2019 年 4 月 のアーカイブ

遊びや娯楽と学業成績との関係

2019 年 4 月 29 日 月曜日

 GW(ゴールデンウィーク)が始まりました。弊社の教室も4月29日(月)~5月5日の1週間は休講とさせていただきます。授業は5月6日(月)から再開する予定です。お子さんがたには、リフレッシュの期間に充てるとともに、これまでの学習の振り返りと修正点の確認をしていただければ幸いです。

 現在までのお子さんの学習を見守られて、どのような感想をおもちでしょうか。4~5年生なら、計画通りに勉強をやりこなせているか、塾への通学が楽しいものになっているかどうかがまずは重要なポイントでしょう。無論、成績面でも手応えを得ておられるなら言うことはありません。

 6年生は、4月末をもって「基礎力養成期」の学習が修了ました。すなわち、学校の教科書範囲をひととおり学び終えたわけです。GWが終了すると、いよいよ「応用力養成期」へと移行します。ただし、まだ入試レベルの学習内容に取り組む段階には至っていませんので、いきなり高度な内容へ移行するのではなく、基礎内容の見直し・点検と、応用的な学力育成への橋渡しをすることが当面の課題となります。その意味においても、GW期間に基礎の定着度を振り返り、課題を明確にしておくことが重要です。現段階で苦手としている単元があればチェックしておき、夏休みまでに少しずつ埋め合わせをしていきましょう。

 さて、保護者におかれては、お子さんのこれまでの学習状況について成果や課題を把握されているでしょうか。子どもはなかなか集中力が続かないうえ、目先の楽しいことに流されがちです。勉強の面白さがわかるようになったり、決めたことをやらずにはいられなくなったりするなど、進歩がはっきりと見て取れるようになれば、「やればやるほどレベルアップする」という好循環の連鎖が生じてきます。このレベルに至るまでが受験生にとって当面の課題であり、目の前に立ちはだかる大きな壁でもあります。親の目配りやサポートが最も必要なのはこの段階だと言えるでしょう。

 ここで、子どもの家庭での過ごしかたと学業成績との関係について調べた資料をご紹介してみましょう。中学受験をめざしている小学生の勉強のありかたを考えるうえで参考にしていただければ幸いです。小学5年生を対象としたものですが、学習時間と成績の関係や、子どもにとっての身近な娯楽が学業成績にどう影響するのかについて、「やっぱり」と思われるかたが多いのではないかと思います。

※調査時期:2007年~2008年。対象:公立小学校の5年生。調査人数:2952名。

 まず、「家での勉強時間と学力」について見てみましょう。これはきわめて単純明快な相関関係が見出せます。すなわち、勉強時間が長い子どもほど学力が高いという結果が示されています。これは、算数か国語かに関わらず同じような傾向のようです(ただ、子どもの体力面のことを踏まえると、やたらと時間をかけるのも望ましくありません)。

 次に、テレビ視聴の時間と学力の関係はどうでしょう。こちらは勉強時間とは逆に、視聴時間が短いほど学力も高くなるという結果が見て取れます。

 テレビゲームはどうでしょう。こちらもテレビ視聴と同じで、ゲームに熱中する時間が短ければ短いほど学力は高くなるという結果が出ています。

 パソコンを使ったインターネット視聴はどうでしょう。こちらは、他の項目とは違う結果が示されています。ほとんど見ない、30分くらい、1時間くらいの子どもの学力差がほとんどありません。2時間くらい、3時間くらい見る子どもの場合、若干学力が下がっているものの、3時間以上見る子どもの学力はそんなに悪くありません。これはどう受け止めたらよいのでしょうか。

 おそらく、インターネットを学習に必要な情報入手のために活用している子どもも多分に含まれているからではないかと思われます。ただ、利用時間はあまり長くないほうが学力向上の観点からも望ましいということは言えそうです。

 中学受験のための学習に取り組んでいる子どもにとっても、テレビ視聴やゲームは楽しいものであり、勉強を疎かにする原因になりがちです。おたくでは、お子さんが勉強をする予定の時間になったのにテレビを見続ける、ゲームに興じているなどということはありませんか? 小学生の場合、自己制御の能力や、今やっていることがどういう結果を招くかについて見通す力がまだ十分に育っていないため、勉強の取り組みのブレーキになっているケースが少なくありません。

 そこで必要になってくるのは、親がどうこの問題に対処するかです。ただ注意したり叱ったりするだけでは効果がないのは、どなたもよくご存じであろうと思います。そこで、最後に「勉強すべきときに遊びに興じる子どもに対して、どのように関わったらよいか」を一緒に考えていただこうと思います。子どもの反発を招いたり、親子間の軋轢が生じたりすることなく、親の期待に沿った行動を引き出すよい方法はないものでしょうか。

 そこでご紹介したいのが、アサーションのスキルに基づくコミュニケーションの技法です。アサーションとは、自分と相手を共に尊重し、互いが傷つけあうことなくその場に応じた望ましいコミュニケーションをとるための技法です。アサーションをご理解いただくにあたり、まずはいくつかの代表的なコミュニケーションとりかたを見てみましょう(以下の著述は、ヘルスコミュニケーションの専門家である蝦名玲子氏の著作を参考にして書いたものです)。

① アグレッシブな表現(攻撃的な表現)

 自分中心の考えに基づき、相手の気持ちを考慮することなく一方的に自分の思いを伝える表現方法をいいます。「すぐテレビを消しなさい!」「いったいいつまでゲームにかじりついているの!」といった批判や攻撃によって、子どもの行動を変えようとする方法がこれにあたるでしょう。すでに経験済みでよくご存じの方も多いと思いますが、このやりかたでは子どもの反省を引き出せないばかりか、意固地にさせるだけのマイナス効果を生み出しかねません。

② ノンアサーティブな表現(相手に迎合する表現)

 自分の感情を抑え、相手に無理に合わせる表現方法です。「ふーん、今見ているテレビ番組が好きなんだね」「そのゲーム、楽しいんだろうね」といった親の対応がそれにあたるでしょう。こういう表現の背景には、「子どもと揉め事は起こしたくない」というネガティブな心理があります。その結果、子どもの我儘を助長し手に負えなくなっていくケースもあるでしょう。親のストレスも溜まってしまいます。

③ アサーティブな表現(自分も相手も尊重する表現)

 自分の気持ちを正直に相手に伝えつつも、相手への配慮もないがしろにしない表現方法です。「この番組を見たいんだね。でも、おかあさんは約束を守ってほしいな。録画すれば勉強が終わってからも見られるよね」「勉強の時間が来ているよ。うっかり忘れたのかな? ゲームは遊んで構わないときにやろうね」などがそれにあたるでしょう。子どもに自分の気持ちを伝えるものの、子どもも気持ちを害することがないため、スムーズに聞き入れられるでしょう。

 ①の表現方法では、「あなたは」「おまえは」といったように、相手が主語になることの多いのに対して、③の表現方法では「私は(おかあさんは)」と、自分を主語にして話すことが多いという違いがあります。前者は相手の言動を一方的に非難する言いかたであるのに対し、後者は自分の気持ちを相手に誠実に伝える言いかたです。ひところ、You(ユー)メッセージ、I(アイ)メッセージという言葉をよく耳にしましたが、同じ考えに基づくものでしょう。自分(親)としての気持ちを素直に伝えるとともに、相手(子ども)の気持ちも尊重した言いかたをすれば、お互いに感情を高ぶらせることなくコミュニケーションをとることができます。

 子どもは、いけないとわかっていることでも、そのときの気分に流されて行動してしがちです。まだ分別をわきまえるほどに成長していないので当然のことでしょう。それでいて、小学校の高学年になった子どもは、親から一方的に叱られると、悪いのは自分と理解していながらも叱ってくる親に反発するものです。今後は、③のようなアサーティブな表現を心がけてみてはいかがでしょうか。

 なかには、「そういう理屈はわかっている。できないから苦労するんだ」とおっしゃりたいかたもおありでしょう。しかしながら、さきほどの①や②のコミュニケーションのやりかたでは困った事態をちっとも改善できないのも事実です。③のようなやりかたを心がけ、たとえすぐにはうまくいかなかったとしても一貫して続けていくことが求められるのではないでしょうか。そういう親の姿勢が子どもの心に届かないはずがありません。徐々にお子さんの行動に変化をもたらすことでしょう。もしも、現在の状況に問題を感じている保護者がおられれば、上記の③の方法を是非お子さんとのコミュニケーションにおいて貫いていただきたいですね。

※GW期間には弊社の全部署がお休みをいただきます。本ブログは、5月13日以降に再会する予定です。ご了承ください。

 

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: アドバイス, 勉強について, 子育てについて, 家庭での教育

AI時代に求められる人間の知的能力って!?

2019 年 4 月 22 日 月曜日

 今回は大層なテーマを掲げてしまいましたが、筆者にはこうした方面に大した知識も造詣もありません。ただし、これから大人になり、社会に出ていく子どもたちにとって、「AI時代の到来に向けて、どのような能力が求められるか」を知り、そのための備えをしておくことは一生を左右する大きな問題でしょう。そこで、書物からの引用が多くて恐縮ですが、今回のテーマに沿った情報をご提供してみようと思います。

 中学受験をめざした勉強も、これから訪れる社会がどのようなものかを踏まえるなら、ただ受験合格のための手段としての勉強に終始するのではなく、「どんな勉強で志望校合格を果たすか」という発想をもとにした勉強のありかたを考えることも必要でしょう。とは言え、現時点ではそのことを子ども自身に理解させ、自分で勉強のありかたを考えさせるには無理があります。そこで、まずは保護者とともに、これから訪れる時代を見通した学習のありかたについてともに考えてみようと思います。

 まず、AI時代の到来という話題はともかく、みなさんはお子さんの中学受験やそれをめざした準備学習がどのようなものであるべきかについて、何らかの方針や考えをおもちでしょうか。「どんな勉強かどうかはどうでもよい。受験で合格できるテスト対応力が身につきさえすればよい」とお考えのかたはおありでしょうか。おそらく、家庭学習研究社にわが子を通わせておられる保護者のなかには、こういった考えのかたはほとんどおられないと思います。何しろ、「学びの姿勢」を重視し、「自ら考えて解き明かす勉強」を奨励している学習塾ですから。

 テスト対応力のみに的を絞るなら、暗記やスキルに傾倒した勉強もあながち否定できません。しかしながら、こういう勉強で身につく知識・技能は、まさにAIが簡単にとって代われる領域の能力です。前回の記事でご紹介したイアン・レズリー氏の著書によると、これからの社会で求められるのは、ジェネラルな知識と高度な専門知識とを併せもつ人、高度な判断力を発揮できる人、複数の分野を横断するチームで新たな創造的活動のできる人です。こういう能力こそ、人工知能が苦手とする領域だからです。そして、このような知的能力を育むのは人間の好奇心だと言っておられます。

 もはや、経営者や会社から命じられた仕事を機械的にこなすだけでは十分ではなく、現状の問題の在り処を自ら探り当て、解決に向けて思考を巡らせ、最善の方策を編み出すべく行動できる人間がこれからの社会では求められています。それは人工知能には任すことのできない仕事です。そういった能力を発揮するうえでの原動力が人間ならではの好奇心なのですね。レズリー氏は、「コンピューターは賢い。だがどれほど高性能でも、今のところ好奇心旺盛なコンピューターは存在しない」と述べておられます。

 以上を踏まえると、「なぜだろう」「これはどういうことなのだろう」と絶えず不思議に思い、疑問を投げかける。そして、知りたい対象をとことん調べて事実をつきとめる。あるいは、どうしても解決できない問題を、様々な知識を総動員して突破口を探り当て、ついには自ら解決法を見出す。そういった能力を発揮できる人間になれるかどうかが、AI時代に生き残るうえでの条件なのだと言えるでしょう。

 では、ここで現在のお子さんが前述のような好奇心をどれだけもっているかを簡単にチェックしてみましょう。以下の10の項目に対してYESかNOの二択でお答えください。なお、この質問項目はレズリー氏の著書にあった18項目をもとにしつつ、さらに一部小学生の子どもに対応させた内容に変えていますので、ご了承ください。

 心理学においては、ここまで述べてきたような人間ならではの好奇心を、「認知欲求」と呼んでいます。認知欲求が強い人間は、知的興味を満足させることに熱心であり、ものごとを合理的に省力化して解決するよりも、知りたいという欲求をとことん満足させることのほうを優先する傾向があります。

 上記の質問の1、4、6、8、10にYES、2、3、5、7、9にNOと答えているようなお子さんは、認知欲求の強い傾向があり、成人後もそういった人間に育つ可能性が高いでしょう。

 レズリー氏によると、「認知欲求の低い人々は物事の解明を他人に任せ、多数派と思われる意見を安易に受け入れて満足する傾向がある」と述べておられます。また、「認知欲求が高い人々は、洞察力を要し、常識を揺さぶり、難問を突きつけてくるような経験や情報を自分から求めることが多い」と述べておられます。どちらが創造的で心豊かな人生を歩むうえで有効かは論を待たないことでしょう。言わば、「苦労を厭うことよりも、知的欲求を満足させることのほうが重要だ」と考える人間なのですね。

 ここまでをお読みになって、お子さんの認知欲求のレベルについて不安や心配の念を抱かれたかたもおありかもしれません。しかしながら、弊社に通って中学受験準備の学習をしている子どもたちの大半は、認知欲求の強い子どもたちです。こうした面をスポイルすることなく成長していけるようサポートすることこそ、親に求められる役割であろうと思います。

 筆者は中学受験の指導現場で15~16年間仕事をしていました。その頃の子どもたちのことが今でも忘れられません。たとえば、授業後も残って算数の課題に取り組んでいる6年生の子どもたちの勉強ぶりが印象的に残っています。イヤイヤ課題に取り組む素振りは微塵もなく、むしろ様々に思考を巡らせて解決の糸口を探り当てることを楽しんでいるかのようでした。誰も解決できないような難問に突き当たって難渋したとき、誰かが「分かった!」とつぶやくと、たちまちその子の周りに大勢の子どもが群がります。しかし、誰も解きかたを教えてもらいたいのではなく、どう考えたのかを知りたくて集まったのでした。そして、考えかたのヒントを得たら「あとは自分でやってみる!」と自分の机に戻り、再び解決に向けた思考に没頭していました。

 国語の授業では、テキストの問題を解くだけでなく、より深い読み取りに迫るため、素材文として切り取られた場面の前に何があったのかを想像するよう促すことがありました。すると、多くの子どもが自分の考えを次々に発表してくれたものです。また、「じゃ、このあとはどんな結末になったと思う?」と問いかけると、これまたいろいろな意見が飛び交います。「実は、私はこの本を読んでいて、結末を知っているんだよ」と言うと、大騒ぎになったものです。このような好奇心を携えている子どもたちの学びは、実に生き生きとしています。こういう子どものほうが、「問題の正解が分かればそれでよい」とする子どもよりも、一回の授業においてはるかに多くのことを学び取るのではないでしょうか。

 受験勉強においては、とかく「テストに役立つ勉強以外は無駄だ」とみなされがちです。しかし、勉強のプロセスで好奇心を増幅させ、様々な問いかけをしながら「もっと知りたい」という欲求を満足させようとする子どもは、受験勉強の次元を超えた収穫を得ることができます。というのも、こういう勉強で得られる能力こそが、AIが人間にとって代わることのできないものなのです。難しくとらえる必要はありません。お子さんが「受験勉強は楽しい!」と感じておられるようなら、そのようなお子さんの勉強に対する向き合いかたを尊重し、見守っていけばいいのだと思います。自分で考えて解決するまで試行錯誤を続けるお子さんを認め、大いに励ましてあげてください。

 最後に、好奇心の強い人間は、老化による脳の衰えも少ないという研究結果をご紹介しておきます。

 2013年にシカゴのラッシュ大学医療センターのロバート・ウィルソンの率いるチームが、300人の高齢者について思考力と記憶力を毎年調査した結果を発表している。チームは300人の参加者に対し、現状だけでなく、幼少期や中年期まで遡り、読書やものを書く作業をどのぐらい行っていたか聞き取り調査を行った。そして彼らが亡くなると、脳に認知症の兆候がどの程度現れているか確認した。脳に刻まれた物理的影響を考慮したうえで明らかになったのは、生涯にわたって読書や文章を書くことに多く親しんできた被検者は、そうしたことを人並み程度しか行ってこなかった被検者に比べ、認知機能の低下の速度がじつに三分の一も遅いということだった。言い換えるなら、彼らは老いを遠ざけていたのだ。知的研究に年月を費やした結果、本来より多くの神経細胞を獲得し、老化による認知機能の低下を和らげていたわけだ。いわば生涯にわたる認知予備力への投資が実を結んだのである。

 小学生の頃の学びは原体験としていつまでも人生の歩みに影響を及ぼします。知的なものを自ら志向し、充足を求めて行動する姿勢を子ども時代に養っておけば、それは一生の財産になるのだということがわかりました。われわれ大人も「今さら」と思わず、自らの好奇心を稼働させ、探索活動に勤しみたいものですね。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: アドバイス, 勉強について, 子どもの発達

理解するまでに時間がかかるのは悪いこと?

2019 年 4 月 15 日 月曜日

 おたくのお子さんは、算数の問題を解くのに時間がかかるほうでしょうか。勉強で、納得するまでに要する時間は長いほうでしょうか。今回は、学習課題を解決したり、ものごとを理解したりするまでに手間取るタイプのお子さんをおもちのかたに、励みになるのではないかと思われる情報をお届けします。

 まず、何をお伝えしたいかについて簡単にご説明しましょう。学習において何かと時間や手間がかかることは、必ずしもハンディではありません。むしろ、解くための糸口を見つけ出すまでに手間取ることは、当該の案件を様々な角度から検証するわけですから、深い理解や応用的な能力を磨くことになるのです。――このことが、学者の研究で明らかにされています。これは中学受験をめざして勉強中のお子さんにも当てはまることではないでしょうか。今、「うちの子は、勉強がてきぱきできなくて心配だ」と思っておられる保護者の方々には、ぜひ参考にしていただきたいと存じます。

 このことを紹介しているのは、イアン・レズリーというイギリスのノンフィクション作家です。この人の著作「子どもは40000回質問する」(原題:The Desire Know and Why Your Future Depends on It )に、次のような記述があります。

 1990年代初頭、カリフォルニア大学の認知科学者ロバート・ビョークは、それまでの心理学者の常識を覆すような事実を発見した。突き詰めて言えば、学ぶのに苦労したときのほうが習熟度は高い、ということだ。

 私たちは、素早く習得することと深く学ぶことを同一視しやすい。教師としては、子どもたちがある概念や技能を一度で習得してくれたら嬉しいし、それは子どもたちにしても同じだ。ただし困ったことに、あまりにも簡単に習得してしまうと、じつはそれほど多くを学べていないことがある。ビョークは入念に練られた一連の実験において、人は短時間で学ぶと、うわべだけしか習得できない傾向が高いことを明らかにした。つまり、長い目で見ると忘れる可能性が高いのだ。また、急いで学ぶと新たに得た情報を既存の知識と結びつけて考えることも少なくなる。そうなると、新たな知識を得ても、他の問題に応用できない。

 ある実験で学生たちに文章の一節を暗記する課題を出した。一つ目のグループには文章を読み始める前に、その概要を記載された順序に従って説明し、二つ目のグループには内容は同じだが順序を入れ替えて説明した。最初のグループは文章をよく理解しているようだった。――暗記を確認するテストでは二つ目のグループより成績が良かった。ところが、その文章に関連して創造性が求められる設問――内容を深く理解することが求められる問題――を与えると、二つ目のグループのほうが好成績だった。二つ目のグループは文章を理解するのに余計な難しさが加わったせいで暗記が難しくなったが、内容についてはかえって深く理解していた。彼らは創造的な活動において、知識を応用する能力を発揮していたのだ。

 これを読むと、理解に漕ぎつけるまでに苦労や試行錯誤を伴ったほうが、却って理解が深まるし、応用の利く知識が身につくのだということがわかります。お子さんの学習に照らして考えるなら、はやく正解を得ることに心血を注ぐより、手間取ってもよいからじっくりと腰を落ち着けた学習を実践していくことのほうが成果はあがるし、先々の学力伸長にもつながるということではないでしょうか。

 今、家庭での予習や復習がてきぱきとさばけず、もたもたしているように見えるお子さんもおられることでしょう。しかしながら、問題にすべきは自分で考え、あれこれと思いを巡らせながら理解へと漕ぎつける過程をしっかりと経験しているかどうかです。

 同じ課題を解くにあたり、あっという間に解決する子どもと、課題の意味するところを理解するまでに時間がかかり、解決するまでに何倍もの苦労をしがちな子どもとでは、誰しも前者のほうが頭がよいと見なすでしょう。実際、課題を解くまでに時間がかかりがちな子ども自身、「自分は頭がよくないからすぐに解けないんだ」と思い込みがちです。しかしながら、上記引用文に書かれている実験報告を踏まえると、必ずしもはやく正解に漕ぎつけることがよいのだとは言えないということがわかります。

 そう言えば、以前ご紹介したことがありますが、有名な遺伝学者の先生が著書で次のようなことを述べておられます。「人が1回で身につけられる勉強を、自分は5回、6回も繰り返して学ばなければマスターできないとします。では、これは頭の差だからとあきらめるべきことなのでしょうか。いいえ、5回、6回と取り組めばいいのです。結果として、同じ評価をもらえ、同じような力の持ち主ということになるのですから。要は、その努力を惜しまないことです」――確か、だいたいこのようなことだったかと思います。

 このように、理解までに手間取るタイプの人はあきらめずに繰り返し取り組んでいけば、飲み込みや理解のはやい人よりも苦労が伴うものの、却って努力の大切さを知り、コツコツと取り組む姿勢を強固なものにすることができます。また、うまくできない人への思いやりの心も養えるでしょう。したがって、このほうが将来の大成につながるような気がしますが、みなさんはどう思われるでしょうか。

 進学塾にわが子を通わせると、親は勉強の成果の一側面にすぎない成績に目を奪われ、データさえよければ安心するし、データが芳しくなければ「もっとがんばれ!」と、子どもの勉強の内実に目を向けなくなる恐れがあります。今回の記事をきっかけに、「わが子は粘り強く、学習課題に取り組めているかどうか」という観点から、お子さんの勉強を見守り応援していただきたいと存じます。

 今は要領よく勉強しているとは言い難い状態でも、取り組みの姿勢さえよくなっていけば、やがて勉強の方法や段取りなどがわかってきます。そうして、みるみる学習状況や成績が変わってくるお子さんが毎年一定数います。こうした流れを築くことが重要です。目先のテスト成績を追いかけることに終始すると、延々成績に振り回される泥沼に陥りかねません。こうなると、いつまでも勉強の基盤が形成されないし、お子さんは自分に自信をもつことができません。

 受験勉強は小学生にとって特別な勉強です。そのことを保護者の方々には踏まえていただき、楽とは言えない受験勉強に逃げずに向き合うわが子をまずはほめてやり、今よりも一歩一歩前進していくことをめざして粘り強く努力を継続していくことを奨励してあげていただきたいと存じます。きっとお子さんは成長し、変わっていくことができるでしょう。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: がんばる子どもたち, アドバイス, 中学受験

英語習得の前提として大切にすべきこと ~その2~

2019 年 4 月 8 日 月曜日

 今回の記事は前回のテーマの後編です。もうすぐ小学校で英語が正式教科として導入されることを踏まえ、そのことに興味や関心をもつとともに、不安を感じる保護者もおられることでしょう。今回の記事が、英語学習をどう理解し、どう位置づけるかについて考えていただくきっかけとなれば幸いです。

 日本人は、外国の言葉を自国の言葉に取り入れることに抵抗がない民族だと言われます。その最たるものは中国からの漢字の導入ですが、戦後のカタカナ言葉の急増も同種の現象でしょう。本来は英語の「ランチ」や「ジョイント」などの言葉も、日本人の手になれば「ランチする」とか「ジョイントする」という表現で、いともたやすく日本語化されてしまいます。こうしたことから、「日本語は蟒蛇(うわばみ)のような言葉だ」という指摘があることを、いつだったか何かの本で知りました。

 ところが、いざ正式に中国語や英語を習得するとなると、外国の言葉の切れ端を日本語化して取り込むのとは全く違った様相を呈してきます。日本人は外国の言語を習得するのが苦手なんですね。グローバル化が進展し、世界共通語とされる英語の習得が国をあげての課題とされていますが、親の世代の大半は英語の習得で躓いた経験があり、「うちの子は大丈夫だろうか」「どうしたら、スムーズに英語をマスターできるのだろうか」といった心配をされるケースが多いのではないかと思います。

 しかしながら、筆者がいろいろ調べた限りにおいては、日本で生まれ育った子どもは必然的に第一言語として日本語をマスターすることになります。そのことが中途半端な状態のまま第二言語としての英語の習得に傾倒すると、大変まずいことになるという指摘が数多く見られました。「日本語環境で育った子どもは、まず日本語をしっかりと身につけることが重要だ」ということを、明確な理由をあげて説いておられるかたのひとりが、ロシア語の同時通訳者として活躍された米原万理さん(1950-2006)です。

 以下は、米原さんの著作の一部を引用したものです(長文のため、若干割愛した部分があります)。

 数年前のこと、耳を疑うような発言をした女性人気アナウンサーがいた。自分の勤め先のテレビ局の社長と結婚することになり、たしかその発表記者会見の席上か、あるいは結婚後の取材に応じてだったか、

「私たちは子供を国際人にしたいから、家では一切日本語をしゃべらないことにします。家ではすべて英語を話すようにする」

 と自信満々に言い切ったのだった。

 だがちょっと待て。「国際」という言葉、日本語でも国と国の間という意味。「国際」を意味するインターナショナルという英語だって、メジュドナロードヌイイというロシア語だって、インター、メジュドは「間(あいだ)」を、ナショナルやナロードヌイイは民族あるいは国を意味する。自分の国を持たないで、国際などあり得るのか。

 そもそも日本語が出来るからこそ英語は付加価値になり得るのである。さらには、どんなに英語が上手くとも、自国を知らず、自国語を知らない人間は、それこそ国際的に見て、軽蔑の対象であって、尊敬の対象にはなり得ない。

 くだんのアナウンサー程有名人ではないが、同じ目論見で日本に住みながら子供を英語のみで授業をするインターナショナル・スクールに入れ、家庭内でのコミュニケーションも英語に限定している人たちが私の周囲にも後を絶たない。そして決まって、子供たちが成人する頃になって、重大な過ちを犯していたことに気づくのは、自国の文化的アイデンティティを形成し得なった若い魂が、どれほど不安定で不幸な自我意識に苛まれるかを目の当たりにしてからなのである。

 もちろん、ハーフの人たちや帰国子女のなかにも日本語と外国語の両方を縦横無尽に操る超一級の会議通訳者がいる。個人的な資質もさることながら、その人たちの言語習得史を尋ねてみると、一つの共通点が浮かび上がる。一定の年齢(八~十歳ぐらい)に達するまでは、日本に生活拠点がある場合には、徹底的に日本語のみで意思疎通を図る生活をしてきたというのだ。

 これは外国語学習にあたって、おおいに参考にすべき点だ。まず何はさておき母国語の能力を高めていくことは、外国語がうまく身につく可能性を開くことでもあるのだから。

 どうでしょう。わずか1~2ページほどの引用ですが、それでも「なるほど」と思う部分が筆者にはいくつもありました。米原さん自身、日本で生まれ育った後、小学3年生から中学2年生終了間際までをチェコスロバキア(現在のチェコ)のプラハで過ごし、全ての授業をロシア語で受ける学校に通ったそうです。こうした経緯をもつかたの指摘だけに説得力を感じます。

 米原さんはロシア語の同時通訳者として活躍されましたが、若くして病気でお亡くなりになりました。以下は、上記引用文とおなじ著作にあった著述で、日本人が外国語を上手に操れるようになるために、まずもって何が大切かについて言及されている部分を簡単にピックアップしてご紹介するものです(手短にお伝えするため、やや乱暴にまとめています)。参考にしていただけたなら幸いです。

・老舗の同時通訳派遣会社の社長であるM氏は、講演会で次のようなことを語られた。「通訳をやりたいという人がよく訪ねてきて、自分の英語力をアピールしてくるが、私は自分に訴えてきている、その人の外国語ではなく日本語のほうに注目する。つまり日本語を聞いてこの人は通訳に向いているかどうかを判断する」

・通訳者にとって、母語はかけがえのない商売道具。母語を外国語に置き換える際には、素早く正確な理解力が必要とされるし、外国語を母語に置き換える際には、豊かで的確な表現力が要求される。だから、母語すなわち私どもにとっては日本語の駆使能力は高ければ高いほどいいに決まっているのだ。

・第二言語すなわち最初に身につけた言語の次に身につける言語、多くの場合外国語は、この第一言語よりも、決して上手くはならない。単刀直入に申すならば、日本語が下手な人は、外国語を身につけられるけれども、その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身につかない。コトバを駆使する能力というのは、何語であれ、根本のところは同じなのだろう。

・ロシア人と日本人のハーフの人たちは、二つの言葉を父親の言葉、母親の言葉として母乳とともに吸い込んで育った人たちだ。通訳をめざす人にとっては、よだれが出るような、一見うらやましい言語環境に育ったわけだが、実際には、日本語も、ロシア語も、そしていかなる他の言語もまともに身についてはいない。もちろん日常生活に事欠くほどではないが、しかし、少し複雑な抽象的な話になると、お手上げなのである(※深い思考力を身につけるには、第一言語→第二言語という言語習得の手順が必須のようです)。

 これを読むと、日本人としての思考のコアになる部分をしっかりと形成するには、まともな日本語をまずもって備えることだということのようです。深い次元の思考は、母語がまともに身についていて初めて可能になるのでしょう。

 筆者の知人(外国人)にも、5か国語を不自由なく使えるうらやましい人物がいますが、その人も母国語を習得した後、学問や仕事での必要性が生じて他言語をマスターしています。上記の内容を踏まえると、現在小学生をおもちの保護者は、まずはわが子の日本語習得の状態こそ気にかけるべきであろうと思います。そのうえで、「これから一生懸命英語の学習に取り組んでいけばいいのだ」とお考えになればよいのではないでしょうか。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: アドバイス, 子どもの発達, 子育てについて, 家庭での教育

英語習得の前提として大切にすべきこと ~その1~

2019 年 4 月 1 日 月曜日

 グローバル社会が進展し、公用語として英語の重要性がますます高まりつつあります。わが国においても、2020年から小学校5・6年生では正式な教科として位置づけられ、さらには3・4年生も総合学習の一環として英語学習が導入されることになっています。こうした情報は保護者の関心事でしょうから、筆者などよりもこれをお読みの保護者の方々のほうが詳しいかもしれませんね。

 このように、英語が正式な教科の扱いになると、中学生以降の英語教科の位置づけに近くなってくるでしょう。これまで、5・6年生の主要教科は「算・国・理・社」の4教科だったのが、「算・国・英・理・社」の5教科になるでしょう。英語の授業時数ですが、年間70時間ほどになるようです。正式な教科になるので、通知表に成績も記載されることになります。指導は担任の先生に加え、英語を専門とする先生も加わります。

 3・4年生は、これまでの5・6年の英語教育と同じ扱いになります。すなわち、総合学習の「外国語活動」と位置付けられ、年35時間が割りあてられるようです。こちらはクラス担任の先生が担当されることになっています。まずは英語に慣れ親しみ、英語のごく基本的な知識を得たり、英語に親近感をもったりすることが目当てとなっています。したがって、通知表に成績は記載されません。しかしながら、5・6年生から正式な教科になるわけですから、「疎かにできない」と思われる保護者は少なくないことでしょう。

 こうしてみると、「もはや国際語としての英語をマスターすることは、今日の子どもにとって必須のことであり、英語の習得に後れを取るとわが子の将来は危うくなるのではないか」と心配や危惧の念を抱く保護者もおありかも知れません。

 小学校から英語を学ぶようになるということは、ずいぶん前から想定されていました。筆者自身、外国語には疎いので、「外国語はいつから学ぶべきなのか」や、「外国語に堪能になることが、実社会でどれぐらい求められるようになるのだろうか」、「ネイティブスピーカーになる必要があるのだろうか」などについて、識者の発言や様々な文献を拾い集めてみたことがあります。そのなかで、筆者が参考になると思ったものを、これから2回に分けてご紹介してみようと思います。なお、こういったことはそれぞれ個人によって考えかたが違うのは当然のことですし、あくまで「参考までに」という意味合いですのでご了承ください。

 アメリカで長く暮らし、ロボット工学などの先端技術の専門家として知られる金出武雄氏は、著書「独創はひらめかない」で、日本人の英語学習(幼児期からの英語習得)について次のように述べておられます。

 

 英会話の習熟は、人によって、目的によって違う。小さな子供に教えられるのは、ものの名前やその聞き取り、せいぜい外国へ行って物を買うとか、道を聞くとかのことしかないだろう。そもそも話す内容としてそれ以上のことは本人に概念そのものがないのだから。その程度の英語を教える暇があったら、子供のころから日本語そのものか、算数でもきちんと教えるほうが賢いような気がする。

 私は「効き言語」とでもいう概念があるのではと考えている。長い間、英語の環境にいるから、日常では、英語で考える時もある。しかし、はっきり言って、ややこしい計算や理屈、思考は日本語で考えるほうが効率がいい。私の人生の最初の三十五年間はそちらでやってきたのだ。

 私の子供は日本語も英語も自由に話すことができる。つまり、バイリンガルである。しかし、基本的にアメリカで育った。すると、面白いことに、足し算をやらせてみると、英語で問題を与えたほうが答えがわずかに速く出てくる。私とは反対に、効き言語が英語らしい。

 私はバイリンガルはあまり勧めないが、仮にバイリンガルが目的だとしても、いくら幼児のころから早期に英語を覚えても、会話学校に行く程度ではバイリンガルにはならない。毎日の生活が圧倒的に日本語だからである。

 バイリンガルが目的でないなら、「日本人としての」英会話は、「効き言語」としての日本語をしっかり育て、固まってからでは遅いということは決してないであろう。そもそも幼児は英語で会話すべき内容がないのだ。

 相撲の世界では「なまくら四つ」と言って、右四つでも左四つでもとれる力士はあまり出世しないともいう。頭の世界もあるのではないか。

 

 日本語の環境で育った後、海外に渡って仕事を始めた人にとって、英語を自在に操れるまでの努力がいかほど苦労の伴うものであるかは想像に難くありません。しかし、そうした苦労を経て外国語のハンディを乗り越え、高いレベルの業績を残している方々は、大概同じようなことを述べておられます。すなわち、「まず母国語の習得が大切である」ということです。

 日本で生まれ育ったなら、まずしっかりとした日本語の遣い手になる。そのことのほうが外国で通用する人間になれる確率がはるかに高いのだそうです。ネイティブスピーカーになれたとしても、それはアメリカやイギリスに行けば子どもですらできることであり、そのこと自体には価値はないというのです。前出の金出武雄氏自身も、大人になってからアメリカに渡って成功しておられます。

 以上のことは、「英語の勉強を、もっと早くからさせておけばよかったのではないか」と不安に思っておられる保護者がおられたとしたら、そういった心配は無用だと思ってよいのだということを教えてくれるのではないでしょうか。日本で生まれ育ち、日本の学校で学問を修めた人は、外国語環境の下で仕事をすることになったときに語学で苦労するのは避けられません。しかし、必要となったら逃げられませんから、誰でも必死になってマスターしよう努力します。それがあるレベルに達したなら、逆に日本語環境で習得してきた知識や技能のもつ価値が生きてくるのではないでしょうか。

 次回は、同時通訳者として活躍されたかたの著作の一部をご紹介してみようと思います。

LINEで送る
Facebook にシェア
Pocket

カテゴリー: アドバイス, 学問について, 家庭での教育, 小学1~3年生向け