果報は寝て待て

Posted 2015年1月21日 水曜日

 1月も半ばを過ぎ、いよいよ中学入試の時期が本格的にやってきました。
 現在1~3年生の子ども達のいるご家庭も、将来の中学受験を考えられている場合は、数年後には入試本番を迎えることになります。合格者数などを示すこの時期のチラシやWEB上の記事を目にすると、とても他人事とは思えない・・・という方も少なくないのではないでしょうか。

 さて、少し話は逸れますが、このような努力を重ねた末に結果が出るのを待つ際にしばしば使われる、「果報は寝て待て」という言葉があります。
 良いことは自然と向かってくるものであるから静かに待っているのがよろしい、というような意味で使われることの多い言葉ですが、何とか良い結果を手にすることを目指して必死で努力したのに、後は天命に任せて結果が出るのを待つ、という心境になるのはなかなか難しいものですよね(こう思うのは私が人間的に未成熟だからなのか?とも思いますが・・・)。

 しかし、この言葉について調べてみると、少し意味が違うようです。
 「果報」という語の元々の意味を確認すると、「果」は良い行為によって望ましい結果が出ることを示している一方、「報」は行為の結果が思い通りにならない報いを示しているのだそうです。
 つまり、自分がやってきた努力や苦労は良くも悪くも自然と結果として表れ、時には運によって左右されることもあるから、焦らず騒がず結果を受け入れるのがよい・・・といった意味になります。

 「なんだ、同じような意味じゃないか」と思われるかもしれませんが、良い結果を手にすることにこだわってただ待っているのと、「やれることはやった」と考えて、後はそれに応じた結果が来るのを自然体で待つのとでは、結果の受け止め方にも大きな差が生まれます。
 前者の場合、良い結果であればうれしい気持ちになるのは当然ですが、得てしてそれに満足してそれ以降の歩みを止めてしまいがちです。また、もし望み通りの結果を手にすることができなかった場合、素直にそれを受け入れて、新たな目標を設定するために気持ちを切り替えるということもなかなか難しいでしょう。
 反対に、後者のような考え方ができていれば、良い結果もそうでない結果も、どちらであっても受け入れられる土壌が自分自身の中にできるはずです。そうした土壌があれば、結果に一喜一憂して努力を怠ったり自暴自棄になったりすることもなく、それから先も努力しながら前向きに進んでいけるに違いありません。

 なぜこのような話を挙げたのかといいますと、入試に限らず当社の1~3年生で定期的に実施しているテストでも同じようなことがいえるからです。
 実際、こうしたテストで思うような点数が取れないと、「良い点が取れないからもう嫌だ」とその日の授業は完全にやる気を失ってしまう子がいたり、中には「100点じゃないと、お母さんに怒られる」と泣き出してしまう子もいたりします。もちろん良い点を取り続けられればそれに越したことはないのですが、誰でも得意不得意はありますし、その時のコンディションなどによっても左右されるでしょうから、思うようにいかない場合もたくさんあります。さらにこれから先、中学受験を見越して学習を進められているご家庭では、今よりはるかに難しい問題に取り組まなくてはなりません。
 もし、これから先も結果だけを求めるような環境の中で過ごしていくとなると、将来簡単には解けないような難解な課題にぶつかった時、そこから自分で立て直すだけの精神的な強さを身に付けることができません。
 ですから、目先の結果で一喜一憂するのではなく、しっかり結果を受け止めた上でその後も努力や工夫をし続けることが大切なのだということを、低学年の今だからこそ、子どもさんも保護者の方も改めて確認していただきたいのです。

 まだ幼い子ども達がある程度自然体で結果を受け入れられるようになるまでには、お母さんお父さんをはじめとする周囲のサポートが欠かせません。
 テストの結果などを目の前にすると、ついついそれだけにとらわれてしまいがちですが、結果よりも努力そのものに目を向ける、テストの点数よりも普段の取り組み方を褒めるという観点で子どもさんに接してあげてください。長い目で見れば、きっとそれが子どもの成長の糧になるはずです。

(butsuen)

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