2009 年 12 月 のアーカイブ

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2009 年 12 月 29 日 火曜日

 2009年もあと3日で終わります。とどまることを知らない不況、デフレの進行、消費の停滞、それらのあおりを受けた失業者の増加、困難を極める就職活動等々、社会情勢は悪化の一途を辿っているかのようです。久々の政権交代に一縷の望みをかけた日本国民ですが、新政権も世の流れを食い止めるのに難渋しています。いったいこの先、日本はどうなるのでしょうか。

 新しい年を迎えるにあたり、「来年こそは明るい話題の多い年になりますように」と、どなたも願っておられることでしょう。ほんとうにそうなって欲しいものですね。

 ところで、昨年の11月にこのブログを開設して以来、述べ訪問者数がもうすぐ6万人に達します。始めた当初は「いくらか読んでくださる人がおられたらありがたい」というぐらいの気持ちでいたのですが、開始後間もなく、たくさんの方々がこのブログのページを開けてくださっていることを知り、気持ちが変わりました。「お子さんの中学受験を考えておられるご家庭にとって、役立つ情報を提供するのだ」という使命感をもち、家庭学習研究社が知り得たことを発信する場所と位置づけてこのブログの記事を書いています。

 家庭学習研究社はおかしな学習塾です。進学塾でありながら、合格実績、合格力を謳わず、“子どもの望ましい成長”というスタンスで活動しています。ビジネス的視点からは得策でないかも知れません。しかし、それで40年以上もやってきているのですから、ほんとうにありがたいことだと思っています。自分たちの思うことをやらせていただき、生きがいを得させていただきながら、何とかビジネス上も成り立っているのですから、ありがたいと思わないほうがどうかしています。

 無論、家庭学習研究社の歴史は私たちだけで築いたわけではありません。子どもたちの成長を引き出す受験生活の実現と、高いレベルの合格実績の維持。両者を兼ね合わせながら学習塾を維持していくには、ご家庭のおとうさんおかあさんのご理解・ご協力が不可欠です。いくら私たちが子どもの自律的な勉強の大切さをお伝えし、お預かりしたお子さんの学習指導にあたったところで、ご家庭の子育てと連携できなければ、それは「絵に描いた餅」に過ぎなくなってしまいます。

 小学生の子どもが自立勉強のできる状態に漕ぎつけるには、様々な困難が伴います。子ども自身がまだ目的意識をもって学ぶ段階に至っていません。遊びたい盛りの年齢期にあります。受験勉強はと言えば、決して易しいものではありません。ご家庭のおとうさんおかあさんが、「自分でやろうね」と言って見守り、絶えずお子さんを励ましてくださらなかったなら、小学生の自律的学習の実現は不可能なのです。

 ですから、家庭学習研究社の今日があるのは、勉強の何たるかをわかっておられるおとうさんおかあさんのおかげなのです。

 ただし、勉強をうまくやれないでいるわが子を見て、手を差しのべたくなるのが親というものです。今、わが子の受験勉強を見守っておられるおとうさんおかあさんはどうでしょうか。おそらくは、ほとんどの方がまさにその問題と闘っておられるのではないかと思います。

 そんな方には、是非「中学受験後」のわが子を想像していただきたいと思います。大人が手を貸した受験勉強で合格できたとしましょう。その後、中学・高校で子どもがちゃんとやっていけるようになれるでしょうか。おそらくは無理であろうと思います。実際、今の私学では勉強の自立を果たせなかった生徒さんが多数苦しい思いをしています。「やらなければ」とわかっているのに、どうしてよいかわからなかったり、体が動いてくれなかったりで、成績の低迷状態から抜け出せないでいます。

 大学は出ても、就職がままならないような時代がやってきています。そんな時代に社会に出ていかねければならない世代に求められるのは、学歴ではありません。本物の学力や知性こそ求められるものです。これらを育むためには、人間として自立していなければなりません。自らの力を自ら育てる姿勢、すなわち自己教育力を育んでこそ、子どもの未来は広がっていくのではないでしょうか。

 お子さんは、まだまだ頼りないところばかり目立つ状態かも知れません。しかし、今わが子にできることから自立させましょう。そして、少しでも頑張ったなら大いに喜んでやりましょう。その繰り返しが、子どもの大いなる成長を引き出します。これは、家庭学習研究社でわが子を学ばせ、優秀な人間へと育てられた、多くのご家庭の王道と言える方法です。

 ちゃんとできないわが子を前にし、親としてどう対処するか。そのときに必要なのは、将来的視点に立つことではないでしょうか。家庭学習研究社のこのような方針を是非ご理解いただき、お子さんの学習の応援をお願いしたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。

 来年は、1月4日よりこのブログを再開いたします。引き続き、お読みいただけるなら幸甚でございます。では、よい年をお迎えください。

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カテゴリー: ごあいさつ, 家庭学習研究社の歴史, 家庭学習研究社の特徴, 家庭学習研究社の理念

親は子育てで成長する

2009 年 12 月 24 日 木曜日

 12月16日には、午前中は新4年生の保護者を対象とした行事、午後には入試を間近に控えた6年生の保護者対象の行事がありました。筆者は広報業務を担当しているということもあり、両方の行事でお話しさせていただきました。平日だったせいか、いずれの行事も参加者のほとんどはおかあさんでした。

 同じ日に、「これから受験生活に入るお子さんのおかあさん」と、「もうすぐ入試を迎えるお子さんのおかあさん」の集団にお会いすることは滅多にありません。両者の雰囲気の違いに驚くとともに、ある種の感動のようなものを覚えました。

 新4年生のおかあさんは、初々しい新米の「受験生の母親」です。これから情報を収集し、受験生活の見通しを立てようと熱心に話を聞いてくださいました。聞き手が熱心で一生懸命であれば、当然話をする側にも熱が入ります。「どのご家庭においても、実り多い受験生活が実現しますように」と願いながらお話しさせていただきました。

 一方、もうすぐ受験生活が終わるお子さんのおかあさんは、様々な受験生活の局面を乗り越えてこられた方々です。「とうとうここまで来たのだ」という感慨もあるでしょう。「最後まで油断をしてはいけない」という引き締まった緊張感もあるでしょう。会場の教室には、ひとことで言い表せない独特の雰囲気が漂っていました。おかあさんがた一人ひとりの表情を拝見していると、「わが子の受験生活を見守り応援するなかで、おかあさんがたも親として随分成長されるのだ」ということを痛感せずにはいられませんでした。

 中学受験は12歳の子どもの受験です。高校や大学への受験と違って、何かにつけ頼りない小学生が受験生ですから、親の苦労は並大抵のものではありません。最初から最後まで順調に勉強を積み重ね、何の問題もなく受験を通過する子どもなど一人もいないと言ってよいほどです。ですから、わが子に中学受験をさせる親は、例外なく忍耐と辛抱の続く毎日を送ることになるのです。

 そんなストレスと闘い乗り越えながら、当日の集まりを迎えたおかあさんがたです。何はさておき、そのことに対し「お疲れさまでした」と申し上げずにはいられませんでした。「中学入試で一番大変なのは、ひょっとしておかあさんかもしれません。思うに任せぬわが子を辛抱強く見守り、今日まで漕ぎつけられるまでには、言葉に尽くせぬご苦労がおありだったでしょう。入試が終わったなら、おとうさんが真っ先に慰労の言葉をかけるべきは、お子さんというよりも、むしろおかあさんではないでしょうか」とお伝えしました。

 その話をしていると、すでに何人かのおかあさんが目頭を押さえておられました。それを目にすると、「ここまでのおかあさんがたのご苦労が報われますように」という思いがますます募ってきます。筆者は、「受験直前の親の心得」についてお話しする役目を仰せつかってその場に立っていたのですが、気がつけば無我夢中でおかあさんがたを激励していました。筆者が目にした様々な受験模様、親子間のできごと、指導担当者として嬉しかったことや後悔したことなど、予定外のことまでたくさんお話ししてしまいました。

 ふと時計を見ると、予定の時間が近づいています。お話ししたいことも、概ねお伝えしていました。「今日の話が、少しでもお役に立てばいいが」と念じつつ、終わらせていただきました。

 ところが、6年部の指導担当者の締めの挨拶を聞いて驚きました。「3時10分に終了するはずの催しが、3時半となりました」と語っているではありませんか。何と、筆者は20分も時間を超過してお話ししていたのでした。「みなさん、貴重な時間をすみませんでした」と、平謝りです。

 散会の前、改めておかあさんがたの表情を拝見すると、どなたも「入試に向けて、親としてできる精いっぱいを尽くそう」「悔いの残らぬ受験にしよう」という静かな決意が伝わってくるよい表情をしておられます。

 思えばずいぶん前、筆者も愚息の中学受験を経験しています。立派な結果を残したわけではありませんが、彼なりに頑張ったのだと思っています。それがよい経験となっていると感じることも少なくありません。また、親としても夢を見させてもらいました。愚息を少しでも頑張らせようと、様々な声かけや試みもしました。そのほとんどは、効果のないものだったかも知れません。しかし、親としての貴重な体験をしたと思っています。

 これから入試終了までは、まだまだいろいろなことがあるでしょう。受験生をおもちのどのご家庭におかれては、最後まで気を緩めず、お子さんの入試終了まで応援してあげてください。すべての受験生家庭で、悔いなき受験が達成されますように!

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カテゴリー: 中学受験, 行事レポート

言葉遊びを家族で楽しむ

2009 年 12 月 21 日 月曜日

 最近、阿刀田高氏の「ことば遊びの楽しみ」という本を読みました。日本人が言葉遊びを大変好む民族であることを指摘し、日本語の言葉遊びの楽しさについて、さまざまな事例を紹介しながら自身の考えを綴ったもので、すぐさま惹きつけられ、あっという間に読了しました。

 日本語は、英語などの外国語と比べて言葉を構成する音が少なく、母音を含めてかな文字が七十三ほどです。そのなかには、イとヰ、エとヱ、オとヲ、ジとヂ、ズとヅなど同じ音と考えてよいものもあり、実際にはさらに言葉を構成する音の数は少ないと言われます。ですから、同じ音をもちながら意味の異なる言葉がたくさんあります。そうした言葉に着目し、うまく音を掛け合わせ、意味の交錯する面白さを楽しむ遊びが古くから日本人に親しまれてきました。

 そういえば、中学入試において、国語では同音異義語や同訓異字を書かせる問題がよく出されますよね。それだけ同じ音をもちながら異なる意味をもつ言葉がたくさんあり、それを識別できるかどうかも国語力の一要素としてみなされているのでしょう。たとえば、つとめる(努める、務める、勤める)、かいほう(開放、解放、快方、会報)など、中学入試問題をチェックしているときに何度も目にしたことがあります。

 こういう紛らわしい言葉を見つけては、親子でクイズのように問題を出し合って楽しむのもよいかもしれませんね。4~5年生になると、こういう遊びを面白がって大いに楽しむようになります。その結果、いつの間にか言葉の力が増していたなどということも大いにあるのではないでしょうか。

 前述の阿刀田氏の著作には、氏が小学生の頃に家族で言葉遊びに興じた思い出が語られています。その経験が、現在の作家としての阿刀田氏を育てたと言っても過言ではないかもしれません。阿刀田氏の子どものころの言葉遊びに関する著述の部分をちょっとご紹介してみましょう。

 同じころ(小学校3、4年生)、大好きな遊びに“いつ、だれが、どこで”があった。やり方はいくつかあったが、一例を示せば、小さい紙片をたくさん用意する。何人かが集まって、
「まず“いつ”だぞ」
とリーダー役が発する。そこで“時”に関わること・・・・・・つまり“台風のとき”“クリスマスの夜に”“お葬式のとき”などなどと勝手に考えて記す。それを集めたところで、次に、
「今度は“だれが”だ」
“お兄ちゃんが”“双葉山が”“(おそれ多くも)天皇陛下が”などなどと書く。これも集めて、次に、
「じゃあ“どこかで”」
“エベレストのてっぺんで”“お便所で”“お墓の前で”・・・・・・。
「次、“だれと”」
パートナーとして、だれかを、たとえば“清水の次郎長と”“白雪姫と”“お母さんと”と記す。
「最後は“なにをした”を書いて」
“にらめっこをした”“喧嘩をした”“おならをした”と思いつくままに記す。
もうおわかりだろう。五つの集合を作り、それぞれの集合から一枚ずつを無作為に抜き出して、“いつ、だれが、どこで、だれと、なにをした”という一文を作る。

“元旦の朝、お母さんが、お風呂場で、キングコングと、ウンコをした”
“大水のとき、お兄ちゃんが、トンネルの中で、浦島太郎と、かけっこをした”
“空襲のとき、校長先生が、川の中で、看護婦さんと、おしっこをした”

 とんでもない文章ができあがる。わけもなくおかしい。遊び方がわかって来ると、受けねらいを書く人がいるから、ますますおかしくなる。笑って、笑って、苦しくなることがあった。

 ずっと後になって、文章作法としての5W1Hを知って(つまり文章を書くとき、when,who,where,what,why,howという疑問に答えられるよう綴ること)――あの遊びは、これと関係があるなあ――と思わないでもなかった。

 どの遊びもめっぽう楽しかった。これは私がことば遊びに関心があったこともあろうけれども、一家の団欒とか親しい仲間の存在とかがあってのこと。テレビ、パソコン、ケータイの時代とはおおいにちがっていただろう。

 子どものころ、家族で言葉遊びに興じた思い出は、いつまでも心に残ります。言葉遊びを通じて、子どもは思考のステージを上げていくこともできるでしょう。おたくでもやってみませんか?

参考:「ことば遊びのたのしみ」 阿刀田高 岩波新書 700円+税 

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カテゴリー: アドバイス, 家庭での教育

中学受験におけるおとうさんの役割

2009 年 12 月 17 日 木曜日

 中学受験は、何かと幼さの残る子どもの受験です。首尾よく成功裡(り)に終わらせるには、親の温かい励ましや後押しが不可欠です。中学受験が“親と子の二人三脚だ”といわれる所以はそこにあります。

 ところで、この場合の“親”とは誰でしょう。大抵の人はおかあさんをイメージするのではないでしょうか。おとうさんを連想された人は少ないと思います。なぜなのでしょう。その理由の一つに、「子どもの日常的な躾・教育はおかあさんの役割だ」という社会通念があげられるでしょう。実際、こうした方面の8割以上はおかあさんが受けもっており、おとうさんの比率は6%あまりに過ぎないという公的調査資料もあるほどです。おとうさんは仕事に疲れ、家庭内のことはおかあさんに任せざるを得ないのでしょうか。

 しかし、長年中学受験に関わってきた私たちの経験から言わせていただくと、おとうさんにしかできない役割があります。また、それを踏まえておられる家庭ほど、成功の確率が高いというのが私たちの実感です。では、中学受験におけるおとうさんの役割にはどのようなものがあるのでしょうか。

★わが子の中学受験における、おとうさんの役割

1.子どもの受験生活を大局から見据え、問題点の核心を見抜けるのがおとうさんです。

 おかあさん方のお叱りを承知で言わせていただくと、おかあさんは、どうしても子どもとの距離が近くなり過ぎる傾向があります。子どもの成績がよいと一緒に喜び、子どもをますますやる気にさせようと張り切る反面、子どもが思うようにがんばらないときなど、感情が先走って冷静になれなかったり、成績が悪いと一緒に落ち込んでしまったり。一心同体は良し悪しなのです。

 その点、おとうさんは接する時間が少ない代わりに一歩離れてわが子の様子を見ています。また、おかあさんと比べわが子の受験に対する温度が適度に低く、その分冷静に状況が見えるものです。ですから、わが子の学習を点検し、軌道修正していくうえでおとうさんのアドバイスは欠かせません。

2.おとうさんの大らかな愛情表現、力強い励ましが必要なときがあります。

 どんな秀才であれ、常に順風満帆な受験生活を送るわけではありません。勉強に行き詰まり、思い悩むことだってあります。突然やる気を喪失し、投げやりになる。そんなこともあるでしょう。

 こんなときが、おとうさんの出番です。こうしたケースには、どちらかというと具体的な対策や勉強の内容に立ち入った話をするより、子どもの気分転換を促し気持ちを解きほぐすこと、子どもに自分を見つめ直すきっかけを与えること、子どもの目を覚まさせることが大切です。どのような人間になってほしいのか、親の期待を熱っぽく語ったり、勉強とはどういうものか、親の考えを聞かせたりするのは、おとうさんがふさわしいでしょう。自分の気持ちを包み込み解きほぐしてくれる、優しいおとうさんの一言に、やる気が奮い立ってくる。普段見たことのない厳しい表情のおとうさんの言葉に、自分の甘えた気持ちを思い知らされる。子どもには、そういう体験も必要でしょう。

3.子育てにおける「夫婦一致の原則」を貫き通すためのキーパーソンは、おとうさんです。

 これは、一般に使われている言葉ではありませんが、子育てには「夫婦一致の原則」があるように思います。いくらおかあさんが受験に熱心でも、おとうさんが反対ではうまくいくわけがありません。子どもは、両親の方針が食い違ったとき、大抵は楽な方につくものです。たとえ自分のためにならなくても、易きに流れるのが子どもというものです。おとうさんの、「勉強なんか、程々でいいさ」の一言で、おかあさんの苦労も一瞬にして水の泡になることさえあります。

 おとうさんは、普段あまり勉強のことで口出ししないけれども、いざというときにはおかあさんと歩調を合わせる。それが大切です。厳しいか甘いかはともかく、「子どもに何を期待するか」は変わらないのだということを、子どもに理解させなければなりません。おかあさんの日々の苦労を実らせるかどうかは、偏(ひとえ)におとうさんの出方にかかっているのです。

 なお、以前にも書きましたが、最近ではおかあさんが子育てのすべてを担っておられる家庭も少なくありません。そのようなご家庭においては、おとうさん的な視点や励ましをおかあさんが心がけることで、バランスをとることもできると思います。要は、お子さんとの距離、間合いが適切であればよいのだとご理解ください。

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カテゴリー: アドバイス, 中学受験, 子育てについて

得点力育成の前にやっておくべきこと

2009 年 12 月 14 日 月曜日

 中学入試というと、とかく入試での合格を巡る競争の厳しさが話題にされがちです。その結果、「難しい問題を、たくさんやり込まなければならない」「得点力を上げるために、猛特訓をしなければならない」というふうに思い込む人もいるようです。

 しかしながら小学生の場合、たとえ難関とされる中学校への進学をめざすにあたっても、土台となる基礎学力を疎かにしてはいけないし、子どもの自発的な学習姿勢のもとで合格をめざすような受験対策をすべきだと私たちは考えています。

 なぜなら、当面の入試突破が究極の目的ではなく、その後には長い学びの人生が待っているからです。この学びの人生を充実させられるかどうかは、小学生時代までにしっかりとした基礎学力を身につけ、さらには勉強に対する能動的な姿勢を培っているかどうかで決まってきます。たとえ当面の中学入試を乗り切ることができても、その段階で燃え尽き症候群に陥ってしまったのでは、もはやその先は期待できません。ですから、中学入試においては、将来の“伸びしろ”を育てることを大前提におき、そのうえで合格に到達できるような受験対策を施していくべきなのです。

 では、将来の“伸びしろ”を育てるための指導として、私たちがどのようなことをしているのかについて、簡単にご説明しましょう。

1.「学習習慣」のしっかりとした子どもにする。

  私たちの学習指導は、「計画的に沿って学ぶ習慣」をつけることから始めます。初めは「決めたことだから仕方なくやる」といった様子の子どもも、だんだんと「やるのが当たり前」のようになっていきます。やっているうちに勉強の面白さに気づくし、継続することの価値にも気づくのでしょう。このようにして、「受動的計画」は、「能動的計画」へと変化していきます。これが学力形成を軌道に乗せるための重要な前提となります。

2.子どもの思考を促し、自分で課題を解決するような授業を実践する。

  私たちは、演習や解法伝授のための説明に終始する授業を好みません。それよりも、子どもが自分で考えて問題解決をはかっていく姿勢が育つような授業を心掛けています。たとえば、課題について望ましい方向へと子どもの思考を導きながらも、いちばん大切なところは子ども自身が気づくよう導きます。これなら、身につけた考え方や知識は後々まで活かされるのではないでしょうか。

3.授業に耳を傾け、「授業を活かす姿勢」をもった子どもにする。

  日本の学校教育は、全て一斉集団指導で行われます。このような教育環境の下で学力をつけるには、授業を聴き、授業を活かしながら学ぶ姿勢を備えることが必要です。そこで私たちは、演習形式の授業ではなく、講義形式の授業を行い、自分の知りたいことを、授業を通じて獲得していく姿勢を備えた子どもの育成にあたっています。

4.知ることを志向し、学習に積極的に取り組む姿勢を育てる。

  弊社の教室で学び、優秀な成績をあげている子どもを見ていると、取り組みが洗練されているのもさることながら、学ぶこと自体を楽しむかのような積極的な姿勢を備えていることに感心させられます。“子どもの勉強は、斯くあるべし”です。こんな学習を一人でも多くの子どもが具現できるよう、私たちは思考のプロセスを楽しみながら学べる課題の提供に努めています。小学生の受験勉強は、「楽しみながら」でいいのではないでしょうか。長い学びの人生を乗り切るエネルギーは、こうした経験によって育まれるに相違ありません。

 合格最優先の指導を期待する親御さんもおられるかも知れません。しかし、こうした発想での受験対策は、ともすれば子どもの現実とかけ離れたものになりがちです。中学受験は、合格を得たかどうかで成否が決定するわけではありません。合格したって、ダメなものはダメなのです。受験の結果に関わらず子どもを成長させる受験。それがいいのではないですか?子どもたちが、将来ほんとうの一流の人間になるためにも、目先に走ったやり方だけは慎むべきだと思います。

 私たちは、そのために何が必要かを考えて指導にあたっています。何よりも大切なのは、子どもが主役で、子どもが主体的に学ぶ受験生活にすることです。それが実現したなら、合格の方が引き寄せられてくる(受験が近づくと、一気に伸びる)のだというのが、数多くの子どもの指導にあたってきた私たちの実感です。

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カテゴリー: 中学受験, 家庭学習研究社の特徴, 家庭学習研究社の理念