2013 年 8 月 のアーカイブ

学校案内

2013 年 8 月 26 日 月曜日

 みなさん、学校案内をご覧になったことはありますか?広島の私学の学校案内は、どの学校も本屋に並んでいそうなほど、しっかりしたデザインが施され、学校の特色を示す写真や文章がぎゅっと詰まっています。弊社は、広島の私学進学を目指す受験生のための専門塾ですので、広島の私学の学校案内に毎年目を通しています。

学校案内2013

 学校案内のほかにも卒業生からのメッセージや寮の紹介本など、複数の冊子を作成されていることが多く、資料を取り寄せると封筒いっぱいに学校の情報がぎっしりと詰まっています。もし、志望校や気になる学校の学校案内を見たことがない方は、ぜひ取り寄せてみてください。新しい発見があるかもしれません。

 学校案内では、授業やクラブ活動といった学校生活を中心に、食堂メニューまでもが写真付で紹介されています。今、小学校では給食の方も多いかと思います。中学校に進学すると昼食がどうなるのかということは、本人たちよりもおかあさんの方が、心配になるところかもしれません。あるおかあさんは、「売店でパンが売っているというけれど、中1生でも購入できるのかしら、上級生が優先で、もし買えなかったどうしよう」と心配をされていたこともありました。食堂や売店があるということは、もしもお弁当を作れなかったらというときに、頼れるところがあるという点で、安心感につながるのでしょう。

 一方で、「子どもの体を作る元となる食事は、栄養を考え、愛情を込めて作りたい」というおかあさんもおられました。きっと、私学での6年間、愛情たっぷりのお弁当を作り続けられたことでしょう。食堂や売店のパンのメニューの紹介だけでなく、同級生と共に中庭や教室で食べている様子が写真で掲載されています。その写真から私学らしい学校内の雰囲気を感じ取ることができます。

 学校案内の後半部分には、卒業生の進学先が大学別に掲載されていたり、就職された方が企業名と共にメッセージを書かれていたりします。その学校で学んだ成果のひとつとして、おかあさん方が気になるところではないでしょうか。やはり有名大学や有名企業の名前が並んでいると、おっと目に留まります。けれど、掲載されている大学や企業だけでは計れない大きなもの、人としての内面における成長が私学で学んだ生徒たちにあると思います。そこに目を向けてみませんか。

 私学は、人々が思いをもって、目的をもって、設立した学校です。国に決められた科目の勉強だけでなく、入学した子どもたちにこういう人間になってもらいたい、このような成長を遂げてもらいたいと願って設立され、今までもこれからもその思いが受け継がれている学校です。学校案内には、そういう情報も詰まっています。

 学校案内のはじめには、学校創立の経緯と共に学校の創立時の意志、建学の精神が書かれています。「子どもたちが生きていく上で必要なことは何でも教えましょう」「自分のことだけで終始するのではなく、隣人に関心を持ち、隣人の置かれた社会に関心を持って、自分から積極的に活動する」「他者のために、他者と共に生きる人間」「人を思いやる心と自分で未来を切り拓く智恵を育てたい」「“知”を深め、“こころ”を磨く」これらの言葉は、広島の私学の学校案内にかかれている言葉です。学問、知識を学ぶ場所としてだけでなく、子どもから大人への成長期である6年間だからこそ、知識以上に大切な“人としての生き方”においても身につけて欲しいという思いが伝わってきませんか。

 私学の良さは、目に見えない教育への思いと先生、卒業生、在校生の同じ学舎で共に学んだつながりにあります。母校を訪ねるというのは、私学によく見られる光景ではないでしょうか。私学のOG、OBの保護者の方々もおられることでしょう。文化祭やクラブの演奏会といったイベントをきっかけとして、同級生のみなさんと一緒に母校を訪れ、懐かしい先生との対面を楽しんだりされておられるのではないでしょうか。または、今、同級生や先生に会いたいなと思われているのではないでしょうか。

 私たちの地元広島にある私学を、学校の設立や基本精神・方針から見比べてみてはいかがでしょうか。今までは気づかなかった、授業や行事に込められた思いをそこから発見できるかもしれません。中学・高校の六年間は思春期から青年前期にあたり、人間として身体的にも精神的にも成長する時期です。学問以外について学ぶ機会を得ることで、その学校の目指す人間教育の恩恵に浴することができます。ぜひ、どこでも同じという考えは持たずに、お子さんにあった進学先を考えていただきたいと思います。学校で出会う友人や先生は、とても大きな財産になります。進学先を考えるきかっけ、志望校への関心を高めるきっかけのひとつとして、学校案内をぜひ読んでみてください。

 

(yasumoto)

 

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子どもの“やる気”欠乏症候群を憂う

2013 年 8 月 19 日 月曜日

  ときどき、ブログに訪問されるかたの検索キーワードをチェックすることがあります。このブログへのニーズを知っておきたいという思いがいくらかあるからです。

 そのとき、必ず目にするのが「やる気(意欲)」という言葉です。それらの大半は、「やる気+ない」の組み合わせですから、お子さんのやる気喪失への対策法を探しておられるのでしょう。1件や2件なら驚かないのですが、類似の言葉も含めると大概二桁に及びます。二十を越えていたこともあります。これにはいささかショックを受けてしまいました。

 このことから推し量れるのは、子どもをもつ親のうち、かなりの数にのぼる人たちがわが子の学習意欲が低いことを心配し、「何とかできないものか」と悩んでおられるのではないかということです。日本の子どもたちに、「やる気欠乏症候群」のようなものが蔓延しているのでしょうか。

 著名な学習心理学者の書物に目を通していると、「今は『内発的学習意欲』も『外発的学習意欲』も利かない時代だ」という件(くだり)がありました。つまり、押しても引いても子どものやる気が高まりにくい時代のようです。どうしてこのような事態に至ったのでしょうか。

 何十年か前には、子どもを否応なく勉強へ駆り立てる強い力(社会的背景)が働いていたと言われます。「欲しいものを買える豊かな生活をしたい」「おいしいものを腹一杯食べられるようになりたい」という本能に近い欲求が、子どもの背中を押したのです。勉強して学を身につけることで、しっかりした職を得る。そうすれば生活や食の欲求が満たされるからです。

 しかしながら時代は大きく変わりました。子どもたちは衣・食・住に何の不自由もありません。勉強してよい学校に進学したいという意識も希薄です。厄介なことに、苦労して一流の大学に入っても、後の生活が保障されるわけではないということも、今の子どもたちはよく知っています。

 その一方で、様々なその場しのぎの快楽を提供するメディアが子どもを虜にし、さらには趣向を凝らした楽しげなゲームもしきりに誘惑してきます。先日の新聞報道によると、日本の中学・高校生の52万人がインターネット依存症の傾向を示しているとか。もはや子どもは消費社会に取り込まれ、子ども相手のビジネスを支える重要な“お客様”になっているのです。

 あるとき、一流とされる新聞の経済面に「子どもの○○離れを阻止せよ!」という見出しが踊っているのが目に留まりました。何だろうと思って注意を向けると、ゲーム産業に参入している某大企業のキャンペーンを紹介する記事でした。つまり、○○の部分は「ゲーム」だったというわけです。筆者は内心、「ゲーム離れ、大いに結構なことじゃないか!」と憤慨したものでした。

 さて、もとの話に戻ります。子どもの「やる気」の低下に歯止めをかけるよい方法はないのでしょうか。「やる気」や「学習意欲」は、心理学においては「モチベーション」と言われるようです。モチベーションの代表的なものは、前述の「内発的動機」と「外発的動機」です。

 先ほど、「『内発的意欲』も『外発的意欲』も利かなくなった」という学者の言葉を紹介しましたが、その著述部分をご紹介してみましょう(簡略にしています)。

 楽しい授業をすれば子どもたちはついてきてくれるかというと、なかなか子どもたちはついてきてくれない。それは、一つには世の中にもっと楽しいことがたくさんあるからだと思います。興味・関心を尊重すると言っていたら、とても学校の教科の学習にならないのです。(中略)もっと生活のなかにある楽しいことに流れてしまいます。そういうものがたくさん供給されるし、それらを手にするだけの経済力を子どもが持っています。すると、純粋な内発的動機づけだけから学校の勉強に向かわせるのはどうもむずかしいということになります。

 では、「外発的にやればどうか」といっても、これも「いい成績をとったらおこづかいを増やしてあげる」などと言われなくても、もうおこづかいは結構もらっている。大人は不況、不景気などと言っていますが、子どものほうは実に豊かな暮らしをしていて、物質的な報酬で釣って子どもを勉強させようとしてもなかなか動きません。(中略)そもそも、子どもの間で勉強ができるということの価値が低くなって、競争心をあおってもあまり効果がありません。親や教師が外からコントロールすることが、非常にしにくくなっているのです。

 何もかも満たされた豊かな時代においては、子どもを勉強に向かわせる社会的背景が脆弱なのは否めません。勉強するより楽しいことがふんだんにある時代においては、勉強のおもしろさを教えるのはなかなかに困難なことです。まして、ただ「勉強しなさい」では子どもはなびいてくれません。そういうことを前提にして、子どもの学びの活性化に向けた働きかけを大人がしなければならないことを改めて痛感します。

 ただし、悲観するには及びません。少なくとも、わが子の望ましい成長を願い、学を身につけさせようと手を尽くしておられるご家庭のお子さんは、楽しく学べないまでも、学びの大切さは十分にわかっています。問題は、「勉強したけど塾でよい成績がとれない」「このままでは、受験で合格できそうもない」といったような状況が、子どもの無力感や自信の喪失につながり、それが勉強の活力を失わせていくような悪循環が生じている場合です。そうなっていたなら、叱ったりハッパをかけたりする方法は、逆効果を招くだけです。

 子どもが勉強を嫌がりだしたら、もうワンパターンの叱責や励ましは効果ゼロ。受験での悲観的な見通しを種に脅しても、事態は悪くなりこそすれ改善は見込めません。

 お気づきかもしれませんが、このブログでいちばんたくさん書いている記事は、「子どものやる気」と「親の対処のありかた」を扱ったものです。そのうちの多くは、「親子の信頼関係」を築くこと、「親の愛情と期待」を上手に子どもに伝えることへの提案です。これらは、小学生の勉強に向き合う気持ちを引き出すうえで最も効果があり、また親として必要な対処であろうと思うからです。

 残念ながら、いまだに「これは絶対に効果があります」と自信をもって言える記事は書けていません。しかし、今後もあきらめずに書き続けようと思っています。

 それにしても、内発も外発もうまくいかないご時世にあって、勉強に熱心に取り組む子どもを育てておられる保護者が弊社の会員にはたくさんおられます。ほんとうにすばらしいですね。うまく行かないで悩んでいる保護者の方々もあきらめるには及びません。親の愛情や期待を上手に伝えることから、巻き直していったらどうでしょう。子どもに勉強をさし向けるのは、子どもの幸せを願ってのことなんですから。

 

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難しい本より、わかる本や共感できる本

2013 年 8 月 12 日 月曜日

 前々回は、実体験と読書力のつながりについて書きました。今回も引き続き、子どもの読書に関する話題をお届けしようと思います。ただし、高いレベルの読書力を身につけるための話ではなく、まだお子さんの読書が定着していない家庭で生じがちな問題にスポットを当ててみました。

 子どもの読書がなかなか定着しない理由として、どんなことが考えられるでしょうか。本を読むこと自体を好まないケースもあるでしょうし、読みたい本が見つからない(わからない)ケースもあるでしょう。そういうお子さんの場合、まずは読書の楽しさを体験させることが先決であろうと思います。(※このほか、子どもが本を読みたがらない理由の一つに、スムーズな黙読の態勢を築き損ねたということも考えられます。こういう子どもは活字を読むのが苦痛なため、読書を敬遠しがちです)。

無題

 ところがいざ本選びをする際、親はどちらかというと評価の定まった本、親から見て好ましい内容の本を読ませたいと思い、子どもに働きかけることが多いようです。しかし、そういう本を子どもが受け入れてくれればよいのですが、子どもの現実にマッチしていないため、子どもが嫌がるなどうまくいかないケースが少なくありません。

 たとえば、あるお子さんは、「うちのおかあさんは、小さい字がいっぱい詰まった絵の少ない本ばかり買ってくる」と、不満げに話していました。いっぽう、あるおかあさんは、「うちの子は、いつまでも幼稚な本や挿し絵の多い本ばかり読みたがって困ります。そんな本、いつまでも読んでも読解力はろくに身につきませんよね」とおっしゃっていました。子どもの見解と親の見解が見事に対立しています。

 さて、どうしたものでしょう。読書心理学を専門とする大学の先生の書かれた本に、参考になる記述がありましたのでご紹介してみましょう。

 子どもにとっては読むのがやさしい本は卒業というのではなく、一見やさしい本だからこそ、理解するのに精一杯という状況ではなく、深く味わって意味を考えることができます。また読みの苦手な子どもにとっては、読みやすい本を読み通す経験を積むことは、本を読む楽しさを知り、また自分で読めるという有能感を育てることにもなります

 一般に「~歳向け、~年生向け」という時には、本に使用されている漢字とルビのふり方や文の長さ、当該学年の子どもの生活経験や知識という観点から、対象読者年齢がめやすとして記載されています。しかし、読書に関しては、同じ学年でも、それまでの読書経験や好みによって、その子にはどのような本が最適かはかなり異なっています。読書経験を多く積んでいる子どもであれば、多少難解な本もきっとおもしろくなるはずという期待をもって読み通すことができますが、読書経験の少ない子では、こうした期待をもつことは難しいといえます。したがって、年齢は一つの目安にはなっても、その子どもの興味に適した本、読みたいと思った本こそが、その子にとって意味のあるよい本であるといえます。

 だいぶ前になりますが、「うちの子は、同じ本ばかりしつこく読み続けるので困ります」という相談を、保護者のかたから受けたことがあります。もはやどのような返事をしたか覚えていませんが、上述の内容から判断すると、その本が子どもにとってふさわしい本だからこそ、繰り返して読みたくなったのですね。おそらくそのお子さんは、繰り返し読んでいくにつれて深く読み味わえるようになり、そこに描かれている世界を満喫することでその本を卒業したことでしょう。

 ここでみなさんに注目していただきたいのは、「一見やさしい本だからこそ、深く味わって意味を考えることができる」という記述です。難しい内容の本ではこうはいきません。親から見て易しすぎるからといって取り上げるべきではないのです。子どもは十分にその本を堪能したら、自然と別の本に手を伸ばします。それを繰り返すことで、子どもは読み手としてのレベルを着実に上げていくことでしょう。

 また、自分で読んで理解できる内容の本を読むのでなければ楽しくありません。自分で理解できるレベルの本を読み通す。それでなければ子どもは本の描く世界に入っていくことはできませんし、主人公と一体化して追体験をするなどということは不可能です。そういう体験こそが読書の楽しさであり醍醐味ですから、背伸びをした読書よりも何倍も子どもの心の成長にも寄与することでしょう。

 さらには、一冊の本を最後まで読み通せたということは、子どもにとっては大きな自信にもなります。それがつぎの読書活動への意欲につながるのは想像に難くありません。これも、易しい本を読むことによってもたらされる恩恵の一つなんですね。

 以上から、「その子の興味に適した本、読みたいと思った本こそが、その子にとって意味のあるよい本」なのだという結論が導き出せるでしょう。みなさん、納得されたでしょうか。「うちの子は、読み応えのある本がいまだに読めない」と嘆く必要はありません。それよりもどんな本でもよいから読んで楽しむ体験を積み重ねることを大切にしてあげてください。

 

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「今やろうと思っていたのに!」という言い訳の意味

2013 年 8 月 5 日 月曜日

 やるべき時間が来ているのに、相変わらずテレビにかじりついているわが子にしびれを切らし、「いい加減にテレビを消して勉強しなさい!」と叱ったことはありませんか?

 多くの家庭でありがちなことです。また、テレビに限らず、ゲームやマンガなどでも同じ事態に至るでしょう。それやこれやで、年がら年中お子さんを叱り続け、すっかり疲れ切ったおかあさんはおられませんか?

 おたくではどうでしょう。見かねて親が叱ったとき、お子さんはどんな反応を示しましたか?たいがいの子どもは「ごめんなさい」とは言いません。そればかりか、「今やろうと思っていたのに!」と反撃に出ることも少なくありません。

 親にしてみれば、この言葉は「見え透いた言い訳」です。何しろ、堪忍袋の緒が切れるまで、どれだけ親はイライラを我慢させられたことでしょう。その間、わが子はテレビにずっとかじりついていたのです。「今やろうとしていた」なんて、到底信用できるものではありません。

 しかし、子どもにも言い分はあります。頭ごなしに叱られるのはもうイヤなのです。それに、「今やろうとしていた」というのだって、まるっきりのウソではありません。というのは、小学校の中~高学年なら、テレビを見ながらも、勉強のことがが頭をよぎります。やるべきことがあり、やるべき時間になっていることは子どももわかっているのです。しかし、勉強となると腰が重くなるんですね。

 ではなぜ「今やろうとしていた」と言うのでしょう。子どもはテレビを見ながら、おそらくつぎのような状態で心が揺れているのではないでしょうか。「もう勉強の時間になっているな。そろそろ勉強しなきゃ」「だいぶ時間が過ぎている。でも、せめてこの番組が終わるまでは見ていたい」そんなとき、突然「いい加減にしなさい!」と親に叱られたらどうでしょう。心のなかで葛藤していた子どもは、「今やろうと思ってたのに!」と憤慨するのです。確かに、「そろそろやらなければ」とは思っていたのですから。

 このように、勉強するはずの時間になっても、テレビや遊びにかまけて腰がもちあがらないお子さんが少なくありません。そういうことが度重なるたびに叱っていると、やがて子どもは「今やろうと思ってたのに」という言い訳すらしなくなり、全く言うことを聞かなくなるでしょう。

 既に、お子さんからそういう兆候を感じておられるご家庭はありませんか?この場合、改めるべきはおかあさんではなく、お子さんであるのは間違いありません。しかし、おかあさんがこれ以上同じ調子で叱ってもまずよい方向には向かいません。

 「そんなことだから成績が悪いのよ!」「もう、塾なんかやめたら?」「あなたのために、どんなにお金がかかっているか、わかってるの!?」「こんなんじゃ、受験なんて無理ね!」――こういった言葉をわが子に浴びせたことはありませんか?

 これらは、子どもが嫌がる言葉の代表的な例としてあげたものですが、子どもの反省を引き出す効果は全くありません。それどころか、子どもの自尊心を傷つけ、親への反発心を募らせるだけです。ですから、改めるべきは子どもでも、親の出方を考え直すことから状況を変えていくしかありません。

 既に「万策尽きた」と、途方に暮れているおかあさんはおられませんか。何を試みても効果がない。それは、対策の方向がみな同じだからかもしれません。今からお伝えすることも、大して効果がないかもしれませんが、違った発想からのアプローチ法を見出すうえでヒントになれば幸いです。

 1.「遊び(テレビ)=悪、勉強=善」という発想からのアプローチをやめる。

 4~5年生の子どもは、もう自分の価値観をもっています。テレビは悪、勉強の邪魔、と一方的に制限を加えようとすると、それだけで反発します。「子どもはテレビを見たいのだ」ということを前提に、「勉強と調整しよう」という気持ちを引き出してやることが必要でしょう。「なるほど、この番組はどうしても見たいんだ。じゃ、勉強はいつやったらいいと思う?」など、計画の調整を提案するのもよいかもしれません。「遊びたい」という気持ちを認めてやれば、大概の子どもは「勉強も大切」と思っていますから、勉強を放り出すことはありません。「大切なのはオンオフの切り替えだ」ということを伝え、「勉強の時間は長くなくていいから、集中してやろう!」と優しく励ますのもよいかもしれません。

 2.子どもへの語りかけを「評価」から「承認」に変える。

 「こんなことだから(あなたは)成績が悪いのよ」「(あなたは)いつもそうやって言い訳ばかり」「(おまえ)は、前も同じ失敗をしたよね」「だから(おまえは)ダメなんだ」――こんなふうに、「相手(子ども)を主語にし、親からの評価を告げる話しかたは相手(子ども)の心に響きません。たとえほめたとしても、「評価」のニュアンスがつきまといます。「親に認めてもらえる行動をとらないと、悪い評価を下される」という不安を引き起こす言いかたなのです。

 いっぽう、「あなたが手伝ってくれて、(おかあさんは)助かったよ」「今日のできごとを話してくれて、(おかあさんは)楽しかったよ」など、親が感じたことを伝える話しかたをすれば、子どもは自分や自分の行為を「承認」されたと受け止めます。子どもは自分の存在に自信をもつことができ、行動の自主性につながる のではないでしょうか。親を信頼する気持ちも強まるでしょう。

 前者の言い方かたを「Y0U(ユウ)メッセージ」、後者の言いかたを「I(アイ)メッセージ」と言いますが、誰よりも大切なわが子にこそ、言葉の使いかたが相手に与える影響を踏まえ、子どもをよい方向に導く話しかたを心がけたいものです。今日から、Iメッセージを心がけてみてはいかがでしょうか。

 3.毎日、少しでもよいから親子で楽しい話題に花を咲かせる。

 親が発する言葉が常に説教や小言、愚痴では、子どもは親との会話を避けるようになります。これでは、「親の期待するような人間になろう」「親の期待に添って努力しよう」という気持ちは湧いてきません。毎日、少しの時間でもよいから、夕食後などに説教や指示などとは無縁の楽しい会話の時間を設けてはどうでしょう。その時間は、子どもの体験なども聞いてやるのです。そういう時間を設けると、不思議と子どもは自分のやるべきこと、親が自分に期待していることに思いを馳せ、「つぎは勉強の時間だ」「今日やるべきことを頑張っておこう!」と、気持ちの準備をしていくものです。それがオンオフのスイッチを自然と稼動させ、勉強の時間を有効にする効果を引き出します。小学生は、まだまだ親のほうを向いていますから、親の愛情を感じる時間が毎日少しでもあれば、必ず親の期待に応えようと頑張り始めるものです。

 「子どもが悪ければ叱るまでだ」という発想で押し通すと、子どもの自発性は育ちませんし、親子の信頼関係も崩れてしまいます。子どもが自分のやるべきことを念頭に置き、自発的にやるべきことをやろうとするには、子どもが「親に信頼されている」「親が認めてくれている」という気持ちをもっていることが前提です。この年齢の子どもの行動は、まだまだ親次第なのです。

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