2009 年 4 月 のアーカイブ

学習指導を担当する者のつぶやき ~その2~

2009 年 4 月 30 日 木曜日

 6年生になると、子どももさすがに受験生らしくなってきます。授業を終えてもそのまま家に帰ることは少なく、大半の子どもは、1時間前後は残って補習を受けます。補習は多くの場合強制ではなく、任意ですから、いわば子どもたちの自主的な「居残り」です。

 ただし、この場合もできる子どもほど熱心に残って勉強し、うまくいっていない子どもほど時間を有効に使った勉強をしてくれません。とても残念なことですが、まだ考え方が幼く、自分に甘い小学生ですから仕方ないのかもしれません。

 あるとき、6年生の男の子で「あと一息国語が伸びれば」と思う男の子がいました(毎年、そういう子はたくさんいますが)。その男の子は、いつも国語の補習に残って勉強していました。それはいいことではあるのですが、「自分のどこに問題があるのか」についてあまり考えていないようで、ただ何となく残っているだけといった様子でした。

 その男の子が、問題に取り組むのを見守っていたところ、ぼうっとしているだけで、文章を集中して読んでいる様子も、一生懸命答えを考えている様子もありません。これで居残りしても意味がありません。そこで、「鉛筆をもち、文章をたどりながら、重要と思ったらそこに線を入れなさい」と助言しました。ところが、どこに線を入れたらよいのかわからないのか、もぞもぞして一向に読み終えません。「自分で判断すればいいんだ。間違ってもよい」と言っても、「どこが重要かわからない」と、読むこと自体がなかなか進みません。

 40分たっても問題をやり終える気配がないので、「どこまでやったの?」と聞くと、「2~3問・・・・・・」と答えるではありませんか。「たったの2問」と、心のなかでため息をついていたとき、算数の補習を終えた彼の友だちがやってきました。そして、「これ、ボクもやっていいですか」と言うので、プリントを渡しました。

 さて、どちらが先にやり終えたでしょうか。15分後、「あのお、一応やってみました」と言ってきたのは、後からきたほうの子どもでした。採点をしてみると、ほとんど満点です。わずか15分で、ほぼ完璧にやり遂げるその男の子のスピードと正確性に舌を巻きました。で、2~3問しかやっていなかった子どもはどうかというと、「1問だけできました・・・・・・」と言うではありませんか。「えっ、15分でたったの1問?」と、今度は本当にため息が出てしまいました。

 実は、この二人の成績は、以前は大して変わりませんでした。しかし、6年生の秋頃から両者の力の差は一気に広がっていきました。因果関係のほどはわかりませんが、伸びていった子どもは初めから最後まで自分で勉強をしてきた子どもで、最後の詰めで伸びなくなった子どもは、親が成績に敏感で、常に勉強の指示をしていたという違いがありました。その子どもが、「成績を気にして勉強に熱が入らなかった原因の一つが、親である」と申し上げたら、言い過ぎでしょうか。 

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「子育て講座」第2回を終えて

2009 年 4 月 28 日 火曜日

 4月13日(月)に第1回目を実施した、「おかあさんの“ハツラツ”子育て講座」ですが、昨日は早くも2回目を終えました。

 この講座は、小学生のお子さんをもつおかあさんを対象としたもので、ワークショップ形式で行っています。ワークショップのよいところは、ファシリテーターと参加者とでやりとりをしたり、参加者同士で意見交換をしたりするなど、双方向の形態を採っていることです。

 ご承知のように、子育ては1日たりとも休むことができないうえ、心労の多い大変な仕事です。子どもとは言え、親とは別の人間ですから、思い通りには反応してくれません。親は、「こうあってほしい」という期待を強くもっています。子どもが期待に反する行為に及ぶと、失望とともに強いストレスを覚えるものです。

 双方向の形式でこの講座を実施することを決めたのは、参加されたおかあさん方が自分の期待と現実を他者に聞いてもらうことで、溜まっていたストレスを軽減できると信じたからです。また、他者の現実や子育ての悩み、努力を聞くことで、たくさんの参考になる事例を自らに取り込めるという利点があると考えたからです。

 ただし、事前に「ワークショップ」という形式を強調されると、敷居を高く感じる方がまだまだ多くおられます。後込みをされる方もおられるかもしれないと思い、敢えてその言葉は表には出しませんでした。「とにかく参加していただき、『この方式はおもしろい!』と思っていただけたなら、自然と受け入れられるだろうと考えたのです。

 さて、ワークショップ形式で始めたこの講座に、おかあさん方はどんな反応を示されたでしょうか。結論を言うと、極めてスンナリと受け入れていただいたようでした。第1回目の最初のワークでは、パートナーを決めて話を始めていただくと、ものの1分も経たないうちに、狭い教室が「ワーン」と共鳴を起こしているかのような状態になりました。

 誰でもそうですが、自分の気持ちに耳を傾けてくれる相手がいると、嬉しいものです。そして話していくうちに、心の奥底で考えていたことがくっきりと浮かび上がってきたりするものです。人に話を聞いてもらうことで、現状をよりよくするために何をすべきか、見えてくることもあります。このワークショップも、そういった成果が生み出せれば成功したと言えるでしょう。

 また、ワークショップであれ、講演会であれ、筆者が大切にしていることは、参加された人たちに「元気のもとを提供する」ということです。このワークショップのテーマの軸は「子育て」ですから、明日からの子育てに向けて、おかあさん方が意欲を燃やしてくださることが何よりの目的でした。

 参加した人が元気や活力を得られる行事にする。そのことがうまく行くかどうかは、行事の主宰者・進行係である筆者に元気があるかどうかで決まります。特に、最初の「つかみ」が弱いと、参加者の反応も引き出しにくくなります。この点に関しては、参加されたおかあさん方の笑顔に満ちた会話を引き出せたことで、まずまずうまくいったのではないかと考えています。

 毎回のワークショップ終了後には、次回までの間、各ご家庭で実行していただきたい課題をお渡ししています。2回目に来られた方のほぼ全員が、課題に挑戦した結果を書いて出してくださいました。

 ワークショップでともに考える。家庭に戻ったら、次の回までに家庭で課題について試してみる。成果と反省点を胸に、次回に臨む。こうした流れを一定期間体験していただくことで、おかあさん方の子育てに大きな変化が生じたなら、これに勝るものはありません。

 まだ、講座はあと4回残っています。終了時には、参加してくださったおかあさん方全員の、満足の笑顔が見られるようがんばってまいります。終了時には、また報告させていただきます。 

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学習指導を担当する者のつぶやき ~その1~

2009 年 4 月 27 日 月曜日

 学習塾、特に進学塾の先生というと、「できる子にばかり力を入れて指導しているのでは」というご疑問を投げかけられることがあります。ですが、実際はむしろ逆です。

 勉強がちゃんとできる子どもは世話がかかりません。ちょっと指示をしてあげれば、あとは自分でどんどん先へ勉強を進めていきます。一方、勉強がうまくいっていない子どもはそうはいきません。授業の度に声をかけて励ましたり、授業とは別のノートをつくらせ、提出させては添削したりする場合もあります。勉強のよくできる子どもにかけるエネルギーを1~3とすると、うまく行っていない子どもにかけるそれは7か8ぐらいはあると思います。

 しかしながら、勉強がうまくいかない子どもは、学習意欲や努力の度合い、実行力、学習方法など、学習成果に直結する要素のほとんどに問題を抱えています。「あれだけ手間暇かけて応援したのに、全然成果が出てこない」と、ため息をつくこともたびたびです。筆者の若い頃には、「特別にノートを見てあげているのに、何でこうやる気のない雑な取組みしかできないのか」と腹を立て、随分厳しいコメントを赤ペンで書き込んだものです。しかし、「それで変わるようなら、その子どもはとっくに成績は上がっているのだ」と、やがて気づきました。それでも、「少しでも力がつくように」と、自分たちでできることをやっているのが学習塾の指導担当者です。しかしながら、取り組みに最後まで変化が見られないまま入試に至ることも少なくありません。

 もちろん、成績に問題のある子どもには、個人面談も正規のもの以外にもしばしば行います。そして、今の状態についてどう思っているのか、どこをやればよくなると思うかなどについて、念入りなやりとりをします。そうやって、学習成果があがらない子どもには1年中付き合い、おびただしい時間とエネルギーを使っているのです。

 入試終了後、「あのとき、先生がわが子にタイムリーな助言をくださったので、子どもが凄く喜んで発憤しました。お陰様で合格できました」などとおかあさんから感謝されると、心底報われる思いをします。ところが、その多くは自分がアドバイスしたことすら記憶にないようなお子さんの家庭からで、手間暇かけてアドバイスやサポートをした家庭からは何の反応もいただけません。この仕事をして間もなく気づきましたが、塾の先生に何をアドバイスしてもらったかを親に報告するような子どもが、陰ひなたなく勉強に取り組んでいる子どもなのです。そして、ちゃんと学習成果をあげているのです。

 こういう経験をして思うのは、子どもの受験勉強は親と学習塾が一致した見解に立ち、一貫して子どもの取り組みを見守りながら応援することが必要なのだということです。家庭のおとうさんおかあさんからは、「塾でわが子がどういうふうに授業を受けているかがわかる」ということ、学習塾からは、「家庭でその子どもがどういう取り組みをしているかがわかる」ということが大切だと思います。大人と子どもが信頼関係で結ばれていないと、子どもが陰ひなたなく一生懸命勉強に打ち込む受験生活は実現しないのではないでしょうか。 

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カテゴリー: アドバイス, 中学受験, 子育てについて, 家庭学習研究社の理念, 教育者とは

塾は、子どもが合格しさえさすればいいの? ~その2~

2009 年 4 月 23 日 木曜日

 前回は、合格優先の学習指導、暗記や詰め込みによる受験対策の弊害についてふれました。それにも関わらず、なぜこのような指導法はなくならないのでしょうか。

 正直を申し上げると、「絶対にこうだ」という理由は私たちにもわかりません。しかし、次のように考えられないでしょうか。

 一つは、以前もお伝えましたが、小学生時代は人間にとっていちばん記憶力のよい時期であり、この時期の子どもは習ったことを丸ごと暗記することが得意だからだと思います。ペーパーテストの限界もそこにあるように思いますが、暗記をすべて排除した問題による入試は実現不可能です。それどころか、現実には7~8割の問題は、そうした受験対策で得点できるほどです。ですから、知識を詰め込み、類題を解く練習をたくさんしていけば、とりあえず入試で合格点を取ることはできるのです。このやり方には特別なノウハウは要りません。誰にも、どの学習塾にでもできることです。それが、このような方法がなくならない理由の一つでしょう。

 もう一つの理由として、次のようなことが考えられます。頭のよい子どもは、たくさんの知識を習得する過程で、学んだ知識を整理整頓し、ある程度の体系づけを自分でできるため、暗記ややり込み型の勉強でも成果をあげることができるからではないでしょうか。こういう子どもは、様々な類題を解きながらそれらの根底にある共通性に気づき、自分で法則を見出すことができます。ですから、間違った勉強法を押しつけられても、自分の頭でその欠点を補えるのです。塾の側もそれを経験的に知っているからこそ、敢えてこのような物量作戦を採るのでしょう。

 ただし、問題はそこからです。暗記や詰め込みの受験対策で合格を得たあと、さらにその先も勉強で困ることのない子どもが一体どれくらいいるでしょうか。それが可能なのは、先ほど述べた「経験をもとに自分で知識を体系づけたり、法則を編み出したりできる頭脳レベルの子ども」だけです。中学校入学以後の勉強は、論理に基づく学習が主体になりますから、暗記や覚え込みの勉強では歯が立たなくなってしまいます。その結果、大半の子どもは、合格しても合格できなくても、中学受験の時の間違った受験対策の犠牲者になってしまう危険性が極めて高いと言えるでしょう。

 私たちが「中学受験後を見据えた受験指導」を掲げ、子どもの自立学習・理解主導の学習による合格をめざしているのは、「中学受験が子どもの成長のマイナスになっては意味がない」と思うからです。このような受験勉強を実現するのは大変辛抱を要することであり、家庭にも負担が伴います。それをまどろっこしく思ったり、「競争に勝ってこそ受験だ。考えが甘い」という人もおられます。しかし、自分の子どもが数少ない「勝者」になれる保証はどこにもないのです。「志望校に受かっても、受からなくても先が楽しみな子ども」になれる受験勉強の方が、圧倒的によいと思うのは、私たちだけではないと思います。 

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カテゴリー: 中学受験, 家庭での教育, 家庭学習研究社の理念

塾は、子どもが合格しさえさすればいいの? ~その1~

2009 年 4 月 20 日 月曜日

 当社は「子どもの将来を見据えた学習指導の実践」を理念に掲げています。またそのために、子どもたちが確かな「学習習慣」や「学習方法」を体得できるよう配慮して指導にあたっています。

 では、最初からこのような理念に立った学習指導をしていたのかというと、そうではありません。以前、家庭学習研究社が誕生した経緯についてご紹介しましたが、それ以前の何年かは、経営者の坪内は中学生を指導する学習塾を経営していました。実は、学習塾を始めた当初は「通ってくる生徒さんを何人合格に導くか、どれだけの合格率を得られるか」ということに躍起となっていたそうです。

 そんな学習指導が改められたのには訳があります。晴れて志望校に合格したはずの生徒さんたちが、勉強の悩みを抱えてつぎつぎに塾にやって来るようになったのがきっかけでした。その悩みとは、「どういうふうに勉強したらいいのか、いまだにわからない」「いつ、何を、どう勉強していいのかわからず、途方に暮れている」「学校の勉強についていけず、成績が低迷している」など、いずれも勉強に行き詰まっているというものでした。

 それを知った経営者は、なぜ生徒がこんな事態に陥るのかを考えました。そして、合格優先の詰め込み勉強のせいだと気づきました。生徒が伸びない原因は、学習塾の指導だったのです。間違った方法でいくら合格者を出しても何の価値もありません。ましてや、合格と引き替えに子どもの伸びる芽が摘まれているとしたら、社会的貢献の意味においても意味はなく、指導料をいただくに値しません。

 それ以来、経営者は「合格できる学力を身につけること」と、「高校への進学後に勉強で困らないよう、きちんとした学習方法を備えておくこと」の両方を視野に入れた受験指導を追究するようになりました。特に、小学生の学習指導に専念するようになってからは、ますます「将来的視点」にこだわるようになりました。その意味において、家庭学習研究社は「過去の反省に立って設立された学習塾」なのだと言えるかもしれません。

 ただし、中学受験では詰め込み勉強や徹底演習型の受験対策は今もなくなる気配はありません。また、そういう勉強で合格し、その後も優秀な成績を残しておられる生徒さんはおられます。このことをどう受け止めるべきなのでしょうか。これについては次回お伝えします。

 

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カテゴリー: 中学受験, 家庭学習研究社の歴史, 家庭学習研究社の理念