先日、「子どもの自立」について書きました。今回は、それに向けた親子関係のあり方について考えてみたいと思います。

 親は、子どもが産まれてから(もっといえば、お腹の中にいる頃から)ずっと、わが子を危険から守り、いかに深い愛情を注ぎながら育てていくかということを考えます。子どもは家庭の中でしっかり守られるべき存在であり、親から離れていくことなどその時点では考えられません。
 ですが、大切な親の務めの一つとして、いずれ子どもを上手に家庭から巣立たせることを理解した上で、早い段階からその準備としての働き掛けを行っていかないと、いざ子どもが独立すべき時期を迎えた際に、根の深い問題を抱えることになるかもしれません。

 では、こうした課題をクリアしていくためにはどうすればいいのでしょうか。そのポイントは、親子が互いの意見をどれだけきちんと聴きあえる関係を築いていけるかという点にあります。
 普段子どもの言葉に耳を傾けることはできているでしょうか。現在では共働きの家庭が多く、子どもも習い事などで忙しいですから、子どもの言葉を待つだけの余裕もないままスケジュール管理に追われている・・・という家庭も少なくないと思います。

 円滑なコミュニケーションを行う上で大きな意味を持つのは、親子の間に共有する時間や意識などが存在していることです。しかし、親子とも慌しい毎日の中では、子どもがお母さんの家事を手伝ったり、家族みんなで団欒の時間を過ごしたりといったことがなかなかできないかもしれません。
 こうした状況の中で、共有するものがないまま会話を進めようとするとどうなるか。これは大人同士でも(もちろん夫婦間でも)いえることですが、会話の取っ掛かりをつかもうとする意識から、自然と相手のことを聞き出そうとする言葉が中心になります。親子であれば、「今日は学校で先生から何言われたの?」「今日のテストはどうだった?」「昨日○○ちゃんと遊んだって言ってたけど、どんな子なの?」といった感じでしょうか。
 ここに子どもへの期待も絡んでくると、限られた時間の中で「親として把握しておかなければ・・・」「子どもにしっかり伝えておかなければ・・・」という気持ちがより強くなりますから、質問というより詰問や尋問のような投げ掛けが増えていきます。子どもの未成熟な言葉が出てくるのを待つより、親が伝えるべきと感じたことをどんどん口にしていくとなると、楽しい親子の会話に発展することはなかなかありません。
 親子の会話の大部分が「楽しくない」と感じられるものになってしまった場合、子どもの反応としては、親に反発するか、屈折した感情をためながら親の期待を感じ取って応えようとするかのどちらかですが、まだ親の影響力の大きい低学年の時期であれば、後者のケースが多くを占めることになるでしょう。

 人格を形成していくこの時期は、精神面での自立に向けて非常に大きな意味をもっています。それは、この時期に「自分で自分を受け入れることができる」という土台を築いておくことで、自信を持って自分の力で物事を進めるために欠かせない自己肯定感を育むことができるからです。
 そして、精神的・人格的自立のためにはもう一つ、自分が感じたままの思いを表に出してもそれを受け入れてくれ、自分を理解してくれるような「信頼できる誰か」の存在も欠かせません。信頼できる他者が自分のことを認めてくれているという経験を積み重ねることによって、子どもの中に少しずつ自己を肯定する感情が育っていきます。通常であれば、この「信頼できる誰か」が、親であり、特に最も身近にいるお母さんであるということになります。
 これらを満たす親子関係が築けていれば、子どもは自信をもって自分の意見を口にし、他者の意見にしっかり耳を傾けることの大切さを学び取ることができます。これが、将来自立していくための土台となるわけです。

 大変なことも多いとは思いますが、もし、これまでの「お母さんの言うことが聞けないの!」という言葉を、「お母さんの考えとは違うけど、それも面白い考え方だね」などの言葉に置き換えられる少しの心の余裕(少しかな・・・)があれば、それがわが子を自立に導く第一歩へとつながっていくのではないでしょうか。

(butsuen)

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