいと思う姿を自分で子どもに示してあげてください。

 子どもが人として成長していくためのベースは、家庭内で育まれていきます。学力形成に関しても、家の中で具体的な教科学習に日々取り組みながら生活しているわけではありませんが、普段の生活の中で、「こうやって工夫したらもっとうまくいくかも」とか、「今はこれに集中して取り組んでみよう」とか、子どもが自分で考えながら取り組めるような環境に家庭がなっていれば、学力の基盤となる知的な能力は自ずと育っていくことになります。
 ですから、お母さんが先生になるといっても、学校や塾で行われる内容をそのまま家庭で真似る必要はないのです。

 子どもとの関係を密に保ちながらも、子どもができるだけ自分で考えることができるように、親が自分の考えを押し付けたり先回りして答えを示したりしない、上手に子どもを導くコミュニケーションの取り方を心掛けてみてください。それによって、家庭が子どもの知性を育む環境になり、お母さんはわが子にとっての素晴らしい先生になることができるはずです。

(butsuen)

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